2019年にアメリカ、シアトルのレーベルLight In The Attic(ライト・イン・ジ・アティック)からリリースされた日本の環境音楽を集めたコンピレーション・アルバム『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980–1990』(以下『Kankyō Ongaku』)が始まりだった。 アナログ・レコードで3枚組のボックス・セットに全23曲が収められたアルバムは、グラミー賞最優秀ヒストリカル・アルバム部門にもノミネートされた。 その歴史的な価値が認められたのだ。

アンビエント・ミュージックとは少し異なる背景を持った、この日本発の環境音楽は、シティポップのように欧米のリスナーを魅了することとなった。 だが、シティポップほどキャッチーな音楽ではない環境音楽は、一体どのように受け入れられていったのだろうか。 その疑問を解きたく、『Kankyō Ongaku』を手掛けたYosuke Kitazawa(北沢洋祐)、Patrick McCarthy(パトリック・マッカーシー)の二人に話を訊いた。 二人はLight In The Atticを経て独立し、現在はレーベルTemporal Drift(テンポラル・ドリフト)を立ち上げ、吉村弘や裸のラリーズなど、日本の音楽のリイシューを進めている。 ちょうど、このインタビューの直後に吉村弘『Surround』の世界初リイシューが実現した。

いままでアメリカにはなかった、歴史的にも意義のある作品

いままでアメリカにはなかった、歴史的にも意義のある作品

まずは、『Kankyō Ongaku』の企画段階の話から伺わせてください。

Yosuke Kitazawa:そもそもLight In The Atticで、アンビエントのコンピレーションがこれの前に2つありました。 アメリカのアンビエント、ニューエイジを集めた『I Am The Center: Private Issue New Age Music In America 1950-1990』と、ヨーロッパの『The Microcosm: Visionary Music of Continental Europe, 1970-1986』です。 それで、日本の音源で同様のコンピレーションをやろうという話になったんですね。

Light In The Atticのコンピレーションは、殆んど、外部のプロデューサーと一緒にやるって感じになってて、『Kankyō Ongaku』は、ポートランドのVisible Cloaks(ヴィジブル・クロークス)というデュオもやっているSpencer Doran(スペンサー・ドーラン)、 が、日本の環境音楽にすごい詳しいので、彼にキュレーションをやってもらいました。 自分はライセンシングを担当して、プロダクトになるというところでパトリックが関わったんです。

『Kankyō Ongaku』はグラミー賞にノミネートされたこともあって、日本の環境音楽が広く知られる大きなきっかけになりましたが、それ以前のアメリカではどの程度、こういった音楽は知られていたのでしょうか?

Yosuke Kitazawa:『Kankyō Ongaku』の日本のアーティストは、アメリカではマニア以外あまり知られていなかったですね。 なので、それを、どうやって聴いてもらえるかっていうのを結構考えて、日本語でしかないインフォメーションもちゃんと英語にしてプレゼンするのが大事なことでした。

グラミーにノミネートされた理由は分かりますか?

Patrick McCarthy:ちょうどグラミーにノミネートされるリストが挙げられている時に、僕は受賞部門(ヒストリカル・アルバム部門)の選考者のコミュニティに入っていたんです。 自分には投票権はないんだけど、他の人が『Kankyō Ongaku』に興味なさそうにしていると、「これは本当に重要な作品だから、ちゃんと聴いてほしい」って言ったりしてた。 じっくり聴けば、いままでアメリカにはなかったような、歴史的にも意義のある作品だと分かるはずですからね。

環境音楽は特定の場所のために作られた音楽

環境音楽は特定の場所のために作られた音楽

日本の環境音楽と欧米のアンビエントとの違いはどこにあると思いますか?

Yosuke Kitazawa:環境音楽って、英語にすると、エンバイロメンタル(Environmental)・ミュージックってなるんですけど、音楽的に、環境音楽とアンビエントにそんなに違いはないと思う。 でも、コンセプトとして見ると、環境音楽は特定の場所のために作られた音楽で、英語で言うと、サイト・スペシフィック(Site-Specific)なものですよね。

特定の(Specific)場所(Site)のために作られたアート作品と同じ位置付けということですね。

Yosuke Kitazawa:ええ。 一方アンビエントは、頭の中から生まれてきた音楽とか、実際にはない世界のための音楽というような、もっとフレキシブルな意味があるのかな、と思います。

Patrick McCarthy:元々、アンビエントっていうのは、今、環境音楽って言われてるような音楽の方に近かったと思う。 アンビエントのオリジネーターみたいに思われているBrian Eno(ブライアン・イーノ)も、Érik Satie(エリック・サティ)の影響があるし、日常のバックグラウンドになるような音楽というのが始まりでした。 でも、イーノはいまは場所のためではない音楽も作っているから、両方やっている感じですよね。 あと、Max Neuhaus(マックス・ノイハウス 注:打楽器奏者でサウンド・インスタレーションの第一人者)も、サイト・スペシフィックな、場所との繋がりがあるような音楽も作っていた。 環境音、水の音とか、そういうのも使って作った音楽があって、その意味では環境音楽って言えるものですよね。

80年代の日本の環境音楽はバブルの時代の産物でもあって、余裕のある企業が推進したプロジェクトだったという側面もありました。 アメリカでは似たような動きはあったのでしょうか?

Yosuke Kitazawa:どうかな。 全くないことはないと思うけど、あまり思いつかないですね。 1984年のロサンゼルスのオリンピックでは、ビジュアルアートで、いろいろなアーティストが依頼されてポスターとか作ったけど、そういう感じで音楽も作られたかもしれない。 もしかしたら、オリンピックのスタジアムのために作った音楽とかあったかも。 調べてみないと分からないですけど。

Patrick McCarthy:Max Neuhausはニューヨークの地下鉄の鉄骨の支柱から音が聞こえてくるサウンドアートを作っていました。 あとロサンゼルスでは、街から依頼されたサウンドアートというのがあります。

Yosuke Kitazawa:ロサンゼルスのダウンタウンにあるパブリックアートでTriforiumというのがあって、周りにいる人の動きによって、光とそこから出てくる音が変わるというのがあったけど、それも近いのかな。

Patrick McCarthy:La Monte Young(ラ・モンテ・ヤング)の『Dream House』みたいに、もっとプライベートな、誰かの家で依頼されて作られたものもある。 そういうのも似たようなものかもしれないですね。

美しさを音楽で表現することがシンプルに出来ている

美しさを音楽で表現することがシンプルに出来ている

日本の場合は、80年代に西武百貨店や無印良品が中心になって、個人のライフスタイルを大切にしましょうということが言われだしたんです。 それは売る戦略でもあったんですが、それまでの日本の社会は、高度成長期で個人よりも会社が尊重されていた。 そこから個人がクローズアップされる時代にシフトした。 そこに環境音楽も合致した。 パブリック・アートとしての環境音楽ではなくて、もっとパーソナルなところにも焦点を当てた音楽としてです。

Patrick McCarthy:それは興味深い観察ですね。 アメリカでは、全然そういう感じではなかった。 アメリカは思いっきり物を消費して、とにかく買う。 だから、会社もどうすればお金をたくさん稼げるかってことしか考えてなかったでしょう。 あと、70年代はもっと、フリーな感じだった。 カウンターの方向に行くっていうところもあったかな。 だから、日本はユニークだったのかもしれないです。

アメリカで暮らしている二人から見て、『Kankyō Ongaku』に納められている日本の環境音楽は、欧米のアンビエント、あるいはニューエイジと言われる音楽とどこか違って聴こえるところはありますか?

Yosuke Kitazawa:自分はこのコンピレーションのコンセプトが分かっているし、ライナーノーツに書かれてることも全部頭に入っているから、このコンピレーションがどういうものか分かって聴いている。 そうすると、やっぱり違って聴こえる。 でも、そういうのを全く知らないで聴いたら、 どうなのかな。 最初からプロデューサーとして関わっているから、そこを別けることは難しいですね。

Patrick McCarthy:初めて『Kankyō Ongaku』の音楽を聴いた時は、他の国のアンビエントと比べて、美しさを音楽で表現することが、このアーティストたちはシンプルに出来ているっていうことに気が付いたんです。 他の国のアンビエントだと結構アカデミックな感じで、例えば、花の美しさを表現できないようなのが多い。 あと、聴いていて、受け入れられやすい。 難しい音楽ではないって感じですね。

Yosuke Kitazawa:日本でもアカデミックなところもあるけど、それでも、同時に聴きやすさがある。

でも、俗っぽくなりすぎない、叙情的すぎない音楽でもありますよね。

Yosuke Kitazawa:そう、ネイルサロンで聞こえるようなスパ・ミュージック(Spa Music)とは違います。

あと、『Kankyō Ongaku』にはSpencer Doranが書いたしっかりしたライナーノーツが付いていて、パッケージも素晴らしいです。 こうした丁寧な制作スタンスというものも、評価されたと思います。

Yosuke Kitazawa:ライナーノーツはやっぱり大事だと思いますね。 グラミー賞のノミネートもヒストリカル部門だから、バックストーリーは大切です。 知らなかった歴史、英語では全く書かれてない歴史がこのパッケージに入ってるから、そういうところもヒストリカル・アルバム、歴史を伝えられるアルバムとして良かったのだと思います。

Patrick McCarthy:新たに発見されたケージャン・フィドル・ミュージックのコンピレーションみたいなものと同じで、それは、バックストーリーとか、そういうのが分かってないと、他との違いが分からないと思う。 ただ、聴く音楽として良いものを提示するだけでなく、歴史や文脈、どういうところでできた音楽か、そういうのがパッケージとしてある。 グラミーに関してはそういうところを見て評価しているんです。

ストーリーがあれば、もっとたくさんの人に聴いてもらえる

ストーリーがあれば、もっとたくさんの人に聴いてもらえる

『Kankyō Ongaku』に限らず、Light In The Atticは丁寧なリイシューをしてきました。 その姿勢は当初から一貫してますよね。

Yosuke Kitazawa:そうですね。 特にリイシューだと、昔出た頃は売れなかったり、全く無視されたりしたような音楽を、新たに世界に出すって感じだから、なんで今になって、これをまた出すのかとか、そういうストーリーとか、文脈が必要だし、今二人でやってるレーベル、Temporal Driftでも『OZ DAYS LIVE ‘72-’73 Kichijoji: The 50th Anniversary Collection』を出しましたが、あの頃の日本のアンダーグラウンド・カルチャーは日本でもそれほど知られてないし、海外だともう全く知られてないようなストーリーです。 でも、音楽は海外でも通用する、どこで聴かれてもいいような音楽だから、日本でもこんな良い音楽があって、こういう面白い歴史があって、こういうシーンがあったっていうのを、まず伝えたい。 どんなコンピレーションでも、リイシューでも、やっぱりストーリーがあれば、もっとたくさんの人に聴いてもらえると思う。

Patrick McCarthy:あんまり知られてない歴史を伝えるためにコンピレーションを作るんじゃなくて、そのコンピレーション自体がなにか新しい歴史になるみたいなこともあるんです。 例えば、 カントリー・ファンクっていうコンセプトのコンピレーション(『Country Funk 1969-1975』『Country Funk II 1967-1974』『Country Funk III 1975-1982』)、あれは元々あったジャンルのコンピレーションを作ったっていうわけじゃなくて、コンピレーションでそういうジャンルができたっていう感じだったんです。 そういうこともあるから、リリースをしたおかげでストーリーが生まれてくるっていうこともある。

シティポップは逆輸入で日本にも紹介され、国内でも昔の音源のリイシューが進んでいるんですが、それに比べると環境音楽はまだそれほどではないように感じます。 アメリカでは環境音楽はどの程度、浸透したのでしょうか?

Yosuke Kitazawa:まあ、そんなに売れるような音楽ではないですけど、でも、こういう音楽に対して、ものすごく好きな人がたくさん増えてると思います。 特にロサンゼルスではそうですね。 あまり日本の音楽っていうのを気にすることなく、良い音楽として聴いているところもあります。 だから、環境音楽が流行ってるとか、流行ってないとかは別になくて、例えば、細野晴臣を好きな人は多くて、それで、細野さんもアンビエントをやってたと、それで聴くようになったり、そんな感じですね。

Patrick McCarthy:吉村弘の『Green』とかアルバム単位ですごく人気があるものもありますね。 あと、最近リイシューされたMort Garson(モート・ガーソン)の『Mother Earth’s Plantasia』は人気のあるアルバムで、そういうシンセサイザー・ミュージックを好きな人も多いから、『Green』にも似た感じがあって、そういう繋がりもあると思う。 『Mother Earth’s Plantasia』が好きな人に『Green』をギフトとしてあげるなんてこともあるみたいですよ。

このインタビュー記事が掲載される頃にはもうリリースされていると思いますが、Temporal Driftの次のリリースは吉村弘の『Surround』ですね。

Yosuke Kitazawa:そうです。 Light In The Atticの頃から、僕らは吉村弘の『Music For Nine Post Cards』や『Green』のプロデュース、プロダクト・マネージメントをしていたので、その繋がりでやることになったんです。 『Surround』は『Green』と同じ1986年のリリースで、ミサワホームが新築した住空間をより良いものにするための「アメニティ」として制作した「サウンドスケープ」シリーズの一つとして、吉村弘に依頼したものです。

先ほど触れた、80年代のライフスタイルを良くする話にも関係しているリリースですね。

Yosuke Kitazawa:ええ。 吉村さんに『Surround』の制作を依頼した人であり、このプロデュースを手掛けた塩川博義さんに新たにライナーノーツを書いてもらっています。 そこで、塩川さんは、『Surround』と『Green』は陰と陽だと指摘していて、『Green』は明るく、植物が育つような環境だけど、『Surround』は街に住んでいるような、嫌なことも含めて全部したアルバムだと、興味深い指摘をしています。

今後は、二人はTemporal Driftをベースに活動を続けていくわけですね。

Yosuke Kitazawa:はい。 フリーランス・プロデューサーとしてLight In The Atticに関わることもあって、Temporal Driftの流通をやってもらってますが、Temporal Driftで今後はいろいろ出していく予定です。

Yosuke Kitazawa(北沢洋祐)&
Patrick McCarthy(パトリック・マッカーシー)

ロサンゼルスを拠点としたレコードレーベルTemporal Driftの設立者であるYosuke KitazawaとPatrick McCarthy。 安部勇磨や裸のラリーズなど、世界中から新鮮な現代の音楽やアーカイブサウンドを提供することを目指している。 両者とも名門レーベルLight In The Attic Recordsのプロデューサーとして長年の経歴があり、Best Historical Album グラミー賞のノミネート歴もある。

HP

Words: 原 雅明 / Masaaki Hara
Photo: Mitsuru Nishimura