SP盤をご存じでしょうか。LPやシングル盤が登場する以前、音楽の記録と再生を支えてきた円盤レコードです。78回転という独特のスピードで回るSP盤には、いま聴いても驚くほど生々しく、力強い音が刻まれています。今回は、そんなSP盤の魅力と再生のための “お作法” について、オーディオライターの炭山アキラさんが解説します。
SP盤の歴史と仕組み。78回転が生んだアナログの原点
オーディオテクニカのレコードプレーヤーでは、『AT-LP120XBT-USB』と『AT-LP8X』の2台が33/45/78回転の3スピードに対応しています。33回転が主にLPレコード、45回転はシングル盤を再生する時に用いる回転数ですが、それでは78回転は何に使うのでしょうか。LPやシングル盤より前の世代のレコード、SP盤をかけるための回転数です。
SP盤は、今から140年ほど前にドイツ系アメリカ人のエミール・ベルリナーによって発明された円盤レコード「グラモフォン」の直系というべきもので、第二次世界大戦後、1940年代の後半にLPやシングル盤が発明された後も、1960年代初頭まで生産が続きました。半世紀以上にわたって音楽再生の世界を支え続けた歴史あるレコードであり、またそれだけに現在もなお膨大な数のレコード盤が残されている、貴重な文化遺産でもあります。
ベルリナーが発明した最初の円盤レコードは、ゴムに硫黄を加えて硬化させたエボナイトという素材で製作されました。私は残念ながらその音を聴いたことがありませんが、それはそれはジリジリジャージャーと盛大なノイズの中から音楽が聴こえてくる、といった風情だったそうです。
その欠陥を救ったのは、シェラックという天然樹脂でした。シェラックは、熱帯の樹木に寄生するラックカイガラムシという生物の分泌物を精製したもので、化学合成樹脂が発展する第二次大戦後までは、成型材に、塗料に、着色料にと幅広く使われていました。バイオリンの赤く艶々とした塗装には、今もなおシェラックニスが用いられています。
そんなシェラックに鉱物質や金属系の混ぜ物を入れた黒い盤質とすることで、レコードの音質は劇的に向上しました。SPレコードというと、ジリジリパチパチと大きなノイズがするという先入観をお持ちの人が多いと思いますが、シェラックはエボナイトよりも遥かにノイズの少ない素材だったのです。
SP盤の音の実力
先日のこと、製造されてからほとんど針を落としたことがないという、極上コンディションのSP盤を鑑賞する機会に恵まれたのですが、それはもう驚きましたね。あのSPにつきものだと思い込んでいたジリパチノイズが、全く聴こえてきません。そして、後世のヴァイナルとは比べ物にならない、78回転のエネルギーがそのまま乗り移ったような、とてつもなくパワフルで異様なくらい生々しい演奏が、眼前で展開されるのです。「凄いものを聴いてしまった!」と、もう心臓を鷲づかみにされるような思いでした。
しかし、考えてみれば、こうなることは予想しておくべきでした。皆さんの中にも、LPレコードはジリジリパチパチというノイズの中から音楽が聴こえてくるという、昔の記憶をお持ちの人がおいでなのではないですか。しかし、それはレコードや針先のクリーニングが満足でなかったからです。現代のクリーニング液やクロスを用い、適切な方法で磨いたレコードと針先からは、そんなノイズはほとんど聴こえてきませんよ。
ましてSPレコードは、100gを超える針圧を持つアコースティック蓄音機の鉄針で音楽をかけられた盤が少なくありません。その堅い鉄針すら、片面かけるごとに先端がすり減ってしまい、交換しなければいけなかったくらいですからね。鉄よりずっと柔らかいシェラックの音溝が無事なはずはありません。それでLPとは比較にならないくらい、残存した盤のコンディションが大きく違ってくるのです。
一般にLPやシングル盤の音溝は横幅0.05mm、それに対してSPは0.1mm幅といわれます。ですから、ヴァイナル用とSP用では、針先の太さも違います。レコード針(丸針)の先端は微細なドーム型に成型されていて、ドームの半径をmil(ミル)という単位で表します。1milが1/1,000インチ=0.0254mmとなります。ヴァイナルは0.7milを標準として、0.5〜1.0milくらいの針先があります。オーディオテクニカでは、『AT-VM510xCB』が0.6mil、『AT33xMONO』は0.65milの針先が装着されています。
一方、SPの針先は標準的なもので3.0mil、世の中には2.5〜4.0milくらいの針先を確認することができます。音溝の太さが違うのですから当たり前ですが、それにしても大きな違いですね。
針先の違いが生み出す音の表情
ところで、ヴァイナルにしろSPにしろ、なぜ太さの違う針先が存在するのでしょうか。一つには、針先の太さによって再生される音質が違ってくる、ということが挙げられます。
具体的には、細い針先は再生音全体もやや細身になるきらいはあるものの、高域方向へかけてスッキリ伸びやかな音になる傾向があります。一方、太い針は高域の再生限界が早めに訪れるものの、どっしりと骨太で雄大なサウンドを聴かせてくれることが多いものです。
ヴァイナルの場合は、モノラルのカートリッジに1.0milの針先が装着されることが多いようですね。例外もありますが、概してモノラル時代のレコードの方が音溝が太いから、というのが採用の理由と、ある社のエンジニアに伺ったことがあります。
それでは、1.0milの針先でなければモノラル盤の再生に不都合が生じるのかといえば、全然そんなことはありません。ステレオレコードが開発されるに際して、各社が最も気を遣ったのは「モノラルとの完全な互換性」でしたからね。たとえモノラル盤を針先の細いステレオのカートリッジでかけても、問題が起こってはならないのです。
SP盤の場合は、また別の事情があります。長い年月にわたって作られてきたことに加え、特に古い世代の盤は、さほど厳密な規格に沿って作られてこなかったという事情もあって、年代により、またレコード会社によって、SP盤の音溝の太さはヴァイナルよりも大きなバラつきがあります。それで、2.5〜4milという大きな違いの針先が並存しているのですね。
SP盤を扱うときに気をつけたいこと
もう一つ、針先の太さ違いには効用があります。ヴァイナルでも、特定の太さの針でかけられ続けて傷んだ音溝に太さが違う針先を宛がうと、フレッシュな音が甦ることがあります。音溝と針先の接触する位置はごく限られていますから、針先の太さが違うと接触する位置が異なり、損傷していない音溝から音楽が再生できるようになることがあるのですね。
SP盤の場合、それはヴァイナルよりももっと深刻で、前述したようにアコースティック蓄音機の鉄針でかけられて音溝がすり減ってしまった盤は、ジリジリシャーシャーという膨大なノイズの遥か彼方に音楽が少しだけ聴こえる、というような状態になった個体が珍しくありません。しかし、そんな盤でも3milより4milの針先の方が、まだしも音楽の姿がくっきりと表れることがあるものです。
SP盤のシェラックという素材には、注意しなければならないところがあります。ヴァイナルは少々力を入れて曲げても、弾力があってほとんど元に戻りますが、シェラックは弾力がほぼゼロで、簡単に割れてしまうのです。ですから、SPが現役の頃は音溝が汚れることをものともせず、レコードをむんずと鷲づかみにするのが当たり前だったとか。
でも、SP盤にカビが生えるとヴァイナルよりも重篤に侵食されてしまいますから、私は鷲づかみすることがどうしてもできず、普通のLPと同じようにレーベル面へ中指と薬指、盤の縁に親指を添え、慎重の上にも慎重を期してレコードをスリーブから出し、プラッターへ載せています。
SP盤をもっと身近に。再生の第一歩
SP盤というと最初に書いた通り78回転というのが通り相場ですが、実のところ78回転に統一されたのはベルリナーのグラモフォン発明からずいぶんたった後のことで、初期は結構回転数がバラついていたそうです。ほとんどの場合、それらのレコードは自身が何回転で回すのが適正かを書いていませんが、もしそれが分かるようなら、AT-LP120XBT-USBは回転数の調整が可能ですから、合わせることが可能ということになりますね。
実際のところ、例えば80回転で収録された盤を78回転で再生すると、元の演奏が基準ピッチ440Hzだったなら、429Hzで再生されることになります。同様に76回転で収録されたレコードなら、452Hzということになりますね。絶対音感をお持ちの人にとって、この違いは決して無視できるものではないでしょうけれど、多分私は違和感なく聴けてしまうだろうな、と考えます。
というのは、昨今すっかり普及したピリオド演奏と呼ばれる、クラシックの楽曲が作曲された当時の楽器と奏法で演奏する手法では、415〜466Hzくらいまで、年代や作曲された土地によってピッチを違えてある場合があるのですが、恥ずかしながら私はそれらを聴いても全然分からないからです。特別な才能を天から与えられた人、あるいは特別な訓練を受けた人以外は、古いSP盤の回転数をそれほど深刻に考えることもないのではないでしょうか。
いろいろとSP盤の “お作法” を挙げてきましたが、SP再生はそう敷居の高い世界ではありません。もしお手元に78回転の回るプレーヤーとSP盤がおありでしたら、SP用の針先を持つカートリッジを導入すれば、それでSP再生の入り口に立つことは可能です。この麗しき道楽を、もっと多くの人が気軽に楽しんでほしい、そう願っています。
Words:Akira Sumiyama