「音楽業界のみんなが“バーチャル”に解決方法を求めていたとき、私たちは、もっとエモーショナルで、アナログで、本質的に人間味のあるなにかを生み出そうとしたのです」

ライブストリーミングに、バーチャルクラブ。パンデミック禍での新しい音楽体験のアイデアは考え尽くされてきた。しかし、“今日初めて会った大多数の人たち”と、肌と肌がくっつくほどの近さで踊るダンスフロアや、隣の人のビールが飛び散るライブフロアに勝る音楽体験はない—そう多くの人が感じていたであろうタイミングで登場した「密を守る防護スーツ」は日本でも多くのメディアに取り上げられていた。

究極のところ、血湧き肉躍る音楽体験をするには「密」が必要だ。これからの未来も、安全に楽しく、やっぱり密な音楽体験をしたい。その防護スーツを生んだクリエイティブスタジオに、開発のストーリーと音楽体験について話を聞いた。曰く「これは、一生に一度あるかないかの、ソーシャルデザインへの挑戦です」

ダ、ダフトパンク? 身を守り、密を守るスーツ

噂の防護スーツ「Micrashell(マイクラシェル)」。これを装着すれば、ウイルスから身を守りながら、密な空間で人と人とが物理的に接することができるという。粒子フィルターのついたヘルメットに、フェイスシールドのような顔部分の覆い、多機能ベスト、手の先まで菌をブロックする手袋。この近未来的なヘルメット姿、どこかで見覚えがある。あ、ダフトパンクだ…とは、音楽好きのみんなが思ったことだろう。ちなみに、このスーツ、ダフトパンクとは無関係。

ソーシャル・ディスタンスを気にせず、至近距離で人々と交流し、3密でも安心して人々と音楽を楽しむことができる、このスーツ。開発したのは、米ロサンゼルスとスペインに拠点をもつクリエイティブスタジオ「Production Club(プロダクション・クラブ)」。レイブというカウンターカルチャーを起点に生まれ、8年前から音楽、テクノロジー、ゲームのシーンにおける“体験”をデザインしプロデュースしてきたスタジオだ。
これまでも小さなレイヴやテクノクラブから音楽×アート×テクノロジーをテーマにした大型フェスティバル、ザ・チェインスモーカーズやスクリレックス等のアリーナ級のワールドツアーまでのデザインやインスタレーションを手掛けてきた。

「これまでさまざまな仕掛けをデザインしてきましたが、これ(パンデミック)は、一生に一度あるかないかの、ソーシャルデザインへの挑戦です。数万年ものあいだおこなわれてきた人間と人間の触れ合いをやめなければいけない状況など、誰が予想したでしょうか」

そう話すのは、現在スーツ開発で多忙の中、メール取材に応えてくれたプロダクション・クラブのクリエイティブ・ディレクターで自身もDJであるMiguel Risueño(ミゲル・リセンナ)。

「左から右へ流れるようにライブがキャンセルされ、シーン全体が痛手を負っているのを目の当たりにした。クリエイティブスタジオとして、私たちはなにか解決策を考えなければならないと思い、何時間ものブレインストーミングを重ねて、マイクラシェルを発案しました」

コロナ禍のフェスやクラブに触れあいは取り戻せるのか?“密な音楽体験”を守るスーツ、開発スタジオとの会話
Production Club
コロナ禍のフェスやクラブに触れあいは取り戻せるのか?“密な音楽体験”を守るスーツ、開発スタジオとの会話
Production Club

パンデミックを受けて、多くの音楽体験アイデアが生まれては実行された。数ヶ月前からはドライブイン・シアターならぬ、ドライブイン・コンサートという、ステージを前に車で乗り付け、車内でコンサートをたのしむという試みもおこなわれているが、車内のFMラジオから流れてくる音を座って聞くだけでは、コンサート体験を越えることができない。

「安全なコンサートシーンを取り戻すにはどうしたらいいのか、あれこれ案を出し合っていました。『バーチャルの何かを作る?』『ソーシャルディスタンスを守ったなにかを仕掛ける?』。しかしパンデミックが発生して1ヶ月で、本物の音楽体験は、ズームでのコールやバーチャルイベントが取って代われるものではないということがわかり、“人間と人間のふれあい”を忘れてはいけないと思い直したんです」

“エモーショナルな交流”ができる服

3密な音楽体験を取りもどすための服作り。「コンセプトを決め、欲しい機能—たとえばサウンドやボイスシステム、ライト等—をリストアップした。2、3週間の研究ののち、これらの機能がスーツのなかで“共存”できるとわかったので、初めてのプロトタイプ作りをスタートしました」

マイクラシェルで一番重要な特徴は「安全性」だ。PAPR(電動ファン付き呼吸用保護具)付きスーツに見受けられるような、高性能の粒子フィルターシステムを搭載し、吸う空気を洗浄し、吐く空気も洗浄する。
そして、音楽の現場を五感で享受できるような「機能性」も丁寧に考えた。“パンデミック前の体験”に近づけられるよう、そして、その体験をアップグレードできるような機能はないかと思案を重ね、その応えの一つが、オーディオシステムだ。今まではライブ会場の爆音PAに耳をやられっぱなしだったかもしれない。が、マイクラシェルには3つのサウンドモードをもつ内蔵スピーカーシステムが用意されていて、自分の耳に心地よいライブの音をチョイスすることができる。

腕の部分にはスマホを入れられるポケット、手の部分にはスーツの付け外しを自動で操作してくれるボタン、ヘルメット近くには、飲み物や電子タバコを入れておけるスペースも。スマホの専用アプリでスーツの機能操作をすることも可能だ。

コロナ禍のフェスやクラブに触れあいは取り戻せるのか?“密な音楽体験”を守るスーツ、開発スタジオとの会話
Production Club
コロナ禍のフェスやクラブに触れあいは取り戻せるのか?“密な音楽体験”を守るスーツ、開発スタジオとの会話
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コロナ禍のフェスやクラブに触れあいは取り戻せるのか?“密な音楽体験”を守るスーツ、開発スタジオとの会話
Production Club
コロナ禍のフェスやクラブに触れあいは取り戻せるのか?“密な音楽体験”を守るスーツ、開発スタジオとの会話
Production Club

開発において「エモーショナルな体験ができるようにすること」もキーポイントだった。音楽体験だけではなく、参加者同士で感情的に交流ができるように、ヘルメットはすべてシースルーの透明な素材を起用し、装着者の顔の表情がわかるようにした。

内蔵マイクロフォンもつけ、ヘルメットを装着していてもスムーズにコミュニケーションができるようにした。一番のユニークな機能は「気持ちを光で伝えるLEDライト」だろう。装着者のムードや欲求、警告等のメッセージをLEDライトで読み取ることができるらしい。たとえば、虹色は「たのしい」、赤色は「忙しい」、緑色は「休息が必要」という具合だ。

「みんなが着たいと思わないものは作らない」

マイクラシェルは「着たくなるデザイン」をしている。味気ない防護服でもなく、躊躇するような野暮ったさもない。レイブやサイバーゴスのパーティーでは、パンデミック前からこんなスーツを着た人たちがいたくらい、近未来的な音楽の世界観にとてもあう。

「“スーツ”なんてのは形式的な名前だけで、スーツみたいに見えないですよね。デザイン面においては、『みんなが着たくなるものを作ること』に重点を起きました」

インスピレーション源になったのは、革新的な技術・素材を取り入れたウェアを展開するAcronymやアーバンテックウェアブランドのAOKU、ミチコ・コシノやヨウジ・ヤマモト等のデザイン。「あとは、ディストピアンでダークなSF映画っぽいようなビジュアルにはしたくなかった。みんなが着たいと思わないものなんて、絶対作りません」

コロナ禍のフェスやクラブに触れあいは取り戻せるのか?“密な音楽体験”を守るスーツ、開発スタジオとの会話
Production Club
コロナ禍のフェスやクラブに触れあいは取り戻せるのか?“密な音楽体験”を守るスーツ、開発スタジオとの会話
Production Club
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ここで気になるのは、本当にマイクラシェルはウイルスから身を守ってくれるのか。「安全性のテストでは、0.3ミクロンの浮遊粒子を99.97パーセント濾過してくれる NIOSH(アメリカ合衆国労働安全衛生研究所)が認定したエアフィルターを使用しています」。現在(2020年10月時点)は、プロトタイプの段階だ。「完成品を作るまで、時間との闘いです」

実際に装着してみた感じが知りたい。「質の良いVRヘッドセットを初めて装着したみたいな気持ちになります。最初の数分はすごく興奮するんですが、その最初の衝撃のあとは、装着しているのも忘れてしまうくらい馴染んでしまう。着ていると、とてもクールな気持ちになりますよ」

「私たちデザイナーが常に大事にしていたことは、人間味のあるスーツを作ることでした。テクノロジーを搭載していても、テクノロジーの姿が見えないような、テクノロジーの存在を感じないような」

安全面や機能面における高度なテクノロジーがあるからこそ実現したマイクラシェルだが、テクノロジーによってコントロールされたスーツにはしたくはないというデザイナーの想いがある。

「宮崎駿監督の映画(『風立ちぬ』)で、こんなセリフがあって、私の心を捕らえました。『設計で大切なのはセンスだ。センスは時代を先駆ける。技術はその後についてくるんだ』。この精神は、マイクラシェルのデザインにおけるマインドセットそのものです」

3密スーツが新たなカルチャーを生む?

コンサートやクラブイベントはいつ戻ってくるのだろうか?米音楽雑誌『Rolling Stone』の9月時点の記事では、今秋にちらほらライブが戻ってきているとあった。大都市のニューヨークやロサンゼルスではまだライブ会場はクローズのままだが、音楽の街・テネシー州ナッシュビルでは、ソーシャルディスタンスを取りながらのコンサートが9月におこなわれた。2021年には、多くのバンドがツアーを計画しているが、今後の状況は誰もがわからないといった方がいいだろう。特にヨーロッパと米国では、いま再びパンデミック禍の警戒態勢が上がっている。

コロナ禍のフェスやクラブに触れあいは取り戻せるのか?“密な音楽体験”を守るスーツ、開発スタジオとの会話
Production Club

「人と物理的にふれあうことは、人に幸せと満足感をもたらします。絆を深め、大切な繋がりを作り、ストレスを軽減し、エンドルフィン(幸福ホルモン)を活性させる。デジタルコミュニケーションは、共有体験の濃度を弱めてしまう。だから私たちは、トレンドになっているソーシャルディスタンス・イベントやバーチャル・イベント以外での方法を探しました」

マイクラシェルは一見すると、頭のてっぺんからつま先まで覆うボディスーツのように見えるが、実は上半身スーツだ。あえてそうデザインしたという。

「好きな服と合わせることができます。このディストピアな世界で、みんな同じような格好をしないことが重要だと思いますから。それに、ワッペンやステッカー、ライトのアニメーション等でスーツをデコってカスタマイズすることもできます。みんな、凝りに凝るでしょうね」。2000年代のミックスコーデ、2010年代のノームコアときて、2020年代は3密スーツ、なのか?

Words:HEAPS