天井に設置されたキューブ型のスピーカーや、縦にヒョロっと長いモダンなデザインをしたスピーカーを、感度の高い店や空間で見かけたことがある人は多いのではないだろうか。そこから流れてくるのは、音の粒子を美しく再現した細やかなサウンド。「Taguchi Craft」(以下、Taguchi)が作るオリジナルのスピーカーは、メイド・イン・ジャパンの魅力を存分に世界へ伝える音響機材だ。その中心にいるのが、「Taguchi Craft」の生み親である田口和典氏。音響の世界に携わること約40年、スピーカ作りにロマンを抱いて止まないイノベーター田口氏が思ういいサウンドについて話を聞いてみた。
―出身はどちらですか? 何がきっかけで音響に興味を持ちはじめたのでしょうか?
生まれは鎌倉。昭和22年、1947年だからもうすぐ74歳だよね。無線機の組み立てとか、ラジオの組み立てとか、そういうもの作りは小さな頃から好きでした。それで中学に入ったら、いい音が職員室から聴こえてきたの。それを辿って職員室へ行ったら、女性の先生が弾いていると思ったのに、怖い先生がマンドリンを弾いていてね(笑)。そのときに「こんないい音を出す楽器があるんだ」と、そのあたりから興味が出てきてギターをやりだしたんですけど、だんだんといい音を出せるスピーカーというものに興味が出てきまして……。
―中学生のころとなると、1960年代になりますね。
そのころはザ・ベンチャーズとかが湘南に来たり。鎌倉は土地柄ハワイアンをやる人が多くて、そこでスティールギターにのめり込んでハワイアンをやっていましたね。いろいろなバンドで演奏していたこともあるんだけど、レコードを聴く方が楽しくなっちゃって、音響が面白くなって、そこからずっと変わらずやっております。
―スピーカーから流れる音に興味を持たれたんですね。
自然の音に近づけないといけないので、電気楽器の音だと激しすぎたりするからね。あまりそういう音は好まなくて、できる限り自然な音に近づけていきたいなと。そんなことを思っているうちに、世の中がだんだんと大きなコンサートを行うようになり、日本でも機材作りが始まりまして。それまでは輸入品のスピーカーしかなかったんですけど、高くてね。その割にはあまりいい音がしなかった。コンサート用の音響装置が求められるようになった1970年代後半くらいから、少しずつ注文がとれるようになってきて、1981年に会社にしたんです。
―それまではコンサートを行う際は、どこが音響に関して請け負っていたんですか?
日本では舞台屋さんが音響装置を持っていたんですよ。ビートルズが初来日をしたときに武道館で、細いやつ(スピーカー)でやっていたと思うんだけど、それではしゃあないとだんだんと音響屋が出てくるようになって、きちんと独立した仕事になっていったんですよ。
―日本で大きなコンサートホールが人々の間で主流になっていったのも、70年代に入ってからなんですね。
当時の日本はまだまだ輸入品に頼っていて、エリック・クラプトンが来日するとなになにの機材を使わないとダメだとか、ザ・ローリング・ストーンズなんかはツアーを統一するために、各国で同じ機材でステージを組まないといけないから、日本公演のときは音響をいろいろかき集めたりしていたんです。当時の音響屋は外国ものの音響システムを持たないとダメだってなっていたけど、1ドル=360円の時代だからそんなに簡単には買えない。だからそこから日本でも作るようになって、20年くらいは自分も随分作りました。そのうちに公共ホール用のスピーカー作ったり、寺院や国立劇場や衆議院本会場とかもやるようになって、映画館ではアップリンクがこだわりを持っていて、繊細な音を再現できる映画館用のスピーカーを作って欲しいと依頼されたこともあります。
—幼少の頃から過ごしてきた環境で、音に関して印象深いことはありますか?
鎌倉育ちなので、小さな頃からヨットやボートに乗ったりしているんですけど、海に出ても、遠くの海岸から街の音が聴こえてくるんですよ。それがなかなか良くてね。油壺のあたりまで行ってなんか音が聴こえてくるなと思ったら、ユーミンが逗子でコンサートをやってて、波があるときは聴こえないけど、北風とともに海の方へ音が流れてくるとそれが聴こえてきて、それがなんともいいんだよね。それと夜に材木座の浜辺を犬を連れて散歩をしていたときに、海亀の産卵に遭遇したことがあってね。その亀の行動を見ていたら、音の反響で周辺を確認しているんですよ。海小屋の間で卵を産んだんだけど、そこだと壁があるから迷っちゃう。だけどその壁を出たとたんに海がどっち側にあるのかがわかって、あとは一目散に海に帰って行った。音で測るというか、覚醒して音が聴こえている。人間も死ぬときまで音が聴こえてくるっていうけど、古来からある動物の本能なんだと思いますね。
―人間が五感の中でわかりやすく情報を掴むのは視覚だと思いますが、それと同じくらい聴覚も情報を掴んでいるということですね。スピーカーから流れる音も、気づかない中で人間の身体に何かしら影響を与えているかもしれませんね。
とはいえスピーカーから流れる音は、音は音でも人間が作っているわけだから偽物なんだけどね。コンサートをもう一度再現するとなるとわかりやすいと思うけど、あれは本当にすごいよね。空間で鳴っている音を(レコードの)溝に刻んで、音楽を再現する。ビクターの「His Masters Voice」で、犬がご主人さまの歌声が蓄音機から流れているのを聴いて、「あ、ご主人さまの声だ!」ってあるけど、あれは上手いよね。
―田口さんが思う、“いい音”とはどんな音だと思いますか。
感性はいろいろだと思うけど、測定器で測ることではなくてやっぱり鳥肌が立つかどうかですよ。コンサートをレコードで聴いたときに、スピーカーから流れる音を聴いて、鳥肌が立つかどうか。涙が出るかどうか。理屈じゃなくて、人間に1番必要なのかなと思いますね。美味しいものを食べて「美味しい!」っていうのと一緒で。
―鳥肌が立つ感覚。その感覚は人類共通の感覚だと思いますが、人種や文化によって異なることもあるのでしょうか?
面白いのが、西洋人とアジア人では視覚が違うようなんですよ。西洋の人たちは暗くても見えるの。逆に音は聴こえていないものが多いみたいで、スペイン語や日本語とかにある母音の音が聴き取りずらいみたいだよ。だからヨーロッパから持ってきたスピーカーは日本人にとっては耳が痛くなるから、日本人用にチューニングするんですよ。それとヨーロッパの人は虫の鳴き声をいいと思わないみたいですね。我々がいいというものを、向こうは何も感じないこともある。だけどヨーロッパでは、前の世代から続くクラシックのフルコンサートをやるじゃないですか。あれを聴いてると描いている世界があるから、今聴いても古さを感じない。日本は音符を作れなかったけど、西洋は音符へと記号化してやったのはすごいよね。指揮者がいれば、記録されているものを演奏し続けることができる。
―海外の人に「Taguchi」のスピーカーはどう捉えられていますか?
向こうから来るアーティストの人たちには評判いいですよ。音が全部見えるって。聴いたとたんに「持って帰る!」という方も結構いらっしゃる。来日アーティストが多い青山のライブハウスでは、リスニングルームでうちのスピーカーを標準機として使ってくれているんですよ。海外の人はたいていJBLが好きだから、メインフロアではJBLを使っていますが、その上にうちのを取り付けさせてもらったり。
―スピーカーで使用している素材はなんですか?
北極圏で育っている白樺の木ですね。育つのに時間がかかるから硬いんです。南方系は5~6年もあればどんどん大きくなるんだけど、北方の木は使えるようになるのに70年とか、中には160年とか。物性的に安定しているんですよ。だけどヴァイオリンみたいに「この頃のこの木がいい」とかはやりたくないんですよ。そこはあくまでも工業製品だから。木目とかそういうのはあるけど、「珍しいの作りましたね」「これは一千万円します」とかはやりたくないの(笑)。
―とはいえアイデアが出てきたり、オーダーを受けたときに、とにかくやりたい放題やってみて「こんなのできちゃった!」とプレミア感のあるスピーカーに仕上がることもありますよね。
そこは一歩一歩……ほら、よく北海道でクマ掘っている人とかいるけどあの世界と一緒。「もう少しああすればよかった」とか反省ばかり。お寺の和尚さんがものすごいレコードコレクターで、スピーカーのオーダーを受けて2年半くらいかけて作ったことや、面白かったのは自宅に立派なリスニングルームを持っている人に、ロケットかUFOみたいなスピーカーを作ったこともあります。
「『CUBE』に関しては、『Taguchi』という名前が付いているだけで購入してくれる人がいて、とてもありがたいことではあります。ただそこではなく熱狂的な田口和典ファンの方々がいて、その方々は田口さんが図面を描いて作ったものでないと納得がいかないんです。音響システムに関してこだわりの強いお客さんとのやりとりを見ていると、本当にすごいなと思います。アップリンクで使用されている薄いスピーカーも、そのひとつなんですよ」(スタッフM)。ちなみに、「Taguchi」のスピーカーでは、長いことAudio-Technicaのケーブルを使用しているそうだ。
―アップリンクではどのようなスピーカーを作られたのですか?
一般に売られているスピーカーだと音に納得がいかないから、スクリーン裏に入れる薄いスピーカーを作って欲しいとアップリンクの浅井社長から頼まれたんですけど、これはとても面白かったですね。平面スピーカーというものが、どんなに素直に音を伝えるのかとよくわかったし、映画を観ている人たちの泣き出しが早い(笑)。それに随分英語がわかるようになったなと思うくらい台詞がハートにすぐに入ってくるんですよ。
―「Taguchi」と言えば平面スピーカーの印象ですが、やはり違いますか?
池の平面に真上から石を落とす綺麗に波紋ができるみたいに、平面スピーカーは音の波が綺麗にできる。宇宙もビッグバンも一緒で、物理的には平面は正しいんですよ。空気中の波の面が綺麗じゃないと音がずれていってしまうので、平面であれば真っ直ぐに伝わって行く。平面スピーカーの音がすごいという一つの例に、ヒトラーが平面スピーカーで演説して、人の心を掴んだという話があります。あれって当時の先端音響技術を使った音響効果なんです。歴史的にはなんだかねなんですけど、すごく演説の音質を大事にしていたそうですね。
―文明の進化によって、人々の音に対する感覚も変化していくと思うんですね。便利になればなるほど、もしかしたら人類の聴覚は退化しているかもしれないですし、その都度、社会に適応をした音響システムというのが必要になっていくのかと。これから「Taguchi」でやっていきたいことはなんでしょうか。
もっともっと良くしたいと思います。平面スピーカーも過去に日本の大手が作っていて、一時期ちょっとしたブームにはなったんだけど、作るのが難しかったのとコストの問題で作られなくなってしまった。だけど世の中には平面スピーカーに関して「これが1番だ!」と思ってくれているリスナーの方々もいるので、これからも一生懸命作っていきたいなと思います。
―マルチチャンネルも実験的に行っておられますね。
劇団四季なんかがそうだけど、劇中で一発しか鳴らない音に対してスピーカーを作る。舞台上ではものすごい役割を果たす音で、そういうことだよね。『ライオンキング』では、ウーハーが何機も客席内に設置されているんだけど、劇団四季の音響は本当にすごいんですよ。ブロードウェイだと寿命が短いものを、劇団四季は何年もロングランで公演をする。そこまで続けられるのは、音響にも力を注ぐ日本人の力だと思います。
マルチチャンネルの実験で田口氏は、オーケストラなどの生楽器の演奏だけでなく、信号音である電子音に関しても、一つひとつの音をスピーカーで出すという実験的も行っている。「不思議なことに田口が作ると、電子音にも気配が生まれるんですよ(笑)」(スタッフM)……世の中に溢れているさまざまな音、そのひとつである人々に愛される音楽。どの音にも意味があり、その音に宿る「気配」や「佇まい」を、どこまで人々の心に届けることができるか。「Taguchi」スピーカー造り続ける、田口氏の探求はこの先も止まないであろう。
話を聞いたあと、実際に「Taguchi」のスピーカーを視聴させてもらった。金属音、和太鼓、アコースティックギター、ドゥワップ、リッチー・ホウティンが手がけたテクノ(4つ打ち)など、一音一音、スピーカーから流れてくる音の音色と、音の粒子。その細やかな音を耳と身体で体感をしたとき、鳥肌が立つということを実感した。中でも、イーグルス“ホテル・カリフォルニア- Unplugged 1994”のアコースティックライブの音源を聴いたとき、スピーカーから流れる音が空間の隅々まで行き届き、ライブならではの“気配”を感じる体験をすることができた。
INFORMATION
田口和典
Kazunori Taguchi
Photos:Yoshiteru Aimono
Words:Kana Yoshioka