食が便利を極める現代。 慌ただしい日々の隙間でついつい簡易的に済ませてしまうことも多い「食事」という行為に、私たちはどれほどの時間を費やすことができているだろう。 瞬間的に美味しいと感じることはあっても、美味しさを記憶に留めるような体験を最後にしたのはいつだったか……。
そんな記憶を辿って筆者が思い起こしたNeki(ネキ)は、2020年に日本橋兜町にオープンしたレストラン。 フレンチに日本の食材を融合させ、絶妙なバランスで解釈されたイノベーティブな料理に舌鼓を打つファンも多いが、料理を完成させている要素は食材とシェフの腕だけではなく、この店に流れる音楽と空間あってこそということに後になってから気づかされた。
今回は、星つきレストランやBistro Rojiura(ビストロ ロジウラ)などで経験を積んだNekiのオーナーシェフ、西恭平さんの嗜好を積み上げた「音と食が重なる空間」におじゃまさせていただき、音楽とともにある「おもてなし」がつくるレストランでの体験と旬の一皿、そして、最近聴いているアナログレコードについてお話を伺った。

Nekiのオーナーシェフ、西恭平さんの嗜好を積み上げた「音と食が重なる空間」

レストランという「体験の場」で味わう料理。

西さんが料理人を志したのは、いつからでしたか?

西:実は、父も祖父も曽祖父もみんな料理をしている家系なんです(笑)。 父がホテルの総料理長をしていて、19歳のときに「お菓子の専門学校に行ってみたら?」とアドバイスをもらって、それからですね。 もともとはバンドをやっていて、音楽やサッカーが好きな学生だったんですけど、小さい頃からレストランで食事をすることは日常でしたし、料理の道へ進んだのは自然だったのかもしれません。

製菓専門学校から料理店へ路線変更したわけは?

西:地元が京都だったので、京都のホテルにパティシエ志望で入ったのですが、人が一杯で料理担当にまわされてしまって。 だから、やりたくてやったわけではなかったんです(笑)。 でも、レストランだからデザートもつくれるわけだし、と働きはじめました。 そうこうするうちに料理が楽しくなってきて、料理の道へ。 25歳のときにフランスのアルザスというドイツ寄りの田舎のような場所で一年間研修生として住み込みで働いて、その後、東京に行きました。 そこで入ったのがTroisgros(トロワグロ)というフレンチのお店。 そこで、代々木八幡のPATH(パス)や渋谷のBistro Rojiuraといった人気ビストロの先輩シェフたちとも出会い、ずっと将来はビストロをやりたかったので、その流れでBistro Rojiuraで働くことに。 そこから今に至るという感じです。

フランスでの住み込み修行はいかがでしたか?

西:都会のパリではなく、田舎に住み込んで働けたのがよかったと思っています。 レストランは宿泊施設を併設したオーベルジュ。 まわりがぶどう畑で、休憩中はワインを飲んで寝たりしていましたけど(笑)、向こうは食事が遅いので夜中まで働きましたし、朝は8時と早くて、意外とハードな日々でした。

日本橋兜町でNekiを始めた経緯について教えてください。

西:Bistro Rojiuraで5年ほど働いていたので、いつかは独立したいと思っていたんですが、兜町にお店をつくらないかというオファーをいただいて、ひとりではできそうにないこともできるかもしれないと自分のお店を始めることにしました。 もともと音楽が大好きだったのですが、仕事柄、朝から晩まで料理に集中しないといけないこともあり、10年近く音楽からは遠ざかっていました。 でも、自分でお店を始めるからには好きなものをまわりに置きたいと、レコードを並べることにしたんです。

10年間のブランクがあると仰られていましたが、レコードが好きになったきっかけは?

西:中高生の頃になってしまいますけど、セックス・ピストルズ(Sex Pistols)やザ・クラッシュ(The Clash)などのパンクロックから音楽が好きになり、そこからヒップホップを聴くようになりました。 そのあたりからですかね。

料理をする上で、音楽が与えてくれる感覚のようなものはありますか?

Nekiのオーナーシェフ、西恭平さん

西:あまり意識はしないですけど、コース料理にはあるのかもしれませんね。 アルバムの構成ではないですけど、抑揚をつけるみたいな話で。 でも、どちらかと言うと、料理人よりもお客さんのために音楽は必要だと思っているんです。 どうしてアナログレコードで音楽をかけているかというと、僕らがお客さんの様子や雰囲気、その日の天気や気分を感じ取ってかけることができるからなんです。 レコードでやっているからこそ、その空間に合わせられると思っていて。 もし、雰囲気がよさそうなカップルが来たら、ちょっとムーディーな曲を流してみたりもします。 時々、プロポーズみたいな感じになると、どうしようって焦ったりしますけど(笑)、いい雰囲気をつくってあげたいと思っています。

全体に目を行き届かせながら、空間に合わせて選曲しているんですね。

Nekiのオーナーシェフ、西恭平さん

西:ディレクションではないですけど、お客さんや空間全体には気を配っています。 お皿で完成された料理をいただくだけがレストランじゃない。 全てを通してここでの体験を楽しんでほしいという想いがあるので、味覚以外の感覚も大切にしています。

食だけを前面に押し出して、あとは二の次というお店もあると思いますが、流れる音楽が食体験に占める割合って結構大きいですよね。

西:例えば、高校生の時に聴いていたような懐メロを流し続けている店があっても、それはそれで好きな方はいると思うんです。 でも、ここは、あくまでも僕が出したいと思っている世界観を表現しているお店なので、料理もそのなかのパーツの一つ。 もちろん大事だから一生懸命やるんですけど、他の部分も同じように一生懸命にやっています。

レストランでの体験は、お皿の上で完結しているわけではないということですね。
空間の一部を構成する音楽についてもう少し聞いていきたいのですが、スピーカーは何を使用されていますか?

レストランでの体験は、お皿の上で完結しているわけではない

西:K-array(ケーアレイ)のスピーカーをメインに、サブでJBLも入れています。 アンプもメーカーに合わせていてチューニングしていて、全方位から囲まれるような形でインストールしているので、実は厨房がスイートスポットになっています。 厨房にもいい音は必要。 テンションが上がるじゃないですか(笑)。 コンパクトでありながら、微細で正確な操作性と、その音質に定評があるフランスのE&S社製ロータリーミキサーDJR 200も使用していて、かなり気合いを入れてます。

フランスのE&S社製ロータリーミキサーDJR 200も使用

まわりの雰囲気を見ながら流す音を変化させるように、季節に応じて料理も変化させていますか?

西:季節によって取り入れる食材をある程度決めてはいますが、手に入らない時もあるので、その時はどんな食材で代用するかを考えますし、あのお客さんは前回も来てくれたから食材を変えてみようとか、そういう変化はもたせていますね。

お店にはレコードがたくさんありますが、全て西さんのコレクションですか?

お店にあるたくさんのレコードは全て西さんのコレクション

西:そうですね。 ここだけではなくて、世田谷代田にオープンしたsongbook(ソングブック)というお店にもレコードを置いていて、そこにはヒップホップやブラックミュージックをセレクトしています。 よく行く好きなレコード屋は、原宿のBIG LOVE RECORDS(ビッグ・ラブ・レコーズ)。 あとはネットで買ったりしています。

西さんが最近聴いているレコードを教えてください。

Lucinda Chua『YIAN』

西:この間、八ヶ岳でケータリングがあって、ルシンダ・チュア(Lucinda Chua)のライブ演奏があったので、ついついサインしてもらってしまって(笑)。 夏フェスみたいなものにはなかなか仕事柄行けないので、そういった小さくても良質なイベントに呼んでもらえると嬉しくて。 ナチュラルワインを出していたり、食にこだわりのある音楽イベントが最近増えてきていますよね。

Neki店舗イメージ

西:あとは、写真家がつくっている音楽も聴いていて。

Wolfgang Tillmans『Heute Will Ich Frei Sein EP』

西:ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans)というドイツ人の写真家で、アート・フォトグラファーとしても活躍する傍ら、音楽もつくっている方です。 ベルリンとロンドンのクラブシーンにも身を置いていて、実験的なトラックが面白い。
この間、ヴーヴ・クリコのアンバサダーとしてフランスのシャンパーニュに呼んでいただいたんですけど、畑を見てから即興で料理をつくる機会があって、すごくきれいな場所でした。 その時もレコード屋に足を運んだのですが、円安でほとんど手が出ず(笑)。 ナチュラルワインの造り手には音楽好きが多いし、ワインもレコードもジャケ買いしてみたり、店主にオススメを聴いて探すので、堀り方が似ているところがありますよね。

最近買ったレコードはありますか?

西:好きなアーティストが何人も参加しているレコードをBIG LOVE RECORDSで買いました。

Speakers Corner Quartet『Further Out Than The Edge』

西:スピーカーズ・コーナー・カルテット(Speakers Corner Quartet)には、ロンドンのアーティストがたくさん参加していて、ちょっと暗くてこれからの寒い時期にはピッタリ。 いろいろなジャンルがクロスオーバーしていて、ジャンルレスなサウンドが独特の雰囲気を醸し出しているんです。
お客さんに「どんなジャンルのレコードを置いているんですか?」とよく聞かれるんですけど、オールジャンルで何でも置いています。

David Edren『Relativiteit Van De Omgeving』

マリンバやカリンバのポリリズミックな音が気持ちのいい音楽ですね。

西:アントワープのシンセサイザー奏者、デヴィッド・エドレン(David Edren)による最新作。 H.Takahashiこと、高橋博輝さんとのコラボでも知られるアンビエント作家で、「空間と時間」「要素と環境」「知覚と無常の調和」という根源的な概念をテーマとして生まれた作品ということで、L.A.の老舗アンビエントレーベルNot Not Fun Records(ノット・ノット・ファン・レコーズ)からリリースされています。
まだ夜が浅い時間帯はこういうアンビエントで静かに立ち上がっていくんですけど、気がついたらティルマンスでぶち上がっているみたいな(笑)。 来年、虎ノ門に新しくUké(ウケ)という店舗をオープンするのですが、そこではアンビエントのアナログレコードを中心に置こうと思っています。

Suanne Kraft『Talk From Home』

西:スザンヌ・クラフト(Suanne Kraft)は、アムステルダムのアーティスト、ディエゴ・エレーラ(Diego Herrera)によるプロジェクト。 L.A.でプロデューサーとしても活躍している方なんですが、ジャケットがかわいくて。

アンビエントやニューエイジなどの作品を数多く手がけている彼ですが、このレコードは特にメロウな仕上がりですね。 文字通り、自宅で落ち着いて話しているかのようです。

シェフの嗜好が積み上げられた、総合的な空間。

シェフの嗜好が積み上げられた、総合的な空間

壁にはセルジュ・ムーユの照明がついていますが、まだまだ余白がありそうです。 これからこの空間に足していきたい要素にどんなものがありますか?

セルジュ・ムーユの照明とJBLのスピーカー

西:まだ壁に余白があるので、写真の展示などもやりたいですね。 写真を見ながら食事を楽しんでもらう。 窓も大きいので、この空間を活かしてもっといろいろなことを表現していきたいと思っています。 お皿はフランス、ベルギー、ドイツなどの海外作家さんのモノが多いですし、色や質感を料理と一緒に楽しんでもらえたらと。 家具も好きなモノを扱っていて、11月には、Wend Furniture(ウェンド ファニチャー)というオリジナル家具メーカーからカウンターチェアを新調する予定です。

Neki店舗イメージ

折角なので、西さんに料理のテクニックを一つ教えていただきたいのですが。

西さんの料理のテクニック

西:昆布とかよく出汁に使うじゃないですか。 昆布とトマトの旨味成分は同じグルタミン酸なので、海外でなかなか質のいい昆布が手に入らない時は、代わりにトマトを使ったりします。

食材を成分で考えるのは面白いですね。

西:昆布に鰹出汁を使うと普通の和食になってしまうけど、トマト出汁に鰹出汁を割ってソースにすることで和と洋の架け橋になる。 フレンチにはフレンチ、和食には和食の技法があるんですけど、そこを融合できるテクニックがあれば橋渡しすることができる。 そこに発酵だったり、オリジナルの要素を足していくことで味のレイヤーを重ねてオリジナルの料理を完成させることができる。

建設的でありながら、季節やその時の状況によって即興の要素が加わる。 一皿の上にもさまざまなレイヤーから料理が構成されているのですね。

一皿の上にもさまざまなレイヤーから料理が構成されている

西:いくらでも手間をかけて複雑な料理をつくることはできますが、あまり複雑にしすぎてもお客さんがわからなくなってしまうし、スタッフも困ってしまう。 自己満足で終わるのではなく、バランスが大事だと思っています。 あくまでもお客さんが気持ちいいと思えるところに焦点を絞って、そこにチームで寄り添いながら、考えすぎずに直感で判ってもらえるような料理を心がけています。

「音と食が重なる空間」というテーマでお願いさせていただいた今回の一皿は、どんな料理になるのでしょうか?

西:ハマチにズッキーニなどの黄色い野菜を煮詰めたガスパチョソース、コブミカンの香りを移したクリーム、玉ねぎのピクルスにコリアンダーを添えた一皿になっています。

「音と食が重なる空間」というテーマでお願いさせていただいた今回の一皿

素材の色彩が重なった、ロナン・ブルレック(Ronan Bouroullec)のドローイングのような一皿ですね。
西さんが最近興味をもっている料理はありますか?

西:中東料理が気になっています。 この前フランスに行った時に食べたレバノン料理がものすごく酸っぱくて、強烈に体験として残っていて。 豆料理とかいろいろ食べてきたんですけど、最近ヴィーガン料理が増えてきているので、引き出しを増やせるんじゃないかと気になっています。

郷土料理というのは、その土地に根差した人々が生きていく上で必要なものを何世代にも渡り必然的に積み上げてきた文化そのものですし、そういう異文化体験は外から来た人の記憶に強烈に刻まれますよね。 五感で味わえるNekiでの食事体験も、それと似ているような気がします。

西:予期せぬ出会いがあるから旅は面白いし、全く異なる言語や料理がその土地に根ざしていて、それを体験することでインスピレーションが得られる。 音楽も一緒ですよね。 そういう刺激を自分のバランス感覚で料理や空間に落とし込みながら総合的に表現していくことが自分なりのおもてなしですし、それが、ここでの体験をよりユニークなものにしてくれる。 食事を楽しみながら、何か一つでもアンテナに引っかかるような発見をしてもらえたら嬉しいです。

Neki店舗イメージ

西恭平

西恭平

1983年、京都生まれ。 京都のホテルで修行を積み、渡仏。 アルザス地方のオーベルジュで働いたのち、帰国後は東京へ。 以後、星つきレストランやBistro Rojiuraなどを経て、2020年、日本橋兜町にNekiをオープン。 和と洋を独自のバランス感覚で解釈したイノベーティブなフランス料理は、女性を中心にファンを獲得。 その後も世田谷代田にsongbook、2024年には虎ノ門にUkéをオープン予定。 料理と同等にこだわり、積み上げられたレストランという空間で、食事という体験をカジュアルに提供している。

Neki

Neki

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Words & Edit:Jun Kuramoto(WATARIGARASU)