加藤邦裕氏は他の方々とは異なるオーディオマニアである。エアチェック少年が「ラジオ」を「カセットテープ」に録音することを突き詰めるとこうなる、という一点突破型マニアの完成形だ。いわゆるオーディオルーム、リスニングルームと呼ばれるものとは違うベクトルの究極形をご覧いただきたい。
カセットデッキとカセットテープに全振りしたマニア部屋
今回お邪魔させていただいた加藤邦裕氏のお部屋は、一般的にオーディオルームと聞いて想像する部屋とはまったく違う。大きなスピーカーがバーンとあって、巨大で熱いパワーアンプが床にドーンと置いてある。さらには、大理石のベースをもつレコードプレーヤーなんかもあって、壁面はレコードで埋まってる……。そんなイメージがおそらく一般的だろう。
ところが加藤氏の場合はというと、スピーカーは壁の上の方に掛けられた小さなスピーカーだけ。アンプもミニコンのような小さなもの。目立つのはカセットデッキばかり。あとはたくさんの段ボールだ。
「いやあ、今日は取材にいらっしゃるというので片付けたんですよ」とはにかむ加藤氏には失礼だが、初めてこの部屋を見た/訪れた方には説得力がないかもしれない。通路と言えるようなスペースはなく、入口からは身体を横にしないと奥には行けない。だが過去に取材をさせていただいた筆者のような身からすると、ずいぶんすっきりしたなあと思う。
いつもは通路にも段ボール箱が山のように積まれていて、窓側に積み上げられたカセットデッキも、箱にさえぎられて全貌は見えないほどだ。ちなみにこのときは別の部屋に移動したという段ボールの中身はすべてカセットテープ。まだ部屋に残っている段ボール、棚にぎゅうぎゅうに押し込められた段ボールもすべてカセットテープ……。
ここまで記せば大体想像がつくかもしれない。加藤氏はカセットテープコレクターとして有名な方で、「懐かしのカセットテープ博物館」というウェブサイトの「館長」なのである。
そのカセットテープのコレクションは日本一なのではないだろうか。ときおりカセットテープを題材にしたムックや単行本が発行されるが、ほとんどの本に加藤氏が関わっていたりする。業界では知らない人は、おそらくいない。
カセットテープ進化の最前線は日本だった
カセットテープは1960年代の半ばに、オランダのPhilipsが開発したもの。当初はメモ録用につくられたのだが、その後、日本でどんどん高性能なテープが生み出され、録音再生するためのデッキも日本が世界のトップを突っ走ったジャンルである。
現在ではほとんどのメーカーが開発・製造から撤退してしまい、メジャーなブランドではMaxellのテープが残るのみ。デッキもTEACが1モデルを細々とつくっているだけ。だが50歳以上の方なら、カセットテープは青春の音、という人も少なくないはずだ。
そのカセットテープだが、現在コレクターズアイテムとしてけっこうな値段で取り引きされている。高い音質で人気の「メタルテープ」は未開封であれば1本1万円を超えるモノも珍しくない。高いモデルでは2万円を超える。
とくに高性能な日本製カセットテープは海外でも人気が高く、ネットオークションでまとめて出品されると10万円を超えるのも普通だ。カセットデッキも同じように人気が高く、1980、90年代の高性能デッキはなかなか良い値がする。こちらも人気のモデルは100万円クラス。10万円を超えるのはザラだ。
加藤氏のコレクション、ご本人も数えたことがないとおっしゃっているが、数千本あるのではとのこと。場合によっては1万本を超えると思う。時価総額はことによると……いや、やめておこう。加藤氏はけっして投資としてコレクションしているのではないのだ。
静かなオーディオマニアが秘める情熱
ちょっと失礼な言い方になってしまうが、オーディオマニアには変わった人が多い。だが加藤氏にはそういった雰囲気がない。オーディオ関係でなくても、私の知り合いの中ではとびきり真っ当な人生を歩まれている。
技術系の公務員として定年まで勤めあげ、お住まいも横浜の一般的なマンション。大きな音で音楽をガンガン鳴らすでもなく、むやみに大きな機材を運び込むでもなく、きっとご近所の方ともうまくお付き合いされているのだろうな、と思う。
そんな加藤氏がどうしてこんな世界有数のカセットテープコレクターになってしまったのか。
始まりは中学生の時に手に入れたカセットテープレコーダーだったそうだ。当時はラジオを録音するためにレコーダーとモジュラーステレオをケーブルで繋いでエアチェックしていたという。高校になって中古のデッキを入手して、大学でアルバイトを始めてからはテープをいくらでも買えるようになったとか。なるほどと思いつつも、拍子抜けするほど普通だ。しかも、結婚や子育てで一度オーディオ熱を冷ましているのも、あるあるな話だ。
だがいまでは、自宅の一部屋をカセットテープで埋めるほどのコレクターになっている。そのきっかけはなんとホームページ制作。
「30年くらい前にインターネットが普及してきて、ホームページをつくるのが流行ったじゃないですか。私もつくってみようと思って」
何をテーマにしようか迷ったときに、いっぱいエアチェックのカセットテープがあったので、カセットをテーマにつくってみよう、と思ったそうだ。
「うっかり『博物館』なんて名づけちゃったものだから、名前負けしないようにカセットを集めるようになったんですよ」
おそらく真面目な性格も幸い(災い?)したのだろう。普通、考えなしに始めると単に好きなテープを買い集めるだけになりそうなものだが、きっちりと系統立てて分類されたホームページがつくられていった。
現在ではそこを見ればどんなカセットがあったか、当時いくらだったかといった情報がすべて分かると言っていい。ここまでくると本当に博物館の展示あるいは学芸員の研究に近い。かけがえのない資料となっている。
ただのコレクションに留まらず、カセットテープ史を研究
さきほど人気のカセットテープは1万円を超えると申し上げた。メタルテープなどは鉄板人気だが、それとは別に昔100円くらいで売られていたような、パステルカラーのカセットなどもレアで人気だったりする。
だが加藤氏がお気に入りのテープはむしろ普段使いできるくらいの値段で入手できて、かつしっかりした音で録れるテープだ。現在でも生産されている唯一のメジャーブランド製テープ「UR」や、中古で流通している「MUSIC GEAR」や「MY」(いずれもMaxell製)といった90年代に作られたモノで、それほど高くないのだが安心して使えるテープだ。
「何か珍しいテープないですか」と訊くと「これなんかご覧になったことありますか?」とビデオのβテープ(これもご存じない方が増えてきたが)くらいのテープが出てきた。
エルカセットという規格のカセットテープで、オープンデッキのテープをカセットのような形状にしたものだそうだ。カセットテープがもともとメモ録程度の音質しかなかったところ、ちゃんと音楽も録音できるように、と開発されたものだ。
「だけど大きすぎて使いづらいし、カセットテープもどんどん性能が良くなって、ちゃんと音楽が録音できるようになって普及しなかったんですよ」
また90年代になると、CDが普及してきてカセットテープの音質が見劣りするようになる。そこでさらに音のいいカセットテープを、という期待に応え開発されたのがDCC(デジタル・コンパクト・カセットテープ)と呼ばれるカセットテープだ。
デジタル・カセットというとDAT(デジタル・オーディオ・テープ)を思い出す方が多いと思うが、規格としてはまったく違う。最大の違いはカセットテープとの互換性。DCCのカセットデッキは専用のDCCテープが使えるのはもちろん、従来のアナログのカセットテープも再生だけは出来るようになっていた。DCCはもともとカセットテープを開発したPhilipsが開発したもので、自社がつくったメディアの責任を取った、ということなのだろう。
だが同時期にMD(ミニディスク)が登場。さらにMP3プレーヤーなども出始め、テープの時代は終わろうとしていた。結局DCCはまったく普及せず、消えていった。
珍しいカセットデッキ・コレクション
エルカセットやDCCもテープだけ持っていても仕方がない。もちろん、加藤氏はデッキもお持ちだ。お部屋の窓のそばにはカセットデッキが何台も積まれている。
SONY製のエルカセット・デッキ、Philips製DCCデッキはもちろんレアなのだが、その他のカセットデッキも、それぞれたっぷりうんちくが語れるようなものばかりだ。
まずカセット好きならば目をつけるのがNakamichiのカセットデッキ。もともとNakamichiはトップ・オブ・カセットデッキとして世界一と断言できる性能と人気を有しているが、その中でも人気トップ3が揃っている。
まずNakamichi DRAGON。再生時にアジマスを自動修正する機構を内蔵している。だが人気の秘密は性能だけではない。その圧倒的な存在感を持つルックス。「使いこなせるものならやってみろ」とユーザーに挑むようなフロントパネルは、機械好きの琴線に触れずにはいられないだろう。
また、RX-505はYouTubeなどでご覧になったことがある人も多いのではないだろうか。オートリバース(この言葉もある程度の年齢の人以外には通じなくなってきた……)機構をもつ高級機なのだが、オートリバースは一般的にはヘッドが回転する。しかしRXシリーズは、一度カセットが飛び出し、クルッと回転しまた戻っていく。つまり人が手でカセットを取り出しひっくり返すという動作を、デッキが行うわけだ。
もちろんヘッドが回転するよりも時間がかかるため、ひっくり返る動作の間は録音や再生が途切れる。しかし、ヘッドを回転させるとわずかだがアジマスが狂う可能性が生じる。アジマスが狂うリスクよりは、時間がかかってもヘッドという絶対に動かしたくない部分を回転させるよりいい、という考え方なのだ。アジマスに並々ならぬこだわりをもつNakamichiだからこそ前代未聞のギミックを完成させることができた。
そしてカセットデッキとは思えない大きさを誇るのがNakamichi 1000ZXL。Nakamichiのカセットデッキの歴史は1972年にアメリカでNakamichi 1000というデッキを発表したことから始まった。この1000という数字は定価1000ドルという意味。カセットデッキとしてはとてつもなく高価で高性能な1000はたちまち話題となり、Nakamichiというメーカーをアメリカ、そして日本でも一躍有名にした。1000ZXLはその最終進化形。DRAGONやRXなどが人気モデルとなろうが、不動のフラッグシップは1000なのだ。
このNakamichiの人気トップ3は、高価だがじつはそれほどめずらしくない。あまりに人気と実力が揃いすぎていて、お金に余裕があるマニアなら、誰しも自分のラックに収めたいと思うからだ。
マニアが憧れていても怖くて手が出せないモデルというのもある。たとえばREVOX B215。REVOXはスタジオ機材などで有名なSTUDERの民生用ブランド。性能は折り紙付きながら、もし壊れたら修理は大変。修理ができる人も補修用パーツの流通もほとんどなく、メンテナンスには金額も時間もそれなりに必要になるだろう。
Bang&Olufsen(B&O)はどちらかというとデザイン特化型のオーディオで、70年代の大富豪のリビングに飾られているようなオーディオである。そのB&Oにもカセットデッキはあり、Beocord6500というモデルが加藤氏のコレクションに入っている。
一度聴かせていただいたことがあるのだが、これがなかなかな音なのだ。ヘッドこそ2ヘッドという普及クラスのデッキでも使うようなものなのだが、メカがしっかりしているのだろう。芯のある音を聴かせる。どことなく金属的な音に感じるのは、視覚的なイメージによるものだろうか。このBeocordは数種類あるが、いずれもパーツが流通しておらず、ユーザーはとても苦労しているか、修理を諦めている。
現在窓側に積んであるデッキを何台か紹介したが、じつは加藤氏がお持ちのカセットデッキはこれだけではない。たとえばNakamichi 680、SONYのTC-K88、TC-K777ESといった国産名機、TANDBERG TCD-3014AというDRAGONキラーとも呼ばれているノルウェーのカセットデッキなどマニア垂涎のデッキが床に積まれていたりする。
加藤氏はこうした機器を稼働状態でコレクションしている。自分でメンテできるものは自分で、手に負えないものは業者に依頼して維持しているのがすごい。
加藤氏は「ホームページを充実させるために仕方なく揃えました」というが、ウソだと思う。加藤氏はカセットテープというメディアが大好きなのだ。1日中でもカセットテープのことを考えていられるのだ。だからこの部屋の真ん中にいる加藤氏はこんなにも幸せそうなのだと思う。
Photos:Shintaro Yoshimatsu
Words:Makoto Sawamura(ステレオ時代)
Edit:Yusuke Osumi(WATARIGARASU)