雪山や氷河の氷床に突如出現する裂け目「クレバス」。深さは10メートル前後、あるいは数十メートルになることもあり、壁はほぼ垂直であるため、落下すれば引っかかることもなく真っ直ぐと下へ。探検家の手記や山岳小説、実際のニュースの「クレバス転落」は命に関わる危険度だ。
「落ちたらどうしよう?」と思うクレバスを前に、ある作曲家が思ったのは「なかに入ったら、どんな音が聞こえるだろう?」だった。

生で聞くことはほぼ不可能? “クレバス・サウンド”

『Another Crevassing Day(今日はふたたび、“クレバシング・デー”)』という、なんとも愉快なタイトルのブログ記事を見つけた。記事の作者で米国サンフランシスコを拠点にする作曲家/パフォーマー/野外録音技師、Cheryl E. Leonardは、その数日前にもクレバスに入ったばかりだった。その記事では「クレバスのなかで聞こえてくる、氷や水の音を録音した一部始終」が書かれている。

作曲家/パフォーマー/野外録音技師のCheryl E. Leonard(シェリル・E・レナード)。
作曲家/パフォーマー/野外録音技師のCheryl E. Leonard(シェリル・E・レナード)。

Cherylの音楽プロジェクトはいつでも、自然から派生している。石や木、水、氷、砂、貝、羽など自然界にある物体を使っての楽器作りや楽曲作り、パフォーマンスをおこなってきた。登山家としての訓練も受けているため、地元カリフォルニア州や欧州、極地などの山や氷河などに自ら赴いてマイクロフォンをかざしてきた。

それにしても、“底なしの魔の穴”クレバスにも入ろうとする探検家精神には脱帽だ。クレバスのなかは未知の世界で、誤って“入ってしまった”わけではない限り、自ら入りたいとはあまり思わないはず。ちなみに、クレバスの中がどのようになっているのかは、偶然にもGoProをつけたままクレバスに落ちてしまった(そして救出された)スキーヤーの動画に臨場感たっぷりにそのまま映されているので、参考に。

これまで南極のパーマー基地や、カリフォルニアにある先住民シャスタ族の聖なる山・マウントシャスタのホイットニー氷河、アラスカなどのクレバスの音を録音し、自身の作品に取り込んできたCherylに聞いてみよう。一生かけても“生”で聞く機会がないであろうクレバス・サウンドの危うい美しさとはいかなるもの?

「クレバスの音を録音しよう」というのは、非常に大胆な思いつきです。思いつきは、いつ、どこで?

初めてクレバスの音に興味をもったのは、1990年代後半のことでした。サウンドエンジニアで作曲家の友だちと、アラスカにバックパックで旅をしていたんです。60マイルも続く未舗装の道の果てにあるマッカーシーという小さな町の近くに、ルート・グレイシャーという氷河がありました。登山スキルがあったので、自分たちで散策してみることにしたんです。

ワクワクする始まり。

お世辞にも質がいいとはいえないマイクとポータブルのDATレコーダー* を片手に、二人で歩き回っては氷床の所々にあるクレバスを見つけ、そのなかにマイクを落として録音していたんです。溶けた氷が水となってチョロチョロ流れている音など、クレバスごとに異なる音が録れました。

*音声をA/D変換してデジタルで記録、D/A変換して再生するテープレコーダー。

クレバスに接近して、危ないと思わなかったんですか。

クレバスは危険にもなり得ます。誤って落下してしまって、怪我をしたり閉じこめられたりしたら、死んでしまう。でも、これらの事故のほとんどは、氷河が雪で覆われていてクレバスの存在が見えない時に起こります。雪が溶けていて裸氷(氷床や棚氷の上に積雪も砂も砂利もない状態)の時には、どこを歩いたら安全かが見てわかります。

雪の山々

大丈夫だと思っていても、いきなり氷が割れて落ちてしまうこともあるのでは?

どこにいるのかによります。氷河には、セラック(氷塔)というクレバスによって囲まれた大きな氷のタワーがあるのですが、これが突然崩れることがあるんです。いつ崩れるのかがわからないし、予期できない。こういう場所は危険なので、絶対に遊び場にはしてはいけません。

2008、2009年には、南極に赴き、実際にクレバスのなかに入ってクレバスの音を録音することに成功しました。この時、上からマイクを落とすのではなく、自らが入っちゃった。なぜですか。

クレバスは美しいと思うから。危険なことは重々承知です。クレバスは様々な濃さの青色や、氷の厚みで象られた氷の彫刻みたいです。中に入ってどんな世界なのかを、自分の目で見てみたいというアーティストとしての好奇心もありました。そして、マイクの拾った音ではなく、実際に中に入って自分の耳で直接音を聞くことはまったく違う体験になる。マイクの質がどれだけ良くても、音にはフィルターがかかってしまう。それに録音する時のマイクの向きによっても音は変わりますから。

南極のクレバスを見た時の感想を教えてください。

驚きました。夏の時期に行ったので、氷がすぐ溶けてしまう。溶けた氷が水になって雨のように降ってくるんです。カリフォルニアやアラスカのクレバスの中は冷涼で静かだったのですが、南極のクレバスの中では素晴らしい水の音が聞こえた。でも、録音用のマイクロフォンが濡れちゃったんですよ。

録音ができなくなってしまう。

作動しなくなって冷や汗ものでしたよ。乾いたら、無事動くようになりました。南極では、機材が壊れたからといって、新しいものをすぐに注文できないですからね。

クレバスに入るには、ハーネスなどの安全装具も必須ですが、録音となったらレコーダーやマイクロフォンなどの機材も持ち物リストへ。

映画の効果音の録音に多用されるタイプのフィールドレコーダーに、オープンエアでレコーディングができるマイクロフォン、ハイドロフォン(水中マイク)を持っていきます。

クレバスでの録音
クレバス
ケーブル状の装置が、ハイドロフォン(水中マイク)。

重そうですね。

う〜ん、そこまでじゃないですよ。4.5キロくらい。

“クレバシング”をしているときに、一番アドレナリンを感じる瞬間は?

クレバスに入る時。ロープに吊るされて降下している時にまさか「ロープが切れる」とまでは思わないですけど、「本当に大丈夫かな」って。一度入ってしまえば、目の前に広がる世界に「すごい!」とすぐに気持ちは切り替わります。

まさかクレバスの底までは行かないですよね?

途中で止まります。ロープに吊るされて、マイクロフォン片手に宙ぶらりんになっている状態です。

体力勝負。

それよりも、ちゃんと順序立てて行動することが重要になります。誤って機材をクレバスの底に落としたら悲惨です。だから「この機材を取り出すためには、まずマイクロフォンを出して、そしてアイススクリュー(アイスクライミングで氷壁にねじ込んで用いられる道具)を取り出して、そこに引っ掛けて」と、計画をしないといけません。

クレバスに入ると、まずどんな音が聞こえてきますか。

通常、水が落ちる音や流れる音が聞こえます。風が強い日も多いので、クレバスの入り口から風の音も聞こえたり。あと、自分が動いている音がすごくよく聞こえます。アイゼン*で氷を蹴った時、ピッケル**を氷に刺した時、うっかり氷や雪の塊を落とした時に、弾みながら落ちていく音など。エコーが聞こえてきて「一体どれくらい深いのだろう」と驚いたり。

*氷や氷化した雪の上を歩く際に滑り止めとして靴底に装着する、金属製の爪が付いた登山用具。
**積雪期の登山に使うつるはしのような形の道具。

ホイットニー氷河のクレバス、流水音

クレバスの内部

ヒヤッ。実際、どれくらいの深さまで降下するのですか。

そこまで深くないです。6、8メートルくらいかな。クレバスの中は幅が狭く、1メートルくらいしかないです。

クレバスの深度によって聞こえてくる音も異なる?

クレバス内でどんな現象が起こっているかによりますね。上の方は暖かいので、氷が溶けて水が落下する音がよく聞こえる。本当に、いろいろな音が聞こえますよ。水が流れる音、反響する音…。ハイドロフォンを氷の隙間に入れ込むと、氷のなかの圧力が変わったり、氷が溶けることによって空気が抜けていったりします。これらの現象が起こっている際に、1980年代のビデオゲームの効果音みたいな音がするんです。MoogやSerge、ARPのようなアナログシンセサイザーみたいにも聞こえます。ピピピピピ、ヴゥゥーンって(笑)。こういう音が好きです。

クレバスのなかでまさかの電子音楽。

でも、いつこういう音が聞けるかわからない。とにかく氷の中にマイクロフォンを入れて、聞いてみるしかないんです。面白い音が聞けるときもあれば、聞けないときもある。

おもしろい音を録れるまでひたすら待つ?

故意に音を出すこともありますよ。地上にいるチームメンバーに、わざと雪を落としてもらったり。だから、録音したクレバス・サウンドは、ナチュラルでもあり、マンメイドでもある。たとえば、つららがあったらマレット(木琴や鉄琴の演奏に用いられるヘッドの付いた木槌)で「ティンティンティン」って叩いてみても面白い。それぞれのつららは、異なるピッチがあるので、つららメロディーが演奏できます。強く叩くと壊れてしまうので要注意。

つららを叩いた音:

予期せぬクレバス・サウンドが聞けたことは?

つららが壊れて落っこちて、他のつららにぶつかったことがありました。先ほども言ったように、それぞれのつららのピッチは違うので、まるでガラスがぶつかり合うような、あるいは、酔っ払いがでたらめに叩いた木琴のようなカオスな音がしました(笑)

つららがぶつかり合う音:

つららなどは地上でも聞けますが、クレバスという地上から切り離された空間だけでしか楽しめない氷の音というのは?

反響音ですね。いる場所によっても、聞こえてくる反響音が変わってくるんです。例えば、小さくて狭い箇所だと高音で聞こえますが、大きい箇所だと低音で聞こえます。空間が、耳に入ってくる周波数をフィルタリングしているんです。

クレバスのつらら

空間と音というところだと、クレバスではないですが、氷河に存在するムーラン(解け出した水が氷に浸透し、氷と岩盤が接するところまで達したときに形成される穴)もおもしろい。水量にもよりますが、ムーランの大小によって、水の音が低音のベースサウンド、はたまた、バスタブの蛇口をひねって出たようなチョロチョロ音にも聞こえます。

クレバスの中は寒いんですか?

天候によりますね。南極のときは夏だったので、凍りつく極寒ではなかった。でもクレバス内にずっとにいると寒くなってきます。氷水で服や体が濡れたり、風が吹きこんできたりしたら、寒さもいよいよです。

それでもまだまだクレバスを探索したい?

「この音すごい」「違うマイクロフォンで録ったらどんな音がするんだろう」「空気を通して録ろうか、それとも水中マイクで直接氷を録ろうか」「まだ聞いたことがない音を録れるのではないか」などなど考えてしまい、どんどん深みにはまっていく。いくらでもクレバスの中にいたいですが、私の安全のために地上で待機している人たちもいるので、時間は有限です。それに、あまり動かないため体温も上がらないので、特に濡れている時には寒さが増して体の限界もあります。これ以上長くいると低体温症になってしまう、という安全面での限界もあるので。

南極のクレバスには何時間いましたか。

1時間…2時間…? 覚えていません(笑)。夢中だったので。

時を超える空間。

寒いなと思うまで、そして地上で待機している人たちの「あと、どれくらいいるの?」という声を聞くまで、すっかり時間の感覚を失っていました。

ふと我にかえって、怖さを感じることはないんですか?

「自分ってちっぽけな存在だな」と感じることはあります。謙虚な気持ちにもなるし、自分の脆さも感じます。あ、でも登山中に、クレバスに気づかず、溝に脚の部分がすっぽり挟まったことはあります。怖かったです。いま「クレバスは楽しい、美しい」と話していますが、正しく真剣に向き合わないと、死に結びつきます。このようなアクシデントは「氷河へのリスペクトを忘れずに」というリマインダーだと思っています。

雪山の登山
雪山の登山

美しさと危うさが表裏一体のクレバス。どうしても惹かれてしまうのはなんなんでしょうね。

人々がアクセスできない場所だということが、特別なんだと思います。本当に、別世界にいるみたいなんです。サウンドやビジュアルも。他の世界に連れて行かれたような気分になります。

実際に録音したクレバス・サウンドで、作品も作ったそうで。

『Meltwater』という曲は、クレバスのなかにいた体験をインスピレーションに作りました。曲の最後で聞こえるのは、南極で録ったクレバスのなかを落ちていく氷の音です。

『Meltwater』からの抜粋:

近いうちに、またクレバスに行く予定は?

昨年、カリフォルニアのクレバスに行こうと思ったのですが、山火事で国立公園が軒並み閉鎖してしまって行けませんでした。カリフォルニアは、ヨセミテ国立公園やシエラ・ネバダ山脈など、氷河地形の宝庫です。地球温暖化で氷が溶けてしまっているので、早く録音してアーカイブしたいと思っています。あと、グリーンランドの氷床には是非行ってみたい。広大なので、どんな音に出会えるのだろうか。

地域によってクレバス・サウンドにも特徴がありそうです。

飛行機音、ですかね。

飛行機音?

カリフォルニアのクレバスだと、その上空を、1、2分ごとに飛行機が飛んでいきます。なので録音に人為的な音が入ってしまう。南極だととにかく人が少ないので、混じり気のないピュアなサウンドが録れるんです。

アナログとは?

物理的に近い距離からサウンドを体験している、ということ。耳からの“インプット”ではなく、体全体、そしてすべての感覚を巻き込んだ聴覚体験。

Cheryl E. Leonard/シェリル・E・レナード

サンフランシスコを拠点とする作曲家、演奏家、野外録音技師、楽器製作者。自然のオブジェクトを使ったパフォーマンスやサウンドの創造を専門としている。30年前から、実験音楽やノイズバンドでの演奏活動も続行中。また科学者や生物学者とのコラボレーションを通して、環境問題への啓発も積極的におこなう。

HP

SoundCloud

Photos: Cheryl E. Leonard
Words: HEAPS