音楽家にとって、ライブや録音の際に音を鳴らす「場」とはどういう存在だろうか。 そこに求められる環境は、計算された音響空間や優れた機材などといったものだけだろうか。

オペラのような声を響かせたかと思えば、民謡のような歌い回しやどこか遠い国の宗教歌をも連想させる独自の歌唱表現を確立し、現在はロンドンを拠点に活躍する歌手のハチスノイト(Hatis Noit)は、高校生のときにネパールで尼僧の読経を聴き、インドのラーガや日本の雅楽、奄美の民謡を学んだ経験を持つ。 様々な場所との結びつきを感じるプリミティブな音楽が彼女に影響を与えてきた。

ペンギン・カフェ(Penguin Cafe)、ニルス・フラーム(Nils Frahm)、キアスモス(Kiasmos)などのリリースで知られるイギリスのレーベルErased Tapes Recordsから2022年にリリースしたアルバム『Aura』は、建築物内の反響音を含めて音源を再録音するという「リアンピング」という手法を用いるなど、まさにそうした影響を現代的に咀嚼する試みがなされている。

音楽の本質を考える上で、時に見落とされがちな「場」という視点。 そこに重きを置く彼女のスタイルは、音楽の制作やリスニング環境がデジタルベースになった今の時代においては希少であるからこそ際立つものがある。 このインタビューでは、「場所はもう一人のメンバーである」という彼女にとって、それらがどのようなインスピレーションを与えているかを中心に話を聞いた。

「場」はコラボレーション相手であり、インスピレーションの源泉

『Aura』では、スタジオで録音した音源を教会で再生し再度録音するリアンピングという手法を用いています。 また、特に近年は教会や聖堂などの場所でライブをする機会も増えていますよね。

日本で活動していたころから、お寺や教会、石切場や洞窟、トンネルの中などキャラクターのある場所にブッキングされることが多かったんです。 ヨーロッパに来てからは、私からブッキングエージェンシーに、そういうキャラクターのある場所を特に選んでくださいってお願いしているから、さらにそういう機会が増えました。

去年はイタリアの自然遺産になっているアルプスの麓の渓谷や、1200年前に作られた教会で歌ったりしました。 私の音楽にとってスペースはすごく大事なもので、音響がコントロールされた場所で人工的なリヴァーブをのせるよりも、特徴のある空間の響きを感じながら歌うことで、自分の音楽のポテンシャルが発揮できると思っているんです。 私にとっては、毎回異なる環境であっても、その場独自の音響と会話しながら自分をそこにフィットさせて声を響かせていくというやり方が合っているのだと思います。

ライブでの演奏は事前に準備していく部分と即興の部分があるそうですが、即興で出てくる音は会場の環境とも関係がありますか。

すごくあります。 場所の雰囲気や音響によって受け取るものって全然違うんです。 音響だけじゃなくて気温とか湿度とか。 無機物だけじゃなくて、そこにいる人も影響します。 それらをひっくるめて場所とコラボレーションしているという感覚があるんですよね。 演奏は、ある程度作曲されているものではありますが、それをその場所に持って行くと、空間と会話をする過程でパフォーマンスが変わっていくんです。

教会のような建築物の中には人間の記憶があると感じていて。 百年だろうと千年だろうと、歴史の中でそこに訪れた人たちの記憶が染み付いている気がします。 一方で屋外の自然の中では、たとえばアルプスの山の中では地球が動いて谷間ができて、というものすごく大きなゆっくりとした力が働いてその地形があるわけじゃないですか。 そういうエネルギーや時間を感じながら歌っていると、それに応えたくなって自然と即興的になっていく。 観客のなかにはそこに住んでいる人たちがいるわけですが、彼らとともに音楽を通して、その場所がどういうものなのかを発見しているような感覚を覚えることもありますね。

その場所に合わせて、事前にパフォーマンスの内容を準備していくこともあるのでしょうか。

その場所に行って初めてインスピレーションがわいてくることがほとんどですね。 初対面の人に会うみたいな感じです。 やっぱり会ってみないとその人のキャラクターって分からないですよね。 初めてその場所に入って、声を出してみて、その声がどう響くか、どう返ってくるか。 教会によっても石でできているか木でできているか、天井が高いのか低いのかで全然違うし、行ってみないと分からない部分が多いです。

『Aura』をつくっていたときに、Erased Tapesのレーベルオーナーでプロデューサーのロバート・ラス(Robert Raths)から「スペースは君の音楽における二人目のメンバーだ」と言われたことがあったのですが、そのときに腑に落ちたというか、ヴィジョンが開いた感覚がありました。 作曲されたものがあってパフォーマンスとして持って行くけれど、そこにはもう一人のメンバーが待っている。 スペースというメンバーと一緒に私は歌を歌って、自分のパフォーマンスをそこで完成させているんです。

聴き手としてもそれはとても納得のいく表現だと思います。

最近は、活動の中でこのコンセプトを理解してもらえることが増えて、とても嬉しく感じています。 ブッキングエージェンシーも私に良きメンバーを見つけてあげようと考えながら動いてくれて、クラシックな美術館だったりモダンなコンクリート建築の美術館だったりといった場所を用意してくれる。 そういう、常に人が行き交っていたり、暮らしがある場所に呼ばれるときは、その空間を設計した人の意図みたいなものと会話しながらパフォーマンスするというか。 例えば階段があって、奥まったスペースがあって、廊下の向こうがちょっと抜けてホールになっているなら、端から入っていってマイクオフで歌いながら動き回って、どの方向に向けてどう声を響かせようかとか、あそこの奥まっているスペースで声を出してみようとか。 即興しながら、空間を読みながら歩いて、向く方向も変えて、お客さんがどこにいるかを感じながらやるんです。 それが楽しいし、パフォーマンスを常に有機的にしてくれるんです。 たいていは、会場に前乗りして見学させてもらって、建物の歴史をリサーチして、現地のプログラマーの人と会話しながら一緒につくっていくという手順を踏むことが多いですね。

記録から抜け落ちる「記憶」と共鳴したい

歴史といえば『Aura』にも「Jomon」という曲があります。 ハチスさんは歴史をどんなふうに捉えて表現していますか。

授業で習うような史実を捉えることよりも、私のインスピレーションにおいて重要なのは記憶です。 その場所に訪れた人たちが持っている記憶にすごく興味がある。 以前、オーストリアのグラーツのフェスティバルに参加した際に撮影があったのですが、撮影場所が第二次世界大戦時に使われていた防空壕だったんです。

初めは、この土地の人間ではない私が重い歴史が宿っているこの場所に立っていいのだろうか、歓迎されないのではないかと思っていました。 でも、いざ中に入ってみると、想像していた負の感覚や怖さみたいなものは全くなくて、むしろ守られているような、ほっとする感覚がありました。 後で聞くと、その壕のおかげで本当にたくさんの市民が命を守られたのだそうです。

英雄伝のようにストーリー化された歴史がよく人々の対立を助長してしまう一方で、そういう、場所の歴史を深く降りていったときに感じ取ることのできる当時の人々の記憶や感情、感覚というのは、とても普遍的で、自然と誰しもが共感できるものじゃないかと思うんです。 そういうものに共鳴して歌っていると、たとえ私が遠く日本から来ていようが、全く異なる文化・歴史を持っている国、異なる人生を歩んで来た人たちとの間でも、共感のようなものを生むことができるのではないかと思っています。

教科書などを通して歴史を知ることはできますが、当時その場所に生きていた人々の体験に思いを巡らせる機会は少ないですよね。 体験が語りや文章といった言葉で伝えられた場合にも、抜け落ちてしまうものもある。 その言葉では残せない、伝えられないものをハチスさんは音楽で表現しようとしていると。

その部分に関心があるのだと思います。 言語化さえされなかった部分の記憶を歌いたい。 そのビジョンはロンドン、ヨーロッパという、たくさんの移民がいて、多民族、多様な歴史・文化が複雑に入り混じる場所に引っ越してきてからより明確になりました。 それはマルチカルチュアルな場所のいい部分でもありますが、時にはぶつかり合いも生じる。 BLMや最近の戦争なんかでも、とても身近にいろんな衝突を目にしました。 文化的な違いとか、歴史問題に関する知識ってどれだけ持っていても充分ではないですよね。 その軋轢(あつれき)を知識で埋めるための作業って、完璧がありえないからこそ辛くなってくる部分があると思うんですよ。 自分の英語が上手くないから、という理由もあるかもしれませんが、言葉でどれだけ議論しようとしても、最終的に分かり合えないという結論に至ってしまいそうで。 そんななか、議論や言葉以外の手段で「私たちはどのように分かり合えるか」を考えたときに、私たちの中に何が残っているかを考えるんです。 そこまで戻ると私たちにはちゃんと通じ合うものがあって、例えば家族や故郷を恋しいと思う気持ち、誰かのことを大切にしたいと思ったり、誰かに大切にされたい、守りたい、守られたいって思ったりする気持ちが浮かび上がってくる。 日本に住んでいたときよりお互いの違いを意識するようになると、無理に同化することよりも、全然違うけど、でも同じものも持っているよね、みたいな見方を持つようになりました。 そこに私自身が救われているから、音楽もよりそうなっていくというか。

メレディス・モンクや民謡から受けた影響

なるほど。 なにかを伝えるのではなくて共有するという表現は場所と対話することで初めて可能になることなのかもしれないですね。

あと、ユニークなスペースで積極的に歌うようになったきっかけとしてひとつ大きかったのが、メレディス・モンク*という歌手のワークショップに参加したことでした。 はじめは、歌い方とか作曲の仕方を教えてくれるのだと思っていたのですが、身体を場所の中に放り込んで、どうやってその場所と交流できるかということに重きを置くのが彼女のスタイルだったんです。 目から鱗の体験でした。 参加していた人は歌手や音楽家、作曲家が多くて、ダンサーはほとんどいないんですよ。 だけど、なぜかダンスのような身体表現をやらされている。 最初はびっくりしたけれど、メレディスがどんな動きでも褒めてくれるし、勇気づけてくれるから段々と楽しくなっていって。

彼女に教わったことは、まずスペースを視覚で見て、それを身体の動きに翻訳すること。 窓の形を腕とか手の動きでなぞってみるとか、円を描くために身体を回転させたり、声を出してみたり。 こんなに自由に表現していいんだ、ということを学びました。 この体験のおかげで、単純に歌だけに表現をフォーカスするのではなくて、声は身体から出る訳ですから、声を拡張した身体という楽器そのものを使って音を出したり、動いて表現したりと、色々なチャンネルを使ってこの場所を翻訳して返していけるんだ、という考えに切り替わったんです。 空間というものをもっと細かく感じられるようになったとも言えると思います。 解像度を上げて感じられるようになったし、自分の表現も深まった気がします。 彼女は東洋的な思想にも精通していて、ワークショップでは仏教の説話を用いたプログラムも多かったんですよ。

*メレディス・モンク(Meredith Monk):1942年生まれ。 作曲家、歌手、演出家。 ハウス・ファウンデーション芸術監督。 1960年代よりニューヨークを拠点に活動。 1981年の『Dormen Music』以降、ECMから発表した作品も多数

そういう表現のあり方はある意味ではとてもプリミティブなものとも言えそうですよね。 そういった視点を追求しているハチスさんは、どんな音楽にシンパシーを感じてきたのでしょうか。

ミニマムな構成で成立しているものに魅力を感じるのだと思います。 例えば、三味線と声だけで歌われる民謡とか、ああいったシンプルな音楽の「強さ」には敵わないなと思うんです。 原体験になったのは、高校生のときにネパールのお寺で聴いた尼さんの読経です。 すごくメロディックで、歌に聴こえたんですよね。 なんて美しいんだ!と衝撃を受けて。 伴奏もない声だけのとても素朴なものなのにすごくジンとくるものがあって。 そういうシンプルで肉体的な音に特別な感銘を受けますね。 日本だと奄美島唄の朝崎郁恵さんや、沖縄の山里ユキさんのような歌手がすばらしいと思っています。 五線譜的な意味での歌の上手さではなく、声自体にものすごいエネルギーがある方たちですよね。

ご自身もそういったものを目指しているというということですよね。

そうですね。 ヨーロッパに来てから改めて感じているのは、アカデミックな教育を受けている歌手の方々と比べたら、私はクラシックの素養もないし、楽譜に強いわけでもないので、同じフィールドでは敵わない。 クワイアや合唱音楽には影響を受けましたし、大好きです。 だけど、私が出来ること、私の声って何なんだろうって思ったときに、突き詰めるべきはそこじゃないと思っています。 私が感銘を受けてきた読経や民謡のような生の声を、私なりに極めていってかたちにしたいと思っているんです。

HATIS NOIT

ハチスノイト

ロンドンを拠点に活動する音楽家、ヴォーカリスト。 北海道知床出身。
クラシカル、民族音楽、即興などを昇華したユニークな歌唱と、自身の声のみで構成された楽曲スタイルで、英紙ガーディアンにて「今見るべきアーティスト」に選出。
2017年よりロンドンへ拠点を移し、ペンギン・カフェ、ニルス・フラーム、キアスモス等のリリースで知られるイギリスのイレーズド・テープスと契約。
ヨーロッパ各地での音楽フェスティバル出演をはじめ、チケット完売となったロンドン・コンテンポラリー・オーケストラとの共演、ミラノ・ファッションウィークでのパフォーマンス、デヴィッド・リンチ監督より招聘を受けたマンチェスター国際フェスティバルでの公演など、ヨーロッパを中心に精力的に活動する。
他アーティストからの評価も高く、ビョークの『ヴェスパタイン』で知られるプロデューサー・マトモスやザ・バグ、ウィリアム・バシンスキーとの共作、ヨンシー&アレックスでのコーラス、ルボミール・メルニク作品への参加など様々なコラボレーション活動も行う。
2022年、アルバム『Aura』をリリース。 バンドキャンプにてアルバムオブザデー、ヴォーグ誌にてシーズンベストアルバムに選出される。

Words:Koki Kato
Edit:Kunihiro Miki