街の歴史といまをサウンドから紐解き、サウンドスケープを紡ぐ。目的は「町のウェルビーイングを育てる」ため。サウンドスケープはいま、とても意図的である。

NYを拠点に、世界各地のシーンを独自取材して発信するカルチャージャーナリズムのメディア『HEAPS Magazine(ヒープスマガジン)』が、Always Listening読者の皆さまへ音楽とウェルネス、ウェルビーイングにまつわるユニークな情報をお届けします。

いい都市づくりと音

いい都市、いい町づくりに欠かせないものとしても重要視されている「音」。特に都市部に人口が集中する現代の流れにおいて、 “よりよい都市づくり” は21世紀における最大の課題の一つとされてきたが、近年は「その地域に存在する音」が注目されている。
キーとなるのが「サウンドスケープ(音の風景)」* だ。都市再開発の新たな軸として考えられはじめたのはここ30年くらいか。もともとは騒音の改善をテーマにしたケーススタディ**が多くあったが、近年では、都市や町のアイデンティティの認識のためにもサウンドスケープが用いられるようになっている(「フォニック・アイデンティティ(Phonic Identity)」とも)。

町のサウンドスケープを採取し存在する音を認識することは、日本を含む世界各地で取り組まれている。都市開発やデザインにおいて、ビジュアルから認識できる土地のアイデンティティだけでなく「音を通じた認識で初めてもたらされる視点もある」という考え方。その土地には何が存在し、土地がどのような存在であるかを再認識するという根本的なアプローチになる。

*サウンドスケープとは1970年代にカナダで提唱された概念で「音の風景」と訳される。地球上、過去から現在までどのような音があり、どのような音を聞き取り認識するかで、暮らしの楽しみや課題との関わりを模索できるとしている。
**例:街路樹が少なすぎると音が吸収されないため騒音がひどくなる、喧騒のなかにいかに静かな空間をつくりだすか、等。

さて、昨年秋に英国で行われた取り組みを一つ紹介したい。というのも、このサウンドスケープのプロジェクトを取り入れた理由を「町のウェルビーイングの向上」としていたところ、そしてその作り方から伺えることが興味深い。

制作の依頼内容が気になる

舞台は英国イングランド中部の州にあるラグビーという町。現地住民と観光客の交流の場として、町をあげてのフードフェスティバルを定期的に催しているのだが、ここに「街のサウンドスケープを聴く」という取り組みがくわわっていた。州議会と地元の協会が連携したプロジェクトで、街の過去から現在までの音を集め、歴史と今日を音で表すというもの。この取り組みの意図について、州議会の担当者は、町のアイデンティティの強化と「ウェルビーイングの向上をはかる」とコメントしていた。

サウンドスケープは、地元に存在するさまざまな音を集めつつも、次のようなリクエストがあったと制作を依頼されたミュージシャンが話している。「長きにわたって広く知られてきた事柄」、そして「長きにわたって隠されてきた事柄」の二つを結びつけ「住民に語りかけるものとなるように」というもの。

この20年ほどでサウンドスケープのプロジェクトは大きく2つの方向性が育ったと思う。一つは音を採取し、それらを土地への理解や環境保全に役立てる、あるいは研究へ役立てる(最新の例で面白いのは、NASAの日食サウンドスケープ。日食中に起こっている事象を音データで知る)、つまり採る/採れたものにウェイトのある採取型。もう一つは、個人やグループが意図的にサウンドスケープをデザインすること。採取し、それらを一つの形に練り上げることが最大の目的となる。創作型、とでもしよう(これは幅広い。あるテーマや題材のもと、クリエイターらがそれぞれの周辺環境から音を採取して自由に表現するサウンドスケーププロジェクトなどもある)。

今回のサウンドスケープは、後者の創作型だ。実際の(7:56)尺のサウンドスケープを聴いてみる。ラグビーの歴史や知識についてのリズミカルな語りがさまざまな音の上に敷かれている。

音自体はありふれた日常音だが、じっくり聴いていくとさまざまな音に溢れていることがわかる。カフェのミルクスチーマーの音、理髪店のハサミ使いなどローカルビジネスの音、雑踏、教会の鐘の音、車、行き交う人の声、(おそらく)ストリートでの水遊びの音。鉄道など産業の音。あらゆる人の生活が存在していることを耳にしていく感じだ。自然、人工の音というよりは人をメインにしたシーンが多く、地元の人々こそランドマーク的である、と伝わってくるのがとてもハートウォーミングだ。慣れによって目では逃してしまうような日常のつぶさを音を通して認識し、自分以外の他者の存在を認識する機会にもなっていると感じる。自分を取り囲む環境との関係性を認識し深めていくことは、個人のウェルビーイングに関わることだ。愛着を深めることは、住民のウェルビーイング、ひいては町のウェルビーイングに繋がっているといえるだろう。

一見よくありそうなプロジェクトだけど…

さて「長きにわたって隠されてきた事柄」をサウンドスケープに編み込んだという点。隠されてきた事柄とは同サウンドスケープ内の語りに含まれている歴史的事実であると思うが(どの部分であるかはいまいち不明)、なにをどう選出するかによって住民が受ける印象は変わっていくのではないか。採用する音の選択、その繋ぎ方の時点でも印象は変わるだろうが、メッセージ性という点でこれはまた別の段階の話だ。

サウンドスケープによって土地の姿を可聴化し、理解や愛着の深め方を聞き手それぞれに委ねるのと、明確な意図をもってデザインしたサウンドスケープである一つの明確な印象に導く、というのは似て非なるものだと思う。聴き、認識するというよりは、それを越えて一つの解釈をあたえるようなものだ。いいのかどうかは置いておくが、町づくりとサウンドスケープにおいて、小さくも大きな変化を感じ取れるものだった。

Words:HEAPS