2021年2月13日、静岡県沼津市にある大中寺にて、DJ KRUSHがプレイをした。大中寺を中心としたカルチャー・フェスティバル「MUSO Culture Festival 2021」の一環として企画が実現したが、コロナ禍のため、残念ながら配信のみでの公開となった。禅寺の本堂に組まれたDJセットでDJ KRUSHが見せた1時間のプレイは、圧巻の一言だった。様々な音世界へと導いていく体験は特別なもので、間違いなくDJ KRUSHのキャリアに新たなトピックを加えた。インタビューは、その現場でプレイの直前に、寺の一角にある落ち着いた茶室で行われた。この1年ほどの特別な状況が与えた影響から、2020年にリリースされたアルバム『TRICKSTER』や日常のことまで、話は多岐に渡った。

突如絶たれた音楽のサイクル

―コロナが騒がれ始めた頃、ちょうどヨーロッパ・ツアーをされていたそうですね。

約1年ぐらい経つかなあ、去年の3月ぐらいからヨーロッパ・ツアーをやっていたんですけど、コロナに火がついて、「会場を開けられない」と言われ、日本に帰ってきたらコロナが広がって、その後一気に仕事がなくなって、ライブハウスで感染拡大するので、その流れで「クラブもまずいよね」という話にもなり、若い連中もみんな仕事がなくなってしまいましたね。

―普段であれば、制作をして、DJでツアーをするというサイクルがずっとあったと思いますが、DJの現場がなくなったときに、音楽に対する取り組み方は変わりましたか?

家に籠もって制作するというのは、コロナ以前からもやっていて、慣れていたんですけど、そういう細かいことを家でやっている反面、現場に出てDJをやって、お客さんと一緒の空気を吸って、スピーカーから大きな音楽を出してっていう機会もあった。それが一気になくなったので、すごいストレスが溜まりましたし、曲を作っていてもすぐ出てこない、ぐっと来る良いものが出てこない感じで。想像力もなかなか湧いてこないし、現場に行かないと大変なんだと思いましたね。

―KRUSHさんも共演したことがあるマーク・ド・クライヴ・ロウは、世界各国を毎日ツアーして回るような生活を強制的にストップさせられたことで、逆に身体や心に無理が掛かっていたことに気が付き、ポジティブに捉えるきっかけにしたいというようなことを言ってました。

ヨーロッパ・ツアーから帰ってきた去年の夏ぐらいまでは、マークみたいな考えに至らなくて、結構しんどくて、仕事もなくなるわけだから、いろんなことに困ったんです。でも、結局自分じゃどうにもできないし、今までそれが当たり前だったっていう事実があって、それがいざなくなると、表に出て普通に歩いていることでさえ奇蹟なんじゃないかっていうように、少しずつ転換していかないと進めなかったっていうのはあって、世界中の人がそうだと思うんですよ。なので、少しずつ前向きに進まなきゃいけないなって切り替えたのかなと思います。去年はストレスで10キロ近く痩せていたんですが、今はだいぶ前向きになりましたね。

―やはり、そういう時は曲作りは難しいですか?

やることがないので、(機材の)電源付けてやってみるんですけど、内から出てくるものっていうのがなくて、今までそういう経験したことがなかったですね。

―この状況になるまでは、朝から制作に向かう生活だったのでしょうか?

そうですね。若い時は昼夜逆でやっていたんですけど、ここ最近は歳ということもあったり、家族の生活リズムに合わせなきゃいけないこともあって、朝4時に起きてエアコンつけて、飯作って、というふうに規則正しい生活になりましたね。朝5時にドラムのパッド叩いてますからね(笑)。

変化を受け入れ、内なる音を吐き出すこと

―KRUSHさんがやっている音楽は、クラブでもフェスでも、大きな重低音が出るスピーカーで鳴らし、耳で聴くというよりは、身体で振動を受ける体験を与えるものだとも思いますが、それが出来なくなった時に、逆に今日みたいな、静かな場所でやる、その状況の変化をポジティブに考えられていますか?

自分も過去にこういうことを何度かやったことがあって、そのシチュエーションに置かれたときに自分はどういう選曲をして、どういうものを吐き出すのか、そういったことに興味があるので、場面が変わることは好きですね。なので、それは全然苦ではないです。

―それは、KRUSHさんがヒップホップの枠を抜けてもやり続けてこれたこと、そこで培われてきたことがあるからでしようか?

自分はそうやってきたつもりですし、やらないと海外で通用しないと思ってきましたね。ヒップホップはアメリカで生まれたと思っているし、それをまるっきり同じことをやっても通用しないし、勝てないだろうと思ったので、自分たちにしかできない雰囲気だったり、空気感だったり、間だったりというのを探し続けて、ずっとやってきたわけで、そこにはいろんな要素が必要ですよね、テクノだったり、今回の日本的な要素だったり、そこはもう貪欲に探して、自分を構築していくっていうところがあって、それを海外に出していくのが当たり前かなと思います。

―海外で得た反応が、今度は後押しにもなったのでしょうか?

それもありますし、自分自身の音に対する興味とか、欲だったりとか、自分はどこまでこの頭の中にあるものを音に変換して、世界観を国境を越えて伝えられるのかなとか考えるので、いろんな要素がありますね。

―例えば、いろんな選択肢がある中で、これはちょっとリスクがあるけど面白いなと思うことがあったときに、そちらを採るタイプでしょうか?

多分。だから家族が泣くっていう(笑)。でも、今までやってきたのは、それを目指しているわけではなくて、面白い方を選んでしまう貧乏性ですかね。この人と一緒にやったら名前が売れて、どうのこうのの為に音楽やってきたわけじゃないですから、純粋に面白いかどうかの方が大事ですね。でも、色気が付いた話が来たりはします。そこに自分が出せる可能性が少しでもあれば、自分は断らないって言い張ります。やってきたものがあるので。

場と音、音楽が作る新しい空間

―今日は禅寺でのプレイですが、今回の話が来た時はどう思いましたか?

時期が時期なだけに、こういう全然違うシチュエーションで、死に対する考え方もコロナを経験して変わったと思うし、生きることに対してもそうだし、その中で今回やるんですけど、普段やらないような感じをやってみたいなと思い、選択して、自分なりに考えてきたので楽しみですよ。

―海外では、音楽のヴェニューとは異なる変わった場所でやることはありましたか?

こういう感じとは違うけど、みんな着席状態ではやっていましたね。プラネタリウムみたいな。そのくらいですね、海外だと。日本スペシャルみたいなイべントに出たことはありますけど、会場が教会だったりということはなかったです。

―ミュージシャンだけではなく、KRUSHさんのようにDJやトラックメイカーも、今回のような場所で音楽で新たな空間を作る余地はまだまだあると思います。

すごい良いことだと思うんですね。ものが溢れすぎていると見失う。ほんとに今必要なものとかって自分で見逃しちゃっていることもあって、そういった意味でこういうところでやるっていうのは、自分も切り替えなきゃいけないなと思うし、ずっとこのまま進まないわけにもいかないので、きっかけは自分たちで考えなきゃいけないし、協力できるところは協力して知恵を出さなきゃいけないんですよね、そういう意味では今回すごい楽しみですね。

テクノロジーと創造性、独自の音世界を創るには

―今回はやむを得ず配信になってしまいますが、ネットを通じて拡げることに関して、KRUSHさんはどう思われていますか? 昔はDJがレコードのレーベル面を隠してプレイして、情報を教えないということもありましたが、いまは逆にシェアして当たり前みたいな時代になりました。

前向きに、それならそうということですね。制作もそうじゃないですか。コンピュータが発達しても、アナログはアナログ、コンピュータはコンピュータだし、今は便利になったので、どう使うかの問題であって、そこがちゃんとしていれば、自分たちがしっかりしてればいいんじゃないのかと思います。

―僕は昔KRUSHさんの音源を聴いて、僭越ながら、「レコードをきちんと聴き込んでサンプリングしているんだ」と感じたことがあります。そもそも、サンプリングは、オリジナルの音源やアーティストへのリスペクトとは別のところにあった文化だったと思いますが、KRUSHさんの音源にはオリジナルのレコードのストーリーや空気感を感じることもありました。

ちゃんと聴いていましたよ。昔のは、ほとんどサンプリングで作ってましたからね。サンプリングでネタを取って、それをループして、またレコードのピッチと合わせて、「この音すごい使える」と盛り上がったり、一段落したところのふっとしたところかなっていうのを考えながらとか、いろいろやってましたね。

―そのやり方を変えようと思ったのは?

(サンプリングの)許可を取るのがすごい大変ですし、(許諾料を)ものすごく高く言われたこともありましたし、なかなか許可が取れなくて、制作が間に合わないような状況もあったんで。やっぱり、最近は技術の進化があって、それがスイッチしたきっかけですかね。

―KRUSHさんのDJのプレイに関しては、PCになっても、ターンテーブルと『VESTAX』のDJミキサーPMC-20SLを使い続けていますね。

あれがないと、DJ KRUSHじゃないテイストしか出せない。あれだから、DJ KRUSHが成り立ってるんだって思います。

―デジタルを採り入れても、身体と直結したアナログなインターフェースは変えられないところですね。

ラップトップだけなら他にすごい人がいっぱいいますからね。僕はターンテーブルを見て始めた人間だから、こだわってるわけではないけど、それが一番、自分に合っているというか、馴染んでいる感じがあって、デジタルも使ってますけど、操作感はアナログなので。

―デジタルに移行して結構時間が経ったと思いますが、デジタルの良い面や進化した面は感じられますか?

作業的には、アナログだけだったときは、完全に人のレコードだけでセットを組んでいくっていうことだったのが、デジタルになって、『Serato』に変えて、自分で作った曲をすぐかけられる、エディットしたらすぐかけられるというのが大きかったですね。1時間のセットをもらったときに、どれだけ自分の世界観を出すのかというのが重要になっていて、それをすぐセットにして出せるということでは幅が広がったと思うんですよ。1時間のセットを自由に作れる。それがあったから、自分が広がったのかなと思います。ただ、アナログで育っていたので、最初の頃は音質はアナログの方が良いのかなと思ってましたね。

―機材も発達して、DJの技術的な敷居は低くなり、誰でもできる時代にもなりましたが、一方では、選曲だけでも違いを感じることがあります。

技術だけじゃなくて、選曲がすごく良いDJさんがいますね。やっぱり、何か一つ、その人の持ち味というか、世界観っていうのがあればいいなと思います。そういうスタイルを目指すのであれば。お客さんをすごいハッピーにして、お客さんを踊らせるのが天下一品みたいなDJもいれば、僕は選曲だけでもこだわりたいと思っていて、お客さん受けする曲を安易にかけないというか、都会のマンホールから、ちょっとだけ覗き見ているような(笑)、そういうスタンスが好きです。

―しかし、KRUSHさんがそういうスタンスでかける曲で、大きなフェスではみんな踊っていますよね。

(笑)。

DJ KRUSH IS BACK

―昨年リリースされた『TRICKSTER』(※1)について伺います。これは、ここ数年のKRUSHさんのアルバムの中でも、際立った作品だと感じました。僕の周りでも、評価する声が多かったです。自身でも手応えはありましたか?

毎月配信リリースで1年かけて出してたんですけど、終わったときに自分は半信半疑だったんですよね。いざ、パッケージにして出そうってなって、曲を並べたときに、すごい統一感があって、世界観がきっちりあったっていうことに気が付いた。月イチ出してた時は音像的にMixに自信が持てなかったのですが、新たに技術面も見直しをしたら、キュッと締まったものになって、自分の理想に近い音になってきたんですよ。

(※1)『TRICKSTER』

―毎月出していた際は、これをアルバムにしようという考えは?

なかったです。気持ち的にも、これ、みんな良い感じで聴いてくれるかな、と。

―1曲出す毎に迷いがあったのですか?

一所懸命やってるんですよ。でも1曲1曲聴いてたら、これどうかなと思ったんですよね。あのとき迷ってたのかな。でも、聴き返してみると、あれは迷ってる音じゃなかった。

―やはり、今までのアルバムの作り方とは違いましたか?

全然違いますね。

―最初からアルバムを作る前提で制作を始めなかったことが、逆に良かったのでしょうか?

しんどかったですけどね(笑)。毎月1曲なんだけど、毎月、今を詰めなきゃいけないから、結構きつい1年でしたね。その時は真剣にやってるんだけど、今更ちょちょいのちょいで出すわけにはいかないし、ちゃんと芯があってコンセプトのあるものを通してやりたいと思って、毎日悩んでました。でも、イメージはあって、ブレードランナー後の世界。壊れたテレビからチラチラ映像が流れていて、壊れたスピーカーから割れながら流れている音を作りたいと。3回目の未来みたいな感じで、そういうイメージで作ったんですけどね。

―若いプロデューサーは、どんどん新しい曲を出していきますね。ある意味、その作り方とスタイル的には似ているんですけど、“今を詰める”というその詰め方が違うように感じます。

みんなも一生懸命やってると思うんだけど、あのテイストのやつって、あまり今まで作ったことなかったから、『深層』(※2)は結構近いかもしれないけど。

(※2)『深層 “The Message at the Depth”』2002年リリースの7枚目のアルバム。米ビルボードのDance/Electronicアルバム・チャートで23位にランクイン

―『深層』のダークなところが凝縮された感じはありました。

僕の周りも「いいですよ」って言ってくれたので、驚いてるんです。そっちに出たか、良かった、という感じで。『深層』は、結構曰く付きでしたね、自分的には。

―KRUSHさんの作る音楽やDJの中には、ダブステップやベース・ミュージックに通じるヘビーな要素もありますが、『TRICKSTER』では昔のアブストラクトな要素が戻ってきたように感じました。

ちゃんと聴いてくれてますね。もちろん、DJセットの中で、ここ最近のダブステップ系とか、ベース系のやつをかけることがあったので、それで影響されているところがあったけど、今回『TRICKSTER』を作るときにそのまま影響受けてもだめだなと思ってた。今まで、自分が作り上げてきた道の中で吐き出してきたものがある。そこが、多分KRUSHだと思うので、それをプラスさせないと絶対だめだっていうのもあって、1年悩んだんです。

―1曲単位での試行錯誤を経たから、全てを並べたときに統一感があったのかもしれないですね。

最初は統一感出ないなと思ってたんですよね。後は、ちょっとした音量調整だったりとか、並びだったりとか、でも最終的に自分がいるっていうことが確認できたので、それは良かったと思いますね。聴いている人たちが、すごくてそれを感じてるんですよ。「KRUSHいるじゃん、出てきたじゃん」って。

―海外のレビューでも「KRUSHが戻ってきた」というのはありましたよ。

そしたら、次に緩いのできないね(笑)。

日常を取り戻す。そして、やり続ける

―リスニングの話を伺いたいんですが、普段家にいるとき、音楽はスピーカーで聴かれますか?

ヘッドホンはあまり使わないですね。耳が疲れちゃうから。仕事で散々使うのもありますし。音楽を聴くのは、自分の部屋では仕事耳で聴くけど、下(の階)で飯食ったり、酒飲んだりしてる時は、ディスコとか、10代の時に聴いていたファンクとか、安全地帯を聴いたり。「玉置浩二やっぱり日本一だなあ」と思って泣いたり、永ちゃん聴いて恥ずかしくなったりもするんですが(笑)。SONYのでっかいスピーカーで聴いてますよ。

―上と下の階での音楽環境の落差が凄いですね(笑)。

子どもたちがいたときは、もっと酷かったですけどね。僕の部屋で、朝からBPM70のおっそいベースがブンブン鳴っているのが流れてて、下では家内が朝から明るいのを聴いていたり、隣の娘の部屋からはリップスライムが流れていて、部屋を開けたらリップスライムのポスターに迎えられるみたいな(笑)。

―なかなかのカオスですね。その中で制作していたからこそ、ということもあるのかもしれないです。

逆にね。夜泣いてるんですから、邦楽聴いて(笑)。

―今、新しい制作はされてますか?

アルバムをそろそろ出さないと。『TRICKSTER』もあって、みんなも良い感じに受け入れてくれたので、あれを超さないとっていう気持ちでやりたい。またハードルが上がっちゃってますけど、今回お寺でやらせてもらえるっていうのは、僕にとっては良い機会になると思うので、もう1回塗り直して、いろいろ見直さなきゃいけないところいっぱい出てきたので、前向きに捉えてます。

―KRUSHさんの音楽は密室で作られているイメージがありますが、実は外の世界の、環境音や自然音が象徴的に使われていることもあります。そうした音への興味はもともとあったのでしょうか?

インストは特にそうで、自分の描いている世界観、空気感もそこに入れたいので、夏の終わりの蝉が鳴いていたりとか、それが情景に浮かんで音にしたいわけで、蝉の声を入れることによって情景が入るので必要ですね。曲によって必要だったら、自然の音も使いますし、もっとミニマルなものだったら必要ないとか、使い分けてます。でも、基本的には自然の音は好きですよ。

―単に微細な音に耳が向かうだけではなくて、記憶や感情に訴えるものとしてあるということですね。

夜の虫の声とかは雑音ではないですよね。その音が鳴ったときっていうのを覚えていて、蝉の声もそれが染み付いてるから、それを聴くとふっといろんなことを思い出して泣いてしまう。その音を聴いたときにあの時こうだったよね、と思い出してはっと泣けることもある。そのくらいの曲が作れたらいいなとも思ってます。

―このインタビュー・シリーズには、『超越』という共通のテーマがあります。超越という言葉から思い浮かぶことがあればお願いします。

僕は音楽は国境がないつもりで、飛び越え、超越して、自分の力を発揮してきたつもりですし、通じると思ってるんですよ。文化が違えども、同じ空間で音を出せば、分かってもらえる、感じてもらえる、見てもらえるっていうことを目指してきたので、これからもそうですね。パスポートなしでも行ける、みたいな感じですかね。これって超越っていうのかな(笑)。

―でも、海外の人がKRUSHさんを呼びたいと思い続けている理由は、そういうことですよね。

それが夢ですし、超越するためにまだまだ夢は追いかけてますし、コロナで海外に行けないけど、このまま時間が止まるわけではないから、前に進んで、超越しに向かうぞって、泣いてる場合じゃないぞと(笑)。

―毎年のように海外に呼ばれてDJをするという未来を想像していましたか?

海外で一泡ふかせてやろうという気持ちはあったけど、この歳になってここまでやってるとは思ってなかったし、最初に認められたのって、『Kemuri』(※3)だったんですけど、イギリスで初めてDJをやったときに、白人が数珠を下げて祈るように聴いていて、これは“ちょっと珍しいアジア人”とかイメージが付いちゃってるのかって思って不安だったんだけど、何年かやっているうちに自分のスタイルを発揮出来て、みんなが分かってもくれるようになり、広がって今に至った。本当にやり続けて良かったと思います。

(※3)『Kemuri」1994年にMo’WaxからリリースされたDJ SHADOWとのスプリットEP『Lost And Found (S.F.L.) / Kemuri』収録曲、2ndアルバム『Strictly Turntablized』にも収録。

Words:Masaaki Hara
Photos:Aya Tarumi