ベートーヴェンやモーツァルトなど、音楽室の壁に飾られているような中世の作曲家たちが生み出した、美しく荘厳で静かな演奏曲――そんな印象が強いクラシック音楽ですが、その長い歴史の中には、型破りで前衛的なアプローチを試みた作曲家たちも存在します。

その一人が、マウリシオ・カーゲル(Mauricio Raúl Kagel)。奇抜な演出やユーモアを取り入れ、クラシックの枠を大胆に超えた彼の作品は、聴覚だけでなく視覚や思考までも刺激します。そんなカーゲルのユニークな世界観とクラシック音楽の常識を覆す表現手法について、音楽家、録音エンジニア、オーディオ評論家の生形三郎さんに解説していただきました。

文学と哲学を学んだ作曲家、マウリシオ・カーゲル

クラシック音楽というと、一般的には、伝統や既存の秩序を重んじる、保守的でコンサバティブなイメージが強いのではないかと思います。 実際に、演奏の機会が多く知名度の高い楽曲は、そのようなものが多いと言えます。しかしながら、とりわけ現代の楽曲、20世紀以降に作曲された作品の中には、突拍子も無い奇抜な演出やユニークな演奏による、クラシック音楽に抱くイメージを軽々と飛び越えた作品も存在します。

スペインはブエノスアイレスで生まれた作曲家、マウリシオ・カーゲル(1931-2008)は、大胆で奇抜な演出を取り入れた作品で知られる人物です。

中でも「ティンパニとオーケストラのための協奏曲(Concerto piece, for timpani and orchestra)」には、主役のティンパニ奏者がクライマックスで「紙を張ったティンパニに最大限の力で上半身が隠れるまで突っ込み、静止する」と、挿絵付きの指示があります。なんともぶっ飛んだ指示ですね。

「ティンパニとオーケストラのための協奏曲(Concerto piece, for timpani and orchestra)」には、主役のティンパニ奏者がクライマックスで「紙を張ったティンパニに最大限の力で上半身が隠れるまで突っ込み、静止する」と、挿絵付きの指示
画像は生成AIによるもの

これだけ聞くと、「ネタでやっているのではないか?」とか「そもそもちゃんとした作曲家なのか?」とか疑いの目も向けられてしまうかもしれませんが、実はれっきとした素晴らしいキャリアをもった作曲家です。

カーゲルは、楽器の演奏や指揮、音楽理論についての個人指導を受けたものの、大学では文学や哲学を学び、作曲自体は独学で学んだという才能の持ち主。電子音楽発祥の地とも言われるドイツはケルンの電子音楽スタジオで制作したり、当時の現代音楽のトレンドの最先端とも言える国際的な音楽講習会で講師を務めるなど、まさにその道のエキスパートなのです。

作風はかなりストイックで、ベートーヴェンの作品からの引用のみで構成される「ルートヴィヒ・ヴァン(Ludwig van)」や、オルガンのストップ(鍵盤の左右に設けられた、音色を変更するために操作する栓)を開け閉めしまくる「追加されたインプロヴィゼーション(Improvisation ajoutee)」など、変わったものも多いです。

そして、この「ティンパニとオーケストラのための協奏曲」ですが、まさにティンパニという楽器の可能性を絞り尽くした作品と言えます。ティンパ二は通常、棒の先をフェルトで覆ったバチを使って演奏しますが、それだけにとどまらず、ありとあらゆる道具を駆使して演奏します。

実は多岐にわたる、ティンパニの演奏方法

その演奏方法はというと、ジャズドラムでお馴染みのワイヤーブラシを使うのは序の口で、手で直接叩いたり、マラカスで叩いてしまったり、果てはメガホンで歌を歌った声でティンパニの打面を振動させ共鳴させるという手法までが登場します。

極め付けが、フィナーレ部分での「突っ込み」です。これは、通常の打面の代わりに紙を張ったティンパニを一台用意しておき、最後の最後で奏者が全力で頭から突っ込むというものです。しかも、楽譜には音の強さを表す強弱記号の「フォルテ(f)」が5つも付けられ「fffff」となっており、その直前の演奏では「ffff」がついていることから、ラストはまさに最大級のパワーでもってティンパに突入せよという指示なのです。

実は、ティンパニをマラカスで叩いたり、ワイヤーブラシで叩いたりというのは割と現代の楽曲では常套手段でもあります。もっと言えば、鈴やシンバルを打面の上において叩いたり、スーパーボールを半分に切ったもので打面を擦って音を出したり、ティンパニの演奏方法は結構多様なのです。それだけ様々な音響表現を追求できる楽器でもある、ということですね。これらを知ると、決してこの曲が単なるネタではないことが想像できるかと思います。

ただ、「奏者がティンパニに頭を突っ込む」のはこの曲だけですので、そこにカーゲルならではの発想力の豊かさがあると言えます。

意図的なハプニングによる”挑戦”

カーゲルは他にも、演奏中に指揮者が倒れる演技をする「フィナーレ(Finale)」という作品も作曲しています。これもまた、倒れる部分だけがクローズアップされるので、実にセンセーショナルな作品ですが、作曲した本人は至って真面目に思考した末の作品と言えます。

この作品で聴衆は、楽曲がクライマックスに向かう際に、演奏の統率者である指揮者が倒れてしまうという大きなハプニングに見舞われます。その後は、仕方なくコンサートマスターもしくはコンサートミストレス(指揮者の左側に座っているヴァイオリニストで、指揮者に次ぐオーケストラの統率者。通称コンマス、コンミス)が指揮をしながら演奏を続けるのですが、このように、あえて予期せぬ混乱を起こすことで、聴衆が音楽演奏を聴く際に寄せる、音楽に対する伝統的な音楽の構造や期待に挑戦しているのです。

これによって、演奏を聴いている人は、自分が聴いたり観ている音楽とは、演奏とは、一体どういうものなのか、ということを改めて問い直すことになります。

このような思考は、冒頭でも紹介したように、まさにカーゲルが哲学を学んでいたことに由来しているのでしょう。

現代音楽は、知れば知るほど面白い作品が多いです。カーゲルと同世代で、電子音楽の第一人者とも言えるドイツの作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen、1928-2008)の作品には、弦楽四重奏の奏者一人一人が、それぞれ別のヘリコプターに乗って演奏する「ヘリコプター弦楽四重奏曲」というとんでもない発想の曲も存在しますが、それはまた別の機会にご紹介しましょう。

Words:Saburo Ubukata

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