80年代ディスコ時代、90年代HipHopの黎明期から今に至るまで、最前線かつ最深部にまで活躍の場を広げるDJ KENSEI。そしてラッパーZeebraを父に持ち、現代のダンスミュージックシーンの最前線を切り開く90年代生まれのRen Yokoi。
Analogue Foundation One hour Mixtapeを通して出会ったアナログ世代とデジタル世代の2人のDJ。カセットテープに若くから慣れ親しんだDJ KENSEIと今回がカセットテープへ初録音のRen Yokoi。この2人の対談から、この先未来に残したい音質や音色のヒントが隠されているかもしれない。

左: 1996年発売のキングギドラの1stアルバム『空からの力』のカセットアルバム。このアルバム制作中にKENSEI氏もスタジオに遊びに行っていたり、収録曲のリミックスを手がける。
右: Panasonicのポータブルカセットプレーヤー、ShockWaveのプロモーションとしてKENSEI氏が作成したMixtape。

Always Listening (以下AL): お2人の出身、背景からお聞かせください。

DJ KENSEI(以下K): 出身は東京都世田谷区で1969年生まれです。小中学校は神奈川県伊勢原市にいて、意外って言われるんだけど自然の中でサッカーやったりテニスやったり結構スポーツやってて。高校でまた東京に戻ってきて、東中野にある明大中野に行ってたんだけど、東中野がめっちゃ空気が悪くて(笑)、とてもスポーツやる環境じゃないなと。それで音楽環境がある夜の世界に居場所を感じたんだよね。84〜6年くらいかな、まだHipHopがポピュラリティーを得ていない時代、エレクトロとか、ディスコラップ、RUN DMCやWHODINIとかがポピュラーな時代。その頃東京の高校生って日曜日にディスコやクラブとかを貸し切ってパーティーをやってたからよく行ってたんだけど、ちょっとプロっぽくないな、ちょっと違うなって思ってて。それで実際の現場のDJとかと知り合って深く入っていくって感じだったかな。

Ren Yokoi(以下R): 出身は大田区田園調布で1992年生まれです。子どもの頃は家でかかっている音楽を聴くっていうのがスタートでした。家族がみんな違う種類の音楽を聴いていたんです。おばあちゃんがホイットニー・ヒューストンやシャーデーをラジカセでかけてるのを聴いて、親父はがっつりHipHopで。それぞれ勝手に色々聴いてるからその中で好きなものを拾っていったって感じです。だから音楽はいつも身近にあってとても自然なものでした。

AL: KENSEIさんの音楽の原体験を伺ってもいいですか?

K: 姉がいてカセットとかをいっぱい持っていたから、山下達郎とか大瀧詠一、スターダストレビューとかの邦楽を小学生の頃は聞いてて。高校に入ってくらいかな、ディスコとかクラブに行くようになってディスコとかの洋楽を聴き始めたのは。

AL: その頃のディスコにいたDJのスタイルはどういう感じだったのですか? すでにミックスとかしていたんですか?

K: もう既にミックスもしてて、でもディスコの種類がいっぱいあったからDJの数だけスタイルがあるみたいな。新宿のディスコとかはどちらかというと喋ったりディスクジョッキー的なのが多かったと思うんだけど、六本木のディスコとかはもっと色んなスタイルがあったかな。自分の印象なんだけど。それと渋谷の宮益坂にHIPHOPってクラブがあって。そこはYutakaくん*とかがやってて。そこではRUN DMC、WHODINI、Word of Mouthとか、それに混じってSOS Bandとかそういうのがかかってるようなクラブで、そこは結構影響受けたかな。サンプラーとかその当時出たばっかりのテクノロジーを駆使して、ターンテーブルも4台とか置いてあって。

AL: その頃のミキサーなどDJ周りのエキップメントはどういった環境だったんですか?

K: テクニクスSL1200マークIIが出てて、SL1200もまだあった時代かな。ピッチコントローラーもダイヤルを触ってピッチを調整する、なんて言ったら良いんだろうな(笑)。ミキサーはクロスフェーダーがまだポピュラーじゃないから、改造して作ってもらったり。Yutakaくんとかが作らせてたんじゃないかな。そこからDJ機器の進化が始まったんだと思うよ。例えばリバースの機能とかは、最初Yutakaくんがターンテーブルにガムテープを置いて高さを出して、そこにレコードを乗せて、下から針を当てて逆再生を可能にするってアイデアを考案して、それをVestaxに話してリバースのスイッチが出来たり。Yutakaくんは初期のターンテーブルやミキサーの進化に貢献してる人なんだよね。そうやって現場のDJが使いやすいアイデアとかを取り入れてDJ機器が進化していった、そういう時代だったんだよね。

AL: KENSEIさんは、ディスコからクラブという文化に移り変わっていく時代の第一世代のDJだと思います。逆にRenさんは全て揃っているデジタル時代のDJですよね。

R: 全てあるけど逆に無くなっていったものも多かったと思います。テクノロジーが進化しすぎちゃった部分があるのかな。

K: 例えば無くなったって感じるものってどういうものがあるの?

R: それこそカセットテープとかはそうじゃないですか? 今またリバイバルしてるけど、一時期無くなってましたよね。俺が一番最初にゲットした物ってカセットではなくCDだったんですよ。それこそYutakaさんにもらったんですけど(笑)、7歳の時に。ビギーとウータンとアイスキューブを渡されました(笑)。でも親父とかはもちろんカセットテープも持ってて、車の中ではカセットテープで聴いてて。なので俺の中では車、カセット、音楽ってセットみたいなイメージが強かったですね。俺の世代だと中学校の頃にはもうiPodがありましたから(笑)。DJし始めの時初めて触った機材はPCを繋げるコントローラーでした。

K: 俺とRenは逆なんだろうね、俺は最新のテクノロジーを覚えていって、Renは古いアナログを覚えていくって。それぞれ順番は違うけど同じとこを通るんだね。

R: 確かにそうですね。昔カセットデッキを4台くらい駆使してカセットテープでDJする方とかいませんでしたか? トランスとかの業界の人だったかな? すごい衝撃だったのを覚えていて、そういうのもあるから俺の中でカセットはすごく新しいものになっちゃっています。

K: カセットテープの音はどう感じたの? 音の質感とか。

R: カセットテープの質感は、車の中で聴いたりもしてたからわかってた部分もあったんですけど、今回Analogue Foundationで出したことによってちゃんと理解できたかなって感じはあります。それで最近データの音源とかも音質の違いを気にするようになって。それに伴ってカセットについて調べたりもしたんですけど、ビットレートに換算することができないものって書いてあって。

K: ゼロ、イチじゃないもんね、間が全部平というか。

R: そうですね、だから自分の中では新しいんですよね。最近カセットはリバイバルみたいな形で増えてきてるじゃないですか。周りにいる同じ世代のDJとかでも、今度ミックスをカセットで出すんだよねっていうような声もちょいちょい聞きますし。データばかりの時代だから何か形に残るもので出したいって気持ちも強いんだと思います。ちなみにカセットテープって昔は色々な場所で買えたんですよね?

K: コンビニとかでも買えたよ。今CDR売ってる感じで。

R: 種類もあったんですよね? どんな種類があったんですか?

K: ノーマル、ハイポジ、メタルかな。メタルが一番高くて、なかなか買えなかったんだよね。

DJ KENSEI所有のカセットテープ

AL: KENSEIさんも子どもの頃カセットテープにお気に入りの曲を録音して、自分のコンピみたいなものを作ったりしていましたか?

K: もちろん。それは俺だけじゃなくってその頃のデフォルトっていうか。当時の雑誌とかには付録でカセットに入れられるインデックスが付いてて、それを切り取って曲名を書いたりっていう文化が当たり前にあって。クリーニングテープっていうデッキのヘッドを掃除するためのテープがあったり、そういう文化が普通に生活の中にあったんだよね。

AL: Renさんの音楽の原体験を聞かせてください。

R: 親父がキャデラックエスカレードで窓を開けてHipHopをガンガンにかけて街中を走って、俺が助手席に乗ってっていうのもあったり、そういうのは子どもの頃ちょっと恥ずかしかったですけど(笑)。クラブは最初親父に連れていかれてからですね。小学生の時にハーレムに連れていかれるっていうような(笑)。
そこから渋谷や六本木のクラブに中学生くらいから遊びに行っていて。さっきKENSEIさんの話にもありましたけど、10代の頃にクラブに遊びに行く最後の世代が俺たちくらいだと思います。色々なクラブに遊びに行く中で意識的に音楽を聴いたりクラブを選ぶようになったのが高校2年生くらいで、今プレイしている環境に繋がっていると思います。

AL: Renさんがプレイヤー側になったのは?

R: 18歳くらいの時です。最初はDJではなく、MPCを使って曲を作る方から入りました。きっかけは叔父のSPHERE*と一緒によく遊んでいて、身近に機材があったので遊びで触り始めて。それと中高生の頃聴いてた音楽であまりグッとくる、好きなものがなくて、色々探していたら18歳の頃テクノやミニマルといったものに出会い、ダンスミュージックのコアな部分を知ることによって音楽をやりたいなって思うようになりました。それでMPCを使ったり、エンジニアワークとかを始めるようになりました。

K: サウンドの方だったんだね。

R: そうです。親父がラッパーっていうこともあるので、俺はサウンド側にいたいなっていう気持ちもありました、正直なところ。
その後22歳の時にあるDJの人にDJしてみない? って誘われて始めたのがDJのきっかけで、一発目はブッツケ本番でAirでやりました。もちろんラウンジでしたけど。今ではGlobal Hearts*にマネージメントをしてもらっているし、Airも同じGlobal Heartsの系列だったり、巡り巡って行きたい場所に落ち着けたっていう感覚です。

AL: KENSEIさんがプレイヤー側になっていった経緯を教えてください。

K: 俺は本当に気づいたらDJをしてたっていう感じなんだよね。そういう環境だったっていうか。最初はもちろん家にターンテーブルもミキサーも持ってないけど、でもDJしてたって感じかな。
昔海外に住んでたりしてて、最初イギリスに住んで学校行きながらDJして日本に帰ってきて、その後シドニーに住んで、また日本に帰ってきて。93年からフリーでDJするようになったのかな。それまでは六本木のクラブのお店のDJだったんだよね。六本木、西麻布にクラブが多くて、レコード屋も六本木にあったから。WAVEとかね。それこそ120分のテープにスロー目な曲を録って、それを早番の時に店でかけておいてレコード屋に行っちゃって、でもそれがオートリバースになってなくて片面で終わっちゃってて。戻ったらめっちゃ怒られるっていうこととかあったよ(笑)。

AL: その頃のクラブにはカセットデッキもあったんですね?

K: そう、デッキもあったよ。だからDJミックスを録ってお客さんにあげたりとか。レコードと一緒でA面/B面があるから、クラブプレイもその尺で考えたりとか。

AL: MixtapeカルチャーはHipHopから始まったものだという認識だったのですが、その話を聞くとそれ以前からあったんですか?

K: それ以前というより同時代的というか。結局DJミックスを録音する術がそれしかないから。商品的になっていったのはHipHopからかもしれないけど、ディスコミックスみたいなのはお店で録って、っていうのは普通にあったよね。

AL: DJを始めた頃はどういう音楽をかけていたんですか?

K: ディスコだったり、その当時出ていたダンスミュージックはなんでもかけてたかな。って言ってもそんなに種類があるわけじゃないから、ビルボードのダンスチャートに入っているものや、アナログで日本に入ってきているものをかけるって感じだったんだけど。でもすでに12インチっていうカルチャーはあったから。

R: この前親父と昔のクラブの話をしている時に、アフリカバンバータとかでロボットダンスみたいな踊りをしてたっていうのを聞いたんですけど、KENSEIさんの周りでもバンバータとかかかっていたんですか? っていうか同じ場所にいたんですか?

K: バンバータもかかってたよ。でもPlanet Rockよりちょっと後くらいの時代かな。Zeebraと知り合ったのは、多分だけど東麻布にあったENDMAXっていうクラブ。Larry Levan*とかも来たことあるとこなんだけど、そこでDJしてるときかな? 最初はZeebraもDJで、俺が頻繁に会ったりし始めた時は西麻布にあったJuiceっていうクラブで一緒にライブしたりしてたと思う。

AL: カセットテープという存在について思うことを聞かせてください。

K: 昔はカセットテープで聴くっていうのが大半だったんじゃないかな。音を持ち歩けるっていうのがカセットテープの良さで、ウォークマンが出て個人的になったけど、それ以前は外で音をシェアできるっていうのがラジカセで。スピーカーと一体型だから。レコードだとそれができなかったんだよね。

R: 一番コンパクトだったってことですね。今の若い世代からするとモノとしてっていう側面も強いんだと思います。コレクタブルというか、人によってはインテリア的に捉える人もいるでしょうし。

K: そうだね。あと人によってはマスターとして持ってるっていう人もいるし。特に海外とかでワールドミュージックや辺境音楽とかを買ってくると、ヴァイナルだとノイズがひどく入っていたりするから、データ化しようとしても難しかったりするんだけど、でもテープだとそれよりマスターにしやすかったりするから、そこからマスタリングしてマスターにするっていう人も多かったりするよ。

DJ KENSEIが旅先で入手したカセットテープ

AL: KENSEIさんがDJ KENSEI名義でミックスを初めて出したのはいつ頃ですか?

K: さっき話したようにカセットテープに録ってっていうのは現場でしてたんだけど、売り物にしたのはミックスCDの方が先かもしれない。多分AVEXのHiphopのMixCDの1番最初かな? Dig the new breedっていうタイトルで、町田のスタジオで録音したんだよ。町田に本社があった貸しレコード屋さんの友&愛のスタジオで、友&愛から後にAVEXになっていくんだけど。それまでMixtapeを売るっていう概念はなくて。海外だとラジオをカセットテープに録音してるのを聴いたり、友達の店で売ったりしてたのは知ってたけど、カセットテープにミックスを録音したのを売るっていう感覚がなかったから。Mixtapeより先にアルバムとかがカセットテープで出ていて、Mixtapeはブートっていう側面が強くて、どちらかというと俺はちゃんとライセンスしたものを出してたから。

R: 今後カセットテープはどういう立ち位置になっていくんですかね? データ主流の世の中で、言わばUSBにデータを入れて売ったりもあるわけじゃないですか? 例えばMDは完全にロストしたメディアでもう戻ってこないだろうって気がするんですけど。でもカセットテープは今また見直されているっていうのを考えると残っていくんですかね?

K: うん、そう思うな。なんかすごく文化的じゃない? MDって企業的というかそういう側面があったかもしれないけど、でもレコードやカセットテープってもっと発明的だし、ライブ感があるよね。針を落としたり、テープが回っているっていうのはまさにその時その瞬間の波が出てるから、もっと人間がフィールできるのかなって思うよね。

AL: カセットテープ独特の音色についての考察を聞きたいです。

K: 揺れっていう部分があるんじゃないかな。デジタルだと全てがすごく正確でしょ。でもレコードにしてもカセットテープにしても、テープの伸び具合だったりとかレコードの歪みだったり、微妙に正確じゃない部分があって。人間も完璧な人っていないから、そういう部分がフィールするのかなって思ったりはするけど。ゆらぎってやつかな。音でいうと倍音的な。その環境で広がったりする音が、デジタルだと絶対に狂わないから。もちろん揺れはあるのかもしれないけど、でもアナログはそこが顕著に出るんじゃないかな。流しておけば無理なくその環境や場所に馴染んでくれるって感じだったり。

R: 確かにDJしてると、その倍音だったり環境、その場の空気感っていうのがすごい大事ですもんね。それこそDJとして一番意識するべき部分なのかなって最近思っています。それをナチュラルに出してくれるのがカセットテープだったりレコードだったりするのかなって。空気感を作る感じとか、これからDJをしていく身としてはそういうところをちゃんと意識してやりたいですね。それがよりプロになっていく道なのかなって最近すごく思いました。

AL: KENSEIさんは最近でもカセットテープに録音したりするのですか?

K: 今コロナ禍で家にいることも多くなったから昔のカセットテープとかを聴いてみようかなって思って。せっかく聴くならデータ化しようと思って録音したり、CDに焼いたりとか、カセットテープをダビングしてみたり。昔してたことをしてみようかなって思って結構録音してたんだよね。

AL: 家にカセットデッキもあるんですね?

K: そう、TASCAMのダブルのカセットデッキがあって。それとNAKAMICHIのが1台ある。NAKAMICHIのは音が全然違うんだよね。すごい個性があって空間があるって感じかな。ミキサーとかもそうだけど、同じ音楽でも機材とかで違いがあるって認識を持つとより音楽を楽しめるっていうか。

AL: Renさんは今回が初めてのカセットへの録音ですか? もしそうなら特にA面/B面という風に分けて録音することは興味深かったのではと思います。そこに対して何か感じたことはありますか?

R: そうです、初めてです。まず感動しましたね。こうやって形に残るカセットテープに落としたっていうのは。今までダンスミュージックで1時間とか録るとそのまま1つのものなので、確かに今回のようにA面/B面に分けて録音するっていう部分はすごく意識的になりました。人によって色々なアプローチの仕方があると思うんですけど、俺の中ではAとBでテンションを変える、っていうイメージでスタートしました。A面を聴いた後にB面を聴きたくさせたいっていうようなことだったり。そういう風に考えることは今までやったことがなかったのですごく楽しかったです。それが今の自分のDJに反映されてきているなっていうのも感じます。今は配信のものだったりそういったDJの場が増えてきていますが、同じように記録に残るものですし、特に配信のものは展開をつけないと見ている方たちもだれてきちゃうと思うので、すごく自分のDJに活きてきているなって思います。

K: 片面30分はすぐ終わるし、結構ちょうどいいんだよね。それとA、B面あることによって一呼吸置けるんだよね。レコードもそうなんだけど裏に返したりする、その間が良かったりするし、ずっと自動で流れっぱなしになってるよりは受動的にだけど自分も参加するっていうか、そういう感覚がつかめるから。

AL: KENSEIさんはどういったイメージを持って今回のMixを作成されたんですか?

K: どうだろうな。自分が今までリリースしてきたテープとか、そういうものじゃないフィーリングのものを注入できたらいいなと思って、エフェクターとかを使ったりしてるんだけど。まあでもまず録ってみるみたいな感じで始めて、録ったらあっという間に60分経ってたんだよね。それで一気に行くのもあれだなって思って、30分で大体終わるようにやってみようと思って。でいい流れが出来たかなっていう感じで作った。考えると色々なことを詰め込みたくなっちゃうから、なんか自分で聴いてみたいなっていう感じのもので。

AL: KENSEIさんのミックスを聴いたときに、すごくタイムレスという印象を受けました。選曲もそうだし、スキル、そしてストーリーの作り方。いわゆるMixtapeの一番いい教科書ってこういうことだよというか。

R: 俺も今回皆さんのMixを聴いて本当に勉強になりました。

K: そう言ってもらえると嬉しいな。曲も新旧問わず入ってると思うし、カセットテープ自体も今こうやってまた作っている人たちもいるし、ソース自体もDJのMix的なアプローチの仕方も、タイムレスっていうようなものになったらいいなっていうのは無意識的に考えていたのかもしれないね。

この2人はHipHop限定のシーンにいるわけではない。
だが2人をつなぐ根底にはHipHopがあり、それを共通項とするととてもしっくりくる部分がある。
DJ KENSEIのミックスはタイムレスという言葉が一番似合うと思う。
サンプリングとループで始まったHipHopのビートは、30年という月日を経た今タイムレスな手法となった。
そしてまだ若く情熱的なDJをするRen Yokoiはとてもフレッシュだ。

スキルなきゃ喉かっ切られ極楽浄土のこの浮世。
そこで輝く2人は確実に暴落なし、王道の音色だろう。

*1)Yutakaくん: DJ YUTAKA-日本の数々のディスコやクラブでキャリアを築き、82年に渡米。ロサンゼルスを活動の拠点とする。
そして、アフリカ・バンバータの主宰するヒップホップ・アーティスト集団 “ズール・ネイション” に唯一日本人として所属。以降、日本と世界の架け橋として貢献し続けている。
*2)SPHERE: ヒップホップMC、クリエイティブディレクター。異父兄は同じくヒップホップMCのZEEBRA。Ren Yokoiの叔父にあたる。
*3)Global Hearts: 株式会社グルーバル・ハーツ。SOUND MUSEUM VISIONやCONTACT、WREPなどを運営し、コミューケーションスペースを生み出し続ける、東京に起点を置く会社。
*4)Larry Levan: 1954年ニューヨークブルックリン生まれのDJ、音楽プロデューサー、作曲家。伝説のクラブパラダイスガレージのレジデントDJとして有名。

DJ Kensei

東京都出身。80年代半ばよりDJをはじめる。同時に制作活動も開始、都内のクラブでオープニングDJやレジデントDJを経験する。89年に渡英。92年に渡豪。現地でDJ活動を行う。MIXCD/ANALOG/TAPEを多数リリースし、リミキサー、プロデューサー、レコーディング・アーティストとして多岐にわたる活動をしている。

Ren Yokoi

1992年東京都出身。10代でボストンへ留学し、そこでDJとしてのキャリアをスタートさせる。帰国後、2014年に都内主要クラブへの登壇を果たし、その評価から、「Contact」の第1と第3月曜日に開催されているレジェンドパーティ<World Connection>のレギュラーに抜擢。また感度の高い一部メディアの注目を密かに集めているプロダクションワークは、某ラッパーへの楽曲提供、アパレルブランド「99%IS」によるランウェイの映像音楽などを手がけ、DJとしてのみならず様々な分野で活躍している。

Words: Yudai Tanaka
Photos: Haruki Kodama