ボアダムス、OOIOO、saicobab等での活動、またソロ・アーティストとしてもワールドワイドに活動を続けてきたYoshimiO。その歩みを辿りつつ、まだあまり語られていない話を中心に伺った。ピアノ演奏と新しいデュオYoshimiOizumikiYoshiduOのこと、20年近く続くブランドのこと、食のこと。彼女が出演した最新のライブ・セッション『EXPANDED』は音と映像のショーケースで、⽂化庁委託事業の無観客配信イベントとして、この2月に開催された。YoshimiOの音楽に影響を受け、サポートもしてきた、大阪のミックスメディア・プロダクションCOSMIC LABが制作した。インタビューは、COSMIC LABとその拠点である味園ユニバースの話からスタートする。

大阪アンダーグラウンドシーン、伝統と更新

——COSMIC LABとはどういう繋がりだったのでしょうか?

Colo(Colo Müller)ちゃんがヒラリオンくんとBetaLandというVJ Duoを始めた頃知り合ったような気がします。2000年になった頃、様々なパーティーシーンやライブ会場で見かけてました。OOIOOのコンピレーションで『Shock City Shockers Vol. 2 – OOIOO Remix』てのがポリスターからリリースされてるんですけど、これはOOIOOの3枚目のアルバム『Gold & Green』までの曲をOOIOOが当時好きだったDJやミュージシャンの方々にremixしてもらってるんですが、OOIOOはフローラ・プリムの“Open Your Eyes, You Can Fly”っていう曲のカバーで参加してます。この曲のプロモーションビデオをBetaLandに作ってもらってます。

フローラ・プリム
ブラジルのジャズ・シンガー。リターン・トゥ・フォーエヴァーへの参加やディジー・ガレスピー、ギル・エヴァンス、ジャコ・パストリアスなど錚々たるアーティスト達と共演。「ブラジリアン・ジャズの女王」と称される。

COSMIC LAB
VJ Colo Müller 主宰。ダンスフロアから世界遺産までを舞台にヴィジュアルとオーディオが結びついた未知なる体験を追求する実験室。「想像を超えた現実」に訪れる祝祭空間を創造する。バーニングマン発、味園ユニバース経由の「FLOWER OF LIFE by BetaLand and PositiveEnergies」をルーツに持つ。

——彼らの方から一緒にやりたいとアプローチがあったのですか?

そうです。自作楽器の「Quaser」っての作ったのでその映像のコマになって欲しいから、わたしが実際動きをつけて発声してるとこの映像と歌の録音をさせていただけないかと丁寧に言われて(笑)。是非「Quaser」の中に入って欲しいと。説明聴いてもよくわからなかったので、実際やってみようと思い、 COSMIC LABのスタジオに行きました。Coloちゃんたちは私たちのライブをよく見に来る人たちだったと思います。とても音楽の好きな人たちだと思います。で、わたしの突如出す音にいつもちゃんと言葉にして感動を伝えてくれる人ですね。

——ボアダムスやYoshimiOさんがやってきたことから受けた影響を自分たちの表現として更新していると、今回の『EXPANDED』を見て感じました。

ただライブの後ろでVJとして音楽と映像を同居さす空間作りだけでなく、DJのようにその場でその人間を映し出し、その人間が歌い出すのを視覚的に、画像をポンとおいて、その人の声のサンプリングを鳴らす。視覚的DJですよね。音楽も作り上げていく感じ。映像としてでしか見えないことなんで、新しいストリーミングライブのあり方が提示できるような。

——『EXPANDED』の世界観やビジュアル・イメージの大元を辿ると、やはりYoshimiOさんたちが作ったものに行き着くのではないかと。

わたしそのものも自分たちのやっている音つくりで集う人たちに影響を受けて来たと思うし、そうやって場が出来上がっていったと思うし、Coloちゃんたちは少し私たちより若い世代の人たちなのかもなんだけど、同じ時代を一緒に集ってきた人たちでもあると思います。その時の場を共有してる時がたくさんあったと思います。

COSMIC LAB presents EXPANDED -Audio Visual XstReam Live Sessions- short digest

——COSMIC LABが拠点としてきた味園ユニバースという場所も含めて、東京にないカルチャーだと思いました。

あそこは、行ったら喘息になるし行かないようにしてました(笑)。マカオが下にあったでしょ。あそこであるパーティーにOOIOOでよばれた時、演奏後は鼻の穴の中が真っ黒になってました(笑)。もう行けないってColoちゃんに訴えたら、次、上のユニバースにOOIOOでよばれた時はそれはもう念入りに掃除してくれたんですよ。それで助かりました(笑)。息もできましたし。当初はえらい磁場でした。全てを一掃しての場所つくりだったと思います。空気の重さも全て浄化されて行ったような、でもそこにある肝心なものは掃除しなかったというか、掃除しようもなかったのでしょうね。

OOIOO/photo by HOMMA TAKASHI

——マカオや鶴の間といったクラブでのDJパーティーもあった味園ビルは、改めて、振り返るとどんな場でしたか?

彼らは味園の中でギャラクシーギャラリーっていうギャラリーをオープンしていました。その流れがCOSMIC LABになったのではないかなあ? 初めて展示するような人からベテランまで、面白い人たちの色々な表現の場でもあったり、アートの展示会など、いろんな人がゆっくり遊べるバーカウンターもあったし、わたしもギャラクシーギャラリーのラウンジのようなとこで投げ銭でSAICOBABAのライブをしたと思います。あ、だんだんいろいろColoちゃんたちのこと思い出してきました(笑)。

ジャパンアンダーグラウンドから世界へ接続。ジョン・ゾーンからソニック・ユースとの邂逅。

photo by Coley Brown

——ボアダムスの頃の話を少し伺いたいのですが、東京を通過して、いきなり大阪から海外に出ていった印象がありました。

東京は車で行くのがなかなか遠かったんですよね(笑)。

——(笑)。だから、東京を全然意識してないな、と当時思いました。

わたしにはそもそも東京を意識することはなかったです。場所を意識するより、面白い人がいるとこに行く感じですよね。その頃、高円寺にジョン・ゾーンが住んでいたから、ジョンのとこには行ってましたね。東京=高円寺だと思ってました(笑)。ジョンがいろんなところに連れて行ってくれたなあ、東京行くと……(笑)。今でもNYに行くと美味しいご飯食べに連れていってくれます。昔も今も変わらないですね。

ジョン・ゾーン
アメリカ・ニューヨーク出身のサックス奏者、作曲家、編曲家、インプロヴァイザー、プロデューサー。フリー・ジャズからアヴァンギャルド、様々なジャンルを横断する活動を展開し、ネイキッド・シティ、ペインキラー、マサダなどで作品を発表し、自身のレーベルTZADIKで勢力的なリリースも続ける。

——当時、自分たちがやっていることがアメリカで受け入れられたのは何故だったと思いますか?

たまたまです(笑)。人との繋がりだと思います。最初、ジョンにアメリカでライブしようって言われたんですけど、89年だか90年頃だったかな。UFO OR DIEでNYのイーストビレッジにあるCBGBでライブして、灰野敬二さんとマサチューセッツの大学にライブしにドライブして行ったり……、それから92年にジョンがソニック・ユースの全米ツアーの東海岸ら辺のライブにボアダムスで行っておいでって言ってくれて。でもソニック・ユースは90年だったか、そのくらいにプッシー・ガロアが日本に初来日した時、大阪でボアダムスと一緒にやって、わたしはその時とても(プッシー・ガロアの)ジュリー(ジュリア)・カフリッツと親しくなり、ジュリーはキム(・ゴードン/ソニック・ユース)ととても仲良しで、のちに私はキム&ジュリーのフリー・キトゥンに加入することになるんですが、ボアダムスをソニック・ユースと繋げたのはプッシー・ガロアでもありますね。ジョン・スペンサーがエクスプロージョンの初ライブをしたのも、ボアダムスとソニック・ユースのツアーの最終日のオープニングだったと思います。そういう繋がりでどんどんアメリカの人たちが私たちを知るきっかけになったような気がします。今でもわたしとキムはアメリカでギターとドラムでduoでライブするし、ジュリーともメールで話しますね。ほんと長いこと繋がってます。

プッシー・ガロア
ジョン・スペンサー、ジュリー・カフリッツらによって1985年に結成されたガレージ・ロック、ジャンク・ロック・バンド。元ソニック・ユースのボブ・バードも参加した。90年代初頭まで活動。

ソニック・ユース
アメリカ・ニューヨーク出身の1980年代以降におけるアメリカインディーシーンを代表する
バンド。グランジ、オルタナティヴ・ロックムーヴメントの先駆的存在として活動し、2011年に活動停止。

——あの頃、海外の人が日本のアンダーグランドな音楽をよくチェックしてましたよね。

わたしの周りの人たちも日本以外の国の面白い音楽はチェックしてましたよ。おたがい様のようです。日本の人より日本人以外の人の方が、私たちのことを興味深く、そしてどこの国の人とか関係なく好きな音楽として聞いてくれてたと思います。

——インターネットも進んでないし、音源を買うのも大変だったと思います。

サンフランシスコのキャロライナ・レインボーのグラックスは私の留守電に自分の音楽をずっと録音をするっていうの日課にしてた時期があって(笑)。なぜだかわたしはグラックスのターゲットになったんでしょうね。それで私はキャロライナ・レインボーの音楽をどんどん知ったんですけど(笑)。それはそれは面白い人です。いつSFに行っても、同じ歓迎のされ方しますね。道で拾った見知らぬ黒人家族のアルバムをくれたり。好きな音楽をカセットやビデオテープに録音してくれててたんまりくれますね。日本に持って帰るの本当に荷物になって大変なんですけど、聴くといつも衝撃はあるので(笑)。

キャロライナ・レインボー
アメリカ・サンフランシスコで1983年に結成されたエクスペリメンタル・バンド。メンバーの情報などは全て非公開、蛍光塗料でペイントされた自作の衣装でパフォーマンスする様子は、カルト的な人気を誇っている。これまでにヨーロッパ、北米、そして日本でのツアーを行っている。

——奈良に引っ越されて、どのくらいですか?

20年近く奈良にいるかもしれないです、もう。美大に通ってた頃、京都に住んでました。その後ボアダムスのリハーサルしてたスタジオがが大阪にあった為、大阪に引っ越してずっと住んでたんですけど、匂いと、雑多な感じがしんどくなって、東に行く電車に乗ってピンとくるとこで降りてみようと思って、そこで住んでみようと思いました(笑)。

——知り合いがいたという訳でもなく?

いなかったですね。大阪のすぐ近くで、少し東京寄りになったくらいで(笑)。
でももうそろそろそこの土地の持つ縁も消えてきた感じがしてます。

愛犬がつないだファッションとデザイン。

——音楽と並行してやられているファッション・ブランドのことを訊かせてください。

emeraldthirteen(エメラルドサーティーン)というブランドを立ち上げたのも、目の前に現れた状況を受け入れた感じで。。私、服とかは縫えないんですよ。2002年から始めたブランドなんですけど、春夏・秋冬コレクションを出し続けているんですが、アパレル界から見えてないというか、死角にいるようなブランドで(笑)、本当に知る人のみがエメラルドサーティーンを知ってて、ずっとほぼ同じ人が展示会に来てくれてるような気がします。歩いてて、街で知らない人がemeraldthirteenの洋服着てる人見かけたら自分が一番びっくりしますね。でも着てる人は本当によく似合ってると思います。emeraldthirteenの服は一見アバンギャルドですが、着ると本当に普遍的に着心地良いと思います。当時、実家で、“たまご”って名前をつけた犬を飼っていたんですよ。それで“たまご”が死んだときに、偶然“たまご”って名乗る女の人に会ったんです。そして、いきなり「ブランドやりたいからデザインしてくれません? 」って言ってくるので、それはもう相手の人が“たまご”だったらやるしかないでしょっ(笑)。SAICOBABAのライブが富士山の麓であって、そこに向かうバスで一緒だった女の人で。その後いろいろあり、途中でその“たまご”さんはブランドからいなくなったんですが、“たまご”さんが服飾の専門学校に通っていた頃、でも学校に通っていたのに服を縫えない人で、玉留めもできないような人だったようですが(笑)。めちゃくちゃセンスはよかったですけどね。で、その学校で“たまご”さんの宿題をずっとやってあげる人がいたんですけど、結局その人と2人でずっと一緒にemeraldthirteenをやっています。わたしがデザインした服のパターンをひいて全てその方が縫っています。ほんとに上手で、目の前でわたしがデザインした服が形になってゆく様をみて、本格的に洋服つくりをやろうと思いました。

emeraldthirteen HP

——毎期コレクションを出し続けているのは凄いですね。服を作ることで自身に変化はありましたか?

服はほとんど買わなくなりました(笑)。自分が着たい服をデザインしてるので。でも、いまだに落書きみたいな絵しか描けないんですよ。結局服はデザインされてるものより、布の1枚巻くので充分かなって思ってるんですけどね。シンプルな原布で巻いてるくらいが一番いい! というか、好みです。音楽もそうなんですけど、その日の音が奏でれれば、その日の気分、どんな人に出会って、すぐ影響を受けてでもいいし、共鳴して鳴ってしまう即座に聞こえてくる音を現実化すれば良いとおもう。その場の音がシンプルに出てくるのがいいなあって、即興演奏にその人の考え方なんかいらないですよ。すごい勉強して努力して準備をしていればやりたい音がすぐ出せるのかもしれないけど、わたしにはなかなかスピード感が伴わない。saicobabのシタール奏者の(ヨシダ)ダイキチは職人になったら次は超人になるしかないって、ずっとシタールを弾き続けています。でも一つの楽器に到達して行くのってそういうことなのかもしれないですよね。
一つの楽器と一体化し奏でることをするその人間の努力は超人になることなのかもしれない。わたしそういう人めちゃめちゃ尊敬しますけど、わたしというものはそういうの軽やかに超えて行く時があるんじゃないかなって。努力をしてなし得たい「超」なことを、気がついたら努力忘れて飛び越えていく感覚を知ってるような、したことあるような(笑)、気もするんです。
でも本当に楽器の超人になれたら、頭の中に流れてる音楽がダイレクトに奏でることができるのになあと思います。その為にめちゃめちゃ努力して勉強して確実に超人になること、その時間軸に憧れますけどね。

saicobab – Live in Los Angeles, 05.04.19 – Zebulon

ヨシダダイキチ
北インドの弦楽器シタールの奏者、作編曲家。1996年よりインド音楽とシタールを学び、2006年よりインド唯一のシタールの流派イムダード派の7代目ウスタード・シュジャート・カーンに師事。saicobabでの活動の他、様々なアーティストと共演を重ねている。

artwork by Syoujou Ooido

即興と楽器と演奏と。

——2年前に渋谷の能楽堂でsaicobabのライブを見ました。ヨシダダイキチさん達の楽器演奏に対して、YoshimiOさんのタイミングの取り方や声の出し方にもスキルを感じたのが、とても印象に残ってます。

瞬発力と即興ってやっぱり何か気の向くままというか、何かパンッと瞬時に自分を提示するような、自分の体調を整えるというか、気配を即座に感じ取れるよう、相手との間合いを拾う為に、自分を整えるという感じです。わたしにとっての即興はルールもなく、瞬発力でしかなくて。瞬発力を発揮できない時は何か自分の即興演奏をなぞっていますよ。それではつまらない。最近、やっと人の前でピアノを弾けるようになったんですけど、自分はピアノの教育を小さい時に受けていて、実はピアノちゃんと弾けるんです。ただ、弾けるってところでやってしまうので、それが全然自分が面白くなくて、ドラムをやっているときはドラムって何? っていうくらい、全然知らなかったんですけど、なかなかピアノではできなかったのが、最近できるようになったというのがあります。

Keisuke Kato/Red Bull Content Pool

——ピアノに対して、何か自分の中で変化があったのですか?

もともとピアノを習っているときに、その教則本の曲がどうも好きでなかったっていうのはありました。黒鍵が好きだったんで、自分で自由に弾くのは好きだったんですけど、人前でなかなか弾く気になれない。ドラム叩きながら、叫びながら、トランペット吹きながら、キーボードを和音の出るリズム楽器のように弾くっていうのならできるんですよ(笑)。

——和泉希洋志さんとのデュオ(YoshimiOizumikiYoshiduO)のアルバム『Live In Temple Inryo』では、ピアノを弾いてますよね?

(ピアノの生音を)和泉くんがモジュール化しているからですね(笑)。和泉くんがいない時はできないかもしれないです。最初に、ピアノもいいかなって思い始めたのって、ニューヨークのライブの時だったんですけど、ロバート・アイキ・オーブリー・ロウとスージー・イバラの3人でツアーをしていた時で、スージーが帰ってしまった日があって、ロブと2人になったんですけど、「今日は何やろう? 」ってなって、私のドラムとロブのモジュール・シンセサイザーで2人で声出してやったんですよね。その時ドラム叩きながら、ロブとのデュオだったらピアノでも弾けるかなと急に思って、何故だか、、ニューヨークに戻った時、ロブとまた2人でやってみようかっていうことになって、ちょうど会場に壊れたピアノが置いてあったんですよ。そこで初めて人前でピアノをやることになったんです。やはり目の前にそういう状況が現れてしまったというか、うっすら覚悟できてた後なんですけど……、自分がピアノを弾くイメージをしてしまってたんでしょうね(笑)。

和泉希洋志
Rephlexや竹村延和のChildiscからのリリース、ボアダムスのライブやレコーディング、小杉武久とのパフォーマンス、aSymMedley名義のプロジェクトでも知られるミュージッククリエーター/マルチプロデューサー。

ロバート・アイキ・オーブリー・ロウ
モジュラー・シンセの魔術師と称され、卓越したテクニックでミニマルなビートやスピリチュアル、コズミック、アンビエントサウンドまでを横断する。ドゥームメタル・バンド、OMのメンバーも務めながら、コラボレーションはYoshimi(Boredoms/ OOIOO)、Tyondai Braxton、Genesis P-Orridge(Throbbing Gristle/ Psychic TV)、Johann Johannssonなどに多数に及ぶ。

スージー・イバラ
フィリピン系アメリカ人のドラマー、打楽器奏者、作曲家。NYの先鋭的なジャズ・シーンでの活動から、クラシックや先住民族のミュージシャンとの共演まで多様な演奏活動を続けている。

——その時、いきなりピアノを弾いたんですね。ロバートさんの反応は?

「いいよ、でもドラムどうする? 」みたいな感じで(笑)。黙々とピアノを演奏できたんですよ、その時ロブのモジュール・シンセサイザーもちょうど壊れかけていて、なんかわたし1人でピアノ生音で弾いていて、でもなぜかその日、その場所で、その集う人の前で変な気持ちにならずにピアノを弾いたんです。わたしにとってはエライコッチャな話で……、でもその時の感覚でなんかもう人前でピアノできるかもって思って、日本に帰ったら、和泉くんがちょうどピアノを弾ける人を探していると言っているのを聞いて、「私がやるわ」ってことになりました(笑)。

——それまでは、ピアノを弾くことを封印していたのですか?

封印てほどでないけど、生ピアノは弾いてなかったですね。キーボードとかシンセサイザーはやってたんですけど。ドラム・セットのタムタムの位置にシンセサイザーをセットして右手で弾きながら、左手にスティック持って、右足でバス・ドラムをキックして、左足で足踏みキーボード踏んで、みたいなことをやっていて(笑)、リズム楽器で和音の出るものとして扱っていて、ピアノもリズム楽器と見てましたね。足でリズムをつけてピアノの上に立って踏んでみるとやる気が出る! とか。もともとそういう人だったのかもしれないです。そういう人が無理矢理ピアノを習っていたのかもしれません。いろんな偶然が重なった結果、ピアノは弾けるけど、ピアノだけは弾きたくないって思ってました。

——それが、今では素直にピアノに向き合えるようになったと。

そのようです(笑)。

——YoshimiOさんがピアノをきちんと弾けるということは知られているのですか?

どうなんでしょうか。そもそも全部同一人物だと思われてなかったと思います。今までのも(笑)。
レコーディングではよく弾いてました。ホンダユカとのYoshimi & Yukaの『Flower With No Color』ってアルバムではお互いグランドピアノを弾いてるし、ボアダムスの『Seadrum/House of Sun』というアルバムではわたしはグランドピアノ、弾きたおしてます。雑巾2枚もって、ピアノをハープのようにスルスルと鍵盤を掃除しまくるよう、弾いてます。

——和泉さんとのデュオは続けていく予定ですか?

続けようと思ってます。すごい面白いと思ってます。自分的に聴いたことない感じの音楽になっているというか。ピアノの音もモジュールシンセの音色もよく聴いたことがある音色だと思うけど、そのよくある音の中の無い部分を引き出してるような感じです。それが和泉くんとわたしの組み合わせだと思います。

コロナ禍がもたらせたもの、表現のコアにある姿勢とは。

——以前、話を伺ったときに、食の話もされてましたね。食に関して、改めて伺えますか?

もともと料理することは好きだったんですが、2017年頃から南インド料理を作りたいと思いたち、スパイスを揃え、早起きをして黙々と作ることにトライしだしたんです。本気で没頭してました。友達にどんどん南インドのベジタリアンミールスを作るようになり、何か録音を手伝ってもらったり、お世話になった人たちからも、「お礼はカレーでいいわ。また作って! 」って言われるようになり、だんだんお礼にカレーを作るようになりました。なのでわたしの料理の屋号は「oO」と言います。「お礼」と読みます。 で、emeraldthirteenの大阪での展示会の時にナチュールワインのお店のhapoさんがサーブしてくれる時があり、その時にワインと一緒にわたしもoOでおつまみ的にスパイス料理をだしたんですけど、そん時猛烈にhapoさんが美味しいと言ってくれて、hapoにoOでミールスを月に一度出すようになりました。その日をhapoO「ハポオ礼」といいます(笑)。南インド料理は和食とナチュールワインがとても合うと思う。それがヨシミールスです(笑)
多い時はミールスを1人で6時間くらいで50食近く出す時があって、めちゃめちゃ「行」でした。ミールス行というか、ただただ黙々と無心に料理みたいな……。なんでそこまでやってしまうんだろうなあと、自分でも不思議です、南インド料理。

——人に料理をサーブすることで、自分の中で変化はありましたか?

責任重大というところですよね。みんな飲み込むし、わたしの料理。「北海道から来ました、ここのワインを飲みにきたんですよ」という方がいらして、私がカレーを出したときに「YshimiOさんですか?! 」って言われたこともありました。すごい面白かったですよ。お客さんは本当にびっくりしてるし、泣き出した人もいるくらいです(笑)。大阪で昔から知ってるミュージシャンが噂を聞きつけて食べに来てくれるとか、その人の良い感じに老いた様子を見れるのも面白かったですね(笑)。ライブとかでない状況で。

——服や食もそうですが、ドラムも頼まれて始めたという点で共通しますね。

ライブに関しても、あまり自発的なものってないんですよね。わたしはライブがなくてもライブしてるような人なんです。別に人前に出なくても良いというか、、自分にデジっ子な素質があれば、毎日でも自分で録音してたいような人です。自然音や生活音で偶然聞きつける面白いタイミングをきっかけに頭の中にどんどん音楽が流れてきて、それを録音したり、バンドに伝えてそこから形にしたり、そこまでで納得するんですが、人にそれをシェアしていきたいが為にやはりライブって手っ取り早いですからね。

——でも、言われて人前に立った時には、きちんとタイミングを掴んでやりますよね。

その場に立たされたときに、自分は一番発揮するんだと思いますね。その場に立たされることを望んでいるわけではないんですけど、その場に立たされたらその時のできる限りのベストを尽くしたいと思うから、とはいえ、わたしは日頃から練習は全くしないんです。音楽すら聞かない。。その場に立たされてベストを尽くすってとこのベストがひょっとして人と違うのかなあと思ってしまう。何をもってベストを尽くしてるのか……、でもそこに無意識のうちに整えていくっていうか、自分のことをやっておきたいんですね。その場に出会うっていうことは尋常なことではないですから。でも具体的に準備すること無いんですけど(笑)。

——コロナ禍で、もう1年が経過しましたが、活動ができない期間は如何でしたか?

人前でライブしなくなったり、他の国に行かなくなったのは、主だった変化でした。30年くらいずっと続いてたことだったので、(笑)。もともと日本でのライブより海外でのライブの方が多かったけど、この先はわからないですね。でも家にいることが好きなので、すごい作物を育てやすかったですし、目の前の森はあいも変わらず生き生きしてます。それを日に日に確認する時間もでき、あやかれる時間もでき、自分が起きて今日は何がやりたいっていうことを、素直にやってきたっていうか。ただ、私は逆に、何もできない状態であることが本当に自分が活動したくなるタイミングがよりわかってきましたね。何にも流されず、やりたいときにやれると良いですよね、どんな状況であれ。なので、この状態をみんな右向いてるから右にならった方がなんとなく怖くないとか、なんとなくのなにかへの統一化に寄り添うのではなく、よくわからない状況の時、個々には本当に何がしたくて何を残していくか、何を手放すか、自分のあたりまえの見直しというか。じっくりゆっくりこの場を借りて自分と付き合えれば、それは良い時間を過ごすことになるのではないかなと、そう過ごしたいと思ってます。
あとは、今までやってきたセッションで面白いライブを、絶対多くの人が聞くことがないような埋もれた迷作と埋もれた名作を編集して shochy.bandcamp.com でそのデジタル音源を販売するようになりました。まさかこんな自主的なこと自分がやるとは思いませんでしたけど(笑)、ショッキーはOOIOOやsaicobabやYoshimiOizumikiYoshiduOや自分の音源を出していくのに作ったレーベルです。こういうのも続けるの大変ですけど、(笑)。
最近は朝起きてやりたい! と思ったときに、saicobabの新曲のうたの節の朝練をして、そのままスタジオにレコーディングに向かってます。saicobabの新しいアルバムを作っています。

bandcamp

photo by Scott Nhất KIM

——このインタビューでは、皆さんに共通で「超越」というテーマで話していただいているのですが、如何でしょうか?

何を超えたらいいんだろう。瞬発力っていうのは何かを超えるためのジャンプというか、一瞬にして起こるもので、多分、超、自分で自分を越することを超越というのかな、、自分を超えるってことは、自分をよく見てあげないとダメというか、自分を超えたところで見てあげないとできない。自分で自分に「おお! ここに辿り着いたか! 」と迎えてあげる(笑)。瞬発力、集中とも何か違うような、超自分が自分を超えるために自分で自分に何か手をかけてあげるみたいな感じかな。

——自分を外から見ているということですか?

外から見ないとわからなかったりしますね。あるいはわたしはどっぷり自分なので、外から見た自分を教えてくれる信頼する人の声をよく聞く。内なる声も聞いてあげる、大変です。だけど、その辺は軽やかにやっていきたいです。意識して超越してたら、大変です。いつの間にかの話じゃないでしょうか、(笑)。いつの間にか自分を乗り越えた時にやってくる感覚じゃないでしょうか。

——軽やかにやっているように見えます。

努力って、自分にも努力したっていう跡が残るし、すごい写真のように残っている、自分で覚えていられるし、素晴らしいことだと思うけど、それができないから、もうちょっと違う努力というか、自分を充実させてあげるときに何かポンと出てくる時はあります。自分を可愛がってあげて、、、(笑)。そんなもんじゃないんですかね、皆さん。自分が可愛いんじゃないでしょうか(笑)。

——そうですね(笑)。

そんな特別なことはしてないっていうことですよね、超越っていっても、そんなに特別なことではないのかもしれないです。すぐそこにあるかもしれないところに、ポンと行くというか。

——意識しないでいってしまうこともありますよね。

意識しないと、すぐ何も覚えられなくなるので……。

——学び、努力するというより、記憶に留めて蓄積したいということでしょうか?

その場限りのすごい良かったことも、その時一緒にいた人とか、出くわした人とか、その時だけの体験っていうのはすごい重要ですけど、その時に何したっけ? っていつも思っていますからね。その先に行くのに、感覚をずっと覚えておきたい、その場しのぎみたいなことではないんですよね。感覚として覚えて、次にまたその瞬間を迎えたいという。

——自分が残してきた録音や作品は、きちんとアーカイブされているのですか?

今までにめちゃくちゃCDやレコードで自分が録音してきた作品、ジャケット含めた作品はたくさんあります。けど、基本聴かないんですよね。だから、人に聴かされて、「何これめっちゃかっこいい、何の曲? 」って訊いたら、自分のだったっていう、恥ずかしいこともあります(笑)。

——新しく曲作ろうとなったときに、自分が作った前の曲も一切聴かないと?

聴かない、、ですね。え? 次の作品作る時、前の作品聴くのですか? いや、聴かないですね。新しい感覚が出てきた時に次の作品作りたいと思うので、あんま前のもの聴いても、しょがないというか、、そういう意味では、和泉くんとのデュオは完全に新しい感覚で臨めるから、何かのようなものにはならないですね。

——デュオでの録音やライブは予定していますか?

そんなにやった機会がなくて、岡山に䕃凉寺というお寺があるんですけど、そこにグランド・ピアノがあって、和泉くんとやったんですよ。それが2回目のライブだったかな。その前に、大阪で映像の会社でJIKANってとこのスペースで演奏しました。その日はポートランドのMSHRと一緒でした。それが最初のライブでしたね。家の近所にピアノのある気持ちの良いカフェがあって、最近そこでピアノの録音をしたんですよ。今アルバムを作っている最中です。いい形でリリースしたいです。最初のアルバム(『Live In Temple Inryo』)はララージと一緒にやったときのライブ音源を編集しマスタリングして出したんですけどね。それを出したときには、もうコロナでライブがなくなってしまって。

ララージ
アメリカ出身のマルチ・インストゥルメンタリスト。ブライアン・イーノに見出されて以降、チターを使った演奏で、アンビエント、ニューエイジ、ドローン・ミュージックの発展に大きな影響を与えてきた。

——今年の3月にDOMMUNEでもライブをやられてましたね。

代官山のサロンのOOO YYのヘアカット・ショーのバックで演奏するのでっていうのをやったんですよ。すごい面白い画像がずっと流れてたと思うんですけど、それは全国配信でありましたね。まだ、それぐらいなんですよ。L.A.にOdaというスピーカーの会社があり、そのスピーカーに音を乗せて 7/10新月にsaicobabでライブストリーミングをしようと思っています。

DOMMUNE

——Odaは、まだ日本ではスタートしていませんが、専用の木製スピーカーで聴くという、ユニークなサブスク型コンサート配信サービスとして注目されているようですね。

最初はストリーミングって何? ライブはできるときにやればいいやん! と思ったけど、全然違う角度から面白いスピーカーが出てきたり、「これを送るんで、適当にどこででも演奏してください」っていうのが、それはそれで面白いなって思いましたね。

Oda

Words:Masaaki Hara