「このジャケット、なんだか気になる」──音楽に詳しくなくても、レコードには私たちの感性をくすぐる力があります。色や構図、紙の質感など、レコードのジャケットから伝わってくる何かに心を惹かれる、そんな体験をしたことはないでしょうか。音楽を聴く前に、まず “見る” 。その視覚的な第一印象が、音と出会う前のワクワク感を高めてくれます。

ジャケットのデザインに惹かれて手に取る瞬間は、まるでアート作品との偶然の出会いのよう。「ジャケ買いのススメ」は、そんな感覚的な選び方で、レコードとの偶然の出会いを楽しむ企画です。音楽を本業としないアーティストの皆さまに、レコードショップに無数に並ぶレコードの中から直感で気になったものをピックアップしてもらい、その中から特に心を惹かれた3枚を選んでいただきました。

今回のゲストにお迎えしたのは、アートディレクター、グラフィックデザイナー、フォトグラファーなど、幅広い制作活動を行っているNatsumi Ito(以下、Natsumi)さん。紙と紙にまつわるものを好み、ひとつの表現方法ではなく、紙を使用する様々なメディアで創作を行う彼女は、個展「Instinto」を今年1月から2月にかけて東京・神楽坂で大盛況のうちに終え、7月11日(金)からは兵庫・神戸のTHE BOOK ENDにて巡回展を開催。彼女ならではの「枠にとらわれない」自由な世界観を表現しています。

『Instinto』(2015-2024)
『Instinto』(2015-2024)

Natsumiさんは、どんなジャケットに惹かれるのでしょうか。そして、そのレコードにはどんな音楽が詰まっているのでしょうか?

レコードを探しに訪れたのは、東京・西新宿にあるRECORD CITY SHOP。レコードとCD通販サイト「RECORD CITY」が2024年2月にオープンしたガラス張りの実店舗には、オールジャンルのレコードがジャンルごとに並んでいます。レコードについてのお話はスタッフの齋藤祐治さんに伺いました。

“ジャケ買い” はCDを購入していた時期以来だというNatsumiさんの目に留まるのは、どんなジャケットでしょうか?

個性がでますね。

いま手に持ってるそのレコード、映画『スタンド・バイ・ミー』ですね。

Natsumi:そうなんです。ジャケットを見て選んだんですが、名作映画でした。

Various Artists『Stand By Me(Original Motion Picture Soundtrack)』
Various Artists『Stand By Me(Original Motion Picture Soundtrack)』

齋藤:2016年にヨーロッパで再発された、180g重量盤のサントラですね。この『Stand By Me』のように有名なものもそうですが、リリース当時は誰も知らなかったようなアーティストの楽曲が発掘されたり、日本の音楽も80年代のシティポップが海外で再発されていたり、今はありとあらゆる音源が再発されていると思います。

Natsumi:なるほど。あと、このマッチのレコードも気になりました。こちらはどんなレコードですか?

Bob James and Earl Klugh『One on One』
Bob James and Earl Klugh『One on One』

齋藤:ジャズ/フュージョンを代表するピアニストのひとり、ボブ・ジェームス(Bob James)とギタリストのアール・クルー(Earl Klugh)のセッションで、1979年にリリースされて、グラミー賞に輝いた名盤です。

フュージョンはジャズを基盤にロックやラテンなど他のジャンルの要素を融合させたジャンルですが、この『One on One』はどちらかといえば80年代のスムーズな感じです。2人ともとても評価されているアーティストですが、特にボブ・ジェームスの楽曲はヒップホップのサンプリングソースとしても人気で、数多くの作品に使われています。

Natsumiさんはこのジャケットのどの部分に惹かれたんですか?

Natsumi:インパクトですね。写真の強さがドーンときているから、わかりやすくていいなと思って。

齋藤:2人でやってるから2本、ということですかね?言葉で説明しなくても、これから燃えるぞっていう感じで。

Natsumi:そういうことかもしれないですね。小さいサイズのマッチを30cmでみるとまたインパクトが違って、面白いですね。

そのジャケットは写真もイラストもないですね。どんな理由で手に取ったのですか?

Natsumi:全部のデザインのバランスがいいなって思いました。ロゴがエンボスになってて、真ん中のラベルに赤が入ってて、このバランスが好きでした。ちょっとアパレルっぽいかなって。

齋藤:オリジナルは1982年にイギリスのレーベルRusty Internationalから出ていたシングルで、こちらはレゲエ再発レーベルのDUG OUTが出した、12インチのシングル盤ですね。

Little John & Billy Boyo「What You Want To Be」
Little John & Billy Boyo「What You Want To Be」

齋藤:シングル盤は日本だときちんとデザインして発売されることが多いですが、海外では何のデザインも印刷もされていない白や黒の紙製の袋にレコードを直接入れて販売されているものが多いんです。でも、この「What You Want To Be」のジャケットは、ざらっとした紙質の厚紙にエンボス加工。デザイナーが細部までこだわったんでしょうね。

Natsumi:ね。個性がでますね。

あと、このレコードも気になりました。同じものですか? 2枚見つけました。

Donna Summer「Last Dance」
Donna Summer「Last Dance」

齋藤:どちらもディスコの女王、ドナ・サマー(Donna Summer)の「Last Dance」ですね。先ほどの「What You Want To Be」と同じように、海外ではシングル盤はシンプルに発売されることが多いのですが、これはカンパニースリーブといって、発売元のレーベル Casablanca Recordsのデザインが施された袋に入れられています。

Natsumi:中身とデザインが同じでも、色が違うんですね?

齋藤:カンパニースリーブはデザインや形状が変わることがあるんです。スリーブを印刷した年が違ったり、バリエーションで作っていたりすると色違いが出てくるので、それを集めるのが好きなコレクターの方も結構います。たとえばアメリカだと、西海岸と東海岸とで印刷工場の時期や場所が違ってくると、印刷機の出力も違ってくるので、同じジャケットでも微妙に色味が違うなんてこともあるんですよ。

Natsumi Itoが直感で選ぶ、3枚のレコード

店内をひと通り見終わったところで、ここからは特に心が惹かれた3枚のレコードを選んでいただきます。

Natsumi:うーん、悩むなあ!

Natsumiさんは作品を選ぶ時はどのような選び方をするんですか?

Natsumi:私は写真を選ぶ時はわりとわかりやすくて、人物だったらポートレート、あとは古い雰囲気というかノスタルジックなものが好きで、いわゆる今っぽいものはあまり選ばないですね。デザインという視点では基準はバラバラなんですけど、タイポグラフィはすごい好きなので、全体のバランスでパッケージとして見ることが多いかもしれないです。色とか、紙の質感とか。

それはご自身の作風とも近いんですか?

Natsumi:そうですね。そのまま出てると思います。見るものと作るものの好みはかなり近いです。…4枚まで絞れたけど…どうしようかな。

では、選ばれた3枚を試聴してみましょう。

酔っ払いながら聴いても楽しくなりそうな感じ『Do It(’Til You’re Satisfied)』

ジャケットの雰囲気から、中身はどんな音楽だと思いますか?

Natsumi:ポップな感じなのかな?みんながグループでいる感じと、アフロな感じでテンポがいい感じかなと思って選びました。

齋藤:B.T. エクスプレス(B.T. Express)はブルックリンのファンクバンドです。オリジナルは1974年作で、こちらはICONOCLASSICというレーベルが昨年リリースした、ボーナストラックを収録したリマスター盤です。70年代半ばから音楽シーンはディスコ一色と言えるほどのブームだったので、こういう踊れる曲は人気でした。

Natsumi Itoが選んだ1枚目、B.T. Express『Do It('Til You're Satisfied)』
Natsumi Itoが選んだ1枚目、B.T. Express『Do It(’Til You’re Satisfied)』

Natsumi:割と好みです。明るくて陽気だけど、声が落ち着いていてうるさくなくて、作業中にテンションを上げてくれそうですね。あとは酔っ払いながら聴いても楽しくなりそうな感じ(笑)。

1曲目の「Express」には汽笛やベルのような音が入っていて、タイトルも「エクスプレス」で、ジャケットも駅のホームで撮られたものですね。

齋藤:ちゃんと理由があるんですね。

Natsumi:けっこう昔の黒人の人たちがたくさん集まっているジャケットって、茶目っ気があるのが多いから好きです。

そういう理由でこのレコードも選ばれたんですか?

Natsumi:こういうジャケットって、収録されているのはアップテンポで楽しい曲なんだろうなってなんとなく想像できるから、いいなって思って選ぶことは多いかもしれないです。作業中は静かな音楽を、移動中は賑やかな音楽を聴くのが好きなんですが、アンビエント系のいわゆる暗い音楽はあんまり聴かないので。

ドライブ中によさそう『Dream of a Lifetime』

Natsumi:マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)は知ってたけど、このレコードはジャケットで選びました。写真の感じと、デザインがいいですね。落ち着きがあって、部屋に飾っても良さそう。

上に余白があって、なんとなくポラロイド写真っぽい雰囲気ですね。

Natsumi:今っぽいわけじゃないけど、すごい古臭いわけでもなくて、こういう感じが好きなんだと思います。

齋藤:いい顔してますよね、このポートレート。

Natsumi Itoが選んだ2枚目、Marvin Gaye『Dream of a Lifetime』
Natsumi Itoが選んだ2枚目、Marvin Gaye『Dream of a Lifetime』

Natsumi:運転中とか、こういう音楽が聴きたくなりますね。

ブラック系の音楽がお好きなんですか?

Natsumi:ロックとかも好きですよ。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)とか。CDを買っていた頃はロック系のジャケットが好きでした。『Stadium Arcadium」の宇宙のデザインとか。若かったのもあるけど(笑)。

ちなみにNatsumiさん、実は音楽にお詳しい?

Natsumi:うーん、どうかな。母親がジャズ好きだったので、その影響はちょっとあるのかも。あと実は、音楽はやってました。

何をされてたんですか?

Natsumi:歌をやってました。音楽の学校にも行ってたんですけど、結局デザインの道に進んだんです。

その頃の経験は今の作品制作に繋がっていますか?

Natsumi:直接は繋がってないですね(笑)。でも、当時の同期が現在はプロとして活動していて、色々と話を聞いて刺激を受けています。いつか一緒に仕事をしたいねって話したり。

自然体な感じがすごい好き『Lianne La Havas』

ポートレートが続きましたね。

Natsumi:やっぱりポートレートが好きなんです。カフェで流れていそうな、ジャズとかソウルがミックスされた感じのちょっとお洒落で今っぽい感じの曲が入ってるのかな?

Natsumi Itoが選んだ3枚目、Lianne La Havas『Lianne La Havas』
Natsumi Itoが選んだ3枚目、Lianne La Havas『Lianne La Havas』

Natsumi:いいですね。こういうハスキーボイス、好きです。こういう声の人になりたかった(笑)。

齋藤:リアン・ラ・ハヴァス(Lianne La Havas)はイギリスのシンガーソングライターですね。このアルバムでは、レディオヘッド(Radiohead)の「Weird Fishes」のカバーもやってます。

Natsumi:全然違うテンションになりそうですね。

選んでいる中では他にもいくつかポートレートのジャケットが目に留まっていたようでしたが、最終的にこちらの『Lianne La Havas』を選んだのはどうしてでしょうか?

Natsumi:このポートレートの自然体な感じがすごく好きでした。あとはなんとなく、好きな音がくるかなっていう予感もしてたんです。

ドンピシャでしたね。Natsumiさんがポートレートを撮るときに意識していることはありますか?

Natsumi:自然な状態を撮るのが好きですね。もちろん仕事によりますけど、ポーズを決めて撮るよりは自然体のほうが好きだけど、ポーズとるなら振り切ったポーズを撮るほうが楽しいし、好きです。作るのか、そのままか、みたいな。

最後に、レコードのジャケ買いを体験した感想を教えてください。

Natsumi:楽しかったです。いろんなジャケットを見れるのって楽しいですね。レコードにハマる人って、たぶん音だけじゃなくてジャケットも好きじゃないですか。

齋藤:ジャケットだけで、内容は関係なく買う人もいますよね。猫のジャケットを集めている人とか。そういう本も出版されてたりします。

Natsumi:レコードにハマる人の気持ちがわかりました。

Natsumi Ito

東京を拠点に活動する日本人アーティスト。紙とそれにまつわるものを好み、制作活動を行っている。彼女の作品は日常からインスピレーションを得ており、日々の生活の美しさを表現する感情や想像力に焦点を当てています。また、クリエイターとしては 主にアートディレクター、グラフィックデザイナー、フォトグラファーとして活躍している。彼女は創造性に対する情熱を持ち、近年では空間デザイン、プロップスタイリング、イラストレーション、執筆など幅広い分野で積極的に活動しています。

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【 Instinto 】

本展では、2015年頃から現在に至るまで、Natsumiが日常の一瞬を捉えてきた写真作品を展示します。あわせて、これまでの展示作品の一部も再構成し、「枠にとらわれない」彼女ならではの自由な視点を、より深く体感いただける構成となっています。 Natsumi Itoは、2016年の初個展以来、一貫したテーマ性を保ちつつ、クリエイターとしての多忙な日々や変化の中で、彼女の内に根ざした視点や日常の切り取り方、そしてスタイルを変えることなく作品を生み出し続けています。彼女の展示は、見るたびに同じ時間へと戻されるような不思議な感覚を呼び起こします。そしてその中に、言葉にしがたい微かな変化が確かに感じられるのもまた、彼女の魅力のひとつです。「かつての彼女」「これからの彼女」、そして「いま」の彼女に出会える展示を、どうぞゆっくりとお楽しみください。

この度、THE BOOK END 神戸で開催される巡回展では、東京での展示内容から一部変更を加えております。また、写真集の限定50部に付属していたオリジナルの香水を、今回は額装写真をご購入いただいた方にお付けいたします。(会場では香りをお試しいただけるよう、ムエットも配布予定です。)さらに、巡回展に合わせて新たに制作した出版物もお披露目いたします。東京での展示にお越しいただいた方にも、改めて楽しんでいただける空間となっています。

期間:2025年7月10日〜8月4日(入場無料 )
会場:THE BOOK END
住所:〒650-0024 兵庫県神戸市中央区海岸通3-1-5 海岸ビルヂング 302(JR元町駅 徒歩5分)
時間:11:00〜18:00(火・水曜定休)

HP

RECORD CITY SHOP

住所:〒160-0023 東京都新宿区西新宿7-8-3 ミスズビル 1F
OPEN:13:00-20:00
HP

Photos:Soichi Ishida
Words & Edit:May Mochizuki

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