奄美大島の民謡・シマ唄をルーツにもつシンガーで三味線奏者の城 南海(きずきみなみ)は、デビュー16年目の2025年1月、思いがけず世界にその名を知られることになった。UK JAZZシーンの中心人物、ユセフ・デイズ(Yussef Dayes)の富士山を背景にしたライブパフォーマンスに緊急参加し、和服姿で演奏する姿が話題となったのだ。ジャズとシマ唄のコラボレーションはどのように実現したのか。奇跡の出会いに迫った。

「Do You Play Shamisen?」

2025年1月に城さんが参加されたユセフ・デイズの富士山セッション動画「Yussef Dayes In Japan」が公開され話題となりました。撮影が行われたのは2024年2月のこと。まずはユセフと城さんとの出会いについて教えてください。

友人からユセフの音楽を教えてもらい、個人的に好きでよく聞いていたんです。世界各地の絶景をバックに演奏する動画がすごく素敵だなと思っていて。

2024年2月にブルーノート東京でライブをすると知り、初日のチケットを取って見に行く予定だったのですが、その日の公演だけキャンセルになってしまって。

彼らのライブ日程が終わった頃、家でひとりで晩酌をしながらユセフのインスタを眺めていたら、ストーリーズに琴と三味線と尺八のイラストが投稿されていました。

添えられていた英語の意味はよくわからなかったのですが、ほろ酔いの頭で「和楽器を演奏するならどれがいいと思う? 日本のみなさん、教えて」と書いてあると思ったんです。そこで「Shamisen!」と送ったら、すぐにユセフから「Do You Play Shamisen?」と返事が来ました。

時間は深夜2時。驚いてもう一度ストーリーズをスクショして翻訳してみたら、「和楽器を弾ける人を募集している」と書いてあったんです。「やばい、立候補してしまった……」と思いました。

次々と送られてくるメッセージとGoogle翻訳を行き来しながらやりとりしていたら、ユセフが「今日の夕方16時に富士山の麓でセッションしよう」と誘ってくれたんです。

ライブ収録の14時間前に急遽、決まったことだったとは!

一応、自分のYouTube動画を添えて「私は一般的な三味線奏者ではなく、奄美大島の三味線を弾いてシマ唄を歌うというスタイルで活動しているシンガーです」と送ったら、「全然OKだから来てくれ!」みたいな感じで。

英語に不安があったので、改めて日本人スタッフを通して詳しい内容を連絡してほしいと伝えました。

その日は朝からニッポン放送でラジオの生放送だったのですが、ユセフの映像チームの日本人女性から連絡が来て、セッションへのお誘いが本気だということを知りました。

和服姿も素敵でしたが、ご自身で用意されたのですか?

ラジオに出演している最中に、ユセフから「着物で来てほしい」と連絡があって。たまたま奄美大島をルーツに持つ友人がニッポン放送の近くで〈銀座もとじ〉という呉服屋をやっていて、「今から着付けをしてほしい」とお願いしてすぐに準備してもらいました。

突然のことにもかかわらず、次々とピースがはまっていったんですね。

私はうまく英語で説明できなかったので、このドタバタの顛末をユセフは知りません(笑)。

住所を教えられて向かったのは、山梨県の富士山が見えるコテージ。そこで初めてユセフと会って打ち合わせしたのですが、既存のシマ唄を「こんな感じ?」と弾いてみたら「OK、じゃあそれで」と言われて、キーだけ決めて本番を迎えました。

シマ唄とジャズが出会った、幸せな化学反応

ほぼぶっつけ本番だったとは。セッションでは「Amami」と「Fujiyama」の2曲を披露されました。

「Amami」は「豊年節」、「Fujiyama」は「行きゅんにゃ加那節」という代表的なシマ唄をベースにしています。

もともとは三味線だけ演奏する予定でしたが、演奏中に歌ってみたらボーカルマイクを用意してくれて。「え、歌ってもいいんですか?」と恐縮しながら、少しだけ歌も歌いました。

「Amami」は一発本番。「Fujiyama」は2回演奏しましたが、とにかく緊張したしとても寒かったのを覚えています。ユセフたちの演奏でどんどん変化していったので、最終的には別の曲として私がタイトルをつけさせてもらいました。

もう、本当に訳もわからないまま終わった感じでしたね。

三味線の音色はもちろん、城さんの歌声が楽器のひとつとして鳴っているようで、とても美しいセッションでした。初めて会ったユセフの印象は?

アーティスト写真のイメージからは、ちょっとクールで怖そうな印象を受けていたんです。でも実際にはとってもつぶらな瞳の笑顔が優しい方で。音楽のことも私のこともリスペクトしてくれる包容力に、とても感動しました。

彼らとセッションしたことで、自分の原点である ”ウタアシビ” に久しぶりに触れた感覚になったんです。

ジャズセッションと共通する奄美大島の ”ウタアシビ”

城さんの原点となっている ”ウタアシビ” とは?

奄美大島には、その場に集まった人たちとセッションをする ”ウタアシビ(唄遊び)” という文化があります。誰かが歌い始めたら、そこに続いて即興を交えながら歌い繋ぐ歌遊びです。

私は奄美大島を離れて14歳で鹿児島市内に移り住みましたが、シマ唄を始めたのは高校1年生のとき。三味線とシマ唄をやっていた兄の影響で、奄美出身者たちが集まるお店でウタアシビに参加するようになったんです。

奄美大島で暮らしていた頃は、シマ唄に興味はなかったのでしょうか。

運動会や文化祭で歌ったり踊ったりしたことはあるのですが、当たり前にあるものだったので、特に意識することはありませんでした。

鹿児島市に移り住んでから興味を抱いたのは、島への恋しさが募っていたことや、シマ唄が生まれた背景や歴史を、ウタアシビの場で教えてもらうようになったことが大きかったと思います。

奄美大島は江戸時代、薩摩藩の圧政下でサトウキビの生産を強制され、食べるものもままならない苦しい状況に追い込まれたそうです。

辛い生活を強いられながらも、島の人たちはブルースのようにシマ唄を歌い、共に乗り越えてきた歴史があります。書物などは薩摩藩に焼き捨てられてあまり残っていませんが、シマ唄は口伝で消えることなく残ってきました。

「唄半学(うたはんがく)」という言葉があるのですが、これは、シマ唄を学べば人生の半分を学べるという意味。これまで何気なく触れていたシマ唄には、島の人たちの歴史や想い、教えが詰まっていることにとても魅力を感じました。

私も長く歌い継がれてきたシマ唄を伝えていきたい、もっと広めていきたいと思ったんです。

シマ唄には「グイン」という裏声やこぶしを多用した独特の発声法がありますが、どのように習得されたのでしょう?

私はウタアシビ゙の場で覚えていきました。あとはCDを聞いたり、兄の歌を聞いたり。いろんな人たちの歌い方を真似しながら自由に学んでいった感じです。民謡教室や師匠に教わるのが一般的ですが、私はちょっと珍しいかもしれません(笑)。

その後、お兄さんとストリートパフォーマンスをするようになったそうですが、人前で歌うことに抵抗はなかったのでしょうか?

カラオケに行くとマイクを離さないタイプで、高校時代はアヴリル・ラヴィーン(Avril Lavigne)やブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)をよく歌っていました。

友達とユニットを組んで洋楽のカバーやオリジナル曲をお祭りで演奏したことも。結構、目立ちたがりだったと思います(笑)。

高校2年のときには三味線が弾けるようになったので、ひとりで披露することも増えていきました。

ピアノの先生を目指して音楽科のある高校に通っていたそうですが、シンガーとしてデビューすることになったきっかけは?

鹿児島のMBC南日本放送から依頼を受けて、ラジオの公開放送でシマ唄を披露したことがあるんです。その帰りに近くの公園を通りかかったら、普段、ウタアシビをしている知り合いの人たちが出店を出していて。

「南海ちゃん、1曲歌ってよ!」と言われたので、急遽、スピーカーもない芝生の上でシマ唄を歌いました。そこになぜか、場違いなスーツを着た男性ふたりが座って聴いていて。怪しいなと思っていたら、演奏後に名刺を渡されて事務所のオーディションに参加しないかと声をかけられたんです。

当時は「鹿児島の人たちにもっとシマ唄の魅力を知ってもらいたい」と活動していたので、「東京の人にもシマ唄を聞いてもらえるチャンスだ!」と思い、思い切ってオーディションを受けてみることにしました。

変わらないモチベーションと、実感した可能性

ユセフとの出会いと同様に、目の前のチャンスに果敢に飛び込む好奇心と行動力でキャリアを築いてきたんですね。今年でデビュー16年。シマ唄とポップスをベースに活動しながら、カラオケ番組やミュージカルなど、さまざまなチャレンジをしてこられた城さん。ユセフとの共演は、キャリアにおいても大きな出来事だったのでは?

「シマ唄を広めたい」というモチベーションはずっと変わらずに持ち続けてきましたが、ジャズとの間に起こる化学反応に感動しましたし、新たな可能性を感じました。

今年の2月にロンドンを旅行した際、現地で音楽活動をしている日本人の方たちから「ユセフの動画に出ていた子?」と、たくさん声をかけられたんです。「日本人としてすごく勇気をもらった」と言ってもらえたことが、とてもうれしかったです。

富士山セッションに参加されたあと、フジロックフェスティバル’24、グリーンルーム・フェスティバル2025、ユセフの単独公演(Shibuya Spotify O-EAST)などで共演。今年6月にはイギリスのグラストンベリー・フェスティバルにも出演されました。

今年の5月にグリーンルーム・フェスティバルの打ち上げをしていた焼肉屋で、ユセフから6月のスケジュールを聞かれたんです。日本人スタッフから「なんかイギリスのフェスに呼びたいらしいよ」と教えられたのですが、そのときはイギリスで演奏したいけど、どういうフェスかはわかっていませんでした。

ところが、その場にいたユセフのお父さんから「南海! 俺はグラストンベリーに行ったことがないけれど、南海が出るんだったら行くよ!」と言われて。「すごいフェスなんだ」と、初めて事の重大さに気づきました。

それから「本当に呼んでくれたらうれしいな」と思いながら待っていたのですが、最終的に出演決定の連絡が来たのは本番の2週間前でした。

またも急な展開ですね。グラストンベリー・フェスティバルは世界最大規模の野外フェスです。さすがに緊張されたのでは?

それが、これまでで一番緊張しなかったんです。お客さん全員が一瞬一瞬を楽しんでいる感じが伝わってくる、すごく温かいフェスでした。ユセフたちとも信頼関係ができていたので、安心感がありましたね。

いつもユセフは「南海はそのままで大丈夫。俺たちが合わせるから」と言ってくれるんです。演奏中「ここは南海ね、ここは自分、ここはみんなで行くよ」ということを、指揮者のようにすべて音で会話をしていく。目に見えない愛情やリスペクトが演奏からも伝わってくるし、本当に素晴らしいミュージシャンだと思います。

実は「Amami」のベースになっている「豊年節」には、「どっこい」とか「はっ、はっ」といった合いの手が入るので、前日のリハーサルでユセフにやってくれないかとお願いしたんです。すると「南海がお客さんを煽ってよ」と提案してくれて。

覚悟を決めて合いの手を入れたらお客さんがものすごくノってくれて、とっても盛り上がりました。特別な経験でしたし、島孝行にもなったと思います。

海外アーティストとの共演はユセフ・デイズが初だったそうですが、今後、コラボしてみたいミュージシャンはいますか?

鹿児島から上京して初めて行ったコンサートがケルティック・ウーマン(Celtic Woman)だったのですが、直感的に奄美のシマ唄と近い懐かしさを感じたんです。

大学の卒業論文では「シマ唄とケルト音楽との共通点」をテーマにしたほど、奄美との近さを感じていました。今年の2月に初めてアイルランドを訪れたのですが、景色や湿度感、パブで歌って踊ってセッションする文化も、やっぱりすごく似ていると感じました。いつかアイルランドの音楽家とコラボできたらうれしいですね。

ノルウェー出身のオーロラ(AURORA)もすごく好きなアーティストです。民族的な音階がシマ唄に似ているし、ビートが効いたポップなメロディとのミックス加減がおもしろくて。あと、本人もすごくかわいい!いつかコラボできたらうれしいですね。

ミュージシャンとしての可能性がどんどんと広がっていきますね。今後の展望は?

ちょうどアルバムを作っているところなのですが、オリジナル曲にチャレンジし始めています。これまでは自分の中から出てくるものを歌うことが恥ずかしくもあり、怖くもあったんです。

でも今は、怖がらずに自分を表現してもいいのかなと思うようになりました。それはきっと、自分を肯定し、愛することができるようになったから。

ユセフが私のことを認めて世界の舞台に出してくれたことが、大きな自信につながりました。彼との出会いは、本当に神様が与えてくれたものだと思っています。

私の最終的な目標は歌い続けること。奄美大島というルーツをしっかり見つめながら、より自分らしい声と表現を追求し、日本だけでなく、世界に発信していけたらと思っています。

城 南海 ウタアシビ2026 春

2月21日(土)鹿児島・キャパルボホール 開場16時15分/開演17時
2月22日(日)福岡・Gate’s 7 開場15時15分/開演16時
3月7日(土)大阪・心斎橋PARCO SPACE14 開場16時15分/開演17時
3月8日(日)愛知・ボトムライン 開場15時15分/開演16時
3月28日(土)北海道・小樽GOLDSTONE 開場16時15分/開演17時
3月29日(日)宮城・LIVEDOME STARDUST 開場16時15分/開演17時
4月5日(日)東京・大手町三井ホール 開場16時15分/開演17時

チケット10月25日(土)発売
FC先行限定グッズ付チケット 9000円ドリンク代別
通常チケット 6500円ドリンク代別
大阪・東京公演は指定席 他会場は自由席
大阪公演はドリンク代無し

問合せ:kizukistaff@pcimusic.jp
東京公演問合せ ホットスタッフ・プロモーション 050−5211−6077(平日12:00〜18:00)

城 南海

1989年12月26日生まれ、鹿児島県奄美大島出身。奄美民謡「シマ唄」をルーツに持つシンガー。2歳からピアノを始め、高校1年でシマ唄を、高校2年で三味線を始める。2006年に鹿児島市内でシマ唄のパフォーマンス中にその歌唱力を見出され、2009年1月に「アイツムギ」でデビュー。代表曲は、NHKみんなのうた「あさなゆうな」、「夢待列車」をはじめ、NHKドラマ『八日目の蝉』の主題歌「童神~私の宝物~」、NHKBSプレミアム時代劇『薄桜記』の主題歌「Silence」、大河ドラマ「西郷どん」の劇中歌と大河紀行テーマ、ディズニー実写映画『ムーラン』の日本版主題歌「リフレクション」など。2024年2月にユセフ・デイズとのセッション動画に参加したのをきっかけに、フジロックフェスティバル(2024)、グリーンルームフェスティバル(2025)、ユセフ・デイズの単独公演(東京)に出演し、2025年6月にはイギリスのグラストンベリーフェスティバルのユセフ・デイズのステージにゲスト出演した。

息吹

イタリア生まれイタリア育ちのミュージシャンRyu(Ryu Matsuyama)との共作曲。アイリッシュサウンドを想起させる上質な浮遊感と、それを縫うように響く奄美の節まわしが共鳴するアンビエントな作品。配信ジャケットは、奄美大島で20年ネイチャーガイドを務める城の父が撮影した、金作原原生林の写真。

Words & Edit:Kozue Matsuyama
Photos: Kosuke Matsuki

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