日本の音楽は一般に「邦楽」といいますが、そのスタイルや表現は実に多彩。シティポップやJ-POP、演歌、アイドルソングなど、時代や文化の影響を受けながら発展してきたジャンルが数多く存在します。邦楽の主要ジャンルの音楽的特徴や背景、そして代表曲について、オーディオ評論家の小原由夫さんに解説していただきました。(今回は一般に「邦楽」と呼称される日本の音楽を採り上げております。ただし、雅楽や民謡などの日本の伝統的な古典音楽、いわゆる「純邦楽」については省かせていただいております。)

目次
歌謡曲
演歌
フォーク
ニューミュージック
シティポップ
アイドルソング

歌謡曲

一般に大正末から昭和の終わり頃までの流行歌、およびそれに準じた大衆歌謡、商業歌を指す。太平洋戦争前は唱歌や軍歌、戦後は米国のポップカルチャーの影響も垣間見える。テレビやラジオを通じて広く日本全国に流れ、日本独自の風土や四季、生活様式、さらに伝統的な音感が反映された詞やメロディーが特徴だ。グループサウンズ(エレキギターを中心に数人で編成されたポップスグループ)もここから派生したものと捉えてよく、西洋音楽の影響を受けながら、後のフォークやニューミュージック、J-POPへと枝分かれしていく流れも生まれた。

代表曲として挙げたい曲はたいへん数多いが、老若男女に当時愛され、歌われたという点から、ピンキーとキラーズの「恋の季節」をピックアップした。彼らのデビューシングルとして1968年7月20日にリリースされ、同年1月にスタートしたばかりのオリコンチャートにおいて、初のダブルミリオンシングル(売上げ200万枚以上)として記録されている。

演歌

演歌は元々は「演説歌」という意味で、それが略されて「演歌」となった。当初は明治時代の自由民権運動の取締りに対抗するべく、活動家たちが街頭での主義・主張のアピールを歌に乗せて広めたのがルーツとされる。これが「演説歌」と呼ばれ、略して「演歌」となった。しかし時代の移ろいと共に政治色は薄まり、悲恋や人情が歌われるようになった。これらが民謡や浪曲の要素を取り入れたことで、「艶歌」や「怨歌」という漢字が当てられた時期もあったようだが、1970年代には現在の「演歌」に落ち着いたといわれる。

歌謡曲の一種として見られがちだが、演歌は民謡や詩吟といった日本の伝統音楽の影響が色濃く、感情的・情緒的な歌詞と、こぶしを効かせた歌唱に特徴があり、区別されている。また、演歌の中には、サブジャンル的に主に「人生演歌」「情歌・恋歌」「旅情演歌」「股旅演歌」の4つがあるとされる。

代表曲には、八代亜紀の「雨の慕情」を挙げる。1980年4月25日に発表された八代の30枚目のシングルで、前向きな女心を歌にした歌詞と、手のひらを上に向ける振り付けが当時たいへん話題となった。

フォーク

1960年前後から広まった音楽スタイルで、当初は社会問題や反戦思想などを歌った米国のフォークソングをコピーする形で始まったが、後に社会的なメッセージを込めた日本独自のオリジナルなスタイルを岡林信康や高田渡が作り始めたとされる。その後に吉田拓郎、井上陽水、中島みゆき、かぐや姫などのシンガー・ソング・ライターが次々に登場し、青春や恋愛、さらには行き場のない怒りや絶望といった個人的な感情を歌った曲が広く支持され、日本の音楽シーン、さらには歌謡曲や演歌にも影響を与え、後のニューミュージックへと発展していく礎となった。

日本にフォークが勃興したばかりの頃の演奏スタイルは、アコースティックギター1本での弾き語りが多く、伴奏楽器を伴った演奏であってもシンプルな編成が大半であった。そうした中で井上陽水が1973年12月1日に発売したアルバム『氷の世界』は、当時のフォーク歌手としては珍しく英ロンドンでレコーディングを実施し、現地ミュージシャンやスタッフを使って録音が行なわれた。同アルバムは日本初のミリオンセラーLPとして記録されている。代表曲もその中から「心もよう」を採り上げるとしよう。

ニューミュージック

フォークソングから派生したとされる新しい音楽スタイルで、1970年代始めから80年代末にかけてが黄金期とされる音楽のひとつ。フォークソングのような政治的・社会的なメッセージはほぼ皆無で、個人の内面的な感情や恋愛、思想のほか、都会的な生活など、よりパーソナライズされた内容の歌詞が多い。また、フォークソングの主流であったアコースティック楽器中心の編成とは異なり、ニューミュージックはロックやポップス、AORといった洋楽の要素が積極的に採り入れられ、より洗練されつつも大がかりなアレンジが主流となった。そのため編曲家やスタジオミュージシャンが制作に深く関わっているのが特徴といえる。

ニューミュージックの象徴的な存在として、荒井由実(松任谷由実)は必ずその一人に挙げられる。シングル曲「翳りゆく部屋」は、荒井由実名義の最後のシングルカットで、ギター:大村憲司、ベース:細野晴臣、ドラムス:村上秀一、コーラス:ハイファイセット、山下達郎、吉田美奈子といった錚々たるスタジオミュージシャン、シンガーが参画した。

シティポップ

ニューミュージックから派生した音楽スタイルで、ロックやポップスに加え、ジャズやフュージョン、AOR、ディスコ、ファンクといった洋楽の様式を積極的に採り入れた音楽のこと。1970年代後半から1990年代始め頃までが全盛期とされる。ニューミュージックが内省的かつ個人的な内容だったものから、より外向きで能動的、享楽的な傾向が色濃い。

その名称の由来にもなっている都会的なサウンドに、シンセサイザーや打ち込みリズム、ブラスアンサンブルなどが織り込まれたことで、聴き心地のよさとノリのいいグルーヴ感が特徴となっている。歌詞の内容は明るくて陽気な傾向が強く、恋愛や日常生活に、都会の風景やリゾート感覚などを刷り込ませている。また、シングル曲だけでなく、アルバム全体を通しての世界観やコンセプトを明確にしているケースが多い。

シティポップは特に近年(2010年代以降)、海外の耳の肥えた音楽ファンやDJに支持され、世界的に認知・人気が広がりつつある。アルバムジャケットのアートワークのみならず、その洗練されたサウンドが欧米のポップスとは異なる印象を与え、来日して大量にレコード漁りをするインバウンド需要が急増している。

そうしたシティポップ再評価のきっかけとなったのが、松原みき「真夜中のドア〜Stay with Me」だ。インドネシアのYouTuber、レイニッチ(Rainych)のカバー動画が引き金となって世界中から注目され、多くのクリエイターやフォロワーが生まれた。松原みき本人は若くして病気で他界しているが、この世界的な広がりを天上からどう思って見ているのだろうか。

アイドルソング

アイドルが歌う楽曲の総称で、特定の音楽ジャンルを指すわけではないが、日本の音楽スタイルの重要な柱のひとつといってよい。音楽スタイルは多岐に渡り、ソロやグループなど、時代や流行による変化とも無縁でない。

この音楽スタイルの特徴として、ライブでの掛け声(コール)や振り付け、合いの手といった挙動による “歌手とファンとの一体感” がある。また、時代ごとに流行の音楽スタイルが採り入れられ、歌謡曲やポップス、近年ではEDMやアニソンといった音楽ジャンルとの融合も見受けられる。さらに80年代は作詞・作曲の作家陣のサポート、90年代は小室哲哉プロデュースによる「小室ファミリー」、近年はプロデューサー(秋元康やつんく♂など)といった希代のクリエイターとの関係性も強い。

そうした中で、アイドルソングの代表曲として、AKB48「恋するフォーチュンクッキー」を挙げよう。仲間と一緒になって歌って踊れる元祖「会いに行けるアイドル」といえる、ファンとの一体感を大事にしたグループの大ヒット曲である。

Words:Yoshio Obara

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