「オーディオライターのヴィンテージ名機紹介」ではオーディオの歴史の中で傑作と呼ばれ、今でも愛され続ける機材をオーディオライターの炭山アキラさんに解説していただきます。 今回ご紹介するのは、TANNOYのスピーカーシステム〈Autograph〉です。
1950年代の名機
英国を代表するスピーカー・メーカーのTANNOY(タンノイ)は、今でこそスコットランドの老舗企業ですが、創業はロンドンでした。 1926年のことです。 小さく廉価な「バジェットHi-Fi」製品が多い英国オーディオ界にあって、TANNOYは他を圧する大型で豪壮なスピーカー作りで知られています。
名実ともに、そんなTANNOYの象徴というべきスピーカーシステムがあります。 Autograph(オートグラフ)です。
TANNOY独自の同軸2ウェイ
ガイ・ルパート・ファウンテン(Guy Rupert Fountain)氏は、TANNOY社の創業社長で、同社の技術的な支柱ともいうべきエンジニアでした。 当初は他社からスピーカーユニットを購入し、キャビネットを製作して完成品としていたTANNOYですが、創業から数年を経ずしてユニットまで自社製作するようになります。
創業から21年ほどが経過した1947年、TANNOYの技術陣は画期的なスピーカーユニットを開発します。 ウーファー(低音用ユニット)の前、中心部にトゥイーター(高音用ユニット)を取り付けた「同軸2ウェイ」ユニットは、古今多くのメーカーが開発・商品化していますが、TANNOYのそれは理想主義・合理主義の塊ともいえるものでした。
革新的な音の放射
普通の同軸2ウェイは、ウーファーとトゥイーターで全く別のユニットとなっているものですが、同社のユニットはウーファーとトゥイーターの磁気回路を共通のものとし、つまり同一の作用点から音が放射されるように作られています。 また、トゥイーターはホーン型で、ウーファーのコーンがトゥイーター本体のホーンをスムーズに延長することで、トゥイーターの周波数特性をより低い方まで伸ばすことに成功しています。 ということはつまり、ウーファーとの分岐点、クロスオーバー周波数をより低く取ることが可能になる、ということです。
「デュアルコンセントリック」と名付けられたこの方式は、以来80年近くを経た現在もなお、世代を重ねながらTANNOYの “顔” となっています。
優れた構造のユニット
第1世代のデュアルコンセントリック・ユニットは、フレームと磁気回路が黒く塗られていたため「モニター・ブラック」と呼ばれています。 現在のTANNOYの輸入元である、エソテリックの本社に飾ってある現物を、私も見たことがありますが、細かな部分を除けば現行のユニットとほとんど共通の構造であることが分かります。 「真に優れたものは変わらない」という、典型的な例であろうと思います。
このデュアルコンセントリック同軸2ウェイ・ユニットが、より強力なマグネットを搭載し、低域と高域のクロスオーバー部分が分離可能になるなどして、新世代の通称モニター・シルバーへ生まれ変わった1953年頃、TANNOYの社内では、歴史的な超大作の設計が進んでいました。
「Autograph」の誕生
一般に、スピーカーシステムはユニットを箱型のキャビネットへ収め、基本的にユニット正面の音を使って音楽を再生しています。 一方、普通のキャビネットではほとんど生かされることのないユニット背面の音を、低音再生に利用する方法があります。 バックロードホーン(Back Loaded Horn)方式といいます。
そのキャビネットは、バックロードホーン形式であるとともに、ユニット前面の音をより効率良く放射させるためのショートホーンも搭載されていました。 モニター・シルバーの高域はホーン型トゥイーターですから、このスピーカーは3つのホーンを搭載した「オール・ホーン型スピーカー」ということになります。
苦難の試作が続いた結果、完成へと漕ぎ着けた超大作の音を聴いたファウンテン氏は、自らの署名をキャビネットへ刻むこととしました。 「Autograph」とは「署名」という意味で、このスピーカーの正式名称は、「Guy R. Fountain Autograph」となっています。
TANNOYに惚れ込んだ剣豪小説家、五味康祐の逸話
日本でもTANNOYとAutographは憧れのスピーカーとなり、今も伝説になっていますが、その伝説はある1人の人物によって成立した、といっても過言ではありません。 剣豪小説家の故・五味康祐(ごみ・やすすけ)です。
剣豪の生き様を通して人間の心を鋭く描いた五味は、同時に熱烈なクラシック・ファン、とりわけワグネリアン*として知られていました。 「ベストセラーを次々書いては、印税をバッサバッサとオーディオへ注ぎ込む」といわれた作家ですが、そんな五味が終生愛したスピーカーが、TANNOYのデュアルコンセントリックでした。
*ワグネリアン:19世紀のドイツの作曲家、リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)の音楽を愛好する人のこと。
苦労の末に芥川賞を受賞し、ベストセラーを量産するようになった五味は、欧州を歴訪した際に購入した、TANNOYのデュアルコンセントリック・ユニットを、「着流し姿の背に紐で縛って」日本へ持ち帰ります。 しかし、さまざまに工夫を凝らした特注のキャビネットへ収めても、なかなかこの高貴なユニットはいうことを聞いてくれなかったとか。
そこで五味は、オーディオ評論家で音楽評論家の故・高城重躬(たかじょう・しげみ)氏が、膨大な実験の末にたどり着かれたマルチアンプ・ホーン型システムを導入します。 コンクリートで全長3mもの低音ホーンを備えた、とてつもないものです。
ただし、中音域だけはTANNOYにして下さいと高城氏に頼み込み、高城システムへデュアルコンセントリックを混入させた結果は、散々なものでした。 「3軒先の妊婦が産気づいた」ほどの猛烈な低音を発揮したそのシステムを、五味は「ハンマーで叩き壊した」と書き残しています。
そんな五味が最後にたどり着いたのが、Autographでした。 1964年のことといいますから、発売から既に11年が経過しており、ユニットはモニター・シルバーから1世代新しい「モニター・レッド」が装着されていたようです。 このAutographで、五味は没する前年の1979年に入院するまで、音楽を聴き続けました。
しかし、オーディオ達人の五味にしてもAutographを完全に手のうちへ収めるのは大変だったようで、ある曲では歌手がその身体まで伴った完璧な定位を聴かせたことに陶然としつつ、またある曲では中低域の不自然な膨らみに悩む、といった日々が続いたと聞きます。
それで五味は、それこそ「バッサバッサと印税を注ぎ込む」ように、アンプをはじめとする機器を取り替え、比較対照用に世界の最新スピーカーシステムを購入しては、またAutographへ戻るという繰り返しだったとか。
果てはAutographのため、特別に吟味した家まで新築したそうです。 しかし、その家はむしろ旧宅よりも「思ったようにAutographは鳴ってくれなかった」と、もう1軒建てることを考えていたそうですから、いやはやもう本当にすごいものですね。
部屋をホーンの延長にするスピーカー
「Autographって、そんなに上手く鳴らすのが難しいスピーカーなんですか?」と、疑問に思われた人もおいででしょう。 はっきり申し上げると、あんなに難しいスピーカーもそうはありません。
まず、Autographは上から見て、鋭角の頂点を落とした直角二等辺三角形のキャビネットです。 いわゆる「コーナー型」、部屋の隅へ置くタイプのスピーカーなんですね。 このキャビネットは、バックロードホーンという形式を採用していますが、部屋の壁がホーンの延長となって、より低い周波数まで再生が可能になるように設計されています。 これを「イメージホーン」といいます。
こういう構成は、部屋の影響を強く受けるということでもあります。 壁の材質、壁にピッタリつけるかある程度すき間を空けるか、また部屋の広さはどれくらいかによって、Autographはそれこそ千差万別の鳴り方になります。
モノラルからステレオへと移り変わる時代ゆえに
それでは、なぜAutographは、そんな厄介なコーナー型というキャビネット形式を採用したのか。 それは、Autographが開発された1953年という年代にポイントがあります。
世界で初めてステレオの音源が発売されたのは1954年、オープンリールのテープでした。 ということはつまり、1953年はまだモノラルの時代だったのです。 スピーカーを2本用意する必要はなく、部屋の一隅にスピーカーを置いて家族みんなで音楽を楽しむ、そんなことを志向して開発されたのがコーナー型で、モノラル時代にはむしろ一般的な形状でした。
Autographはまた、組み合わせるアンプも問題で、真空管アンプでなければ厚みが出にくく、しかし真空管アンプでは中低域の余分な膨らみを抑えにくい、ということもあります。 また、能率が96dBと極めて高く、ちょっと残留ノイズの大きなアンプを使うと、すぐ耳障りにもなりました。
火災で一度、途絶えた製作
もう一つ、Autographには「長い販売履歴」という問題も横たわります。 1953年の発売以来、英本国では1974年までキャビネットの製作は続けられましたが、なんと工場が火事で全焼し、製作が続けられなくなりました。
思わぬ惨事で製造終了となってしまったAutographを惜しんだ、当時TANNOYの日本輸入元を務めていたティアックは、同社の許諾を得て、自社でAutographのキャビネット製作を始めます。 1983年まで作り続けられたこの通称「ティアック箱」は、本国製を凌駕するのではないかという作りの良さで、高く評価されています。
同じ見た目でも音質が違う?
このほかにも、数多くのサード・パーティが、Autographのレプリカ・キャビネットを作り、販売していました。 それらのクオリティは、いいものもそうでもないものもありましたから、「国産箱」と書かれてあるAutographには、クオリティのバラつきがあるものと覚悟する必要があります。
また、搭載されるデュアルコンセントリック・ユニットも、初代のモニター・シルバーからモニター・レッド、モニター・ゴールド、HPD385A、K3808と変遷していますから、例えば中古店でたまたま見かけたAutographが、どの世代のものか、どんな履歴をたどっているか、ユニットはオリジナルのままなのか、新しいものと交換されているのか、などによって、天地ほどコンディションと再生される音質が違ってしまうのです。
これはAutograph固有の問題ではなく、大型スピーカーすべてにいえることですが、ユニットのエイジングを進めにくいのも大きな問題です。 大口径のウーファーや、能率が高すぎてアッテネーター(音量調節器)で大きく絞ってあるホーン型トゥイーターなどは、振動板が大振幅で揺れるほどの音量を入れることが、特に日本の住環境では難しく、おかげでユニット群の振動系がいつまでたってもこなれず、本来の力量を発揮させないまま老化ばかりが進んでしまう、ということになりかねないのです。
そんな数々の苦難を跳ね除けてまで、Autographは使う価値のあるスピーカーなのか。 あくまで個人的な意見ですが、それは「ある」と断言したいと思います。
Autographの魅力とは
販売店で、読者訪問先で、これまで数え切れないほどのAutographを聴いてきました。 確かに上手く手のうちへ収められている人は、さほど多くはありませんでしたが、しっかり実力を発揮したAutographは、極めつけの大迫力と音楽の立体感を味わわせながら、英国的な渋味、深みも濃厚に味わわせてくれる、類稀な持ち味の逸品だと感じたものでした。
コーナー型で、しかもヴィンテージ・スピーカーを飼い馴らすのは難しそうだ、とお感じになったあなたには、上から見て長方形の正面側の角を落とした形状、いわゆるレクタンギュラー型の「ウエストミンスター」が、Autographのオール・ホーン型という特徴を受け継ぎつつ、現在も世代を重ねながら生産されていますから、そちらも検討なさってみるのもよいのではないですか。
Photo courtesy of Hard Off Audio Salon Kichijoji
Words:Akira Sumiyama
Eyecatch: 長谷川雅也