職業的な作業としてではなく、日常を満たすための切実な営みとして音楽を作る人々にフォーカスしていく「 “日々を生きる” ためのDTM」。
今回登場してもらうのは、滋賀県に住む13歳のトラックメイカーANJIさん。
2025年3月6日、多くの観客が集まった渋谷のライブハウスのステージ上で、サンプラーとシンセサイザーを並べたANJIさんのライブが行われた。イベントは、DJとして活動をするCOMPUMAの新作リリースを記念したもので、そこにオープニングアクトとして抜擢されての約20分間のライブだった。
ANJIさんは、普段は盲学校に通う中学生。生まれつき全盲で、幼い頃から楽器に触れ、現在はトラックメイクやライブを行っている。
ライブ会場にいたほとんどの観客がその日初めて彼女のことを知ったと思うが、シンプルなサウンドと本人が読み上げる詩の響きに、涙を流している人もいた。
ANJIさんの音楽の世界には、私たちには聴こえていないなにかが含まれているようだった。「琵琶湖の周りを歩いている時に、イメージが沸いて作った曲です」というMCが心に残り、ANJIさんにとって作曲が生活の中でどんな意味を持つものなのか知りたくなった。
ANJIさんとお父さんの棡葉昌大さん、お母さんののぞみさんが暮らす滋賀県の自宅にお邪魔して、日々の音楽制作について話を聞かせてもらった。

ANJIさんが作曲をするのは、週末の限られた時間だけだ。平日は学校とデイサービス、曜日によってはピアノ教室に行き、家に帰ってからはゲームを1、2時間したりする。
ANJIさんにとってゲームの存在は大きく、作る音楽の世界観にも影響があるらしい。取材中、PCに保存されている膨大な量のトラックデータを順番に再生しながら、お母さんやお父さんが「これは何についての曲やったっけ?」と質問すると大抵「〇〇が△△と戦って倒す曲」「UFOが襲ってくる曲」というような答えが返ってきた。

ゲームの効果音、特にスタート音に類する音には目がない。音のピッチだけでなく、音色に対する感覚がとても鋭いANJIさんは、「これは(NINTENDO)64風の音」といった具合に、シンセサイザーを使ってあらゆる音をあっという間に再現することができる。
効果音というものは、状況や感情を表す音として人工的に作られたものであるから、繰り返し聴くなかでそれらと音が結びついて記憶される。晴眼者が音と結びつけているものの先には視覚から得た情報としての状況がある一方で、視覚に頼らないANJIさんは、日常で耳に飛び込んでくるあらゆる音が、状況を判断するためのあらゆる情報と固く結びついている。
日常に溢れている沢山の音。それそのものに埋め込まれている意味性のようなものへの解像度が、私たちの想像が及ばないほど高い世界でANJIさんは生きている。
昌大さんとのぞみさんは、そんなANJIさんの才能を早くから理解して、休日にはなるべく多くの音を聞かせて回っているのだという。それはライブで聴く音楽に限らず、湖畔を歩くと聞こえる地面を踏み締める音や鳥の声、上空を行く飛行機の音、初めて行く土地の雑踏の音、電車に乗ると聞こえてくる車両の音や話し声等々……ANJIさんの好奇心を刺激するようなあらゆる環境音を聞かせてあげようと、家族であちこちに繰り出すのだそうだ。

「あんちゃん(ANJI)は音楽よりもまず音そのものが好きなんだと思います。例えばゲームのスタート音(効果音)や、車が通るときのエンジン音やタイヤの音、ATMから鳴る音とか。私たちが全然気にしていないような音がANJIにとってははっきり意味があるみたいで、それらがミスマッチしているように聞こえた時には、たまにツボに入るのか大笑いするんですよ」(のぞみさん)
「外出先でお店に入ったりすると、そこで鳴っているBGMに対してすごく厳しいんですよ。『なんでここでこういう曲がかかるねん』って、いつも言ってるよな(笑)」(昌大さん)
幼少期から音に敏感で、トランポリンにCDを積み上げてはぶつかり合う音を聞いていたり、川に投げた石が「ボチョン」と沈む音に夢中になるような子供だったという。3歳になると、バンドマンのお父さんの部屋にあったDTM機材をおもちゃ代わりに触り始める。視覚障害児が通う施設でもさまざまな楽器に触れていたが、それよりもパッドを押すことでスピーカーから音が出るコントローラーに惹かれていたそうだ。ちなみに、 昌大さんが生まれたばかりのANJIさんに最初に聴かせたのは、ブレイクビーツユニットHIFANAの曲だったそう。


作曲をする週末は、昌大さんとのぞみさんからの「今日はこんな雰囲気の曲を作ってみよう」という提案で作る「課題曲」と、「あんちゃんが好きなように作る曲」にトライする「自由曲」の2つの作曲法で習作を繰り返す。
例えば、「ANPUMA」という仮題が付けられているビート主体の曲は、COMPUMAと共演した渋谷のイベントでの体験が元になっている。昌大さんが「COMPUMAさんのライブで感じたことを音楽にしてみよう」と提案して作られたものなので「課題曲」として作られた一曲ということになる。
先述した通り、ANJIさんがこれまでに作ってきた曲の数は膨大で、その数は500曲を下らない。それもそのはずで、とにかく作曲のスピードが早いのだ。取材中、実際に目の前で作曲をしてくれたのだが、20分足らずで2曲が出来上がった。

作曲の手順は毎回異なるようだが、その時は取り掛かると同時にまずはキーボードで1曲分の尺のメロディーをすべて弾いてしまった。間髪を入れず、そのメロディーに合わせたコードを弾き、ドラムやベースラインも手弾きする。シンセやベースの音色を決めるスピードもあっという間で、あらかじめジャストな設定が脳内で定まっているので、ツマミを回しながら鳴らして音を探るのではなく、その数値を目掛けて迷いなく目盛を合わせていく。
「作り出すと止まらなくて、ずっと作ってるんです。そうやって量産される曲を私たちは日々聴いているんですけど、そのなかで特に『これは良い!』という判断は不思議と夫婦で一致するんですよ」(昌大さん)

作業を観察していると、ANJIさんの作曲能力の高さに感心すると同時に、昌大さんとのぞみさんによるサポートのあうんの呼吸に驚かされる。ANJIさんがDTM上の設定でどんなことに困っているのか、その瞬間になにをしようとしているのか、2人には手に取るように分かるようだった。その光景は、我が子に英才教育を施すためというよりも、曲を作る時間そのものが家族にとって最も重要であり、この時間を過ごすことこそが曲を作る目的であるかのようにも見えた。
そんな光景を見て、筆者は用意していた質問を引っ込めたくなってしまった。それを本人たちに言葉にしてもらうことは、あまりに安直なことのように思えたからだ。だが敢えてぶつけてみた。それは「ANJIさんにとって作曲をしている時間とはどんな意味を持つものですか」という質問だった。
するとのぞみさんは優しく笑い、そんなことは考えたこともないといった様子のANJIさんに代わって、あるエピソードを話してくれた。
「この前、近所の公民館でやっていた音楽イベントにあんちゃんと遊びに行ったんです。たくさんの人が集まっていたから、入口が脱いだ靴で溢れ返ってしまっていて。どうしようかなと思っていたら、若い男性のお客さんが飛んできてくれて。『ANJIさんですよね?この前ライブを見ました!』って声をかけてくれてから、靴を整理するのを手伝ってくれたんですよ。私はそれがすごく嬉しくて。音楽を続けていれば、音楽を通じてあんちゃん知ってくれて、そうやって手を差し伸べてくれる人が増えていくんやなって」

筆者はこの答えにハッとさせられた。ANJIさんに取材をしたいと思ったのは、先述した渋谷のライブに感動したからだったが、「ANJIさんにとって作曲とは」を探ることはインスピレーションの源や作業上の工夫を知ることであると、その程度のことしか考えが及んでいなかった。
「あんちゃんは知的障害も持っているので、1人で生きていくことが簡単ではないんです。これから高校生になって、大人になっていくなかで、誰かの助けが必ず必要なんです」という昌大さんの言葉が思い起こされる。ANJIさんにとっての作曲とは、のぞみさんと昌大さんがANJIさんに授ける、人生をサバイブするための手段であり武器でもあったのだ。
そしてもう一つ、ANJIさんの曲作りについてあれこれ話を聞く中で「ANJIさんにとっての作曲とは」に対する答えとして浮かんできたものがある。
それは、「通り過ぎるもの」であるということ。ANJIさんは作った曲を聴き返すこともなければ、気に入った誰かの曲を繰り返し聴くこともないという。
ANJIさんが付ける曲名には「UFO」というワードが頻出する。何かが近寄ってくる音や過ぎ去って行く音を総称してANJIさんが独自に呼んでいるもので、特に好きな種類の音なのだそうだ。
それはまるで、時間芸術としての音楽の本来の姿であるようにも思えた。時の流れが逆流しないことと同様に、音楽も降りてきて放たれていくのみとでも言わんばかりに。

ANJIさんは今年の夏、愛知県豊田市で開催される野外イベント「橋の下大盆踊り | SOUL BEAT ASIA 2025」にも出演することが決まっている。家族で長年通っていたイベントだけに、とても楽しみにしているという。
日進月歩で成長する彼女の音楽が、これからどんなかたちになっていくのか。そして、それがANJIさんにとってどんな意味を持つものになっていくのか。この記事の原稿チェックのやりとりをするなかで、昌大さんとのぞみさんが送ってくれた言葉を最後に紹介したい。
「あんちゃんはこれまでも、そしてこれからも、いろんな方に支えていただきながら歩んでいくんだと思います。そんな中で、あんちゃんの好きな音や言葉が、誰かの心に触れたり、少しでも楽しんでいただけるものになったら、親としてとても嬉しいです。感謝の気持ちを忘れずに、自分らしく進んでいってくれたらと思います」
ANJI

2012年生まれ滋賀県在住。盲学校中学部。視神経形成異常症により生まれつき全盲。幼い頃から鍵盤楽器やドラムマシンなどをおもちゃ代わりにして遊ぶようになり6才からピアノを始める。シンセサイザーでの音作りやDTMに興味を持ち始め、ジャンルにとらわれる事なく作曲するようになる。10才から地元DJに見出されレゲエ、ヒップホップのイベントにビートライブとして出演し始める傍ら、ジャンルレスなオリジナルトラックを収録したミックステープ「Blind Beats1」を発表。テレビドラマや企業CMなどへの楽曲、BGM提供を行うなどしビートメイカーとしても活動する。13才で渋谷wwwにてCOMPUMAワンマンライブ(音響:内田直之、映像:住吉清隆)にオープニングアクトとして出演した事を皮切りに、本格的に「BLIND BEATS SOUND」レーベルを立ち上げ、COMPUMA・M.C.BOOプロデュース、hacchiミックス・マスタリングによる4曲入りの7インチEP(300枚限定)とデジタル配信5曲(ボーナストラック含む)をリリース。ライブパフォーマンスではサンプラーやシンセサイザー、エフェクターを駆使した演奏に合わせ朗読を重ねるビートポエトリーを披露しており、琵琶湖の畔で「人・街・自然」と共に過ごす中で出会う音がANJIの創造に繋がっている。
HP InstagramPhotos, Words & Edit:Kunihiro Miki