1940年代にはステレオという豊かな音の表現が確立し、アメリカやヨーロッパのレコード会社を筆頭にさまざまな技術が開発されました、そして1950年代には大型だったスピーカーを小型化させ、レコードは家庭の娯楽として浸透していくことに。 今回はオーディオライターの炭山アキラさんによる、レコードの歴史のお話です。

音の録音と再生がモノラルからステレオへと進化したお話はこちらから: レコードの歴史 #4 〜モノラルからステレオへ〜

ステレオレコードが大衆へ

家庭用のステレオ音源としては、1954年にオープンリールのミュージックテープが発売されていました。 しかしその3年後、1957年にステレオのレコードが発売されると、ミュージックテープの約半額という価格の安さと流通性の良さから一気に普及が進み、1960年代の後半にはモノラルレコードも生産を終えます。

この1950年代から60年代の初頭頃は、音楽再生を取り巻く環境にいろいろ大きな変化が訪れた時代でした。

50年代半ばには「アコースティック・サスペンション」という技術が発明され、それまで巨大なものが多かったスピーカーを画期的に小型化することに成功しました。 現在に至るまで、ほぼすべてのスピーカーがこの技術を背景に設計・開発されています。

60年代初頭には、トランジスターアンプが発売されます。 それまでの真空管アンプは大きく重く発熱も大きなものでしたが、トランジスタは軽く発熱が少なく、安価で作ることが可能になりました。

真空管アンプのイメージ

そこにステレオレコードの魅力が加わるのですから、もうレコードもステレオの装置も売れないわけがありません。 特に日本では、折からの高度経済成長も追い風となりました。 家電業界はこぞってステレオ機器を発売し、「ステレオは一家に1台」といわれたほどの大ブームを迎えるのです。 オーディオテクニカの創業は1962年ですから、まさにこの頃ということになりますね。

一方、世のステレオ化を少しばかり苦々しく眺めていた人たちがいます。 モノラル時代に既に大きなスピーカーとアンプで音楽を楽しんでいた、今でいうところのオーディオマニアたちです。 「苦労してシステムをそろえたのに、このデカいスピーカーをもう1本増やせだと?」という悲鳴にも似た呟きが漏れたと、業界の大先輩たちから話を聞いたことがあります。

こういう悲喜劇はありましたが、それでもモノラル→ステレオ化は業界の予測を遥かに超えて順調に進みました。 ステレオというコンテンツの魅力が大きかったことに加え、ステレオ・レコードプレーヤーはモノラルと互換性が保たれていましたから、それまでに買いそろえたレコードも問題なく楽しめましたしね。

幻の4chステレオ

そんな順調に進むステレオ化に、「スピーカー1本から2本への移行がこれだけ上手くいったのだから、もっと増やしても大丈夫なのではないか」と考えた電器メーカーの人がいたのか、はたまた多chサラウンド化が進む映画界を横目に見ていたのか、1970年代初頭頃の日本に突然新しい再生方式が登場します。 「4チャンネル・ステレオ(4chステレオ)」です。

4chステレオは、一般的なステレオの後ろ、あるいは両脇にもう2本スピーカーを加えた格好の装置で、現代のホームシアター・サラウンド装置をごくシンプルにしたご先祖様といったところです。

1970年のビクターを皮切りとして、2年ほどの間に国内ほとんどの家電各社とオーディオ専業メーカーから機器が発売されました。 しかし、メーカーがどれほど力を入れてどんどん製品を発売しても、宣伝に力を入れても、4chステレオの売れ行きはさっぱりでした。 まさに「笛吹けど踊らず」です。 これだけ大失敗したのには、いくつかの理由があります。

どんなに頑張っても全然売れない4chステレオのイメージ

ひとつは、再生方式が乱発されたこと。 今では考えられないことですが、登場し始めの頃はまさに1社につき1方式という感じで、各社がそれぞれ自社の優位性をうたって相譲らず、という様相だったのです。 これでは一体どれを買ったらいいのか分かりませんよね。

もうひとつは、かつてモノラル時代に嘆いたオーディオマニアと同じ現象です。 「この狭いウサギ小屋のどこにあと2本もスピーカーが置けるんだよ!」という消費者の声を無視した商品開発だったわけです。

さらに、4ch初期のレコードにも問題がありました。 特に4chの魅力を紹介するためにオーディオ各社が製作したデモ用のレコードの中には、ダブルスの卓球選手が4つのスピーカーの間で前後左右にリレーを繰り返す、なんてものがあってお客さんを呆れさせたとか。

また、世の中の音楽の大半は前から聴こえてくるのに対し、音楽でもボーカルが正面でドラムが左、ベースが右、ギターが後ろ右でシンセが後ろ左から聴こえる盤といったものが横行し、違和感が大きかったということもあります。 レコード会社も4chの有効な使い方が分からなかったのですね。 それに加えて、これだけ方式が乱発されると一体どの方式で発売していいやら見当がつかず、おかげで発売されるレコードの数が伸びないという問題も発生しました。

どんなに頑張っても全然売れない4chステレオに、各社は慌てて規格統一の話し合いを持ち、最終的に3つの方式を標準と定めました。 しかし時すでに遅し、消費者にソッポを向かれた4chが盛り返すことは遂にありませんでした。 1980年代を迎える前に、すべてのメーカーが4chステレオから撤退しています。

それでも売れるレコード

これほどの大失敗を犯したオーディオ各社ですが、何とそれでも業績に大きな穴はあかなかったとか。 一般の2chステレオ装置が売れに売れ、それこそトラックを何台連ねて秋葉原や大阪・日本橋へ乗りつけても、ステレオ装置は羽が生えたように売れていき、販売店からまた矢の催促がくる、という夢のような時代だったのです。

大失敗を犯したオーディオ各社のイメージ

当時を知る元メーカーの営業マンから話を聞いたことがありますが、「石油ショックですか。 当社は影響を受けませんでしたね」とおっしゃっていました。 世の奥様方がトイレットペーパーを買い求めるために行列を作っていたその同じ頃に、ステレオは増産に次ぐ増産だったというのですから、ブームというのは凄いものですね。

今回はここまでにして、次回は録音から起こったオーディオの大革命について話しましょうか。 お楽しみに。

Words:Akira Sumiyama