移り変わりの激しい韓国インディー・シーンで長年活動を続けてきたひとりのキーパーソンがいる。 それがギタリストのイ・テフンだ。 2000年代末からインディー・シーンの中心地であるソウルのホンデ地区で活動をスタート。 現在は自身のリーダーバンドであるカデホ(CADEJO)で活動するほか、数多くのアーティストのサポートギタリストとしても活躍している。

イ・テフンの奏でる音楽世界は多彩だ。 ジャズ〜ネオ・ソウル~ブラジル音楽を基盤としながら、ファンクやブルース、ダブ/レゲエ、時にはハードロックやラテンの気配が漂うこともある。 あらゆる音楽ジャンルを横断するそのスタイルは、世界的な現行ジャズの潮流とリンクするものともいえるだろう。

そんなイ・テフンが率いる3人組、カデホが来日公演を行う。 彼らは昨年6月に民謡歌手のイ・ヒムンと一夜限りの来日公演を行ったが、訪れた観客のあいだでは年間ベストライヴの声も上がるなど大きな反響を巻き起こした。 今回はラッパーのノクサル(NUCKSAL)を迎えた初日(共演はSummer Eye Sound Syndicate)、内田直之がエンジニアを務めるワンマン公演(オープニングDJに川辺ヒロシ)となる2日目、そしてカデホのライヴに加えてイ・テフンのソロパフォーマンスも披露される3日目と、趣向の異なる3公演が予定されている。

いよいよ本格的な日本上陸を果たすカデホ。 韓国インディー・シーンのアイコンともいうべき彼らの音楽世界を探るべく、イ・テフンの単独インタヴューを行った。

メタルからブルース、そしてジャズやネオ・ソウルにクラシック――「カデホには今まで僕が辿った音楽のルートすべてがある」

カデホ:左から、キム・ダビン(ドラム)、イ・テフン(ギター/ボーカル)、キム・ジェホ(ベース)
カデホ:左から、キム・ダビン(ドラム)、イ・テフン(ギター/ボーカル)、キム・ジェホ(ベース)

これまでのテフンさんの経歴についてはわからないことも多いので、まずはベーシックなところから聞かせてください。 ギターを持ったきっかけは何だったのでしょうか。

うちの中学校では入学時にひとつの楽器を学ぶことになっていたので、僕はギターを選びました。 僕自身はメタリカ(Metallica)やX JAPANのファンだったので、どうしてもエレキギターを弾きたくて(と言ってメロイックサインをする)。 そうそう、B’zも好きでした。

テフンさんは何年生まれなんですか。

1985年、釜山生まれです。

当時、メタリカのようなメタルを聴いている同級生は多かったんですか?

80年代生まれの主流だったのは間違いないと思います。 中学のバンドサークルに入っていたんですけど、特にそのサークルはメタル好きが多くて。 先輩からメタリカの「Enter Sandman」なんかを教えてもらいました。

メタルからどういう流れで現在のカデホに繋がる音楽を聴くようになったのでしょうか。

メタルからレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のような昔のハードロックを聴くようになりました。 レッド・ツェッペリンのベースにブルースがあることがわかり、BBキング(B.B. King)やアルバート・キング(Albert King)を聴くようになり、そこからジャズを聴くようになったんですよ。 その時期にディアンジェロ(D’Angelo)をきっかけにネオソウルや昔のソウルも好きになりました。 カデホには今まで僕が辿った音楽のルートすべてがあると思います。

2007年にはカリフォルニア大学デービス校を卒業していますが、大学では何を学んでいたのでしょうか。

最初は心理学を専攻していたんですが、そのころから音楽関係の授業をたくさん受講していたので、結局、音楽学科のほうに移りました。 そこではクラシック音楽の作曲を学びました。 僕自身はブルースのギターぐらいしか弾けなかったので、技術を学ぶコースには行けなくて。 音楽学のコースか作曲のコースを選ぶしかなくて、後者に行くことになりました。

そこで学んだことは今のテフンさんの活動にも反映されているのでしょうか。

極論をいえば音楽はすべて一緒だと思うので、クラシック音楽もカデホでやってることも基本的には同じです。 ただ、クラシック音楽で学んだこととインプロヴィゼーション(即興)のバランスは大事にしています。

バークリー音楽大学で学んだ時期もあったそうですね。

そうですね。 軍隊を除隊したあと、ホンデを拠点としていたファンカフリック・ブースター(Funkafric Booster)というバンドで活動していたんですけど、やりたいことがいろいろあるのに自分の技術が追いついていない感じがしたんですよ。 それでバークリーに一学期通って技術を学びました。 6か月の短い期間ではあったけど、主要な授業を一気に受けたので重要な時間でした。

ファンカフリック・ブースターの2008年作『You’re So Mean』

ファンカフリック・ブースターで活動していたのは2008年から2010年にかけてのことですよね。 どういう経緯で参加することになったのでしょうか。

ファンカフリック・ブースターにはカリフォルニアの大学を卒業してすぐに入りました。 ファンクが好きだったので、ギターを弾けるファンクバンドがどこかにないか探していたんですよ。 そんなときに彼らの存在を知り、ライヴに通うようになりました。 そのうちメンバーと呑むようになって。 ちょうどギタリストを探していたようで、「僕、弾けますよ」と立候補して入ることになりました。

当時のホンデのインディー・シーンはどんな雰囲気だったんですか。

今よりも厳しいところもあったと思いますけど、雰囲気は当時のほうが良かったかもしれない。 演奏技術は今のバンドのほうが全然高いと思います。 ただ、あのころのほうが音楽的に挑戦しているバンドが多かったし、刺激が多かったですね。 シンプルにいえば、変な人が多かったんですよ(笑)。

その流れで名前を出すのも失礼な話ですが、昨日テフンさんとの繋がりも強いサックス奏者のキム・オキ(Kim Oki)さんにリモートインタビュヴューしてたんですよ。 彼との付き合いも結構古いですよね。

彼と知り合ったのは僕がヘリヴィジョン(Hellivision)というバンドを始めたころなので、12、3年前だと思います。 あのころのホンデはジャンル関係なく同じイベントにブッキングされることも多くて、彼ともそうやって出会いました。 ヘリヴィジョンでセッションしたこともありましたね。

ホンデの場合、小さなライヴハウスでジャンル関係なくブッキングされることで、ジャンルレスな繋がりが広がっていったところもありますよね。 それがシーンの成長の土台になっていった、と。

うん、それはあると思います。

ブラジル音楽のリズムとDJカルチャーからの影響

ブラジル音楽のリズムとDJカルチャーからの影響

2009年にはファンカフリック・ブースターと並行してブラジル音楽色が濃いファブン(Hwabun)を結成します。

ブラジル音楽からは強い影響を受けています。 一番大きかったのはブラジルのカーニバヴァルで演奏されるバトゥカーダのリズムです。 アメリカから韓国に帰ったころ、エスコーラ・アレグリアというサンバスクールに通うようになって、そこで知り合った人たちと始めたのがファブンなんです。

カデホだけじゃなく、僕がやってるすべての音楽にブラジル音楽のリズムが染み込んでいると思います。 ブラジル音楽のなかでいえば、カデホで一番意識しているのはアジムス(Azymuth)です。 彼らのリズムの使い方は参考にしています。

ファブンの2021年作『Soman』

個人的にテフンさんの活動に注目するきっかけになったのがセカンド・セッション(Second Session)でした。 このバンドはどのように始まったのでしょうか。

セカンド・セッションはファンカフリック・ブースターでベースを弾いていたキム・ムニ姉さんのソロ・プロジェクトとして始まって、最初はドラムのミン・サンヨン兄さんとふたりでやってたんですよ。 そこにセッション的に僕が入っていたんですが、3人の相性が良かったこともあって、ファーストアルバムのあとに僕もメンバーになりました。

セカンド・セッションはまるでターンテーブルの上のレコードを変えるかのようにさまざまな音楽を演奏していくところに特徴があって、ある意味ではDJカルチャーを通過した感覚を持つバンドでもありました。 そうした感覚はアルバムをプロデュースしていたソウルスケープ(DJ Soulscape)らDJとコミュニケーションを取るなかで培われたものだったのでしょうか?

それはあったと思います。 当時はソウルスケープさんが私の所属してるレーベルの社長さんでしたから(笑)。 彼からはものすごく多くの音楽を教えてもらったし、自分たちが音楽をやるうえでそれが大切なレファレンスになったんですよ。 あと、セカンド・セッションで一緒に演奏していたキム・ムニ姉さんとミン・サンヨン兄さんからの影響も大きかった。 サンヨン兄さんはアフリカ音楽について詳しかったし、ムニ姉さんは学生時代からフュージョンにもはまっていました。 セカンド・セッションでは実験的なこともたくさんやりましたね。

セカンド・セッションで培ったものがカデホにも受け継がれているわけですね。

そうですね。 セカンド・セッションにしてもファンカフリック・ブースターにしても歳上の先輩たちとやっていたので、自然と影響を受けた部分はあったと思います。

2010年に行われたセカンド・セッションのライヴ映像

カデホの始まり~インプロヴィゼーション的な制作プロセス

カデホの始まり~インプロヴィゼーション的な制作プロセス

カデホの活動について伺いたいのですが、このバンドはどのような経緯で始まったのでしょうか。

あるジャズフェスで僕がひとつのパートを担当することになったんですよ。 別のバンドで出ようと思ってたんですけど、それができなくなって、慌てて新しいグループを組む必要があったんです。 それで以前から一緒にやろうという話をしていたベースのキム・ジェホさんとドラマーのチェ・ギュチョルさんに声をかけてカデホが始まりました。

最初の段階から音楽的な方向性は見えていた?

ドラムが現在のキム・ダビンさんに変わったことで音楽的には少し変わったかもしれません。 チェ・ギュチョルさんがドラムだったころはディープなネオ・ソウルの傾向が強かったと思うので。 ダビンさんはいろんなジャンルに対応できるドラマーなので、カデホの音楽性自体が広がったと思います。

カデホ「너의 꿈(Into Your Dream)」

カデホではどうやって曲を作っているのでしょうか。

メンバーそれぞれが特定のフレーズを持ち寄ることもあるんですけど、3人でジャムをやりながら見えてくることが多いですね。 ジャムのときは一切喋らず、黙々とやることが多いんですけど、そのなかでいいメロディーやフレーズが浮かんでくることがあって。 それを覚えておいて、レコーディングのときにまとめていくような感じです。

それにしても大学でクラシック音楽の作曲法を学んでいたテフンさんが、即興演奏をベースにした曲作りをしているのはおもしろいですね。

でも、僕が好きなクラシックのなかにはインプロヴィゼーション的なアプローチをしたものが結構あったんですよ。 バッハの鍵盤音楽やバルトークの民俗音楽にもそういう要素はありますし。 その意味ではカデホでやってるインプロヴィゼーション主体の作曲法と大学で学んだクラシックの作曲法は、僕にとって決して別物というわけではないんです。

カデホの最新アルバム『Freeverse』

「Freeであること」と他パフォーマーとのコラボレーションについて

「Freeであること」と他パフォーマーとのコラボレーションについて

カデホの作品にはアルバム名や曲名などに「Free」という言葉がよく使われています。 それはなぜなのでしょうか。

最初から「Free」という言葉を重視していたわけじゃないんですが、メンバーで共有しているフィーリングを表現しようと思ったら「Free」という言葉が浮かんできたんです。 最初のアルバム(『FREESUMMER』)や2枚目のアルバム(『FREEBODY』)ではそれほど意識していなかったんですが、昨年出した『FREEVERSE』ではよりはっきりと「Freeであること」を意識するようになりました。 ジャムセッションというスタイルはまさに自由な表現方法だと思いますし。

テフンさんにとって「Freeであること」は音楽をやるうえで重要なこと?

そうですね。 普段暮らしていると、完全に自由であることはなかなか難しいとは思うんですが、音楽上ではいくら自由であっても許されると思うんですよ。

カデホはラッパーのノクサルや民謡歌手のイ・ヒムンさんとのコラボレーション作をリリースしていますが、ふたりはだいぶタイプの違うパフォーマーですよね。

おっしゃる通り、ふたりは異なる個性があるパフォーマーだし、だからこそ僕らと一緒にできたとも思います。 カデホは自分たちのカラーが明確にあるバンドなので、ノクサルやイ・ヒムンさんのように自分たちの声を持っている人じゃないとなかなか交わらないと思うんですね。 他のパフォーマーとコラボレーションしたこともあるんですけど、うまくいかないことが多くて。

カデホとノクサルの共演パフォーマンス
カデホとイ・ヒムンの共演作『Gangnam Oasis』(2022年)

昨年6月には東京の月見ル君想フでイ・ヒムンさんとカデホの来日公演が行われましたが、本当に素晴らしくて感激しました。 また日本でもやってほしいです。

ありがとうございます、ヒムンさんに伝えておきます(笑)。 機会があれば、ぜひまた一緒に日本で共演したいですね。

本当にたくさんのアーティストと共演してきたわけですが、一緒にやってみたい日本人アーティストはいますか。

たくさんいますね。 昔から好きだったのはAcid Mothers TempleとOKI DUB AINU BAND。 あと、ゆらゆら帝国が大好きなんですが、解散しちゃったので坂本慎太郎さんといつかジャムセッションをできれば光栄です。

テフンさんのソロアルバムも素晴らしいですよね。 『A sentence For You, Little Love』(2021年)や『All Farewells』(2019年)という2枚の作品がリリースされていますが、カデホとは違い、ガットギターで静かな音の世界が奏でられています。 ブラジル音楽やクラシックからの影響も窺えますが、新作の予定はないのでしょうか。

ありがとうございます、嬉しいですね。 実は新しい作品を準備中で、今年の下半期には出せるんじゃないかと思います。

イ・テフンのソロアルバム『A sentence For You, Little Love』

テフンさんはファンカフリック・ブースター以来、長年ソウルのインディ・シーンで活動してきたわけですが、シーンの現状についてはどう思われますか?

僕が活動を始めたころとはだいぶ変わりましたね。 以前だったらソウルのインディー音楽を聴こうと思ったらホンデに行くしかなかったんですよ。 でも、今はインターネットで多くの情報が手に入るようになったし、音楽そのものにも触れることもできる。 そういった環境が整備されたところから活動を始めたミュージシャンも少なくないですね。 ただ、僕らのように音の現場を重視した活動をしているミュージシャンもまだまだいます。

いろんな見方ができると思いますが、ジャンルや客層の幅も広がったし、技術的にもレベルアップしたと思います。 僕は今まで以上におもしろいことができる状況になったと思いますね。

最後の質問です。 3月の来日公演はどんなものになりそうですか。

ノクサルとやる初日は彼と作ったアルバムを踏まえ、ある程度内容を固めたセットをやることになると思います。 2日目のワンマンは内田直之さんがPAをやってくれるので、すごく楽しみなんですよ。 ダブやレゲエが大好きだけど、これまでダブエンジニアとライヴをやったことがないので、おもしろいことができると思います。 前回のイ・ヒムンさんとライヴでも親切で熱いファンが集まってくれたいので、今回もそういったファンと再会できるのが楽しみです。 僕は酔っぱらって羽目を外してしまうかもしれませんが(笑)。

あはは、当日乾杯できるのを楽しみにしています(笑)。

そうですね、乾杯しましょう!

CADEJO

バンド結成前より韓国インディー・シーンで各々が多才なプレイヤーとしてキャリアを積み上げてきた、イ・テフン(ギター/ボーカル)、キム・ジェホ(ベース)、キム・ダビン(ドラム)が集結し、韓国・ソウルを拠点に活動する3⼈組バンド。 2018年に1stEP「MIXTAPE」でデビュー。 即興⾳楽をベースに、各メンバーのバックボーンであるファンク、ロック、レゲエ、ジャズ、サンバなど様々なジャンルを⾃由に横断するスタイルで活動する。 ⾼い演奏スキルと予測不可能な展開を⾒せるパフォーマンスが話題になり、韓国内外のフェスやイベントに多数出演。 ラッパーのNUCKSALや⺠謡歌⼿のイ・ヒムンなどともコラボレーション作品を制作し、インディー・シーンにおいて確⽴した地位を築いている。 2023年7⽉に3rdフルアルバム『FREEVERSE』をリリース。 2024年3⽉に初の来⽇公演CADEJO Live in Tokyo 2024『ON THE SPOT』を開催する。
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『ON THE SPOT』

AJIMI presents CADEJO Live in Tokyo 2024

2024年3⽉15⽇(⾦):渋⾕CIRCUS TOKYO
出演:CADEJO×NUCKSAL、Summer Eye Sound Syndicate

2024年3⽉16⽇(⼟):⻘⼭⽉⾒ル君想フ
出演:CADEJO  ※ワンマン公演、オープニングDJ川辺ヒロシ、PA内田直之

2024年3⽉17⽇(⽇):新宿WPU 
「AJIMI RECORD FANCLUB 」
出演:CADEJO、Lee Taehunほか

特設サイト

Words:Hajime Oishi
Edit:Takahiro Fujikawa