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ビッグ・ミック・ヒューズ
 

何かが起こっていると感じたメタリカとの出会い

— 先ほど、多くのメーカーがバンドを援助し関係を持ちたいと考えているというお話しがありましたが、それはあなたが腕の良いエンジニアだからというのもあると思います。

B:  いや……それは言いにくいことだ。私はアメリカ人ではなくイギリス人だ。だからとても謙虚なんだよ。
先ほど言ったようなことは私がやっている仕事に他ならない。1984年にメタリカの仕事を依頼されたとき、私はヘビーメタルなんていうものは全く聴いたこともなかったくらいだからね。

— なぜその仕事をあなたに依頼してきたのでしょう?

B:  私はそのときすでにニューヨークのQプライムというマネージメント会社と仕事をしていた。その会社に所属するアーモニー・ショーというバンドの仕事をしていて、1年半ほどやっていたよ。そのころ、Qプライムはメタリカと契約し、アーモニー・ショーの契約を打ち切った。そして私に「ほかのバンドをやらないか?」と言ってきたんだ。
「どんなバンドだ」と聞くと、サンフランシスコのメタリカという普通のヘビーメタルのバンドとのことだった。
「ヘビーメタルだって?」。
私はメタリカを一度も聴いたことがなかったが「もちろんやるよ」と答えたよ。

 

— その後どうなりました?

B:  1984年の11月にヨーロッパに向かい、ピート・ラッセルという人物と一緒に仕事を始めた。私はハウスエンジニアとPAのセットアップをやり、彼はモニターエンジニアとそのセットアップをやった。エンジニアは私たちの2人きりで、機材もトラック 1台分だけだったよ。そのツアーの終わりにバンドは「オレたちはうまくやってこれている。オレたちのエンジニアになりたいか?」と聞いてきた。
  私はそのころPA会社とのツアーしかやったことがなく、バンド専属のエンジニアというものはやったことがなかったので「何が必要になるんだ? それはどういうことなんだ?」と聞くと、彼らは「オレたちと一緒に来るってことさ。もし来たいんだったらアメリカツアーが1月にスタートする」と言った。私は「だったらやるよ」と答えたよ。
それはアーマード・セイントとワスプがメタリカとツアーをしたときだった。私たちは、この数カ月のツアーに出かけ、とてもうまくいったので、それから雪ダルマ式に関係が続き現在に至るわけだ。正直なところ波乱万丈もあったがね。
もし、あるバンドと長い付き合いになると分かっていたら……しかし、そのときはそういう考えは持っていなかったな。

 

— 本当ですか?

B:  1984年に私のところに来て「あなたの稼ぎの10%をこのバンドに賭けて、後でこのバンドの稼ぎの10%を儲けませんか?」と言われれば「いや、今その10%をくれ!」と言うだろう。
いや……本当のことを言うと、実際はそうじゃなかったかもしれないな……というのも、一番最初にメタリカと仕事をしたとき、ライブのセットアップのために朝、会場に来たら、すでにそこには若いファンたちがいた。アメリカのライブハウスでは昼ごろまでにワンブロックほどの列ができたりすることもあった。そういった光景が私を動かしたのだろうと思う。
そこには少し違ったものがあったんだよ。ほとんどのバンドでは、客席が半分しか埋まってなかったり、だれもいなかったりするのだから、それに比べ何かが起こっていると感じていた。
そのころ彼らは19歳で、私は25歳。今、彼らはみんな42〜43歳で、私は48歳になってしまった。彼らはみんな結婚して子供がいる。随分と変わったものだよ。

 
 

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