「あの時ヒップホップ・セラピーを受けていなかったら、いまごろ刑務所の中だったかもしれない」。当時を回想するのは、貧困と犯罪が蔓延るサウスブロンクスにある“札付き高校”の卒業生だ。今、大学で勉学に励んでいる。

ドラッグに溺れる両親や、犯罪に巻き込まれた友人を見ていた高校時代。環境ゆえの不安やトラウマ、そこに多感で繊細な思春期ゆえの心情を、リリックに書き殴り、教室で録音し、体育館で発表する。このプロセスを通して、学生たちのメンタルヘルスに寄り添うのが、サウスブロンクスの地元高校で7年続く「ヒップホップ・セラピー」だ。

タフなエリアで育つ、生きる。ティーンズとヒップホップ・セラピー

1970年代、ニューヨークのサウスブロンクスにて産声を上げたヒップホップ。強さを主張する男らしく攻撃的なリリックでラップされる印象があるが、実は依存や憂鬱などメンタルヘルスが題材とされることも多い。時代とともにその傾向は高まり、2010年代後半には自分の弱さや悲しみといった脆弱さを歌う「エモ・ラップ」が一大ブームに成長したことも記憶に新しい。

モブ・ディープのプロディジーは生前「ヒップホップこそが俺らのセラピーだ」と言い、ジェイ-Zは「俺はただ座って自分の感情を話すようなタチじゃない。音楽がその感情を引き出してくれるんだ」と話した。ヒップホップの先駆者たちが熱弁するように、ヒップホップとメンタルヘルスは切っても切れない関係にある。

そんなヒップホップで、ティーンズを対象にセラピーをおこなう高校がある。ドロップアウトや成績不良などで道を外れてしまった少年少女にセカンドチャンスを提供する、ニューヨーク・ブロンクスの「Mott Haven Community High School」だ。「投獄歴あり」「ホームレスシェルター在住」「子持ち」の生徒も珍しくない同校では、2013年から校内の一室をレコーディングスタジオに改造し、放課後になると生徒たちに、“リリックを書きラップし、録音し発表する”セラピープロセスを提供している。

「セラピー参加前は出席率が29パーセントだった生徒も、セラピーに参加するようになってからは92パーセントまで伸びた」。出席率もしかり、参加した生徒の多くは素行や成績も向上したという。

高校生とは、自分の取り巻く環境を理解し、それに伴いどう自分が生きていこうかを考える年頃だ。日常的な犯罪や貧困とともに育ち生活するこの地区の高校生たちにヒップホップ・セラピーはどう働きかけるのか。

同校のセラピストでラッパーのJ.C. Hall(以下J.C.)と、在学中は数年にわたりヒップホップ・セラピーに参加していたという卒業生EphraimとBiggieの2人にも声を掛けて、取材をした。スクラッチ(レコードをこすって効果音を出すテクニック)を発明したヒップホップ界最重要人物の1人、グランドマスター・フラッシュが描かれたミューラル前で落ち合う。

Alwyas Listening(以下、AL):生ける伝説、グランドマスター・フラッシュのミューラル。ドープです。

J.C.Hall(以下、J):お気に入りのミューラルなんだ。最近知ったんだけど、彼、僕が今働いている高校に通っていたらしい。

AL:運命感じちゃいますね、それ。J.C.がヒップホップを聴きだしたのはいつ頃?

J:小学生のころ。4年生のときに聴いたフージーズのアルバム『The Score』に感動してさ。ローリン・ヒルの歌詞に魅了されたのを覚えてるよ。

AL:そして自身もラップを始めた。

J:15歳の時だね。ラップと同時にドラッグとアルコールも嗜み始めて、気づけばやめられなくなってた。で、17歳の時に、自分にFienyxというラッパー名をつけたんだ。不死鳥のフィニックスを、「Fien」は中毒に苦しむっていうスラングでもじってね。ちなみに今ではすっかり克服済みだよ。

AL:依存症の時にラップをしていた?

J:中毒に苦しんでいた当時、ヒップホップは唯一のめり込めるものだった。だから僕にとってヒップホップは、ずっとセラピーみたいなものだったんだ。今は平日にセラピストとして、週末にラッパーとして活動してる。

セラピストでラッパーのJ.C.Hall(ジェー・シー・ホール)。

AL:大学では心理学の理学士号を取得したそうですね。

J:そしてその翌年、大学院で社会福祉を専攻したんだけど、当時の教授が「ヒップホップ・セラピー」を開発した張本人、故Edgar H. Tyson博士だったんだ。修士号取得後に、インターンとして働き始めた。

AL:「ヒップホップ・セラピー」とは「ヒップホップのカルチャーパワーを利用したメンタルヘルスへの革新的アプローチ」。実際、どんなアプローチなのでしょうか。

J:リリックを書き、ラップし、録音し、パフォーマンスするというヒップホップのプロセスを用いてメンタルヘルスを整える、現代的なアプローチのこと。
ヒップホップでは既存のレコードをサンプリングして新しいサウンドを作るでしょう? ヒップホップ・セラピーも、同様に、既存のメンタルヘルスのアプローチをミックスしたものなんだ。例えば、認知行動療法*」や「ナラティブセラピー**」「解決志向アプローチ***」などをミックスする。

*思考や行動の癖を把握し、自分の認知・行動パターンを整えていくことで生活や仕事上のストレスを減らしていく方法。
**問題を抱える当事者へのケアやカウンセリングを「ナラティヴ(物語)」の視点から捉えなおす方法。
***原因の追究をしないで、未来の解決像を構築していく方法。

AL:通常のセラピー同様、ヒップホップ・セラピーもまずはカウンセリングから始めるんですか?

J:学生によりけりだね。ヒップポップ・セラピーのいいところは、“まずはソファーに座って自己紹介”みたいな型にハマったアプローチが不要なこと。たとえばEphraimが初めてスタジオに来た時、彼は精神科に通院中で、かなり警戒している様子だった。だから、メンタルに関する質問をする代わりに、ヒップホップの話をしたんだよね。「どんな曲聞いてる?」とか「ラップする?」とか。最初のセッションは、ヒップホップの話で終わった。

AL:友達とする、なんでもない会話のような。これもセラピーの一部。

J:彼らの悩みをわざわざ聞き出さずとも、好きなもの(ヒップホップ)を用いて、問題に近づいていく。これは彼らの強み(ストレングス)に着目してケアプランを立てる「ストレングス・アプローチ」というんだ。

AL:日本ではヒップホップ・セラピーって聞き慣れないんだけど、米国ではどれくらい浸透しているんだろう。

J:こちらもまだまだこれからって感じだよ。以前は同じくブロンクスのある高校でもヒップホップ・セラピーをおこなっていたけど、数年前にセラピストが辞めてしまったらしい。西海岸ではビートメイキングを使うセラピーがあると聞いたことがあるよ。僕みたいに校内にスタジオを持つヒップホップ・セラピストは知らないなぁ。

AL:コロナ禍の前は、どれくらいの頻度でヒップホップ・セラピーを?

J:月曜から金曜まで、日中は個人セッションを、放課後の14時半から18時まではグループセッションをおこなっていた。1日大体20~30人がスタジオに来る。一度に全員が入ると混雑するから、12人を目安にね。これまでの7年で接してきた生徒は、100人はゆうに超えるかな。

AL:部活動みたいで楽しそうだ。

J:みんな、18時を過ぎてもなかなか帰らないんだよ(笑)。プレッシャーを感じることがないし、みんな、何より楽しんでいるんだよね。通常のセラピーって、楽しむという感覚はないと思うんだけど、ヒップホップ・セラピーは、“セラピー”というより、友だちと遊んでいるような感じ。コロナ禍以降は、遠隔セッションに切り替えたんだけど、これはなかなか難しいね。ネット環境に左右されるし、生徒はスタジオでくつろぎながらやるのが好きだったし。

AL:遊びのようなセラピーといった印象ですが、結果として生徒の素行、成績、出席率が向上したと聞きました。なんででしょう?

J:人は物事に取り組むときに、社会的、感情的に発達し始めるもの。ここに通う生徒の多くは「どうしようもないヤツら」と見下され、ゆえに自尊心が低く「どうせ自分なんかなにもできない」と何にも挑戦すらしない子が多かった。でも、自分の好きなヒップホップを使ってセラピーに参加することで「やればできるじゃん」となったんじゃないかな。

放課後のグループセッションの様子。
Photo by J.C. Hall
セッションに参加している生徒の様子。
Photo by J.C. Hall

AL:セラピーを受けに来る学生は、みんなヒップホップが好き?

J:間違いなくそうだね。

AL:1人で参加する子もいれば、友だちと来る子も?

J:もちろん。緊張してグループセッションに参加できない学生には、しばらくは個人セッションをおこなうよ。Ephraimも最初はそうだったしね。

女子が多い年もあれば男子が多い年もあるし、トランスジェンダーもいればノンバイナリーもいる。悩みも千差万別。感情表現の仕方や社会的スキルの欠如、家庭環境の変化や路上で見てきた暴力へのトラウマなど、いろいろある。それぞれみんな、ユニークなストーリーとユニークな悩みを持っている。

AL:それらのバックグラウンドや悩みをリリックにして曲として吐き出す。

J:ヒップホップ・セラピーを通して、トラウマだった出来事やイメージに言葉を与える。これはアーティストにとっての創作であると同時に、トラウマの記憶にアクセスしてプロセスして、適応できるようにすることでもある。そうすることで、それまで肩にのしかかっていたトラウマの重みが軽減されるんだ。

生徒たちによる発表会の様子。Video by Kyle Morrison (edited)

AL:セラピーを受ける前、生徒たちはどんな風にストレスを発散していたり、感情を吐き出していたんでしょう。

J:感情をコントロールできなかった生徒は悪事を働いたり、喧嘩をおっぱじめることもあった。僕がインターン時代に受け持った生徒は、教師に机を投げたこともあった。しかも二度もね。でも翌年、セラピーを受けた後は、一度も投げなかったよ。

AL:実際にヒップホップ・セラピーに参加した生徒たちにも話を聞きたいと思います。EphraimとBiggieは、なんでヒップホップ・セラピーに参加しようと思ったの?

Ephraim(E):小学生の頃からずっと詩を書いてたんだ。俺、父はいなくて、兄はムショ暮らし。母は仕事ばかりで、側に居てくれたのは祖母だけだった。孤独で寂しい気持ちを書き留めることで、救われてたんだよね。高校に入学した時、ちょうどJ.C.がヒップホップ・セラピーを始めたところで。いい機会かなと思って参加した。でも正直、不信感はあったよ(笑)当時はJ.C.のこと、全然知らなかったし。

Biggie(B):私も最初はただの音楽を使ったセラピーかな、くらいに思ってた。

Ephraim(エフライム)。

AL:校内でのヒップホップ・セラピーの評判ってどんな感じだったんだろう。

E:評判は良かったよ。ラップや音楽に興味がないヤツらですら、スタジオに居残りたいからって集まってたくらい。ただ一つだけ不満があるとするなら、「セラピーに参加したいならいい成績を取ること」っていうルールができたこと。おかげで成績は上がったし、出席率も上がったけどさ(笑)

AL:結果オーライ。セラピーのどんなところが好きだった?

E:全部。特に、座ってアイデアを出し合ったり、作った音楽を聴き合ったり、それぞれの身の上話を共有したりして、みんなと繋がりを感じられたのが最高だった。強制されてやるんじゃなく、自然な流れでできたんだよ。セラピーで出会ったヤツらは、本物の友だち。

B:私が一番好きだったのは、リリックを書くこと。考えや気持ちを正直に表現できるから。書き終えた後は、自分が表現力豊かな人間に思えたんだ。でもたまに感情を深掘りしすぎて、なかなか進まないこともあった。弱いとかダサいって思われたくなくて、考えすぎちゃってたんだよね。

Biggie(ビギー)

AL:ヒップホップ・セラピーでは、みんな自分の置かれた状況や持っている感情をどうリリックに反映させるんでしょう? Biggieは、卒業前にギャングに殺されたクラスメートのこと(“before he graduated niggas had to take his life/ Tryna make himself some money/ Pussy stabbed him with a knife”)や、家族との確執(“Remember when family used to let me down, they got no faith in me”)を歌詞にしてラップしていたのを動画で見ました。他には、どんな曲があるんだろう。

E:“Heaven’s Gates”を書いた時、みんなが経験する様々なこと、みんなが向き合わなければいけないいろんな痛みについて考えていたんだ。それと同時に、トラウマになるような出来事を経験する時、自分がどれだけ強くなれるのかを曲に反映したんだ。

J:Ephraimが初めてフルソングとして作ったのは、この曲。彼が傷害事件に巻き込まれて入院していた時に書き始めて、退院後、まだ杖が外れないまま学校に戻ってきた時、すぐさま曲作りに取り掛かった。ここのバースを見てみて。

“My thoughts come once again, not a fan
The time, the moment, where the man stand
Saying off the head, slaying anything ahead
Falling off this ledge, no ground for my leg
Too humble to beg, fingertips only
They keep spreading, ain’t letting fear on me”

「思ったことを口にして、目の前にあるものなんでも打ちのめして(“Saying off the head, slaying anything ahead)」は、周りのことを気にせず、世界を闊歩するような気持ち。でも、「岩棚から落ちる、俺の脚を支える地面はない(“falling off this ledge, no ground for my leg”)」という、「自分の足でしっかり立てない」描写は、彼の「体と心の状況」を比喩しているんだと思う。バランスが保てないということは、彼の人生に対する気持ちを表しているのかもしれないよね。

“Together as braids ‘til introduced to blades
Then your bros, they go their separate ways
Truth told, felt alone… Was it wrong?
Mom got to go, to get these bills gone”

そしてこの歌詞の部分には、事件の時に自分を見捨てた友だちのこと(“Then your bros, they go their separate ways” ダチは違う方向へ行ってしまう)と、生活費を稼ぐために寝ている自分を置いて仕事に行く母(“Mom got to go, to get these bills gone” お袋は支払いをチャラにするために出かけないといけない)の描写がある。孤独を表しているんだ。続いて、ここも大事な部分。孤独のなかに強さを見つける。

“Something told me, you get things done when your lonely
There’s not a low me, but continue growing slowly
Now I’m healing from being in bed every weekend
Sun teasing, I was beasting just to see treason
Deceived when there’s people around with no reason
In the deep end, only beacon is the deacon”

自分の内側から「孤独でもいいんだ。その方が自分自身でいろいろなことを達成できるから(“Something told me, you get things done when your lonely”)」という声を聞く。仲間から裏切られても、強さの源となる自分自身の信念を見つけた(“Deceived when there’s people around with no reason In the deep end, only beacon is the deacon”) 。

そして、ここのサビのところが曲に込めた思いのすべてを物語っている。

“Healing and feeling, we all just dealing
Praying to the ceiling, hope for the realest
Secrets revealing, then a lot of tearing
Try to keep achieving, everything I believe in”

心の傷を癒して(“Healing”)、すべての感情を胸にとめて(“and feeling”)、隠しごとをさらけ出して(“Secrets revealing”)、涙を流して(“then a lot of tearing”)、そして前に進んでいって、信念を持てることを成し遂げようと頑張る(“Try to keep achieving, everything I believe in”)。

AL:曲の主人公と一緒に、曲を書いた本人も成長する。それがヒップホップ・セラピーなのですね。EphraimとBiggieは、セラピーを受けて、気持ちに変化はあったのかな。

E:考え方が前向きになった。昔は他人に感情を見せたくなかったし、何も伝えたくなかった。でも今は人としてもアーティストとしても、オープンになった。まだまだ成長したいと思ってる。

B:自信を持てたし、怒りをコントロールできるようになったし、だいぶ成長できたと思う。前までは、イライラすると人の注意を引くために悪さばっかりしてたけど、今は代わりにラップする。こうして場をわきまえた行動ができるようになったことは、自分のなかでかなり大きいよ。

AL:そんな2人にとって、ヒップホップ・セラピーってどんな存在?

B:ヒップホップ・セラピーを受けていなかったら、今ごろ刑務所の中だったかも知れない。J.C.と出会ってなかったら、私は今の自分に出会えてなかったと思う。

E:もし普通のセラピーを受けても、自分の気持ちを表現できない、安心できないと感じるときは、ヒップホップ・セラピーをお勧めするよ!

AL:2人は、最近一緒に制作した曲のレコーディングを終えたばかりだそうで。卒業してもヒップホップ・セラピーでの経験が今に繋がっているのは、すごく素敵ですね。

J.C.に質問です。高校生というと思春期真っ盛りで、自分や自分の周りのことに繊細で多感ですよね。特にサウスブロンクスのようなタフな地域で生まれ育ったティーンたちは、周りの環境などを理解しながら、自分の人生を考える時期でもある。そんな高校生たちとのセラピーで大切なことは?

J:彼らが想像以上に繊細だということを、みんな忘れがちだと思うんだ。大人のように見えるけど、だからといって大人同様に接するんじゃなく、話すトピックには注意する必要がある。たとえば性暴力を受けた子に「じゃあ性暴力についての曲を書いてみて」といったら、それは適切ではない。配慮のない発言によって、さらに相手を傷つけるかもしれない。話す準備ができていないのに、無理矢理、話を聞き出すことはしない。

AL:タフなサウスブロンクスで生活する高校生たちとヒップホップ・セラピー、そうあるべくして繋がっているように思います。

J:この地域には、従来のセラピー文化はあまり根づいていないからね。セラピー自体を懐疑的に思う人も圧倒的に多い。でも、ヒップホップがより文化的に根付いているところだから、ヒップホップ・セラピーは、ここではより効果を発揮していると思う。ヒップホップ発祥の地だから、完全に理にかなっているよ。

J.C. Hall/ ジェイ・シー・ホール

セラピストでラッパー。Mott Haven Community High School (モット・ヘイブン・コミュニティ・ハイスクール)のソーシャルワーカーを務める。故Dr. Edgar H. Tyson(エドガー・H・タイソン博士)が開発した、ヒップホップの文化や創作のプロセスをセラピーとして用いる「ヒップホップ・セラピー」を継承し、これまでに100人以上の高校生にセッションをおこなっている。
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Words: Yu Takamichi (HEAPS)
Photos: Kohei Kawashima