昭和時代、日本独自のポピュラーミュージックとして数多くの名曲を生んだ「歌謡曲」。その魅力をひも解く本企画では、アーカイヴァーの鈴木啓之さんにご案内いただき、世代を超えて愛され続ける名曲をその背景とともに紹介していきます。

今回とり上げるのは、松田聖子の「ガラスの林檎」。透明感のある歌声と繊細な世界観で1980年代の歌謡界を象徴した彼女の代表曲を入り口に、その魅力と時代を彩った活躍をたどります。

山口百恵の引退と松田聖子のデビュー。時代を分けた1980年

時代の変わり目には必ず新たなヒーロー、ヒロインが現れる。これまで幾度となく書いているけれども、1980年の山口百恵引退と松田聖子デビューの交代劇は実に見事だった。4月1日に松田聖子がレコードデビューし、10月5日に山口百恵のファイナルコンサート。つまりは半年のクロス期間があったわけで、結果論とはいえ、その辺りも絶妙な演出となっていた。今日、70年代アイドルと80年代アイドルが明確に分類されているのも、松田聖子の鮮烈なデビューがあったからこそ。楽曲もルックスも立ち居振舞いも、何もかもが従来のアイドルとは一線を画して新しく、ひときわ輝いていたのだ。

新人・松田聖子を押し上げた「青い珊瑚礁」

「抱きしめたい!ミス・ソニー」のキャッチフレーズで売り出された新人、松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」は新たなアイドル時代の幕開けを飾るに相応しいー曲となった。前年にヒットしたサーカスの「アメリカン・フィーリング」を手がけた小田裕一郎が、それと同じ様な高揚感のあるメロディを、との依頼を受けて作曲にあたった。

資生堂「エクボ洗顔フォーム」のCMソングとしてスマッシュヒットするも、当初はCMに出演していたモデル、山田由紀子が歌っているものと間違えられるくらい、まだ知名度はなかった。ちなみにCMモデルのオーディションも受けていたが、エクボが出来ないために出演は不合格であったという。

7月に出された2枚目のシングル「青い珊瑚礁」のヒットで状況は一変する。彼女の楽曲制作におけるキーマンとなる大村雅朗が初めてアレンジを手がけたこの曲で松田聖子は完全にブレイクを果たした。

グリコアイスクリーム「ヨーレル」のCMソングになったために森永製菓提供の『夜のヒットスタジオ』では歌えない、というハンディを背負いながらも、やはりテレビの力は大きく、レコード発売2日後に、同期の岩崎良美と共に『ザ・ベストテン』の “今週のスポットライト” コーナーで紹介されたのが印象深い。この時歌われたのは「裸足の季節」だったが、お茶の間の認知度がグッと上がり、新曲の最高のプロモーションとなった。

『ザ・ベストテン』への初ランクインとなった8月14日の放送はもはや伝説と化している。札幌からの帰途、羽田空港内の滑走路で飛行機から降りてすぐに歌うという演出が各方面の許可を得て実現し、生放送ならではのスリリングな中継シーンが放映された。

しかもそんな状況下でも聖子は新人離れした素晴らしい歌唱を聴かせ、大物ぶりをしっかりとアピールしたのである。その結果が、3週連続の1位獲得となる。初めて1位となった週には母から手作り弁当が届き、中継で繋がった母に「おかあさ~ん!」と涙ながらに呼びかける名シーンが生まれる。さらにその翌週、9月最後の放送では山口百恵との最初で最後となる共演が実現。激励の言葉を投げかけられた。

松本隆・松任谷由実ら名作家と築いた聖子ソングス

その後も、三浦徳子×小田裕一郎コンビの3作目「風は秋色」、財津和夫が初めて手がけた「チェリーブラッサム」に「夏の扉」とヒットを連発。続いて6枚目のシングルとなる「白いパラソル」では松本隆が初めて詞を提供して、以降も聖子ソングスの中核を担う作家となってゆく。『ザ・ベストテン』では、番組史上初の初登場1位という栄誉にも輝いた。

大瀧詠一が提供した「風立ちぬ」を経て、1982年の1枚目「赤いスイートピー」では、呉田軽穂のペンネームで松任谷由実が登板し、次の「渚のバルコニー」も続けて手がける。ユーミンの流麗なメロディが、ポップでキュートな聖子の歌声と相まって耳心地満点。ユーミン楽曲の魅力を知り尽くした松任谷正隆のアレンジにも隙がない。

押しも押されもせぬトップアイドルへと成長を遂げた松田聖子は、この年の秋にリリースされたグリコポッキーチョコレートのCMソング「野ばらのエチュード」で、『第11回FNS歌謡祭』のグランプリを獲得する。

そして1983年は、4度目となる松本隆×呉田軽穂コンビの「秘密の花園」で幕を開けた。寓話の世界に迷い込んだかの様な不思議な浮遊感が漂うファンタジックな作品。聖子にしては珍しい、白いミニスカートの衣装で歌い、途中でちょっと足を上げるアクションも新鮮だった。揺るぎない存在感で堂々10作連続の1位を記録したところで、細野晴臣がアルバム曲に続いて初めてシングルの曲を書き下ろした。 

主演映画『プルメリアの伝説 天国のキッス』の主題歌となった「天国のキッス」は、作詞の松本自身が傑作と表している。はっぴいえんど時代からの盟友である細野晴臣と共に松田聖子に楽曲提供出来た感慨もあったろう。転調を繰り返す凝ったテクノ歌謡は、いわゆるイエローマジック歌謡曲の中でも秀逸な一曲。

名曲「SWEET MEMORIES」と「ガラスの林檎」の光と影

しかしそれ以上に完成度の高い作品といえるのは、続けて細野が手がけた通算14枚目のシングル「ガラスの林檎」ではないだろうか。歌手・松田聖子がある種の聖域に達した様な曲。これがアルバム曲ではなくシングルで出された時点で、レコード大賞を獲るに違いないと確信させられた。実際制作陣もそんな意気込みであったらしいが、結局レコード大賞では金賞に留まり、グランプリは細川たかしの2年連続受賞となった。当時の対抗番組だった歌謡大賞もまた然り。

それには様々な要因が考えられるが、途中からカップリングの「SWEET MEMORIES」がサントリーのCMに使われて脚光を浴びて両A面となり、本来のA面曲「ガラスの林檎」の存在が霞んでしまったことは否めない。実際にジャケットも別デザインのものに刷り替えられた。たしかに「SWEET MEMORIES」は大村雅朗が作曲も手がけたたおやかで美しいメロディで、早世した氏の代表作に挙げられる傑作であるが。

この後も「瞳はダイアモンド」「Rock’n Rouge」と優れた曲が次々と送り出されていったが、こと賞レースに関しては見ている我々も少し冷めてしまった様に、本人や制作スタッフの意欲も削げていったのではないかと察せられる。FNS歌謡祭のグランプリこそ受賞したが、レコード大賞を筆頭とするほかの大きな賞にはなぜか恵まれなかったという点では、70年代アイドル界随一の歌姫・山口百恵と共通している。

細野は1984年にも、18枚目のシングルとなった「ピンクのモーツァルト」を提供しており、カップリングの「硝子のプリズム」共々高い評価を得ている。それらの作品は、昨年、松田聖子デビュー45周年企画の1枚として出されたアルバム『Seiko harmony -Haruomi Hosono Works』にまとめられた。1982年のアルバム『Candy』に細野が初めて提供した「黄色いカーディガン」や「ブルージュの鐘」ももちろん収録。

細野のインタビューコメントが掲載されたライナーノーツを読みながら、名曲「ガラスの林檎」を今一度聴き返して物思いに耽りたいと思う今日この頃。それにしてもデビュー45年を超えてなお、アイドルとしての存在感を放ち続けている松田聖子は全くもって脅威というしかないのです。

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鈴木啓之

アーカイヴァー。テレビ番組制作会社勤務、中古レコード店経営を経て、ライター及びプロデュース業。昭和の音楽、テレビ、映画を主に、雑誌への寄稿、CDやDVDの企画・監修を手がける。著書に『東京レコード散歩』『昭和歌謡レコード大全』『王様のレコード』ほか共著多数。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』、MUSIC BIRD『ゴールデン歌謡アーカイヴ』、YouTube『ミュージックガーデンチャンネル』に出演中。

Words:Hiroyuki Suzuki

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