音楽グループ・□□□(クチロロ)の活動や、アニメコンテンツ、演劇、CMなど多彩な楽曲提供で知られる三浦康嗣が、新たなスタジオを設立した。 しかも、ただのスタジオではない。 ソニーの「360 Reality Audio」や「Dolby Atmos(ドルビーアトモス)」などの「立体音響」に対応したスタジオだ。 三浦自身、立体音響が可能にする表現の自由度に衝撃を受け、また(Appleが推進する空間オーディオも含めて)立体音響に対応した聴取環境が普及していく可能性を見据えての選択だという。
スタジオ設立に際してはクラウドファンディングも行っていたから、動向をご存知の方も少なくないかもしれない。 クラウドファンディングを開始した時点ではどこにスタジオをつくるかは未定だったが、紆余曲折を経て兵庫県神戸市の塩屋を選んだ。 もともと外国人居住地として開発され、イベント会場や音楽ベニューとしても知られる旧グッゲンハイム邸などの洋館がいまも残る場所だ。 スタジオの設立とあわせて、三浦は生活の拠点も塩屋に移した。
なぜこのタイミングで、塩屋に? 幅広い界隈から厚い信頼を集めるクリエイターだけに、移住という選択の背景が気になるところだ。 移住から数ヶ月が経ち、施工していたスタジオもひととおりセッティングが済んだというタイミングで、三浦に話を聞いてみた。
仕切りのないオープンな空間のスタジオに
立体音響用の機材がセッティングできた、という報告を少し前にSNSで拝見しましたが、スタジオの完成度はいまどのくらいですか?
7割くらいかな。 普通のスタジオでもルームチューニングってかなり大変じゃないですか。 普通の、というのはつまり、ステレオ用のスタジオですね。 スピーカー2台でも大変ですけど、このスタジオは13.2チャンネル、つまりスピーカーが13個とサブウーファーが2台ある。 とりあえず音が鳴るようになった、という感じです。 ステレオのチューニングもまだ途中なんです。
2024年の4月に塩屋に引っ越してきたんですけど、通常のステレオ仕様で受けている仕事もやりながら、コーナンとかで木材を買ってカットもしてもらって、吸音パネルを作ったり、スタジオ自体が広いので響きを抑えたり。 定在波*対策が大変です。 東京で使っていたSALogicのパネルを持ってきてここでも使っているんですけど、6畳だった東京の作業部屋と比べてここは24畳くらいなので、必要なチューニング材の量からして違うんです。
天井の鉄のリングは施工の段階でつけたんですけど、そこにスピーカーを吊るにはどうしよう?って、施工してくれた電気屋さんと相談したりして。 スピーカーはKEFのLS50 Metaで、裏にネジ穴が4つあいていたので、電気屋さんの知り合いの金具屋さんに設置用の金具を特注で作ってもらいました。 それでようやくリングにスピーカーが設置できた。 とりあえず鳴る、そんな状態です。
*定在波:スピーカーから出た音が壁や床、天井の間を反射して干渉し合い、特定の周波数で音圧が強くなったり弱くなったりする現象
現状を見た感じ、ブースなどの仕切りはなく、コンピューターとスピーカーが中心のスタジオですね。 レコーディングに使うというよりは、DAWでの制作やミックスなどが中心の制作スタジオという印象です。
録音もやりますよ。 一緒に仕事をしていたエンジニアの益子樹さんが、ブースを作らない人なんですよね。 歌録りも含めて。 さらにその師匠にあたる北村秀治さんというマスタリング・エンジニアも、ブースを作らない方で。 セパレートして同時録音しなくちゃいけない場合は別として、たとえば歌だったら、できるだけ周りの人が音を立てないようにして録音をする。 そんなノリだったんですね。 トークバックやカメラ越しの会話って、距離がある感じがしてあまり好きじゃないんです。 そのためにスペースを個別に仕切るのももったいないし。
自分はミックスエンジニアではないので、ここは立体音響の実験場であり制作スタジオという感じです。 マルチチャンネルの立体音響のための設備がある程度整った場所を持っている人は、特にエンジニアではないトラックメーカーや作曲家ではまだ少ないと思うんです。 そういうまだ黎明期にあるような場所を作るって、おもしろそうじゃないですか。
立体音響に着目した理由
そもそも、立体音響に興味をもったきっかけについて教えて下さい。
もう3年くらい前のことなんですけど、乃木坂にあるソニーのスタジオで、360 Reality Audioの体験をさせてもらったことがあって。 イヤホンみたいなマイクを耳に仕込んで、ひとりひとりの耳の形状を測定してキャリブレーションした状態で立体音響を体験すると、ヘッドフォンとは思えないようなリアリティで聴こえるんです。 ヘッドフォンの外から聴こえているのかと思って、外しちゃいましたから。 何人か連れて行ったエンジニアさんにもそういう人がいました。 「これ外から音出てますよ」って。 それぐらい、狐につままれたというか、幻術みたいで。 これはすごく面白いなと思って。 それから、イヤホンズに提供した「記憶」や「あたしのなかのものがたり」あたりの曲たちをまず立体音響で作らせてもらうことにしました。 特に、「記憶」はステレオでつくっている段階でキャンバスが足りないと思っていたんです。
こういう専用のスタジオがなければ本物の立体音響が楽しめないんだったら全然おもしろくないんですけど、その技術がエンドユーザーまで浸透すればリスニングのあり方が大きく変わると思います。 特に日本は自宅で大きな音を出せない分、そういう未来が来るはず。 正直なところ、それを達成するのがソニーの360だろうが、Appleが採用している空間オーディオのDolby Atmosだろうが、どっちでもいいんです。 いまは360用のセッティングをしていますけどね。 遅かれ早かれ立体音響の時代が来るんだったら、こんなに面白いことはないって思ったんです。
スタジオ立ち上げを目指してクラウドファンディングをはじめた段階では、まだどこにスタジオを建てるかも決まっていなかったと思います。 最終的に神戸を選んだ経緯は?
安くて面白い物件があったのが決め手ですね。 奥さんが大阪の人っていうのもあって、なんとなく西の方に移住したいと思っていて、スタジオを作ると決める前から瀬戸内海のあたりで物件を探していたんです。
物件を見つけた経緯は、塩屋にある旧グッゲンハイム邸を運営している森本アリさんとたまたま広島で知り合ったんです。 アリさんがもともと□□□が好きだったということもあって仲良くなり、アリさんに誘われて塩屋に遊びに行くようになって。 良い物件が見つからなくて困っていたときに、アリさんがこの物件を紹介してくれました。 まさかの2棟セット売りで、60平米くらいの平屋と、100平米くらいの2階建て。 フリーの音楽家という信用がない職業でも買えるくらいの値段だったんです。 リフォームも含めて、それぞれ1,000万円以上ずつはかかっているんですけど、3,000万円いかずにスタジオと家ができるっていうのは、なかなか夢のある話ですよね。
東京を離れた理由
生活の環境がガラっと変わって、苦労したことはありましたか?
引っ越す前から割ともう知ってる人たちがいたので、ぜんぜん違和感なくスライドしましたね。 塩屋には何度か遊びに来ていて、旧グッゲンハイム邸の裏の「長屋」と呼ばれているシェアハウスに滞在していたんです。 銀行や不動産の手続きでちょくちょくこっちに来る必要もあったので。 信用金庫って直接行って手続きしないと駄目だから。 むしろ、移住して良かったことしかないです。 空気は綺麗だし、人も少ないし。 食材もやっぱり安いですね。 それが僕のなかでプライオリティが一番高いので。
すでにかなり神戸での生活に順応しているみたいですね。 三浦さんは東京出身で、東京拠点で音楽活動も行ってきた、いかにも東京の人というイメージがあったので、少し意外です。
もともとコロナ禍前から、「東京に飽きたな」と思っていたんです。 東京にいる意味がよくわからなくなっていた。 家賃は高いし、人も多いし、それなのにまだ東京に集中しようとしているし。 結構前から、たとえばSNSとかでも、こんなにたくさんの人が言葉を投げているのに、さらにゴミを増やしてもしょうがないと思って、ツイートできなくなるところがあって。 そういう感じで、なんでまだ東京にいるのかわからなくなったんです。 そこにきてさらに東京オリンピックの開催が決まって、もうここにいたくないなって。 その頃は海外に行こうと思っていたんですけど。 どうしようかなとうだうだしているうちにコロナ禍になっちゃって。 海外を自由に行き来できる感じではなくなってしまったんですよね。
自分がいる場所への適応力やその場を楽しむ能力も大事ですけど、社会とか政治について「その状況でも楽しめ」っていうのも腹が立つ話だと思うんです。 おかしいことはおかしいという怒りは必要だから。 村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終わり」側にいるような後ろめたさもありますよ。 都合の良いところだけ選んで、自分の周りだけ充実しているっていうのも。
それだけに、「自分にできることはなんだろう」って考えてもいます。 「日本、というか世界で一番おもしろいことをここでやろう」という気持ちと、「ここが地元の人のカラオケ大会にも使われるような場所になってほしい」みたいな気持ちが同時にある。 塩屋は風通しの良さといままでに積み重ねてきた流れがある場所だと思うので、この町にちょっとでも馴染みつつ、おもしろいことができたらいいなと思っています。
□□□や三浦さんの作品って、東京という都市……東京に限らず人が密集して暮らしてざわめいている風景みたいなものを感じることが結構あったんです。 でも、お話を聞いていると、住む場所が変わっても根っこのところは意外と変わらなさそうだなと思いました。
変わらない気がしますね。 あんまり人見知りしないというか、割とすぐいろんな人と仲良くなったりする一方で、他人は他人と割り切っているところもあって、そういう距離感は東京的かもしれない。 でも、そんな感じでこっちの人とも付き合えているし、自分と同じような人も結構多いんです。
人口が少ない、本当に山しかないようなところに住んでいたらまた違うかもしれない。 それもそれで悪くなさそうだと思います。 ずっとスタジオにこもって制作してご飯を食べて……っていうのも昔は絶対無理でしたけど、もう10年も経てばもっとそういう感じがいいと思えるようになるかもしれない。
なにかそう思えるきっかけがあったんでしょうか?
体力の衰えじゃないですかね(笑)。 元気だったらまた違うかもしれない。 あと、ファンタジーが減っていく。 曲を作りはじめた頃って、作る曲はどれも自分にとって新しい。 でも、100曲、200曲と作っていくと、「これは前に作ったあれの延長だよな」って思っちゃうじゃないですか。 それでも作り続ける意味とか、達成感をひねり出していくんですけど、作ることに対するファンタジーは減っていくわけです。 ファンタジーがなくなったら、作り続けることはできないんじゃないかと思うんです。
神戸への移住も立体音響へのチャレンジも、そうした問題意識から来ているのでしょうか。
それはあると思います。 立体音響ってまだ過渡期なのでルールがないんです。 ステレオだったらある程度セオリーが決まってきちゃっているじゃないですか。 と同時に、もともとステレオは自分の頭の中のイメージに対して物足りないなとも思っていたので。 未知の領域に飛び込むのが半分、自分の表現したいことにフォーマットが追いついてきたというのが半分ですね。
あとは、逆に立体音響で録音された作品をステレオ環境で再生した場合の、ある帯域の音が欠けてしまっているようなサウンドに可能性を感じるところもあるんですよ。 歴史的に見ても、新しいレコーディング技術が出てきた時には、そういうエラーみたいなことから生まれる変なサウンドが面白さを持っていたりするので。
モノラルからステレオへの移行期にも、やっぱりいろいろあったわけじゃないですか。 フィル・スペクター(Phil Spector)の「Back To Mono」とか、モノラルで十分だという人もいた。 今でも、ほとんどの人はステレオで十分だって言っていますし。 でも、そうやって歴史は動いてきたわけで。 立体音響の側に立ってみるのもいいかな、みたいに思いますね。
三浦康嗣
音楽家。 □□□主宰。 スカイツリー合唱団長。
誰に頼まれた訳でもなく音楽をつくりはじめる。 やがて人につくってと頼まれるようになる。
□□□のほぼ全ての楽曲の作詞・作曲・編曲・演奏・歌唱・トラックメイクほか。
ライブアクト・DJ。 アーティスト・インスタレーション・映像・Webサイト・舞台公演・ラジオ等の、音楽監修・プロデュース・演出・楽曲制作・演奏・歌唱・ナレーション・ミックス・リミックスほか。 ラジオパーソナリティー・ワークショップ講師・選曲・雑誌連載・トーク・翻訳・料理等、いつしか頼まれごとは多岐に渡るように。
Words:imdkm
Edit:Kunihiro Miki