ジャズと一口に言っても、そのスタイルは実に多彩。ビッグバンドによるスウィングジャズから、アドリブ満載のビバップ、さらには実験的なフリージャズまで、ジャズは時代ごとに進化を遂げてきました。本記事では、オーディオ評論家の小原由夫さんが、それぞれの音楽的特徴や背景を代表曲とともに解説し、ジャズの魅力を深掘りします。
ジャズファンク
ジャズにファンク、ソウル、R&Bの要素を融合させたもので、ジャズならではの即興演奏も織り交ぜられている。”ジャズ” が主であり、それに “ファンク” の要素が加わっているというニュアンスであるからして、“ファンクジャズ” というよりも、このカテゴリーは “ジャズファンク” とした方がしっくりくる。また、その一部は後年ヒップホップにサンプリングされたり、ヒップホップジャズへと直接発展した動きも見られる。
ジャズファンクの端緒は、ブルーノート・レコードのジミー・スミス(Jimmy Smith)の一連のオルガン作品とする節がある。また一方では、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)の70年代初期の作品(例えば「On The Corner」)がジャズファンクの誕生と唱える論調もある。
ここでは代表的アルバムとして、ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)の『Head Hunters』を紹介しよう。私が最初に手にしたハンコックのアルバムも本作だった。アルバム冒頭に収録された「Chameleon」が、ジャズファンクの象徴的演奏のひとつに挙げられる。ハンコックの弾くシンセベースの跳ねるようなリフがたいへん印象的だ。
ボサノヴァ
1960年代始めに主にウェストコーストの白人ジャズミュージシャンを通じて世界に広まった経緯があるため、ボサノヴァをジャズの亜流とする見方もあるが、本来はサンバの一種として定義される傾向も見られる。ボサノヴァはジャズよりもテンポがゆっくりしており、リラックスした穏やかなムードを持つ。また、ジャズのような即興演奏を織り交ぜることも少ない。
ボサノヴァは基本的には8ビートで、サンバのリズムを下敷きとしながら、より洗練されたリズム感からなる。また、ヴォーカル曲が多いことも特徴のひとつだ。
代表曲は、スタン・ゲッツ(Stan Getz)の人気盤で、ボサノヴァの創始者の一人とされるジョアン・ジルベルト(João Gilberto)との共演盤、1964年リリースのアルバム『Getz/Gilberto』から「The Girl from Ipanema(イパネマの娘)」を挙げる。歌詞はポルトガル語と英語で構成されており、作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン(Antônio Carlos Jobim)。ここで歌っているのは、ジョアン(ポルトガル語詞部分)とその細君アストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto、英語詞部分)だ。
スムースジャズ
1970年代後半に誕生したもので、フュージョンにポップスやR&B、ファンクの要素を加えた、たいへんに耳馴染みのいいジャズだ。スムースジャズという名称自体は、80年代末に米ラジオ局が使い始めたとされ、90年代にジャンル名として定着した。
アドリブパートが少なく、メロディー重視でワンコードで演奏されることが多いためか、リラックスできる音楽としてBGMに活用されるケースが多い。
ソプラノサックス奏者のケニー・G(Kenny G)の1987年の大ヒット曲で、ビルボードのポップチャートでも4位を記録した「Songbird」は、スムースジャズが何たるかを文字通りスムースに理解できる代表曲だろう。あのメロディックなフレージングこそ、まさにスムースジャズそのものであると言える。
コンテンポラリージャズ(フュージョン)
広義には現代的なジャズ全般を指すが、特に70年代半ば以降に登場した、ジャズをベースとしつつ、ロックやポップス、ファンク、R&B、ワールドミュージックといった様々なジャンルの音楽的要素を取り入れたジャズを指す。今日フュージョンとカテゴライズされる音楽をコンテンポラリージャズと解釈しても問題ないだろう。
スムースジャズと混同されるケースもあるが、より自由な即興演奏やシンコペーション、実験的アプローチなど、スムースジャズよりもモダンジャズに近いとされる。
キーボード奏者のラッセル・フェランテ(Russell Ferrante)をリーダーとする4人組のイエロージャケッツ(Yellowjackets) は、息の長い活動を続けるコンテンポラリージャズグループのひとつ。1988年発表のアルバム『Politics』は、同年のグラミー賞ベスト・フュージョン・パフォーマンス部門を受賞した。その冒頭曲「Oz」では、躍動的でスリリングなアンサンブルが堪能できる。
ヒップホップジャズ(ラップジャズ)
ヒップホップジャズ、またはラップジャズは、80年代後半にジャズとラップが融合して生まれたジャンル。ヒップホップのリズムやサンプリングの手法を取り入れた今日的な新しいジャズのスタイルといえる。
1990年に公開されたスパイク・リー(Spike Lee)監督作品『Mo’ Better Blues』でエンディングに流れるラップデュオのギャング・スター(Gang Starr)による楽曲「Jazz Thing」がそのルーツとする説があれば、パブリック・エネミー(Public Enemy)こそヒップホップジャズの起源とする説もある。いずれにせよ、社会批判や政治批判等、俗に言う “ブラックパワー” と無縁ではなく、そうした点では黒人中心のジャズの流れ、とりわけリズムとメロディーはヒップホップとのマッチングがいい。
キーボーディストのロバート・グラスパー(Robert Glasper)がこのジャンルの最重要人物の一人であり、次代のヒップホップジャズを担う中核的存在であるのは間違いない。即興性と実験性が横溢(おういつ)した彼のアルバム『Black Radio』を聴けば、その意味するところが理解できることだろう。
アシッドジャズ
1980年代から90年代にかけて英国のクラブシーンで生まれたジャズの派生ジャンル。ダンスミュージックとしてのジャズという視点では、スウィングジャズとの共通点が見出だせるが、現代的なラテンやブラジル音楽、さらにはヒップホップなどの要素を取り入れた、クラブミュージックに近い解釈から生み出されたジャズといった方がわかりやすいだろう。リミックスやサンプリングといったクラブDJのムーブメントとも無縁でない。また、クラブカルチャーやファッションともリンクした。
その初期には、ジャミロクワイ(Jamiroquai)が世界的な人気を誇ったが、ここではイギリスのバンド、インコグニート(Incognito)を紹介しよう。世界的なアシッドジャズのブームを牽引した彼らの「Always There」を代表曲として採り上げたい。
Words:Yoshio Obara