ロサンゼルスを拠点に活動するギタリスト、ファビアーノ・ド・ナシメント(Fabiano do Nascimento)が、ギタリストの笹久保伸の地元、秩父を訪れた。 ブラジル出身でロサンゼルスで長らく活動し、日本も新たな活動拠点となりつつあるファビアーノと、ペルーでギターを学んで秩父に戻って活動を続けてきた笹久保が、一緒に音楽を作り、演奏するという目的で実現した出会いだ。

クラシック・ギターを弾くという共通点だけでなく、異なる環境にいた二人が経てきた歩み、探求してきた試み、インスパイアされた体験、作り出してきた音楽には、どこか似通ったものを感じられる。 出身地を離れ、ルーツにも向き合って活動してきた二人が語る、音楽と土地を巡るストーリーをお届けする。

まず親交を深めて、プレッシャーを感じないでお互い時間を楽しんでから音楽を作る

ファビアーノさんが初めて訪れた秩父の印象から訊かせてください。

ファビアーノ:秩父はすごく綺麗なところで、静かで落ち着いていてとても素晴らしかったです。 笹久保さんの音楽も以前から聴いていて、友人のサム・ゲンデル(Sam Gendel)とコラボレーションした『SAM GENDEL & SHIN SASAKUBO』もすごくいい作品だったので、やっと初めて会うことができてよかった。 正直言って、練習よりも食べる時間が多かったです(笑)。 それは笹久保さんではなく、私が原因です!初日の夜に、4時間にも及ぶディナーを食べて、まるでフードファイターみたいでした。 全ての素材がオーガニックで地元の農家さんから仕入れているイタリア料理屋さんがあって、本当に行きたかったんです。 素晴らしいディナーでした。

笹久保:もう食えねえ、というのを2回やりました(笑)。

ファビアーノ:笹久保さんとすごく仲良くなれたし、そういうふうに最初はまず親交を深めて、あんまりプレッシャーを感じないでお互い時間を楽しんでから音楽を作っていくっていう流れがすごくいいと思うんです。 演奏ももちろん大事だけど、お互いのことをよく知って友情を深め、仲間意識みたいなことを深めてから、音楽を作った方が音楽のダイナミクスとかに影響すると思います。

笹久保さんは今までいろんな人とコラボレーションしてますが、実際に秩父で一緒にやったのは?

笹久保:これまでも、アルゼンチン人のリカルド・モヤーノ(Ricardo Moyano)やイルマ・オスノ(Irma Osno)などと一緒にやったりしてたのですが、コロナ禍は全然やれなくて、オンラインで作ってましたね。

やはり本当は直接会ってやりたいですか?

笹久保:コロナ禍で音楽の概念もちょっと自分の中で変わって、会わなくても違うスタンスで作り上げることを実践して、ずっと実証してきたっていうところもあるんです。 でも、直接会ってやるとやっぱりお互いのやってることも目で見えますし、時間を共有する楽しさもあって、本当にコラボレーションは楽しかったです。

外に出て、俯瞰できるようになって自分のルーツに気がつく

外に出て、俯瞰できるようになって自分のルーツに気がつく

ファビアーノさんが生まれ育ったリオデジャネイロと音楽の関係を伺えますか?

ファビアーノ:リオデジャネイロのカテテやフラメンゴって呼ばれるエリアにある小さな村で育ちました。 1800年代に建てられた伝統的な建物が今でも残っているとてもスペシャルで美しい村です。 そこで祖母と音楽家の叔父と一緒に住んでいました。 叔父のCDを聴きあさったり、しょっちゅう家で彼のトリオのリハーサルを耳にするような日々で、その頃にギターやピアノ、フルートをはじめました。 自分にとっての基盤となるような時期だったと思います。

笹久保さんにとって、地元の秩父と音楽の関係は?

笹久保:僕は秩父出身で、日本人あるあるですけど、田舎が嫌いで、早くここから出て秩父と関係ないような活動をしたいってことを思いながら育ったわけです。 クラシックをその当時は勉強していたから、ヨーロッパに行くとか、もしくは父親の仕事の関係で南米に住んでたことがあったので、南米音楽を聴いてからは南米に早く行きたいとか思いながら育って、実際20歳でペルーに行って4年間いたわけです。 帰ってきたときに、自分のアイデンティティというものに問いが生まれた。 その音楽だけやっていても、何か自分の本質的な作品が作れないんじゃないかっていうことに気づいて、それから自分が育った秩父の民俗学を研究するようになって、今作っている音楽が生まれるようになりました。

だから、故郷に対して必ずしも愛情があったっていうわけじゃなくて、外に出て、俯瞰できるようになって自分のルーツに気がついたっていう感じです。 でも、ブラジル人、南米人や、アメリカの人もそうかもしれないけど、最初から自分のルーツに誇りを持ってやっている。 それは日本ではあんまりないかもしれないですね。

ブラジルの外の世界に対する憧れは、ファビアーノさんの場合もあったのですか?

ファビアーノ:私はちょっと境遇が違って、17歳の頃に家族の事情でアメリカに引っ越さないといけなかったんですね。 それまでは幼かったこともあってあまり外に対する憧れは持ったことがなくて、やむを得ずアメリカに引っ越してからは、どちらかというとブラジルが恋しかったです。 しばらくしてから、LAのいろんなミュージシャンやDJとの出会いを通じてブラジル音楽以外の音楽にも興味を持ち始めるようになりました。

そこから移行時期があって、ブラジルの伝統的な音楽を作ったり、演奏するのは意図的にやめようと決断したんです。 他のジャンル、他のタイプの音楽を作ったり、演奏するようになってから改めて自分のアイデンティティを見出すことができたのです。 私も一度ブラジルを離れることによって、それを見つけることができたのかなと思いますね。

笹久保:共通項があるんですよね。 一度外に出て俯瞰してっていう。

もしファビアーノさんがそのままブラジルにいたら、そういう視点は持たなかったかもしれないですか?

ファビアーノ:その可能性はありますね。

そこは違いますね。 笹久保さんの場合は日本にいても、俯瞰して見ていたところがあったという。

笹久保:そうですね、でも僕もずっと秩父にいたら、今みたいになってないと思います。 もっとこぢんまりとしてると思います。

ファビアーノ:ブラジルに残っていたら、おそらく私は違う形の発展とか進化をしていたと思います。 やっぱり、ブラジルではブラジル音楽の才能ある人たちがたくさんいますし、みんな個性も違ったりするので、その中で何かしら進んでいたと思う。 どちらの道を行ってもそれは正しい道だったと思います。

ブラジルの人でもブラジルの音楽がどれだけ深いのかわかっていない人が多い

ブラジルの人でもブラジルの音楽がどれだけ深いのかわかっていない人が多い

笹久保さんがペルーにいたときは、日本のルーツや自分のアイデンティティのことを気にかけてましたか?

笹久保:ペルーにいるときはそんなに意識してなかったですね。 っていうのは、南米の音楽を覚えることだけに熱中してたんです。 意識はしてなかったんですけど、ペルーで研究してるときに、例えばアヤクーチョ県っていう地域の音楽を調べたときに、その県は民族音楽の宝庫って言われてる場所で、膨大な種類の音楽がある。 つまり、フォルクローレもあればアマゾンの音楽もある。 一つのことをやってるつもりでも、全体を把握するようなことって多分何十年もかけないとできない。

それを自分に置き換えたときに、日本人ってざっくり言ってるけど、日本のことなんか何も知らないし、ましてや秩父の人間であるけど、秩父のことを把握することができない、自分にとっての日本というものは秩父でしかないってことをそこで認識したんです。 全体的な日本っていうのはもうわかりようがないけど、自分にとっては日本は秩父だから、秩父を追求しようと思ったんですね。

ルーツを見つけるというよりも、既にあるものにどう気づくのか、どう大切にしていくのか、という視点の話になりますね。

ファビアーノ:ルーツって、根っこという言葉通りでいろんなところから生えて成長していくものだと思うんですけど、音楽に関しては、私達より過去にある全てのものがもうルーツだと思っていて、それは自分たちの先祖とか昔の作曲家とか、そういったもの全てだと思うんです。 そういったものを研究して残していって、インスピレーションの源にすることがすごく大事だと私は思っています。

ブラジルの人でもあんまりブラジルの音楽がどれだけ豊かで深いのかを知らない人が多いように感じます。 MPBとかボサノバ、サンバとかパゴージとかポピュラー・ミュージックとしてのブラジル音楽しか知らない人が多い。 本当はブラジルのそれぞれの地域にそれぞれの土着の音楽があるんです。 リズムについては、記録されてるだけで400以上あって、ルーツを辿っていくと大抵アフリカに行き着きます。

本当に立ち戻るところがなければ、空洞、空虚ができてしまう

本当に立ち戻るところがなければ、空洞、空虚ができてしまう

笹久保:僕も子どものころに秩父の民俗音楽に触れる機会がたくさんあって、屋台囃子だったり、民謡だったり、そういうのを僕は否定してきたんです。 何て言うか「ださいな」って。 おじさんたちがお酒を飲んで酔っ払って喧嘩になっちゃったりとか、方言がきついとか、いろんな田舎の状況を見て育ったんですよ。 もうそういうのが本当に嫌で、一刻も早くその世界から出たい、方言も使いたくないし、この田舎の友達も関わりたくないぐらいの感じで捨てて出ていったんです。 でも、やっぱり結局自分には、もし戻ろうとしたときに戻れるのってそれしかないと感じるわけです。 せめてそれがあってよかったなと思える。 本当に立ち戻るところがなければ、なんか、空洞、空虚ができてしまうと思うんです。 日本だと、寺山修司みたいな人が青森から出てきて、コンプレックスだったんだろうけど、それを作品にしていた例がありますよね。 中上健次でもそうですけど、そういう人たちと同じような現象ですね。 自分のルーツに戻ってくるっていう。

秩父の屋台囃子はある種のビートですけど、日本の伝統音楽にはアフリカから来て混ざったようなリズムはないし、ファビアーノさんの言うルーツみたいな感じのものはないですよね。 ただ、例えばブラジルだったらエイトル・ヴィラ=ロボス(Heitor Villa-Lobos)っていう作曲家がいて、ヨーロッパ音楽、クラシックを勉強したけど、アマゾンやいろんな音楽を研究してオーケストラ作品を作った。 またエグベルト・ジスモンチ(Egberto Gismonti)はフランスに留学して、ナディア・ブーランジェ(Nadia Boulanger)って先生に、自分の国のルーツを生かした音楽を作った方がいいよってことを勧められた。 (アストル・)ピアソラ(Astor Piazzolla)も同じ先生だったらしいんですけど、ヨーロッパに行った結果、彼らも自分のルーツに注目する助言を受けて、作風がクラシックではなく変わっている。 そういう先人たちの例を見て、だから自分もある種の教育として西洋学や南米音楽を学んで、でも結局戻るところは自分の場合は秩父で、そこから音楽を作っていこうというふうになったんです。

ファビアーノさんとも今作ってますけど、その中で僕が徹したことは、相手の国の音楽、ブラジル人だからブラジル音楽をやりましょうみたいなことにはしなかった。 自分の音楽を一緒にやる中で作っていく。 ブラジル人って本当に素晴らしいし、でも相手の音楽をやってしまうと、完全に相手の音楽になってしまうので、そうなり切らずに自分も秩父の感じを出しつつ音楽を作りたいなと思います。 あんまり日本で話してないかもしれないけど、ファビアーノさんが結構アマゾンの音楽の影響を受けてるっていう話は面白かったんです。 僕は彼の音楽を聴いたときにビート的にアフロな感じの音楽とかジャズとか、そういう影響かなと思ったら、アマゾンの音楽を考えていて、それは興味深いなと。 僕にとって意外なことだったんですよ。

アマゾンに行き、自然の環境に身を置いた体験

アマゾンに行き、自然の環境に身を置いた体験

ファビアーノさんがアマゾンの音楽に興味を持ったきっかけを教えてください。

ファビアーノ:アマゾンの音楽には、マルルイ・ミランダ(Marlui Miranda)やヴァルダマー・エンリケ(Waldemar Henrique)、カリオカ・フレイタス(Carioca Freitas)、エグベルト・ジスモンチ、エイトル・ヴィラ=ロボス、ナナ・ヴァスコンセロス(Nana Vasconcellos)といった数々の作曲家たちを通じて、興味を持つようになりました。 あとは、アマゾンの生態系や植物、食べ物なんかにも興味がありました。

アマゾンには何度か行ったことがあって、タパジョース川で船の上で6週間過ごしたりしました。 時間があるときには、できる限りフォルクローレや先住民族の歌だったり、アフロ・ブラジリアンの宗教的な音楽をリサーチしてます。 伝統的なブラジル音楽はオルタナティヴなものではなく、すべてスタンダードなんです。

ピアニストのアマーロ・フレイタス(Amaro Freitas)にインタビューした際、アマゾンの先住民族にインスパイアされている話を聞きました。 アフロ・ブラジリアンとしてのアンデンティティを大切にしている黒人の彼にとっても、アマゾンはまったく未知のことだったようです。

笹久保:ファビアーノさんの『Ykytu』を聴いて、ブラジル音楽とも言えるかもしれないけど彼の音楽だったりもする。 だから彼の音楽はどこから来てるんだろうとずっと考えていて。 ブラジル音楽においてどこからどこまでが黒人音楽で、どこからどこまでが白人音楽という区別が僕の中でそんなにわかってなかったので、アマゾンで経験したことでできてきた曲だとか教えてくれたのはすごい面白かったんですよ。 学びが多かったですね。 あと、一緒に弾くと、CDとかで聴くだけだとわかんないような弾き方とかわかる。 僕も特殊な調弦をたくさん使うんですけど、彼もすごいたくさん使っている。 似てるようでちょっと違ったりするところも面白かったですね。

ギターに表れる、ブラジル、ペルー、日本

ギターに表れる、ブラジル、ペルー、日本

ギタリストとして、お二人は具体的にどういうところが似ていて、どういうところが違っているのでしょうか?

笹久保:ファビアーノさんは7弦ギターなんです。 7弦は元々ショーロの人たちが使うことが多かったって聞きました。 僕にとっては7弦あるともう全然弾けないんです。 低音を間違っちゃったりして。 ブラジル音楽の中でも特殊な調弦というのは昔から使ってる人もいるのかもしれないですよね。 ジスモンチも使ってましたし。 僕の場合はペルーで伝統的に使われる特殊な調弦があって、それを生かして、自分の調弦もそこに追加していったりして広げてるんです。

ファビアーノ:ショーロとか伝統的なブラジル音楽の調弦は結構スタンダードで、あんまり特別な調弦をする人はいないですね。 私のやり方は独学というか、自分のやりたいこと、アイデアを可能にするために自分でいろいろやってます。 そこは笹久保さんと同じで自分の表現を可能にするためですね。 色んな調弦や音を探求しているという点が似ていると思います。 違うところは、スタイルだったり、バックグラウンドだと思います。

ファビアーノさんから見て笹久保さんのギターは、どこがユニークだと感じますか?

ファビアーノ:サウンドも調弦もユニークですし、彼のアイデアや作曲構成によって、自分の可能性を広げている。 そういったやり方がとてもユニークだと思いますね。

笹久保:ファビアーノさんが単旋律を弾くだけなのに、ブラジルの感じがすごいするのが不思議なんですよね。 僕のギターは日本的なのだろうか。 自分はそれは嫌かもしれないけど(笑)。

ファビアーノ:はい、時々感じます。 言葉で説明するのは難しいんですけど、やっぱり笹久保さんのにじみ出る表現にちょっと日本的な感じはします。

笹久保:日本的だよって言われて喜べるのかは複雑ですよね、日本人は。

洋楽のスタイルの音楽をやっている人が日本的だと言われると少し抵抗があるかもしれないですね。 それは海外の人には伝えにくいことですけど。

ファビアーノ:日本的だと言ったのは、絶対日本人みたいなわけではなく、あくまでも笹久保さんの一面で、ペルーの音楽のスタイルとかリズムとか弾き方っていうのももちろん兼ね備えてます。 日本らしいというのは制限ではなくて、音楽性をさらに豊かにさせてくれるような側面だと思います。

日本に頻繁に来るようになったファビアーノさんは、日本の音楽を今はどう感じていますか?

ファビアーノ:日本に頻繁に、長く滞在できるようになってから、U-Zhaanさんや石若駿さん、そして笹久保さんとコラボレーションをする機会をいただいたり、色んなスタイルのアーティストを観る機会も増えました。 日本の音楽シーンに大きなポテンシャルを感じています。 日本の自然により触れられるようになったのも嬉しいです。 今回、初めて春の日本に来て桜を見ることができたのは、本当に美しい体験でした。

アイデアを引用して、自分の土地に置き換えて作ること

アイデアを引用して、自分の土地に置き換えて作ること

よく日本の音楽が海外で評価される際には独特の間などが指摘されますが、ファビアーノさんは具体的にどこに魅力を感じてますか?

ファビアーノ:間の取り方ももちろんそうなんですけど、日本の音楽家、作曲家は土地とか自然に影響を受けてると思うんです。 それが音に反映されたり、演奏とか表現に繋がってるのは、日本特有のものだと思うんです。 間の取り方、スペース、あとペースですね。 テンポっていうか、スピードもすごく特殊です。 雅楽もその間の取り方があって、あと民謡の三味線とか琵琶、箏の音も何か特殊な感覚が呼び起こされる。

ファビアーノさんが、エルメート・パスコアール(Hermeto Pascoal)が提唱したユニバーサル・ミュージックという考えからとても影響を受けたと以前に別のインタビューで話を伺いましたが、パスコアールが動物の鳴き声も楽音も対等に捉えるような姿勢を持っていた点も、日本の音楽の自然との繋がりと近い部分があるのでしょうか?

ファビアーノ:自然との繋がりという点では確かに似たコンセプトだと思います。 ですが、エルメート・パスコアールの音楽と日本の音楽は全然違うので、比べることはできません。 日本の音楽は自然からインスピレーションを得て創作していますが、エルメートはあらゆる音そのものを音楽として実際に使っています。 私は一番この世で美しい音は自然の音だと思うんです。 例えばアマゾンに行くと、鳥とか虫のオーケストラが聴こえてきます。 それは人間では再現できないような音ですが、時々ジャズの即興みたいにも聴こえます。 本当に自然から学ぶことはたくさんあります。

「自分のフレーズはミナスの山並みを旋律にして鼻歌で歌ってる感じだ」とトニーニョ・オルタ(Toninho Horta)が言った話をヤマンドゥ・コスタ(Yamandu Costa)から聞いて、笹久保さんは「武甲山を含めた、秩父の稜線を音楽にする」という考えに至ったと別のインタビューで話されてましたね。

笹久保:ミルトン・ナシメント(Milton Nascimento)が70年代に『Minas』っていうアルバムを出した。 ミナスは鉱山の街で、いいミュージシャンをたくさん輩出している街としても知られている。 そのメロディーはミナスの山並みに影響を受けたという話を聞いて僕はインスパイアされて同じように鉱山の街である秩父からそういうマインドで音楽を作ろうと思った。 『CHICHIBU』はそういうコンセプチュアルな作品なわけなんです。

ファビアーノ:確かにそういった共通点や、類似性はあるように感じますね。

笹久保:僕はミナスの第2世代の人たち、アントニオ・ロウレイロ(Antonio Loureiro)とかがやってきたようなアイデアを彼らのメロディーを使うわけじゃなくて、自分の土地に置き換えて作ろうとしたんです。 山並みからインスパイアされるような、メロディーの置き換えではなくて、アイデアの引用っていうか、そういうふうに作ろうと思ったっていうことですね。 なかなか説明が難しいんですけど、ブラジルの和声で音楽を作るとか、ミナスのメロディーを弾いてるってことではないんです。

例えば稜線からメロディーを作ろうと思うときに、どういう変換があるのでしょうか?

笹久保:視覚情報や感覚ですよね。 それをトニーニョ・オルタはこの山の起伏を使って自分の音楽を作っていったっていう話をしていたんですね。

ある種の図形楽譜でしょうか? 環境音楽の吉村弘も風景から聴こえてくる音をイメージした図形楽譜を残してましたが。

笹久保:全て音程って上がるか下がるか、平らかっていうことですからね。 ジャメル・ディーン(Jamael Dean)も西洋音楽の楽譜から離れて、自分の楽譜で作ってやってるっているのも面白いなと思います。 ギターの場合は、それを楽譜以前に調弦で変えていくことができます。 ピアノはもう変えらんないですよね。

秩父に行って、お互いの音楽、表現、アイデアを共有した

秩父に行って、お互いの音楽、表現、アイデアを共有した

ファビアーノさんが実際に秩父の土地を訪れてみて、笹久保さんの音楽に対する印象に変化はありましたか?

ファビアーノ:印象が変わったというよりも、もっと彼のことが理解できました。 そもそも録音を聴いたときからクリエイティヴなアーティストだとわかったのでコラボレーションしたいと思ったんです。 実際に秩父の土地に行って、一緒に時間を過ごしたことで、彼の色んな側面を知ることができたことが良かったです。

二人の共演について、やろうとしていることを少し話していただくことはできますか?

ファビアーノ:秩父に行って、お互いの音楽、表現、アイデアを共有しました。 特に何するか、どうするかって決めないでとりあえず共有をして、それがすごい良かったと思うんですね。 おかげでお互いの認識も深められたし、準備もできたので、自由な感じで余裕を持って演奏することができると思います。 あとは2人でもう既に作曲したものもあります。 2人では面白いサウンドを探求していて、例えば笹久保さんがハーモニックスを弾いて、私はそれを面白いリズムでやったりとか、2本のギターをどうやって違うテクスチャーで聴かせるかとか、そういったことを模索してきました。

笹久保:僕も全く同じです。 お互い曲をやることはできるわけですけど、ちょっと冒険できないのかなと思ってます。 それぞれがやってきてなかったようなことをやるという意味で、冒険する余地はどれくらいあるのかなっていうことを考えています。

Fabiano do Nascimento

ファビアーノ・ド・ナシメント

Fabiano do Nascimento ファビアーノ・ド・ナシメント

リオデジャネイロ生まれ、ロサンゼルスを拠点とするギタリスト、作曲家、編曲家、プロデューサー。 ブラジルの伝統に深く根ざしたコンテンポラリーなアーティストであり、単一の音楽言語、ジャンルに制約されることなく、常に変化し、進化し続ける音楽の探求者である。
アフロサンバやショーロといったブラジルの伝統音楽、ブラジリアン・ジャズやボサノヴァはもとより、LAのジャズやエレクトロニック・ミュージック、アンビエント、ビート・ミュージックなど現在進行形のサウンドも咀嚼した、ファビアーノ独自の音楽性の探求は、リリースを重ねる毎に高い評価を受けている。 ライヴにおいても、卓越した演奏技術と、実験的かつ繊細なサウンドで観客を魅了している。

HP

Shin Sasakubo

笹久保伸(ギタリスト)

Shin Sasakubo 笹久保伸(ギタリスト)

秩父をルーツに持つ音楽家。
現代音楽とアンデス音楽を弾くギタリストとして南米やヨーロッパで演奏。
2004年〜2008年はペルーで音楽調査&演奏活動。
2024年現在までに39枚のアルバムをLP、CD、カセットで発表。

Interview & Text:Masaaki Hara
Interview & Edit:Shoichi Yamamoto
Translate: Emi Aoki
Photo: Mitsuru Nishimura