映画館の音響設計において重要なのは、「どの席でも同じように聴こえること」。
音は34cmの距離で1000分の1秒遅延する——そのわずかな差を、タイムアライメントによって補正し、最終的には1億分の1秒単位まで追い込んでいく。
LOVE PSYCHEDELICOのNAOKI は、ミュージシャンでありながら、TOHOシネマズの「プレミアムシアター」と「轟音シアター」の音響監修を務めている。
レコーディング技術を応用した、高度な音響調整の舞台裏に迫った。
音楽と映画を繋いだ、運命的な出会い
ミュージシャンのNAOKIさんが、なぜ映画館の音響を手がけることになったのでしょう?
コロナの少し前から、TOHOシネマズがカスタムオーダーメイドのスピーカーを導入して「プレミアムシアター」という新しい劇場づくりを始めていたんです。そのスピーカーを制作していたのが、LOVE PSYCHEDELICOのスタジオのスピーカーにも携わっていたイースタンサウンドファクトリーの方で。
実際に聴かせてもらって「すごくいい」と感銘を受けたので、同じ技術でツアー用のコンサートスピーカーを作ってもらったんです。そしたらホールツアーなのに、機材の規模だけB’zのアリーナツアーみたいになっちゃって(笑)。
そこから映画館へと繋がっていく。
そうなんです。今度は逆にTOHOシネマズ側が「映画館と同じようなスピーカーを制作してツアーを回っている変なミュージシャンがいるらしい」と聞きつけて、「一緒に劇場を作りませんか」と声をかけていただきました。それが2020年、ちょうどコロナが始まった頃でした。立川立飛にあるTOHOシネマズの新館で、生まれて初めて映画館のチューニングを担当しました。
TOHOシネマズのオリジナルスピーカーの特徴とは?
一番はツイーターの性能ですね。人間の耳が聞こえる限界に近い20kHzまでゆがまずに出せるレンジの広さと、繊細さと耐久性のバランスが素晴らしいんです。
一般的なスピーカーだと限界を超えるような入力でも破綻しないので、結果的にダイナミックレンジが圧倒的に広くなるんです。音が大きい・小さいだけじゃなくて、小さい音にも情報量があるし、大きい音にも余裕がある。音の表情をすごく豊かに表現してくれるんです。
映画館とホームシアター、決定的な違い
今は配信やホームシアターも充実していて、映画館に行かずに家で映画を楽しむこともできます。
家と映画館では、そもそも元となる作品の音が全然違うんですよ。一番大きな違いはコンプレッサー。コンプレッサーは音楽や映画のレコーディングで必ず使うもの。「これ以上音が大きくなったら音割れしてしまう」というところで音量を制御する装置です。
Blu-rayや配信の音源は、全世界すべての家庭のテレビやパソコンで、どんな音量で再生してもテレビやオーディオのスピーカーが壊れないようにしなきゃいけない。だから、どうしても一定以上の音を抑えて潰しちゃう方向に処理をするんです。つまり、ダイナミックレンジが狭くなります。
家だと再生する音量も限られますしね。
そうですね。テレビで観るときって、僕の場合ボリュームは大体30前後。「うるさい」って言われたら23か24に下げたり。結局、その範囲でしか音の強弱をコントロールしないじゃないですか。強い音と小さな音の差が少ないんですよ。配信やBlu-rayのコンテンツは、その範囲ですべての音が聞こえるようにしなければ商品として成り立たない。
でも映画館は、防音・吸音加工がされていて、音に集中できる空間。日常会話よりも小さな音から、一番大きい音は天井や座席が振動で震えるくらいのレベル、それくらい大きなダイナミックレンジ、音量の差の中での演出を体験出来るんです。例えば静かな囁くようなラブシーンの直後に身体振動するくらいの爆音のアクションシーンが来る落差は、映画館でしか味わえない体験だと思います。
映画と音楽では、扱う音の種類が違いますよね?
映画には「セリフ」がありますからね。ただ、音楽の現場では、1曲1曲を制作した後に、複数の曲をアルバム1枚にまとめるマスタリングという作業があるんですけど、映画館のチューニングは、そのマスタリングの作業に少し近いところがあって。アニメもSFも音楽ライブも上映する映画館ですから、さまざまな作品を楽しめるよう想定して調整しています。
特定の周波数帯域の音を補正することをイコライジングというのですが、僕の監修する映画館では大体、17Hzから20kHzの間を集中的に調整します。このイコライジングという作業はレコーディングの現場でも非常に重要、重大な作業なんです。例えばボーカリストがライブ収録当日に風邪を引いて鼻声だったときに、収録後のミックスで400Hzのポイントをキュッと下げると、「え? 歌い直した?」というぐらいすっきりする。逆に上げていくと、人のセリフがちょっと鼻声っぽくなるんですね。
そんなことができるんですね。
400Hzは、音楽でいうとベースのメロディーラインあたりの帯域でありつつも、人の声の質感としても非常に重要なポイント。劇伴のベースをもっとかっこよくしたいと思って400Hzを上げていくと、ストーリーに戻ったときに鼻声のセリフになってしまう。逆に下げすぎると、セリフがすっきりしすぎて耳に残らなくなってしまう。そのバランスが重要なんです。
映画の場合はセリフを第一に考えて、まずは人の声の帯域を中心に調整します。そして声にあまり影響の出ない、9kHz〜12kHzあたりをキュッと上げて、劇伴のストリングスが綺麗に聞こえるように調整したり。逆に声よりももっと低音域を調整して、セリフに影響の少ない帯域で低音を持ち上げたり。音楽の現場とはまた違ったやり方で作品のスケール感を演出しています。
NAOKIさんの感性で自由に調整できるんですか?
映画館には「Xカーブ*」という世界共通の周波数の基準があるんです。どこの劇場でも同じカーブで音が出るように決められている。その範疇を超えない範囲でいじらないと、作品の趣旨が変わってきてしまうんです。なので僕は、作品を損なわない範囲で最適化をしている感覚ですね。
*Xカーブ:映画館という大きな空間で大音量を流したときに、高音がきつくなりすぎないように配慮する指標。高い音(高周波数)になると、少しずつ音を小さくしてカーブ(曲線)を描く特性がある。
音は”1億分の1秒”まで合わせられる
イコライジングの他に、どのような調整をするんですか?
イコライジングの前段階として最初に行うのがタイムアライメントですね。一番重要な作業です。映画館のスピーカーは、正面だけでもセンター、L、R、重低音のサブウーハーと複数ありますが、中央に座ると物理的にセンタースピーカーとの距離が近くなる。LとRのスピーカーが遠くなるので、音も遅れて聞こえてくることになります。
そのため映画館ではLとRよりもセンターの音の発音を遅らせるなどして、すべての音が同時に耳に届くように補正するんです。これをしないと、本当に気持ち悪い聞こえ方になるんですよ。
どこまで精度を追い込むんですか?
音速は秒速340m。大体34cmで1,000分の1秒ずれる計算になる。これが一般の人が「あれ、ちょっと音がにごっている」と聞き比べればわかる最小単位だと思います。座席からスピーカーまでの距離を測ってデジタルで合わせられるのは、大体1,000分の1秒から10,000分の1秒くらい。僕が監修しているシアターは、さらにそこから僕の耳の感覚で「まだズレてる、まだズレてる」と追い込むので、最終的に1億分の1秒まで調整しています。
そんなことが可能なんですか?
コンピュータは決められた方法でしか判断できないけど、人間は「もっと細かく合わせるにはどうしたらいいんだろう。じゃあここから先は別の方法でやっていこう」と柔軟に考えられるんです。
別の方法とは?
最終的に重要になるのが位相です。位相とは、音の波がどの位置にあるかを示すタイミングの指標のこと。音っていうのは、同じ音を2つ同時に鳴らしたときに、その波の上昇下降が極端にズレると音を打ち消しあってしまうという特性があるんです。これがズレていると、音量を上げれば上げるほどそのズレも大きくなるので、なかなか思うように音量が上がってこない。この音量を上げているのに小さく聞こえることを「位相が悪い」と言います。
逆に波のタイミングがピタッと一致すればするほど、音が強調されて音量も上がっていく。低音がしっかり聴こえないのは、イコライジングの問題じゃなく、位相がずれていることが多い。そこを合わせると、音も伸びやかになっていくんです。
実際の作業はどんな流れなんですか?
2日間かけてチューニングしますが、初日はひたすらタイムアライメント。スピーカー単体の中にも小さなスピーカーユニットや大きなユニットが埋め込んでありますよね? スピーカー同士を合わせる前に、スピーカーに埋め込んであるユニット同士をひとつひとつすべて調整していきます。それから各スピーカー同士の距離の違いによる遅延補正。
2日目にイコライジングを調整します。そのときに使用するのは、子供の頃からよく聴いてきたマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の曲。特に「Thriller」は、歌に入る前の前奏部分だけで、扉が開く音や足音、狼の遠吠えなど、情報量が多いので基準にしやすいんです。
で、実際の作業では、再生しながら「ああ、ここの劇場、いつもよりもマイケルの声が鼻声だ」と思ったら、例えば「400Hzを0.3dBとりあえず下げてみて」とか、クラップが緩い感じがしたら、「7kHzを1.2dB上げしてみて」とか、そうやってちょっとずつ調整していきます。最終的に自分のスタジオで普段聞いているマイケル・ジャクソンとまったく同じ聞こえ方になってきたらOK。
なぜマイケル・ジャクソンを基準に?
聞き慣れているから。自分の好みの音に合わせているわけでは決してないんです。僕が目指しているのは、世界中の映画監督が思い描いた音を、スクリーンで忠実に再現できるよう調整すること。だから建物に合わせることはもちろん、劇場ごとに数値はそれぞれ変わりますし、どんな劇場でもフラットにチェックできるよう、自分が聞き慣れている音楽を使っています。
どの席でもベストな聞こえ方ができるように調整しているとは思いますが、NAOKIさんの個人的なお気に入りポジションはあるのでしょうか?
後方よりのセンターですね。画の発色も音も気持ちいいと個人的に感じる場所は当然あります。でももしかしたら、轟音シアターの場合は、前方に設置してあるスピーカーから重低音がダイレクトにくるので、前のほうの席では風を感じることもできて楽しいかもしれないですね。
音を直接浴びたい場合は前列から4〜5列目あたりがおすすめです。サブウーハーからもドカン、ドカンととんでもない重低音が出てくるので、エンターテイメントとして体感してほしいです。
それからプレミアムシアターはさらにスペックの高いスピーカーを使っていて、映画本来の魅力を引き出せるようにこだわりまくっています。おそらく世界で圧倒的に一番なくらいタイムアライメントを合わせているので、壁から跳ね返ってきた音も位相がよくて気持ちいいです。ぜひこちらも体感していただきたいですね。
あと、僕が監修しているスクリーンは女性の声がめちゃくちゃかわいいと思いますよ(笑)。最終調整の段階で、「もうちょっと女の人の声が色っぽく聴こえるほうがいいよね」と微調整することもあります。やっぱり映画はセリフが一番。ちゃんとドキドキする劇場にしたいじゃないですか。
NAOKI
ギタリスト。1997年にボーカルのKUMIとともにLOVE PSYCHEDELICOを結成。2000年にシングル「LADY MADONNA~憂鬱なるスパイダー~」でデビュー。2001年1月に発表された1stアルバム『THE GREATEST HITS』は200万枚、翌年2002年1月に発表された「LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA」も100万枚を超え、2作連続ミリオンを記録。NAOKIの卓越したギターテクニックとKUMIの日本語と英語が自由に行き交うヴォーカルスタイルによって、独自の音楽スタイルを確立している。現在開催中のデビュー25周年記念ツアー「LOVE PSYCHEDELICO 25th Anniversary Tour」をもって活動休止を発表。
TOHOシネマズ大井町
大井町駅直結の大型複合施設「OIMACHI TRACKS(大井町トラックス)」内に、3/28(土)に開業した全8スクリーン1,205席のシネマコンプレックス。「映像」「音響」「座席」のすべてに徹底的にこだわった「プレミアムシアター」、音の体感と迫力あるサウンドを追究した「轟音シアター」(ともにLOVE PSYCHEDELICのNAOKI氏が音響監修)という独自規格の特殊シアターを2種備えるほか、ドルビーラボラトリーズ社が開発した最新の高品質シアター「Dolby Cinema(ドルビーシネマ)」を、都内のTOHOシネマズとして初めて導入し、1か所で様々な映画鑑賞の楽しみ方を味わうことができる。
Words & Edit:Kozue Matsuyama
Photo: Kosuke Matsuki