原宿のミュージックバー・bar bonobo。 メインのフロアは10坪ほどの小箱だが、古民家を改築したユニークな空間づくりとこだわりぬかれた高品質なサウンドで、東京のクラブシーンで確かな存在感を放ってきた。 東京の音楽好きだけではなく、海外からの注目も集めるベニューだ。

オープンから20年近い歴史のなかで細かくアップデートされ、日々ファイン・チューニングされているbar bonoboのシステムが鳴らすサウンドは、いわゆるクラブのそれとは一線を画する。 味付けしすぎず、原音の持つポテンシャルを存分に活かしながらも、踊ることのできるサウンド。 その中核となっているのが、世界に一台だけの真空管ロータリーミキサーだ。 このミキサーをフックとして、bar bonoboの追求する理想のサウンドとそこに込められた哲学を、オーナーのSEIこと成浩一に語ってもらった。

世界に一台のロータリーミキサー

ロータリーミキサーの実物を見せていただきましたが、チャンネル数は4chでしょうか。

SEI:はい。 1・2chにフォノイコライザーが入っていて、フォノ専用です。 3・4chがライン入力で、スイッチャーをかましてCDやPCを接続します。 そして、マスターボリュームですね。 各チャンネルにイコライザーはありません。 今日はVestaxのアイソレーターをセットしていますが、普段はALPHA RECORDING SYSTEMのスリーバンドのアイソレーターを使っています。

世界に一台のロータリーミキサー

18年前にbar bonoboをオープンするにあたって機材を選ぶときに、私もひねくれ者なので、みんなが使ってるものとは違う面白いものがないか探していたんです。 すると、私の友人に「倉庫に面白いのがあるよ」という方がいらっしゃいまして。 ニューヨークで「The Loft」というパーティーを開いていたDavid Mancuso(デヴィッド・マンキューソ)が二度目のジャパンツアーを行ったときに、音響にこだわるMancusoのために、小松音響研究所の小松さんにカスタムで真空管のDJミキサーを作ってもらったものなのだそうです。 Mancusoはもともと、音質を劣化させたくないからミキサーを使わない人だったんですが、試しに使ってみたら音がなかなかいい。 「色気が出るから、これを使おう」と気に入ったそうで、これがそのミキサーです。

私はニューヨークで暮らしていたときに「The Loft」を体験していたこともあり、帰国して1〜2年目にデヴィッドの来日ツアーがあるというので見に行っていました。 当時はこのミキサーのことも知りませんでしたが、その音は聴いていたわけです。 その数年後にミキサーとまた出会って、音に妥協しない彼が使ったのならと僕も興味を持って、手に入れました。 普通ミキサーを選ぶにあたっては、操作性や修理のしやすさから汎用性が重要だと思うんですが、あえて音を優先して、世界に一台のミキサーを選びました。

オーナーのSEIこと成浩一

実際に鳴らしてみたときの印象はいかがでしたか。

SEI:例えばUREIのロータリーミキサーは、良くも悪くもある種のコンプ感を感じられるし、ミックスすると濃厚に団子状態に混じってくれて、ハウスミュージックのエネルギーに繋がる音をしています。 対して、こちらはもっと混ぜるのが難しく、繊細です。 もちろん、結局はシステムとの相性によるんですが。 私のスピーカーで試したところでは、UREIよりももっとピュアオーディオ的な音だと感じました。 色付けがないというか、原音に忠実なので、音源が悪かったら、正直その悪さが目立ってしまうところはあります。

原音の魅力とクラブの鳴りの中庸を目指す、bar bonoboのサウンド

どんなサウンドを目指してbar bonoboのサウンドシステムや音響を作ってきたのか、詳しく教えてください。

SEI:コンプレッサーやEQなどのプロセッサーを駆使して作ったいわゆる「クラブの音」は、想定される音源がクラブミュージックのセッティングになってしまう。 それが悪いわけでは全くないですが、例えばLed Zeppelin (レッド・ツェッペリン)をかけたときに、僕はあくまでLed Zeppelin として聴きたいんです。 クラブ風に味付けされたLed Zeppelin は聴きたくない。 そういう音楽と踊る音楽とを両方とも再生できる、中庸的なサウンドシステムがあると私は思っています。 普通はそこを分けるのかもしれませんが、両方楽しめるセッティングがあるだろうと。 クラブ的なセッティングは、ダメな音源もまあまあの品質で鳴らすものなんです。 その分、元々その音源が持っていた突出した部分も失われてしまう可能性がある。 素晴らしい音源をかけた時の宝物のような瞬間が、そこでは再現されないんです。 そうじゃないことをやってみたかった。

一方で、オープンから20年近く経ち、その間に理想のサウンドも変化してきたんじゃないかと思います。 そんななかで「これだけは変えない」というポイントはありますか。

SEI:レコーディングされた音源には定位・位相がありますよね。 クラブは大抵、空間をスピーカーで四方から囲ったりしますけど、そうすると、例えば後ろと前から両方ハイハットが聞こえてきたりするのは、私にとっては気持ち悪いんですね。 2つのスピーカーで完成形になってる音楽なのに。 bar bonoboでもリアスピーカーを使ってはいるんですけど、ほんの少し、15ミリセカンドぐらい音を遅らせています。 人間の耳というのは早く届いた音に強く反応するので、後ろの音は鳴っているのに、体感としては聞こえなくなる。 そういう工夫をして、補助の意味で使っています。 場所によって音にムラができたり、あるいは前後両方から音が聞こえてくるのは違うだろうと思っていて、例えダンス・ミュージックであってもそこは気をつけています。 ただ、原音に忠実な再生と言っても、クラブは1人で座って聴くものよりは若干低音が豊かな方がいいとは思っています。 クラブとして楽しいけども原音を崩していない、微妙なところを狙っています。

よりよい音を目指して

よりよい音を目指して

この20年ほどでCDJの普及やPCDJの普及もあり、一方でアナログでプレイする文化も残り続けています。 つまり音源が多様化しているわけですが、それに対してどう対応していますか?

SEI:デジタルについて僕たちが今やっていることとして、CDJのデジタルアウトから外部のDAコンバーターを通してミキサーに突っ込んでいます。 CDJ本体に内蔵されているDAコンバーター部分は、オーディオ的に優秀とは思えないんです。 こういう、中国製のラックです。

デジタルについて僕たちが今やっていることとして、CDJのデジタルアウトから外部のDAコンバーターを通してミキサーに突っ込んでいます

もっと高価なものにしても良いんですが、これでも十分、CDJからそのままアナログで出すより良い音になります。 リスニング系のオーディオ環境では結構知られているセッティングなんですが、クラブでやっているところはほとんど見かけたことがない。 今後もっと普及していいやり方じゃないかな。 4万円程度のものでも十分効果があるので、みんなに勧めているところです。

ただ、そういう違いを理解するためには、まずサウンドを追い込む必要があると思います。 ある程度のレベルに行ってからでないと違いがよくわからないかもしれない。 物理的にできること、例えば分電盤をオーディオ専用にする、インシュレーターにこだわるといったことをやったあとで、プロセッサーで音をつくるのが基本です。 このあたりは、八王子SHeLTeRの溝口さんにいろいろ教えてもらいました。

箱全体の空間づくりもサウンドにこだわるために重要になってくると思います。 どんなところに気を使っていますか。

SEI:やはりスピーカーのセッティング、角度と距離が1番音を変えます。 一晩中かけてちょっとずつ調整していますね。 ルームアコースティックを調整するのもすごく重要で、うちではSALogicの音響板を使っています。

ルームアコースティックを調整するのもすごく重要で、うちではSALogicの音響板を使っています
SALogic社の吸音パネル
SALogic社の吸音パネル

また、先ほどリアスピーカーの音を15ミリセカンド遅らせてると言いましたけど、そうすると、疑似的にスピーカーが離れていることと同じになるわけですね。 音だけ聞いていると、この小さい空間でも、非常に広い空間のように感じられる。 また、これはMancusoが「The Loft」で使っていた必殺技なんですが、リアスピーカーを3デシベル下げるんです。 あまり「The Loft」の名前ばかり出したくないんですが(笑)。 するとサイケデリックな空間というか、音が漂いだすんです。 そんなふうに、音が前のスピーカーからべたっと出てくるというよりは、箱全体に漂っているかどうかを目指していますね。

店内の様子
店内の様子
bar bonoboの2階は座敷になっており、スピーカーはKlipschornのHERITAGEが置かれている。 SEIさんいわく「メインフロアよりも理想の音に近い」とのこと
bar bonoboの2階は座敷になっており、スピーカーはKlipschornのHERITAGEが置かれている。 SEIさんいわく「メインフロアよりも理想の音に近い」とのこと

ロータリーミキサーの独特な魅力

ロータリーミキサーに触れた経験のないDJの方も少なくないと思いますが、プレイされるDJの方はこのミキサーにどんな反応をされますか。

SEI:例えば若いテクノのDJで「無理です」とか「なんですかこれ」という方もいますね。 各チャンネルにEQがないということは、たとえばキックを抜いてミックスすることはできない。 うまくないと綺麗に繋げないんです。 逆に言うと、レベルの高いDJの方なら、例えばDJ NOBU君やRee.Kさんのようにいわゆるテクノの方であっても、「このミキサーで遊んでみよう」というつもりでやってくださいます。 不慣れなDJの方には、「結局慣れだから、このミキサーで遊ぶつもりでやってみたら」と伝えていますね。 東京で活動しているFrankie $というDJがいて、彼は2回目までのプレイでは本当に掴めなくて苦労したけど、3回目でついに(操作のコツを)ゲットしたと言っていました。 掴めてみると楽しくてしょうがないみたいです。

このミキサーはエフェクトも何もないけれど、出音は、このミキサーでしか出ない良い音がある。 そのプラス面を活かしてくれたらと思います。 使い方がわかった時はすごく楽しいし、こういうミキサーもあってもいいんじゃないかな。

このミキサーはエフェクトも何もないけれど、出音は、このミキサーでしか出ない良い音がある

2010年代に入ったぐらいからロータリーミキサーの再評価が起こって、新しい製品も続々登場しています。 そんな状況をどうご覧になっていますか。

SEI:抽象的な言い方だけど、ロータリーミキサーって気持ちを乗せやすいっていうのかな。 縦フェーダーをスッと動かすよりも、ロータリーにはある種の重さがあるんです。 手の感覚がちゃんとミキサーに伝わってコントロールしている感覚が、ミックスのしやすさに繋がっていると僕は感じます。 それが再評価や流行と関係があるかはわからないですけど。

このミキサーにもいずれ寿命がくる日がくると思いますが、そのときのことは考えていらっしゃいますか。

SEI:新しいオリジナルミキサーを作ろうと思います。 同じように真空管を使うかはわかりませんが、これをグレードアップしたものを作りたいな、とも。 各chにEQがあるものにしてもいいかもしれない。 既存の製品でいいものがあればそれを使うと思いますけど、ないんだったら作りたいなと思って、いろんな方に今聞いてるところです。

良い音で音楽を聴くということには麻薬的な魅力がある

今後サウンドをアップデートしていくとしたら、どのようなことをしたいですか。

SEI:例えば電源は一番音の入り口に関わる基本だと思うんですが、電源部を改造して、音の鮮明度などをアップすることをいま考えています。 A&R社の出川三郎氏が開発した出川式電源というやり方があるんですが、それを採用すると音質が良くなったという評判を聞くので、出川さんに連絡をして、そこからはじめてデジタルプロセッサーなどのグレードアップをしていきたいと思っています。

箱鳴りがなく、プロセッサーで音作りをする必要がある野外のパーティーと違って、こういう箱はルームアコースティックや電源にこだわってじっくり突き詰めていけるので、きちんと理詰めでやっていきたいんです。 ただ、それに関するノウハウが本当に世に出ていない。 溝口さんみたいな詳しい人と一緒に研究しています。 音響メーカーの方とも、良い機材がいっぱいあるのに、良い音の現場が少ない、まず現場の音を良くすることが大事なんじゃないかという話をしたことがあります。

電源部を改造して、音の鮮明度などをアップすることをいま考えています

今、東京で良い音だなと感じられるクラブはありますか。

SEI:音の色気と言いますか、そういうものがある空間が私は好きなんです。 例えば、Marvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)やStevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)のレコードをかけてみて、声がぐっと迫ってくる感覚が無いのなら、そこはなにかが足りていないんだと思っています。 音は単なる刺激ではなくて、感情や感動だったりするので、ここの部分がついてきてるかどうか。 その意味で、先程も名前を挙げたSHeLTeRさんやAOYAMA Zeroさんは好きですね。

今、東京では昔に比べてクラブがそんなに流行ってないですよね。 でも、良い音で音楽を聴くということには麻薬的な魅力があるので、ちゃんとやれば絶対に廃れることはない。 大声を出して話さなきゃいけないってことは、人間にとってストレスじゃないですか。 そんな大音量じゃなくても心地よく踊れるということを僕はロフトで経験したので、そういう空間を指針にしていきたいかな。 そのためには、音の情報量をちゃんと増やす必要がある。 それがもっと実現されたらいいですね。

本当は、COVID-19前にSHeLTeRの溝口さんと一緒に新しいクラブを作る計画があったんです。 でも、パンデミックで状況が変わって立ち消えになってしまった。 我々の最後の仕事として世界一の音の箱を作ろうとしていたんですね。 また状況が変われば、いつか実現できるかもしれません。

bar bonobo

bar bonobo

1989年から1999年までの10年間をNYで過ごしライブや音楽制作を経てなんとか帰国したSEIが、 2005年より渋谷区神宮前にてごく親しい友人達と始めたbar bonobo。 都内に於いても小さいナイトクラブの一つで、 古民家を改装したユニークな内装と音響セッティングで世界中の人々に愛されてきました。 ちょっとだけ風変わりな奴のホームパーティに誘われた感じ…。 今年で16年目となります。 その夜が楽しくある限り、続けていきたいのです。

東京都渋谷区神宮前2-23-4

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Words: imdkm
Edit: Kunihiro Miki
Photo: Wataru Yanase(UpperCrust)