あなたは「サウンドスケープ(音風景)」という概念をご存知でしょうか?

1960年代終わりに、カナダの作曲家マリー・シェーファー(R. Murray Schafer)によって提唱された概念「サウンドスケープ」について、音楽家、録音エンジニア、オーディオ評論家の生形三郎さんに解説していただきました。

世界に溢れる音全てが既に音楽である

“あなたが今、耳にしている音の全てが「音楽」である。 都会の雑踏も、雨音も蝉しぐれも、風にそよぐ木の葉ずれも、そして、あなたの呼吸さえも、分け隔てることなく、音楽を形成する一要素である”

こんなことを言った人がいます。 なんとも素敵な考え方ですよね。
そうやって我々を取り囲む全ての音に耳を澄ましてみると、これまで何気なく聞き流してきた音、聞き逃してきた音が、改めて耳に届いてきます。

あなたが今、耳にしている音の全てが「音楽」である

例えば、自然の中に身を置いてみた時には、まるで風景全体が大きな一つのハーモニーを奏でているかのように聴くことができるのではないでしょうか。 足元では小川のせせらぎが、頭上では風にそよぐ木の葉ずれの音や鳥のさえずりが、遥か遠くからはひとかたまりになった風の音が。 これらがまるで有機的に重なり合って一つの音楽を形成しているように聴いてみることができます。

マリー・シェーファーが提唱するサウンドスケープの概念

カナダ人の作曲家、マリー・シェーファーは、まさにこのような「世界に溢れる音全てが既に音楽である」と認識する環境芸術的な思考とともに、その地域や時代に存在する固有の音や、その音からどのような情報を得ているのかなどの音世界との関わりや営みを含め、音環境全体を「音の文化」として捉える概念を提唱しました。 同時に、そのような音環境に耳を傾けることができる「聴く力」を養う教育の必要性も唱えました。

それが、1960年代末に提唱された「サウンドスケープ(音風景)」です。 当時は、急速な経済的発展の中で、公害などの環境汚染が問題視された頃です。 人々を取り囲む音環境もさぞや急速な変容を遂げていたことでしょう。 シェーファーも、騒音問題に直面する中で、騒音を含めた音環境デザインの必要性を感じ、サウンドスケープという概念にたどり着いたといいます。

一般的な西洋音楽の常識を根底から覆したジョン・ケージの存在

そして、先の環境芸術的な思考の背景には、アメリカの作曲家、ジョン・ケージ(John Cage)がもたらした思想の影響も存在します。 ケージの代表曲に「4分33秒」があります。 この曲は、演奏者がステージに現れたのち、4分33秒の間、楽器から一切の音を出すこと無く(正確にはピアノの蓋の開け閉めだけを行なった)、演奏を終えるものです。 初演された時、客席からは大きなどよめきや混乱の様子が聴こえてきたようです。 しかしながら、それらの音こそがこの曲の中身であったのです。

一般的な西洋音楽の常識を根底から覆したジョン・ケージ

私はこの曲をCD(!)で聴いた時、再生していたスピーカーが、まるでマイクになってしまったかのような気がしました。 音を奏でるはずのスピーカーがマイクとなって私が出す音やその周りに存在している一切の音を拾っているかのような、または、一緒に耳を澄ましているような感覚です。 再生ボタンを押した途端、耳に届くすべての音が―自分の呼吸までもが―作品というか、音楽になってしまったように感じ、とても不思議な気持ちになりました。
「4分33秒」は、音楽は完全に作曲家や演奏家の手中(コントロール下)にあることや、コンサートホールという静かな場所で楽音以外の一切を締め出して演奏するという、一般的な西洋音楽の常識を根底から覆したものとしても認識されています。

日本の「禅」の思想が影響している

ジョン・ケージのこのような考え方は、彼が日本で触れた「禅」の思想にも大きな影響を受けていると言います。 同時にサウンドスケープも、日本人の音に対する感覚とも深く結びついているといえるのではないでしょうか。 日本では古来から、鹿威しや水琴窟など、音を取り入れた空間デザインを行なってきましたし、蝉しぐれや虫の音に風情を感じるという感性があります。

日本におけるサウンドスケープの例

実際に、日本におけるサウンドスケープ活動の一例として、「日本の音風景100選」があります。 これは、1996年に当時の環境庁が「全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)」を公募したもので、音環境を保全する上で特に意義があると認められる100件を選定した、まさに日本らしい営みと感じます。
また、もっと身近な例で言えば、さまざまな場所の音のアーカイブを聴くNHKのラジオ番組「音の風景」などもまさにサウンドスケープですね。 そのほかにも、サウンドスケープの実践として、周囲の音を記録・収集して「音の地図」を作ったり、それらを時代や地域ごとに分析して、社会の音環境のあり方を考察するといった様々なものがあります。

「聴く力」を養う教育 〜サウンド・エデュケーション〜

話をシェーファーに戻すと、音環境に耳を傾けることができる「聴く力」を養う教育として、彼は「サウンド・エデュケーション」という活動を行なったことでも知られています。 彼が記した同名の著作には、「いま耳に聞こえている全ての音を書き出す」、「それを分類してみる」、「目を閉じた状態で案内人に連れられ歩き、特定の場所の音環境を体験する」といったものから、「今では聴くことのできなくなった音や新たに生まれた音はなにか?」 、「あなたのコミュニティを特徴づける音はなにか?」といった問いが100個書かれており、それらの様々な設問を実践する中で、聴く力、聴く技術を養うという、実に斬新な内容となっています。

サウンド・エデュケーション

全ての音に耳を傾けて、音を通して世界と関わる。
サウンドスケープという概念は、まさに「Always Listening」という、このメディアを体現する存在とも言えますね。

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Words:Saburo Ubukata