コロナ禍が落ち着いて、盛り上がりを取り戻し始めたクラブシーン。 最近はアナログレコードにこだわったスタイルもUSBを使ったデータDJも、それぞれが当たり前に共存して表現を追求している光景が面白い。 じゃあ、「スクラッチ」はどうだろう?

DJといえば、レコードを擦るあの仕草。 でも、カルチャーとしての「スクラッチ」そしてそれを駆使する「ターンテーブリスト」についてちゃんと理解している人は意外と少ない。

そんな「スクラッチ」カルチャーについてその基礎と歴史を学ぶべく、DJ KEN-ONEのもとを訪ねた。 クラブで活躍するバトルDJ/クラブDJであり、DJスクール講師としても活動するDJ KEN-ONE。 今回は、彼がライフワークにしている公園パフォーマンス「ポータブル・スクラッチ」にお邪魔して、話を聞いた。

クラブDJとターンテーブリストの違いとは?

DJと一口に言ってもクラブで音楽をかける「クラブDJ」と、スクラッチなどの技を駆使する「ターンテーブリスト」の2種類があるわけですが、DJ KEN-ONEさんの考える「ターンテーブリスト」の定義をお聞きしたいです。

ターンテーブリストというのは1997〜1998年ごろに生まれた言葉です。 一般的にはスクラッチの技術力や表現力を競う「バトルdj」を総称して使われていることが多いです。

「バトルDJ」は、クラブでプレイするDJと何が違うのでしょうか。

まず、クラブでオーディエンスを前にプレイするDJは、あくまでお客さんが主役です。 曲をミックスすることでお客さんが盛り上がる、という図式のもと成立しています。

それに対してバトルDJ、もといターンテーブリストは「ギタリスト」や「ベーシスト」のように、演奏家としての要素が強いです。 前後の曲をスムーズにミックスすることよりも、スクラッチなどの技を披露したり、同じレコードを複数枚使って新たな音楽表現を追求することに重きを置いています。

もちろんクラブDJとターンテーブリストを両立させている人も多いですが、クラブプレイが求められている現場でバトルのようにスクラッチを披露すると、踊りたいひとたちにとってはノイズになってしまう可能性があるので、TPOに応じたプレイが必要になると思います。

その一方で、個人的にはバトルに出場していなくても「ターンテーブリスト」は存在すると思っています。 スクラッチやレコードの2枚使いで新たな音楽の可能性を追求したりしている人に広く該当するものだと捉えています。

同様に、必ずしも「スクラッチをしていないから」「ヒップホップじゃないから」ターンテーブリストじゃない、という話でもないはずで、レコードの音に独自のエッセンスを加え、自らの表現として昇華しようとする人は皆ターンテーブリストだと思います。

そういう意味ではテクノDJであるJeff Mills(ジェフ・ミルズ)も、ミニマルテクノのパイオニアであると同時に、ターンテーブルを3台使ったプレイスタイルを開拓した革新的なターンテーブリストでもあると思っています。

DJ KEN-ONE
DJ KEN-ONE

ターンテーブリストとしてのパフォーマンスとクラブDJでは、選曲の仕方も変わりそうですね。

僕の場合、クラブDJとしてプレイするときは、お客さんの反応を見ながらノープランでDJするのが楽しいです。 ターンテーブリストとしてショーケースに臨む時は、あらかじめ曲順などを決めておく「仕込み」が命になりますね。

ただ、クラブDJの現場における個人的な理想としては、「ターンテーブリストとしてのDJ KEN-ONE」と「クラブDJとしてのDJ KEN-ONE」、両方の要素を魅せられるようになることです。 グルーヴを保ちながらその場のノリも重視しつつ、ショーケースのような瞬間も披露できたら良いな、とは常に思っています。

テレビのダンス番組から生まれた90年代のバトルDJシーン

DJ KEN-ONEさんは90年代から日本のバトルDJのシーンで活動されてきたわけですが、DJに興味を持ち始めたきっかけは何だったのでしょう。

テレビ番組の影響が大きかったですね。 中学生の時に『ダンス甲子園(※1)』や『CLUB DADA(※2)』『DANCE DANCE DANCE(※3)』といったダンス番組が放送されていたんです。 それを全部ビデオに録画して、どっぷりはまっていました。 特に『ダンス甲子園』は流行っていたので、同じくチェックしているクラスメイトは何人かいましたね。

テレビ番組をきっかけにまずはダンスを始めたのですが、それと同時に音楽へも興味を持ち始めました。 番組で使われている音楽は、テロップで曲名が紹介されるんですよ。 それを必死でメモして、輸入盤のレコードを買い求めるようになったんです。

そのうち同世代が番組にDJとして出演するようになり「僕も始めてみたいな」と思ったのが高校1年生のとき。 お金を貯めて、ターンテーブルを買いました。

※1 ダンス甲子園:日本テレビ系列のバラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」内の企画「高校生制服対抗ダンス甲子園」
※2 CLUB DADA:1989年6月からテレビ朝日系列にてスタートしたダンス番組「DADA L.M.D」の後続番組。
※3 DANCE DANCE DANCE :1990年10月からフジテレビの深夜枠で放送されていたダンス番組

テレビからの影響が大きかったんですね。 そういったマスなメディアから火がついたムーブメントだったというのは、少し意外な気がします。

90年代以降、スクラッチの技術が高度に発達して成熟したぶん、文化としてはややマニアックなものになっていた傾向はあると思います。 当時はスクラッチというものがもっとポップで、楽曲にも気軽に使われていた雰囲気があったと思います。 先ほど挙げたテレビ番組も、DJバトルのような構図ではありましたが、DJ同士がバチバチとやりあう殺伐とした雰囲気ではなく、結構エンタメ色が強くて。 敷居が低かったからこそ、興味を持てたのだと思います。

ミキサーをはじめとする機材の発達に伴って、徐々にスクラッチの技は増えていって、1995〜96年にはすでに難しい技も多く登場していました。

現在DJ KEN-ONEさんはターンテーブリストの技術を教える講師としても活動されていますが、ご自身がDJを始めた当時は技術的な指導をしていくれる人はいたのでしょうか。

基本的には独学ですが、憧れの先輩たちが身近にいて、さまざまなテクニックを直接レクチャーしてくれたり、彼らの技を見よう見まねで真似したりしていました。 DJバトルの大会に出場するようになってから、徐々に友達や先輩が増えて、みんなで集まって練習したりして、お互いに切磋琢磨し合いながら技を磨いていきました。

あと、レコードショップのインストアイベントで開催される「草バトル」の存在も大きかったです。 渋谷にあったサンフランシスコ発祥の「Zebra Records(ゼブラ・レコード)」というレコード屋には、ターンテーブルが4台置いてあって、技を磨くにはとても良い環境でしたね。 Zebra Recordsの草バトルで優勝すると、サンフランシスコの本店で開催されるDJバトルに出場できるんです。

DJ KEN-ONE

「スクラッチの音って、なんか気持ち良い」が原点

90年代に比べて、現在は費用面でも技術面でもDJを始めるハードルは下がっています。 DJをやってみたいと考えている人のなかでも、スクラッチに興味がある人はまず何から始めたら良いでしょうか?

まずは「自分がどんな曲をかけたいか」を考えることから始めてみてください。 そこは今も昔も変わらないスタート地点だと思います。 最初は誰かの真似で良いと思います。 そして最初はシンプルなスクラッチで良いので、リズムに合わせてレコードを擦るところから始めれば良いと思います。 僕はシンプルなスクラッチが一番かっこいいって思っているし、「スクラッチのあの音って、なんか気持ち良い」と感じることがこのカルチャーの原点だと思っているので。 テクニカルである必要はないんです。

最初に購入する機材も、僕が野外でパフォーマンスするときに使っているこのポータブルのターンテーブルで良いと思います。 僕の場合はiPhoneでビートとなるトラックを流しながら、ポータブルのターンテーブルでスクラッチをしています。 本当はターンテーブルが2台あった方が良いですが、これくらいシンプルでも十分に楽しめますよ。

そして、最初はできればアナログレコードから始めてほしいんです。 データ音源を使ったPCコントローラーは楽曲のBPMが簡単に測定できて、数字を合わせればスムーズに曲同士をミックスできます。 アナログレコードは耳でテンポを合わせなければいけないので、正直PCコントローラーよりも難しい。 でも、練習するうちにきれいに繋げられるようになります。 その感動と達成感をまず味わうことが、長く続ける上で大切だと思います。

DJ KEN-ONE
DJ KEN-ONE

シンプルなスクラッチからさらにステップアップしたくなったとき、どのように学べば良いのでしょうか。

僕の場合、DJを始めた時にMixテープが流行っていたので、国内外のスクラッチが上手いターンテーブリストのテープをたくさん聴いていました。

その当時は情報も限られていたので、スクラッチの音を聴いて「どういう擦り方をすればこの音に近づけるか」を手探りで研究していましたが……。 今はYouTubeにも上手い人の動画がたくさんあがっていますからね。 「どういう手元の動きをすれば、どんな音が鳴るか」という情報にたくさん触れることが、ヒントになると思います。

さらにステップアップがしたくなったら、今度は「自分のカラー」を追求すると楽しいです。 僕は2000年代に入ってから、勝ち負けの世界よりも「自分自身がスクラッチを極め、技を生かして曲を作る」ことに興味を持ち始めました。

2008年頃からはスクラッチをメインとしたイベントを主催するようにもなったのですが、その頃には独自の技術を磨き、ターンテーブリストとして実験的に音楽と向き合うパフォーマーがたくさんいて。 ループペダルを使ったり、スクラッチで音をどんどん重ねていったりと、スタイルも多様化していました。 イベントに毎年出てもらっていたDJ DUCT(※4)君もその一人。 ターンテーブル1台でどう魅せるかを追求していて、当時から刺激を受けています。

※4 DJ DUCT:サンプラーやエフェクターを駆使して1台のターンテーブルでプレイする独自のスタイルを確立した「ワン・ターンテーブリスト」

アートフォームとしてのターンテーブルの歴史

DJ KEN-ONEさんがターンテーブルの表現の可能性に関して刺激をうけたり、アーティスティックな路線へとシフトするきっかけとなった作品といえばどんなものがありますか?

D-STYLES(ディースタイル)が2002年にリリースした『Phantazmagorea』ですね。 レコード音源とスクラッチの多重録音だけで構成された、めちゃくちゃ手間のかかったアルバム。 聴いた瞬間に「僕が極めるべきはこれだ」と感じました。

D-STYLESはターンテーブリストの歴史に大きな影響を与えた人物の一人です。 D-STYLESがダウナーサイドだとすれば、Q-BERT(キューバート)はアッパーサイドとして対をなす存在かな。

そして彼らの周縁で活躍してきた人たちの功績があって、今のスクラッチカルチャーがあると思います。 Q-BERTとD-STYLESも在籍していたクルー・ISP(Invisible Skratch Piklz、インビジブル・スクラッチ・ピクルズ)のShortkut(ショートカット)も、のちの歴史に大きな影響をもたらしたので、ぜひチェックいただきたいです。

また、国内のバトルシーンにも同じく偉大な存在は多いです。 バトルDJとしてスクラッチ技術を底上げしたのは、DMC世界大会で日本人初優勝を飾ったDJ KENTARO君。 また、楽器のようなスクラッチで独自の世界観を編み出していき、日本のスクラッチカルチャーを次のフェーズへと上げていったのはDJ KRUSHさんだと思います。

KRUSHさんは9月にも共演予定なので、胸を借りるつもりで、僕自身がずっと見せたかったものを見せたいと思っています。 すごく楽しみにしています。

最後に、DJ KEN-ONEさんにとってのターンテーブル/スクラッチカルチャーの魅力について教えてもらえますか。

シーンを見ていると、技も開発され尽くしたように感じてしまいがちなんですが、練習を続けていると「こんな方法があるのか」と驚く瞬間はまだまだありますし、ビートがハマった瞬間は嬉しさは変わらないんです。 まだまだ「やりきった」という感覚はなくて、貪欲にいられる。 個人的には格闘技に近い充実感を得られるものだったりするのかなと思ったりします。

でも、実は活動のモチベーションが下がってDJの現場から距離をとっていた時期があったんです。 その時に心配した友人が見舞いがてらプレゼントしてくれたこのポータブルのターンテーブルで。 これを屋外に持ち出して擦っていたら、不思議と気持ちが楽になったんです。 そこから公園などで、ぼーっと景色を眺めながらスクラッチをするようになりました。 そこから少しずつメンタルを持ち直していくことができた。 スクラッチは実際にやらないと楽しさが伝わらないからこそ、気軽な趣味としてみんなにやってもらいたいと思っています。 なので、技術的なことだけではなく、人生を楽しくしてくれるものとしていかに長く付き合っていくか、ということも含めて伝えていけたらいいなと思っています。

DJ KEN-ONE

DJ KEN-ONE

DMC 2000日本 2位のターンテーブリスト/スクラッチミュージシャン。

90’s HIPHOPやDJ Battleシーン、L.AのBEATシーンから多大な影響を受ける。

2017年にL.AのBEAT JUNKIES、ISPのメンバーであるD-STYLESからScratch DJのトップ3の1人に選ばれ、アルバムに参加。

2018年5月にはBEAT JUNKIESがL.AでDJ / ScratchのLessonを行っているBEAT JUNKIES INSTITUTE OF SOUND (BJIOS)にて日本人初となるゲスト講師を担当した。現在は個人スクラッチレッスンも行っている。2019年にはU.SのレーベルBattle Aveからスクラッチ用レコード(Battle Breaks)”At The Ave 4”をリリースした。

Photos:Shunsuke Imai
Words:Nozomi Takagi
Edit:Kunihiro Miki