音楽再生を楽しむための「リスニングスピーカー」や「オーディオスピーカー」に対し、DTMやレコーディングなど、音楽制作に使用されるスピーカーを「モニター・スピーカー」といいます。 普通のスピーカーとの違いは、原音に忠実なサウンドを再現できるということ。 ”いい音” を追求するには、正確な音で再生することが正解なのでしょうか?オーディオライターの炭山アキラさんに解説していただきました。

これまでの ”いい音” についての解説はこちら:【前編】レコードの音質を上げるために知りたい、スピーカーと「いい音」の関係

一口に「正確な音=いい音」とは言えない

よく海外のオーディオ機器、特にアンプのエンジニアに話を聞くと、自分の開発している機材の音は「wire with gain」だといいます。 信号を増幅する働きを持つただの電線、つまり全く色付けのない音、ということを表現する言葉だと考えられます。

しかし実際には、世の中に古今東西星の数ほども存在するオーディオ機器の1台ずつに、それら固有の音質というか、キャラクターがあります。 それらを上手く組み合わせ、長所をより上手く引き出したり弱点をカバーしたりしながら “自分の音” を作っていく。 オーディオの愉しみとは、そこに多くのポイントがあるものだと、私は考えています。

一方、録音スタジオや放送局など、「正確な音」「基準となる音」が必要になる現場には、モニターと通称されるスピーカーが設置されることが普通です。 現在ある放送局で活躍しているモニター・スピーカーが初めて開発された時に、たまたまその開発陣と親しかったものですから音を聴かせてもらったのですが、聴き慣れた音源から飛び出した音に肝を潰しました。

まず、音の艶やかさや温かみ、膨らみなどといったものが一切感じられません。 しかし、どんな音楽を聴いても細かな成分まで手に取るように聴き分けることができ、どの音楽ジャンルが楽しいとか向いているといったことも一切感じられない音です。 つまり、それこそ現在のところ、私が経験した範囲では究極に「色付けのない音」だ、と認識できた次第です。

しかし、そのスピーカーをもし自宅へ迎えたとしても、機材の音質差やレコードの録音などを判断するにはとても適した道具になるでしょうけれど、空いた時間にこれで音楽を聴こうか、という気分にはなりにくいような気がしました。 あくまでエンジニア向けに作られた「実直な道具」であり、音楽ファン向けのホスピタリティなど、期待する方が間違っている。 そんな存在感です。

それぞれの場面で個性が出るモニター・スピーカー

一方、モニター・スピーカーという存在は世界には数え切れないほどの数があって、実のところそれぞれに独自のキャラクターを有しており、スタジオだけではなく一般ユーザーも多くの人が愛用しているものがあります。

それぞれの場面で個性が出るモニター・スピーカー

古くはアメリカのアルテック・ランシング社(Altec Lansing Technologies, Inc.)が製作した38cmウーファーとホーン型トゥイーターの同軸2ウェイ「604」ユニットによるモニター群、「銀箱」と通称されたモデル612や、より大型の620Aなどが有名ですし、ウォルナットの側面と青いバッフルで一世を風靡した、米JBLのモニターも広く世界で愛され、特に日本では半世紀ほど前に、38cmウーファーを持つ4ウェイのモデル4343が一世を風靡しました。 「ウサギ小屋」といわれた頃の住環境をものともせず、本国のメーカーが驚くほど売れたといいますから、人気のほどが伺えます。

一方、かつての英国では国営放送のBBCが自社で使うためのモニター・スピーカーをいろいろな社に作らせていて、例えば小型モニターのLS3/5Aなどは5〜6社が生産していたように記憶しています。 こちらも一般へよく売れたスピーカーでした。 現在はB&Wのモニターが世界のオーディオマニアへ広く普及しています。

日本でも、今から60年以上前にNHKが三菱電機(ダイヤトーン)と共同開発した2S-305という大型モニター・スピーカーが、抜群に安定し、なおかつ濃厚な音楽の “魂” を表現するスピーカーとして、今なお多くのオーディオマニアに愛されています。

それではこれらのモニター群は、色付けが多いから機能的に不完全だったのかというと、決してそんなことはありません。

モニター・スピーカーは、民生用の製品と比べてコストアップになろうとも、基本的な情報量が多く、長い期間安定して「同じ音」を再現することができるように開発・製造されています。 レコード会社や放送局で音を作るエンジニアにとって、ご自分の手足となる道具としてのモニター・スピーカーに、最も必要とされる性能がここなのです。

もっとも、それらのモニター・スピーカーには面白い逸話もあります。 アルテックからJBLへアメリカのスタジオ・モニターが移り替わりつつあった1970年代、あるロックバンドがエンジニアの作り上げたマスター音源をモニターで聴いて、苦言を呈しました。 曰く、「俺たちはこんなにいい音で演奏してない」と。 そのスタジオはJBLを導入してすぐの頃だったそうで、慌ててエンジニアが古いアルテックを引っ張り出し、アーティストに同じマスターを聴いてもらったら、「そうそう、俺たちの音はこれくらいのもんだよ」と、納得してもらえたそうです。

これは推測ですが、そのバンド・メンバーはアルテックで長年自分たちの仕上がりを聴いてきたのでしょう。 それで音質傾向に耳なじみがあったという点が1つ。 もう1つは当時のJBLがいかに卓越した性能であったか、ということを示しているのだと考えています。

JBLは、アルテックでスピーカーの開発を担当していたジェームズ・バロー・ランシング(James Bullough Lansing)氏が、理想の家庭用スピーカーを作るために独立して立ち上げた社ですから、モニターへの参入は創業から20年以上も後のことでした。 それで、家庭用スピーカーの開発に伴って培われた音の楽しさも、同社モニターの血肉の一部になっていたのでしょうね。 大型モニターの4343が日本で愛されたのも、ある種の必然があったものと考えられます。

このように、物事の “基準” となるべきモニター・スピーカーの世界にもさまざまなキャラクターがあり、その一部はオーディオマニアに時代を継いで愛されています。 つまり、「いい音」というものに絶対的な座標軸はない、と断言してしまってもいいでしょう。

Words:Akira Sumiyama