今やマイクロホンは手持ちで使うのが常識になっているが、かつてはどこでもスタンドで立てて置かれていた物だった。1930年代に初めてマイクロホンを使いこなし、クルーン唱法(ささやくような歌い方。この手の歌手をクルーナーと呼ぶ。対極にいるのが怒鳴るような大声のシャウター。クルーナーの活躍はマイクロホン登場以降)を確立させた歌手といわれるビング・クロスビーも、センタースタンドに取り付けられたマイクとの距離を計算して声をコントロールしたのであり、東海林太郎の直立不動唱法もハンドマイクでは成立しなかった。スタンダップ・シンガー(stand-up singer)という言葉は、このような歌い手に相応しい呼び名である。昔は司会者も歌手もマイクはホール備え付けの一本を共同で使っていたから、いつも舞台の中央に存在した。そのスタンドも奈落からせり上がって来る仕組みだったりして、今では考えられない事だらけだ。
 そのように固定されていたマイクを最初にスタンドから外したのはフランク・シナトラだ、というのが定説になっている。「昔のことだけれど、マイクをスタンドから外して持ち歩きながら歌えることに気がついた。でも皆やらないネ。エラ・フィッツジェラルドでさえ、マイクスタンドの前で歌っている。これじゃ彼女の顔がお客から見えないよ」*これは 1965年のライフ誌インタビューでの発言だ。彼は1957年の映画「夜の豹」の中で既にハンドマイクで歌っており、1962年の初来日公演でもハンドマイクを使いこなすシナトラの姿があった。「お客に顔を見せなくちゃ」という稀代の芸人魂がマイクをスタンドから外させたようだが、当時まだ手持ち派が少なかった実状も伝わってくる。
 逆にライブ・パフォーマンスでマイクスタンドを積極的に使った祖といえば、ゴッドファーザー・オブ・ソウル、ジェイムズ・ブラウンだ。1960年初めのストレートスタンドは、台の部分に直径40センチほどの鋳鉄製の円盤が使われていて、今の3本足に較べると不安定な構造だった。彼はそこに着目し、意図的にフラつかせて倒れる寸前にマイクスタンドを掴んで歌う「決め」を、演奏と一体で完成させた。この芸はその後も進化を続け、スタンドがフラついている間に何回もターンしたり、倒れる直前にケーブルで引き上げるという高度な水準にまで達した。ジェイムズ・ブラウンの影響を受けていたミック・ジャガーも、69年のアメリカ巡業の頃まで同じ仕様のスタンドを使っていたが、広範囲に動き回るには重い台を持て余し気味に見えた。
 ブームスタンドがステージで一般化するのは1960年代末期で、50年代後半から活躍したロックンロールのピアニスト達、ジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノらは、脇にストレートスタンドを置いて歌った。1957年の映画「嵐を呼ぶ男」で、国分正一(石原裕次郎)がドラム合戦の途中に歌い出す場面でも、傍らの棒スタンドを使う。レイ・チャールズはこの形を80年代になっても続けた。彼の場合は鍵盤を見なくても良かったので、脇のストレートスタンドにずっと顔を向けていられた事もあろう。ブーム型がヴォーカル用として私たちの前に颯爽と登場したのは、1966年のビートルズ来日公演でドラマーのリンゴ・スターが「アイ・ウォナ・ビ・ユア・マン」を歌った時だ。足場とブームの固定が悪くマイクが口許からすぐ逃げてしまい、歌いにくそうだったのを憶えている人も多いだろう。
 この後日本では電気楽器と周辺機器の進歩に多大なる貢献をしたグループサウンズ期に入る。「好きさ、好きさ、好きさ」の大ヒットを放ったカーナビーツのアイ高野はドラマーでリードボーカル、もちろんブームスタンドに付けたマイクで歌っていた。また同時期にボーカリストがハンドマイクで歌うのも一般的に定着した。彼らの超現実的な振りにスタンドは邪魔だったし、片手に金属メッシュ貼りの四角いマイクという姿は、両手を拡げて大見得を切る三波春夫型スタンダップ・シンガーより、明らかに新しい画だったのだ。
 1970年代、ギター・トリオにボーカリストというハードロック編成を徹底させたレッド・ツェッペリンのロバート・プラントは、初期からハンドマイクで歌っている写真が多く、後に続いたボーカリスト達もこの形に従っている。大音量と長時間演奏の中を自由に動き回れるのは、ステージングの上で大きな利点だったのだ。その流れの中で例外的にロッド・スチュアートは、マイクもケーブルも足の部分も白いテープで巻いて完全に一体化させた自前のマイクスタンドで歌っていた。この特注スタンドを逆にして持ち上げたり、空中に高く放り投げたり、全く独創的な動きで強烈な個性を印象づけた。1974年の初来日で武道館のステージに登場するや否やスタンドを軽々と蹴り上げた姿は、今も鮮やかな記憶として残っている。
 ロッド・スチュアートのマイクスタンド使いは革命的で、多くの歌い手達に大きな影響を与えた。矢沢永吉はキャロルの後期に彼のステージを熱心に研究していたという証言があるから、あのビニールテープ巻きは明らかにその名残りのはずだ。西城秀樹も似たような振りを採り入れていた。あ、マッチもそうですか。フレディ・マーキュリーなども早速この表現法を導入したひとりだろう。ジェイムズ・ブラウンのような事を誰もが始めたのである。ここに至ってマイクスタンドは小道具の役割も与えられ、全体の強度や各部の確実性を急速に向上させなくてはいけなくなった。
 1980年代以降、規模が拡大し視覚的娯楽要素を強く求められたライブ環境の中で、ボーカリストのステージ上の移動距離や運動量は更に増えていく。そのためハンドマイクが当たり前となり、ステージのソデに待機してケーブルの送り出しと巻き込みを行なう、「介添え」というP.A.仕事も定着した。その次にはワイヤレスシステムが導入され、もはやスタンドを使う歌い手は殆どいなくなってしまったのである。マドンナは更にヘッドウォーンという強力な武器を持ち込んで、ほとんど踊りっぱなしだった絶頂期のライブを完成させた。
 今では登場用SEの後にバンド演奏が始まりボーカリストが登場、中央に歩み寄ってスタンドからマイクを外す「オープニング儀式」がステージの大小を問わずアマチュアを含め定着している。センタースタンドは歌い出し前までマイクを載せて置く台にしか見えない時すらある。またハンズフリー仕様へはキーボーディストやドラマーの何人かが既に転向しているし、小道具としての新鮮さも買われ徐々にライブ・ボーカリスト用定番機の領域を侵略し始めた。加えてクリップを使ったラベリア型の性能向上を考えると、ひょっとしてそう遠くない時期に音楽ライブの場からマイクスタンドは無くなってしまうのではないか、そんな想像も成り立つ。3002年に発表予定の「21世紀のマイクロホンスタンドとライブ表現法の変遷」にはどんな事が記されるのだろうか。いやそれより、誰が書くのだろうか。
※「ザ・マン・アンド・ヒズ・ミュージック」三具保夫 ジャズ批評
1988年10月発行フランク・シナトラ大特集号111ページより引用)