大きなジャケットを手に取るときの高揚感。これはアナログレコードならではの体験です。30cm盤ならではの広いキャンバスは、時代とともに多様なアートワークを生み出し、やがて表現の幅も大きく広がっていきました。今回は、オーディオライターの炭山アキラさんが、SP時代からの変遷をたどりながら、レコードジャケットがどのように文化として育ってきたのかを解説します。

レコードと “見て楽しむ” 文化の始まり

LPレコードの30cm盤は1辺31.5cmのジャケットを持ち、これまで数え切れないほどの絵画的魅力を持ったジャケットが登場しています。専用のフレームも販売されていますから、ジャケットをお部屋の壁に飾られている人もおいでのことと思います。

しかし、SPレコードの時代にはごく少数の例外を除いて、イラストや写真の添えられたジャケットというものが存在しませんでした。大半のSPレコードは、茶封筒とよく似た質感の紙スリーブへ収められていたものです。

その代わりというか何というか、SPではよく歌手の顔写真などをレーベル面に印刷した、ピクチャーレーベル仕様のものを見受けることができます。戦前の歌謡曲でも歌手の顔が印刷されたSPがありますから、結構古くから幅広く採用されていたようですね。

一方、1948年に登場したLPレコードはごく初期からボール紙製のジャケットへ収められ、表面には何らかの印刷がなされていました。シングル盤でも、ボール紙製のジャケットはほとんど見かけられませんが、紙製のスリーブとコート紙に印刷されたジャケットがビニール製の外袋に入って売られている、という格好がほとんどでした。

それらヴァイナルのジャケットは、初期には簡単な2色刷りで曲目のみが書かれたものが多かったようですが、徐々に歌手や指揮者、作曲家などの顔が入り、美麗な4色フルカラー刷りとなり、美術作品からの引用などで飾られるようになりました。

左はリカルド・サントス楽団「小さな花 / ラ・ベル・ローズ」のシングル盤(1959年)、右は春日八郎「夫婦善哉/泣きぼくろ」のシングル盤(1965年)
左はリカルド・サントス楽団「小さな花 / ラ・ベル・ローズ」のシングル盤(1959年)、右は春日八郎「夫婦善哉/泣きぼくろ」のシングル盤(1965年)
紙製のスリーブにはレコード会社のカンパニースリーブが使用されているものも多く、年代や発売時期によってはカラーやデザインが変わるため収集しているレコードファンもいる
紙製のスリーブにはレコード会社のカンパニースリーブが使用されているものも多く、年代や発売時期によってはカラーやデザインが変わるため収集しているレコードファンもいる
絵画モチーフを取り入れたデザインのゲートフォールドジャケット。ジョン・ケージ『Concerto for Prepared Piano & Orchestra』(1968年)
絵画モチーフを取り入れたデザインのゲートフォールドジャケット。ジョン・ケージ『Concerto for Prepared Piano & Orchestra』(1968年)

1960年代に入ると、イギリス人グラフィックアーティストのポール・ホワイトヘッド(Paul Whitehead)のように、特に30cm盤のジャケットを一つの美術作品として手がけるアーティストが出現したり、レコード会社も特に2枚のジャケットを折り畳み式にしたゲートフォールド(見開き)ジャケットでは、それを利用していろいろな見え方をするデザインを採用したりと、さまざまな実験と遊びが繰り広げられ、レコードのジャケットは美術作品としてのステータスを確立していきました。

ジェネシスの『Nursery Cryme』(上)と、『Foxtrot』(下)
ジェネシスの『Nursery Cryme』(上)と、『Foxtrot』(下)。いずれもポール・ホワイトヘッドが手掛けたジャケットで、1971年・72年に発売されたオリジナル盤はそれぞれゲートフォールド仕様となっていた(写真は再発盤。表面と裏面にそのデザインが施されている)

レコードの音質も、カッター針にラッパを取り付けて音溝を刻んだアコースティック録音から、真空管の発明によって電気吹き込みが可能になり、テープレコーダーやマルチトラックの編集機、デジタル技術など、時代ごとの技術がどんどん採用されて、より高音質を簡単に享受できるようになってきました。それと同じように、ジャケットの世界もただのカバーから芸術作品へ、着実に進化してきたのですね。

本当に、アナログレコードはいろいろな方面から楽しむこと、愛でることができるものですね。

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Words:Akira Sumiyama

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