空に星降り、野に花咲く。

Una pioggia di stelle in cielo, fiori che sboccian nel campo.

皆川明

デザイナー

 浅間山に抱かれた美しい家で、デザイナー皆川明さんに話を聞いた。長野県御代田の木立の中に建つその家は、ミナ ペルホネンの保養所だ。
 吉村順三設計によるその家と、皆川さんが出逢ったのは、9年ほど前のこと。2011年3月に起きた東日本大震災と原発大事故の後、皆川さんは、自社の社員にとって避難所にもなり、ふだんは保養施設として使える場所を探し始めたという。旧知の建築家、中村好文さんと一緒にいくつかの物件を見ていくうち、「ご縁もあってこの家と出逢い、かなり古びていましたが、見て10分ほどで(ここにしようと)決めました」と皆川さんはふり返った。
 複数のベッドルームとバスルームを持つ大きな山荘は、中村さんが改築を手がけた後、2013年よりミナ ペルホネン保養所「ホシハナ休寛荘」として使われている。皆川さんと中村さんは、「吉村先生だったら、どう直すだろうね」と語り合いながら、家のリノベーション作業を進めていったという。吉村順三建築という土台を残し、個性を生かしながら、家は新しく生まれ変わった。
 12月の冬の午後、オーディオテクニカの木のヘッドホン「ATH-AWKT」で音楽を聴く皆川明さんを、その家で撮影した。ミナ ペルホネンらしく、北欧を思わせる空気と匂いが漂い(薪が燃えた、その残り香だろうか)、何もかかっていないのに「音楽」が、その場所から響いてくるようだった。たとえばそれは、haruka nakamuraやTigran Hamasyanが奏でるピアノであり、Jorge Drexlerが弾くギター、ROTH BART BARONの歌声だった。
 グランドピアノが置かれた広々としたリビングルーム(小さな人形から椅子まで、皆川さんの旅のコレクションが絶妙に配置されている)、隠れ家のような書庫(棚には大竹伸郎『シャリおじさん』からアルヴァ・アアルトまで)、梯子を伝って上がるルーフトップテラス(まるで秘密の塔のよう)、ウッドデッキのバルコニー(夏は最高に気持ちいいだろう)、浅間山を見上げる裏庭の雑木林(落ち葉が海のようになっていた)……。家の中から外へ、そしてまた中へと、皆川さんは子供が遊ぶように歩き回り、写真家は数台のカメラを持ち替えながら、やはり遊ぶように撮影していった。光と陰が美しい、冬の午後だった。
 撮影がひと段落すると、皆川さんは地階のメインダイニングルームへと我々を案内し(大きなキッチンのある、居心地の良い食堂だ)、暖炉に火をつけた。午後3時を回って急に気温は落ち始めていた。暖炉の壁の正面に、筆記体のローマ文字が掘られた木が飾られていた。皆川さんが言った。「イタリア語です。空に星降り、野に花咲く」。

音楽が、あのときの空気をよみがえらせてくれる。

「少年時代、ロックに夢中だったとか、ギターを弾いていたとか、僕にはそういった想い出はまったくありません。楽器は弾けないし、あるミュージシャンに夢中になるというようなこともありませんでした。10代の僕にとって、音楽は空白です。中学生の頃からずっと僕は、走ることに夢中でした(皆川さんは、中学、高校と陸上部だった)。
 今も音楽にはまったく詳しくないですが、でも、自分が好きな音楽というのはあります。
 ふだんよく聴いているのは、たとえばグレン・グールド。ベーシックだけどちょっとずれている感じのものが好きですね。朝は、グレゴリオ聖歌をよく聴きます。若い頃から何度もヨーロッパ各地を旅してきましたが、イタリアの古い教会を訪ねるのが好きなんです。グレゴリオ聖歌は、自分が好きな場所へ行ったときの気持ちをよみがえらせてくれるというか。音楽によって、あのときの空気が思い出されるんです。匂いや味もそうだと思いますが、音や音楽も、記憶と結びついていることがありますよね」

当たり前と呼ばれるモノを、ちょっとくすぐってみる。

「2003年に、ブランド名を『ミナ ペルホネン』に改め、その翌年、初めてパリ・コレクションに参加しました。パリコレと聞いて多くの人がイメージするのは、モデルたちが、ショーのために特注された服をまとい、ランウェイと呼ばれる花道を行き来する様子だと思います。僕は、ミナでそれをやりたいと思わなかった。ファッションショーとはこういう音が流れ、こういうリズムでモデルがこう歩いて、という共通理解のようなものがあるんですが、そのルーティンというか、みんな同じだということに対して、疑問がありました。僕にはパリコレが、きれいにフォーマットされた、似たようなピースの集合体に感じられたんです。みんなもっと自由に、フォーマットなんか取っ払ってやればいいのにな、という思いがありました。だから、自分がパリコレに参加するとなったとき、僕は、そのフォーマットのようなものを、『少し斜めにしてみよう』と考えたんですね。
 ミナ ペルホネンが初めてパリコレに参加したとき、ショーの演出には、知り合いのコンテンポラリー・ダンサーに協力してもらいました。彼女が所属する「フランクフルト・バレエ団(後の「ザ・フォーサイス・カンパニー」)からダンサー4人に来てもらって、彼らにミナの服を着せて、即興でダンスのパフォーマンスをしてもらったんです。またあるときには、四角い会場の床一面に綿を敷き詰め、花畑をイメージした空間を作り、モデルたちがただそこを自由に歩くという演出をしました。そのときBGMには、日本のチンドン屋の音楽と、岸和田だんじり祭のお囃子を流したんです。それは日本人にはどこか懐かしく、ヨーロッパの人たちにはそれまで耳にしたことがない斬新なリズムと音に響いたはずです。僕なりに、当たり前じゃないことにチャレンジしました」

 音で、人の記憶は大きく変わると思います。僕は音楽に詳しくありませんが、ショーで音楽をどうするかと考えるのは、楽しみのひとつでした。
 あるシーズンのパリコレでは、ライブで口笛を吹いてもらう演出を考えました。会場構成はすべて自分で考え、パリの知人に口笛がうまい人を呼んでもらいました。THE BEATLESの「ACROSS THE UNIVERSE」などを吹いてもらうことになっていたんですが、当日になってその人が「うまくできそうもない」と言い出して突然帰ってしまった。仕方なく僕が代わりに口笛を吹くことになりました。とはいえ、ぶっつけ本番で生でやるのはあまりに無謀だと思い、ショーの直前、会場のトイレに録音機材を持ち込んで即興のスタジオにすると(反響がいいので)、自分で「ACROSS THE UNIVERSE」を口笛で吹き、録音し、それを会場で流しました。でもそうやっているときも、どこかから俯瞰してすべてを見ているような、妙に冷静な自分がいたことを憶えています。
 今はもう、ミナは、パリコレのようなコレクション、いわゆるファッションショーに一切参加していません。でも、参加していた当時、僕がいつも思っていたのは、多くの人々が良いと言うもの、当たり前と考えるものを、ちょっと『くすぐってみたい』という感じなんです。壊すのではなく、ちょっとくすぐるという感じです」

もうちょっと自転車のギアを重たくする。

「昨年、僕らの会社は新型コロナウィルス(以下コロナ)の影響をほとんど受けませんでした。どちらかというと、昨年の春、夏と、お客さまが多くなったくらいです。
 ミナ ペルホネンがずっとやってきたこと、それは、『同じ服を長く着てもらう』ということです。ミナはごく自然にそれをやり続けてきました。僕らはたくさん服を作りません。それぞれの工程に、職人や関わる人をきちんと入れるから、どうしても時間とコストがかかります。その分、コスト重視の服より値段は高くなりますが、そこに込められた人の想いを長く着ることは、その値段の価値を越えられると思っています。
 最初の頃、僕らがやろうとしていたことは、社会の動きとは逆行しているように見られていました。世の中のメインストリームは、人件費の安い海外で次々と作り、たくさん売り、ということでした。残れば廃棄すればいい、その方が安価だから、という考え方。ミナ ペルホネンは、別の道を歩きたいと思います。
 僕には、こうしよう、これでいいんだ、という確信のようなものがありました。僕らの服は5年、10年着てほしい。長く着られるものでありたい。ミナは、『なるべくモノを多く作らなくても継続できる』という、矛盾のようにも聞こえるテーマを成立させていきたいチームなんです。
 昨今、サステイナブルという言葉をよく耳にするようになりましたが、ものすごく早いサイクルでサステイナブル(持続可能)なことをやろうとしているところがあって、それはおかしいと思います。もっとゆっくり回転させることが重要なのではないか。みんなもうちょっと自転車のギアを重たくしてやるといいと思います。コロナによってそのことが明確化したように思います。昨年、社会に大きな変化が起きて、それによってミナ ペルホネンは、『やっていることが間違っていない』という確証を得たというか、少し自信を持つことができました。それは大きなことでしたね」

旅することで気づくこと、旅が伝えてくれていたこと。

「コロナによって、イタリアやフィンランド、フランスなど、自分が好きな異国へ自由に行けなくなりました。旅に行けないことは、苦痛ではないけれど、行ったときに実は強く感じていたことを、自分はあまり気にしないまま過ごしていたのかもしれないなと思ったりしました。実は大切なことを、旅で得ていたんだけれど、わりと気軽に旅ができていると、それが当たり前になってしまい、そういったことの大切さを見失ってしまう、というか。もっと若い頃、お金もなくて、バックパックでユースホステルやドミトリーに泊まって旅をしていた頃に、確かに感じていたことがあったと思います。今、旅に行けなくなったことで、その大切さを思い出したのでしょうね。何処かへ旅をして、見知らぬ土地で知る何か、旅の道中で気づく何か、得る何かが、確かに旅にはある。だから、去年から今に至るまで、ある意味で、気づきのない状態がずっと続いているのかもしれない、と思います。今この世界は、旅することで気づくこと、旅で体感できることを、全人類が失っているのかもしれません。でも、こういう状況だからこそ逆に、できるようになることもあると思います」

アアルトがデザインしたレコードプレイヤー。

「実は今、フィンランドの、アルヴァ・アアルトがデザインした古いレコードプレイヤーを日本で修理してもらっています。1900年代中頃のものだと思いますが、前にフィンランドを旅したときに見つけて買ったものです。修理が終わって使えるようになったら送ってもらえることになっています。レコードにあまり興味がなかったのですが、これから少しずつ、レコードで音楽を聴くということをやってみようかなと考えています」

もしヘッドホンをデザインするとしたら。

「今の僕では、(ヘッドホンの)機能のことをきちんと理解しないままやることになってしまうから、まず機能を学ぶ必要があるでしょうね。ヘッドホンのことをきちんと理解しなければ、的を外したデザインになってしまう気がします。服もそうですが、機能性を備えた形を考えたいですね。
 ヘッドホンは、形としてはすでに完成されているものだと思うので、そうするとやはり、耳に当たる部分の質感をどうするとか、色や模様をどうするといった、そのように考えていくんでしょうね。
 とにかく大事なのは、ここから聞こえてくる音の良さです。だから、もし自分がヘッドホンのデザインに関わるとしたら、まず音についてしっかり理解したい。その後、完成されたこの形に与えられる『美しい』というスペース(空間)、美しさの領域はどこにあるのかな、と考えていくと思います。音をきちんとした上で、ではそこにどのような美しさを入れられるのかと考えるでしょう」

伝えたいことは、「記憶」。

「人が何かモノを作るということは、記憶のためなんだろうとも思います。何かを作る、後にそれを手にした人は、それが作られたときのことをふり返る、なぜそれが作られたのかと考える。作った理由は記憶なのだろうと思うのです。だから作られた意味を知ることは、記憶を辿ること。モノを作ることと、記憶と、その循環があるんですね。
 僕も、どうしてこの形になったのか、とよく考えます。どうしてこのようなデザインになったのか、どうしてこれを作りたいと思ったのか。わからなくても作っていき、完成したときに、ああなるほど自分はこれがやりたかったのだと気づくことがあります。後から、これはこうなるのだ、とわかる。記憶と物質は、基本的に同じなんじゃないかと思います。
 たとえばこのヘッドホンも、記憶です。いつか何処か別の場所で、僕がこのヘッドホンを手に持ったとき、きっとこの日の撮影のことを思い出すでしょう。服でも、椅子でも、そんなふうに『記憶』として残るものを生みだしたい、作りたいと思います。昨年開催した『つづく展』も、やりたかったことは記憶です。記憶することを伝えたくて、『つづく』という展覧会にしたんです。これからも、表現の仕方は変わっていきますが、伝えたいことは変わらないだろうと思います」

ビル・エヴァンス、音楽の記憶。

 今日の太陽が山の向こうに落ちて、部屋の中がぐっと暗くなった。写真家が立ち上がり部屋の灯りを点けた。照明で、部屋の中は明るくなった。それが、終わりの合図だった。皆川さんが車で、北陸新幹線の駅まで送ってくれることになった。
 家を出て、皆川さんの車に乗って田舎道を走り出してしばらく行くと、左手に美しい風景が広がった。八ヶ岳連峰が朱色に染まっていた。そのとき皆川さんと別のことを話していたのだが、走る車の窓から見える景色の美しさに思わず息を呑み、会話の流れを無視して、「ものすごく美しいですね……!」とつい口に出してしまった。皆川さんは会話が遮断されたことを気にするそぶりも見せず、「はい、そうなんですよ」と嬉しそうに笑顔で言った。まるで、この夕焼けを見せたいから今日会ったんだよとでも言うように。
 車の中に流れていたのは、ジャズのピアノだった。聴いたことがあると思ったが、確信が持てず、「これは、CDですか?」と皆川さんに訊ねると、「はい、そうです、ビル・エヴァンスです」と教えてくれた。そうだった、自分もこのアルバムを持っているから知っていたのだ。
 これからきっと、ビル・エヴァンスのピアノを聴くたびに、この日のことを思い出すだろう。皆川さんが運転して駅まで送ってくれた短い道中のことを、その車の窓から見た夕陽の色に染まる八ヶ岳を、居心地の良い山荘で過ごした午後の時間を、思い出すだろう。音楽は、いつも大切な記憶を思い出させてくれる。音楽もまた、記憶なのだ。

Cast profile

皆川明(みながわ・あきら)
1967年東京生まれ。デザイナー。
1995年に自身のファッションブランド「minä(ミナ)」を設立。2003年より「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」に。手描きの図案によるオリジナル・テキスタイルでの衣服や小物をはじめ、インテリア、テーブルウエアなど、日常と暮らしのための様々なプロダクツを発表。国内外の産地と連携しながら精力的にテキスタイル開発やもの作りをおこなう。また朝日新聞や日本経済新聞の連載カット挿画、文芸書挿画も手がける。主な個展に『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』(2019、2020)がある。
https://www.mina-perhonen.jp

Staff credit

Creative Direction by チダコウイチ
Photography by 新津保建秀
Interview & Text by 今井栄一

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