みなさんは「アンビエント」という音楽ジャンルをご存知でしょうか。 「環境音楽」ともいわれるアンビエントは、ブライアン・イーノ(Brian Eno)と呼ばれる人物が提唱した音楽ジャンルです。 イーノが制作したアンビエント音楽は、レコードで聴くと大変心地が良く、音楽作品としては勿論、リラックスできる素敵な入眠BGMとしても最適なものであるとともに、また、ここ最近再び注目を集めている音楽ジャンルでもあります。

そんなオーディオとも親和性の高いブライアン・イーノのアンビエント・ミュージックについて、音楽家、録音エンジニア、オーディオ評論家の生形三郎さんに教えていただきました。 今回はその続きです。

前編はこちら:ブライアン・イーノのアンビエント音楽〜オーディオをはじめてみよう〜

再評価される日本の環境音楽

前回の記事でご紹介したアンビエント・ミュージックは、1970年代にブライアン・イーノに定義されて以降、環境音楽やヒーリング音楽、癒やし系音楽、そして、ドローンやチルアウトと呼ばれるような音楽へと、その特徴が引き継がれていきました。 日本でも、イーノの音楽や、我々が置かれている環境に存在する音のすべてを音楽として捉える「サウンドスケープ(Soundscape)」といったものの影響を受けた多くの音楽が生まれ独自の発展を遂げましたが、そんな日本の環境音楽が近年再び注目を集めています。

それを物語っているのが、『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』という日本の環境音楽を集めたコンピレーションアルバムが、2020年の米グラミー賞最優秀ヒストリカル・アルバム部門 にノミネートされたことでしょう。

このコンピが注目を集めたのは、日本の70年代~80年代の音楽を再評価する世界的な機運からと言えます。 その要因としては、サンプリング素材としてそれらの音楽の断片が使われ、その動画や音源がストリーミング・サービスやSNSのレコメンド機能によって急速な広がりを見せたことが大きいと言われています。 素材として世界的に注目を集めたのは、当時の音楽があまり日本の外に向けて発信されていなかったこともあるのではないかと指摘されています。 これらの代表格が「シティポップ」と呼ばれるジャンルですね。 私は音楽大学で録音やオーディオなどについて教えているのですが、中国からの若い留学生が山下達郎や竹内まりやのレコードを持っていたりと、その広がりにとても驚いています。

先に挙げた『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』も、そういった日本の音楽をリイシューしてきたレーベル、ライト・イン・ジ・アティック(Light In The Attic)がリリースしたもので、これまで埋もれていた日本の音楽を発掘するものとして、環境音楽にもスポットが当てられたということでしょう。

Light In The Atticのインタビューはこちら:環境音楽はなぜアメリカで受け入れられたのか? 『Kankyō Ongaku』を手掛けたYosuke KitazawaとPatrick McCarthyに訊くレコード・リイシューの極意

同時に、コロナ禍以降、穏やかで心休まる作風の楽曲が多くリリースされていることも、アンビエント及び環境音楽に注目が集まった理由と言えるのではないでしょうか。 ブライアン・イーノと彼の実弟であるロジャー・イーノ(Roger Eno)が共同で制作した作品「Mixing Colors」や、ロジャーのソロ2作品がクラシックの名門ドイツ・グラモフォン(Deutsche Grammophon) からリリースされ注目を集めたことは、非常に象徴的な事実であると筆者は感じています。

ポスト・クラシカルなアンビエント

中でも、アンビエント的な視点で注目なのが、「Mixing Colors」です。 LP2枚組にも及ぶ大作のアルバムで、イーノとロジャーがコラボレーションしたタイトルです。 この作品も、やはりイーノはおもに音作りを担当しているようです。 面白いのが、ハロルド・バッド(Harold Budd)との共作で聴けた、エフェクティブなエコーやシンセサイザーの音色がここでも聴けることです。

ポスト・クラシカルなアンビエント

制作機材の変化もあってか、ノイズ自体は皆無になっているのですが、そこで聴けるサウンドの処理は、40年以上前に制作された作品で聴けるものがいくつかあります。 恐らくは使っている機材が同じか、もしくはそれがデジタルで復刻されたものを使っているのかもしれませんが、長い年月を経てもなおそれが作家という一人の人間の中で、しっかりとアイデンティティーとして受け継がれていること、そしてそれが、別の作品を成り立たせる血肉となって再び顔を現していることに、深い感銘を受けます。 変な喩えですが、知己との邂逅を果たしたかのような、そんな嬉しさがあるのです。

音楽として少し分析してみると、このアルバムはドイツ・グラモフォンからリリースされているだけに、アンビエントというよりは、ポスト・クラシカルというジャンルに当てはまると言えそうです。 基本的には、クラシック音楽のロマン派期のピアノ曲を思わせるような、叙情的で詩的な曲で構成されています。 ただ、アコースティックなピアノの代わりに、シンセサイザーが多用されているためかなり抽象化されていることと、曲の元となるフレーズはクラシック音楽のように展開されたり分かり易いメロディを奏でたりしないので、その点が非常にアンビエント的です。

アルバムは、深い悲しみを思わせるような曲調から始まって、明るくも暗くもないものや明るく幸福な記憶を想起させるような楽曲、そして、大きな慈愛で包むような優しい曲などが連なっています。 全曲ゆったりとしたテンポで、言葉数は少なくも噛みしめるかのような語り口で淡々と展開。

どちらかというと聴き流せないでついつい聴き込んでしまいますが、この音楽は、聴く人の中にある大事な記憶や経験を今一度想い起こさせて、それを整理して次に繋がるような思考状態にしてくれるように私は感じます。 そういう意味で、やはり、根本的にはとてもアンビエント的であると思うのです。

C面で登場するアコースティック・ピアノと、その裏で微かに停滞する美しいシンセサイザーのドローンは、遠い記憶の中の自分の感情を汲み上げてくれるかのようですが、これは生楽器の音だけでは決して表現できないものではないでしょうか。

私はこの作品はデジタルリリースを先に聴いて、あとからレコードリリースを聴きましたが、やはりレコードの方がそれらの効果を強く実感します。 デジタル版の方が音がクリアですが、レコードのほうがクリアに聴こえない分、音の密度が高まり、情報も限られるからか、想像力が刺激されるのです。 また、音色によっては、音への光の当たり方が変わって、アナログの方がその存在を強く感じさせるから不思議です。

そして何より、音が心地よいです。 デジタル版も大変聴きやすい音質ですが、レコードはそれをさらに上回ります。 また勿論、良質な厚手の紙によるダブルジャケット仕様にジャケットのアートワークが美しく映えるほか、インナースリーブや盤に貼られたシンプルなレーベル面のデザインも素晴らしく、音楽の美しさを大きく引き立ててくれますね。 いやはや、こんな体験をさせてくれるアナログ・レコードというメディアってやはり凄いです。

Words:Saburo Ubukata