1999年にスタートしたインターネット・ラジオのパイオニアdublabは、地元ロサンゼルスのみならず、世界中にリスナーを持ち、アーティストや音楽シーンからの信頼も厚い。日本の音楽をいち早く紹介してきたマーク・“フロスティ”・マクニールを中心に、デイデラスやカルロス・ニーニョらも設立に関わり、放送には世界中からアーティスト、DJを招いている。インターネットを通じたワールドワイドな活動に加えて、地域のコミュニティ、行政機関や企業とも協力して、様々なイベントやプロジェクトも進めてきた。豊かなラジオ文化にも支えられて誕生したdublabは、今年設立23年目を迎え、新たなスタジオを作り、日本を始めとする世界のブランチと共に、その文化を拡げようとしている。

現在のdublabの責任者でディレクターのアレハンドロ(アレー)・コーエンに、dublabの歴史やビジョンから、ロサンゼルスの現在の音楽シーンやスポットについてまで、今年8月に完成予定の新スタジオにて詳しく話を訊いた。

後に登場した多数のインターネット・ラジオ局の基盤になった

dublabがスタートした1999年当時のことを訊かせてください。インターネット・ラジオというメディアにどんな可能性を見ていたのでしょうか?

当時、インターネット・ラジオの世界はまだ定義づけられていなかった。フロスティら、dublabを創立した何人かの人たちは、ネット上でのカレッジ・ラジオみたいなものを考えていたようだ。彼らは最初から、オンラインを通してコミュニティを形成したいという想いがあったんだ。その概念がdublabの根底にあり、後に登場した多数のインターネット・ラジオ局の基盤になったと思う。

フロスティやデイデラス、カルロス・ニーニョもカレッジ・ラジオに関わっていましたね?

dublabが設立された当初は、インターネット・バブルの時代だった。他の団体や投資家から受けた資金があったから、音楽ディレクターなども雇っていた。当時dublabに所属していた人たちの多くは、USC(南カリフォルニア大学)とKXLUというラジオ局に関わっていた人たちだった。KXLUは、ロヨラ・メリーマウント大学の中にあるカレッジ・ラジオ局で、今も続いていて、とても影響力があり、何十年間もLAのアンダーグラウンド・ミュージック・シーンを牽引してきた。フロスティはUSCの卒業生だから、学生時代の仲間をdublabに連れてきた。dublabの役員会の副会長でもあるブライアン・ヤウンス、デイデラスなども初期から関わっているUSCの卒業生だよ。dublabが最初に使っていた事務所のエリアは、家賃や生活費が安かったから、自由でクリエイティヴな集団や面白い企画に関わりたい人たちが集まりやすかったんだ。

当時の放送機材はどうでしたか?

コンピュータはPCで、長年タワーPCを使っていた記憶がある。番組は何でもCD-Rにアーカイブ化していて、常にCD-Rを焼いていたよ(笑)。CD-Rが山ほど事務所にあったけど、後にそのデータをハードディスクに保存するようになった。テクニクスのターンテーブルとDJミキサーもあった。当時はCD-Jはまだ登場したばかりで、初期のモデルが事務所にあったと思うけど、1999年頃はどちらかというとまだレコード中心だったね。

あなたはもともとアルゼンチン出身ですよね。LAに移住して、dublabと関わるようになったきっかけは?

ブエノスアイレス出身だけど、友人に誘われてLAに遊びに来て、それで滞在を延長していくうちに、LAが新たなホームになった(笑)。友人とやっていた音楽プロジェクトを通して、dublabの人たちと仲良くなって、そこからdublabと関わるようになったんだ。

LAに来たのはいつですか?

1996年で、97年にランギスというバンドを友人と結成した。1999年9月にdublabが設立されて、今でもdublab DJとして活動しているDJホセが、バンドをdublabに紹介してくれて、ライヴをやったのが始まりだね。

dublabのディレクターになったのはいつですか?

7年前くらいかな。

僕らがこのエリアを選んだのではなく、僕らがこのエリアに選ばれたんだ

dublabの新しいスタジオと周辺エリアについて教えてもらえますか?

ここはユニヴァーシティ・パークというエリアだね。前のスタジオで18年間活動してから、この新しいスペースに昨年(2021年)12月1日に入居したんだ。前のスタジオが最初の場所ではなく、最初の2年間はパラマウント・ピクチャーズの近くにあった。新しいスタジオはUSCの近くだから、ある意味、dublabのルーツに戻ったような感覚だね。このエリアは、コリアンタウン、ラマート・パーク、LAの東側、南側にも近い。本当にLAの中心部にあるんだ。

ユニヴァーシティ・パークの街並み
ユニヴァーシティ・パークの街並み
ユニヴァーシティ・パークの街並み
ユニヴァーシティ・パークの街並み
ユニヴァーシティ・パークの街並み
ユニヴァーシティ・パークの街並み

このエリアを選択した理由は?

僕らがこのエリアを選んだのではなく、僕らがこのエリアに選ばれたんだ(笑)。

良い表現ですね。

意図的にこのエリアを選んだわけじゃないんだよ。でも、このスペースを見たときは、様々な可能性が見えてきたから、ここに移ることを決断した。この建物のオーナーの家族は、dublabの活動に共感してくれていて、彼らもアーティストだし、僕らの活動をサポートしたいということで、この建物を新たなホームとして提供してくれたんだ。

アーティストも多いエリアですね。

ここから1ブロックのところに、24th Street Theaterがあって、僕らの友人が運営しているPanorama Theaterという非営利団体の劇場もある。ここで過ごす時間が多くなって、思っていたよりもたくさんのアーティストや仲間のDJが周辺に住んでいることも分かった。だから、共通の意識を持った人がたくさん周りにいるよ。

この建物について教えてください。

1921年に建設された歴史的な建造物で、昔はLADWP(ロサンゼルス水道電力局)の建物だった。この建物の中に地域に電力を供給する機械が入っていたから、パワーハウスと呼ばれていた。特別な建物で、素晴らしい環境だよ。長年廃墟と化して、がらんどうの状態だったけど、2つのスタジオ、会議室を建設する予定だ。dublabのラジオだけではなく、他のレコーディング、編集作業もできるようになる。

dublabの新スタジオ外観
dublabの新スタジオ外観
dublabの新スタジオ内観
dublabの新スタジオ内観
dublabの新スタジオ内観
dublabの新スタジオ内観
LADWPの建築物であったことを示すプレート
LADWPの建築物であったことを示すプレート

スタジオの資金は全部寄付でまかなえたのですか?

そう、助成金をいくつかの団体から出してもらい、建設費として使うことができた。足りない部分のために募金キャンペーンも発足する予定だ。

dublabは非営利団体ですよね?

非営利団体として活動し続けているから、公的支援によって運営資金の大半をまかなっているんだ。

LAには、ラジオを通して様々なコニュニティを育成するという文化が根付いている

LAにはインターネット以前からラジオの文化が根付いていました。ラジオが果たしてきた役割について訊かせてください。

LAには、ラジオを通して様々なコニュニティを育成するという文化が根付いている。例えば、僕らはアート・ラボーみたいなラジオ・パーソナリティに多大なインスピレーションを受けてきた。彼はまさにラジオを通して一つのコミュニティを作り上げたんだ。LAのラジオの全盛期には、KROQ、KCRW、KXLU、KPFKなど、商業ラジオ局と非営利団体のラジオ局の両方が数々のシーン、コミュニティを作り上げていた。そういうLAのラジオ文化に影響を受けてきたし、それがdublabへのアプローチにも反映されている。

アート・ラボー

LAの伝説的なラジオ・パーソナリティ。西海岸で初めてロックンロールをオンエアした存在として知られている。

dublabはLAの音楽シーンと深く結びついてきました。一方で世界の様々な音楽も紹介してきました。そこにあるビジョンは何だったのでしょうか?

そもそも、僕らはLAと世界の音楽シーンを差別化していない。LAはとても国際的な都市で、豊かなローカル・シーンもあるし、ツアーをするために数々のアーティストがLAを訪れたり、アルバム制作のために何ヶ月間も滞在する。数年間LAで生活してから別の場所に移動する人もいれば、ここに永住する人もいる。だからLAでは地元と世界の音楽シーンを差別化することにあまり意味はないんだ。ローカル・シーンだけをサポートするラジオ局だったら、もっと小さな町の方が向いていると思う。そういう意味で、LAはとても特徴的な街だよ。ここの住人はコミュニティ意識は強く、LAに対するプライドを持っているけど、同時に音楽については、世界的な対話に参加しているという認識を持っているアーティストが多いと思う。

dublabはLAの街で様々な活動をしてきました。印象的なプロジェクトを紹介してください。

毎年1回開催しているアニバーサリー・パーティは、募金活動の重要なイベントだけど、いつも思い出深い。準備は毎年大変なんだけど、とても楽しいイベントだ。Tonalismというアンビエントのイベントも毎年開催していて、様々な実験的な試みができて楽しいね。Music Centerとのコラボレーションで何年か前に開催したSleeplessは、LAの様々な場所でライヴを行って、僕らが開催してきたイベントの中で一つの基準になっている。

Music Center

ドロシー・チャンドラー・パビリオンやウォルト・ディズニー・コンサートホールを含む総合芸術施設。

HP

Tonalism

特別なシチュエーションで深夜の時間の流れを寝ながら楽しむアンビエント・イベント。今夏、日本でも開催予定。

dublab // tonalism // Bonnaroo from Andrew Lowell on Vimeo.

単に放送をするだけではなく、イベントを始めた理由は何だったのでしょうか?

自分たちの好奇心、新しいことに挑戦したい、もっとクリエイティヴなことをやりたいというモチベーションから来ている。ラジオで慣れたことばかりをやるのではなく、実際に外に出て、コミュニティと交流することが大事だ。自分たちのアイデアを、フィジカルな形として具現化し、それを見せないといけない。だから、イベントを開催するようになった。でも一番大事なのは、イベントが好きだからやるということ、たくさんのアイデアを形にしたいからやるということなんだ。あと、正直に言うと、dublabの活動に必要な資金調達のためにもイベントを行っている。その資金があるからこそ、dublabを維持できる。

今取り組んでいることも教えてください。

これから、モートン・サボトニックのコンサートを開催するんだ。彼が『As I Live and Breathe』という作品を披露するために、Temple Israel of Hollywoodで開催される。数年前にテリー・ライリーのコンサートもそこで開催したんだ。彼は88歳で、これはおそらくLAでの最後のライヴになると思う。もう少しで彼は引退をするからね。6月には、TonalismをDescanso Gardensで開催するよ。

昨年は引越しでイベントはあまりできなかったですか?

いや、かなりたくさんのイベントを開催したよ。In Sheeps Clothingというハイ・ファイ・バーと何度かコラボレーションのイベントを、NeueHouseでのポップ・アップ・イベントのシリーズとして開催した。Grand Parkでハニー・ディジョンのDJコンサートを開催した。DJハーヴィーのパーティーもオーガナイズしたよ。だから昨年もとても忙しかった。

In Sheeps Clothing

高級オーディオを揃えたカフェ&バー。レーベルのリスニングパーティやアーティストのショーケースも行っている。

HP

NeueHouse

NYとLAで文化のためのソーシャルシーンを提供する会社。

HP

イベントやプロジェクトを進めるにあたって、行政機関や民間の企業との関係はどのように築いていったのでしょうか?

長年活動して、良質なイベントを開催してきたという実績を積み上げていけば、相手も信用してくれるようになる。自分たちの活動には、真の文化的意義があるということを示して、dublabの周辺にはポジティブなコミュニティがあり、人々の人生を豊かにするということを理解してもらえることが大事なんだ。それを見せることで、組織としての基調を打ち出して、自分たちの活動の評価が定着すると、いろいろなところからの協力が得やすくなる。どんな行政機関も、コミュニティの中でポジティブな活動をしたがるし、どんな企業も関わりたくなるんだ。キーポイントは、まずいい実績を作り上げること。そして、コミュニティがちゃんとそれを認知してくれて、オーディエンスを確保できるようになり、約束通りの結果を提供することができれば、そういった組織と対等に話し合えるようになる。

その過程で困難はありましたか?

困難というより、時間がかかるんだ。数ヶ月間で作れる関係もあれば、何年間もかかることもある。相手とミーティングをして、瞬時に意気投合することもあるけど、大抵の場合は何年間かかかる。いろいろな場所で相手と顔を合わせて、お互いの活動を見て、対話を重ねていかないといけない。

現在のスタジオやスタッフの体制について紹介してください。

今はスタジオが完成していないから、生放送はしてないけど、もう少しで再開する予定だ。フルタイムでdublabで働いているのは7人。Vansとのコラボレーションで、Channel 66というラジオ放送も運営している。

Channel 66は様々な都市から放送していますが、全部dublabが管理しているのですか?

そう。VansはLAの他に、NYとメキシコ・シティにもスタジオを持っていて、そこから放送している。LAX(ロサンゼルス国際空港)で放送をする契約も結んで、dublab以外のプロジェクトもいくつか進めているよ。空港のために特別なラジオチャンネルを作って放送するという企画は、サウンド・インスタレーションでもあって、様々な場所で聴いてもらいたいと思っている。

日々の運営のシステムはどうなっているのですか?

プログラミング・ディレクターのレイチェル・デイが放送される番組のコンテンツ、スケジューリングなどの管理を全て担当している。この大量のコンテンツを管理するための高度なシステムがあるんだ。毎週7日間、14時間のコンテンツを放送している。番組をアーカイブ化するために彼女の作業を手伝っているアシスタントもいて、番組をアナウンスできるようにSNSの担当者もいる。

スタジオ以外に、拠点となるスペースやお店を紹介してください。

Music Centerと頻繁にコラボレーションしている。Music Centerはロサンゼルス市が運営していて、様々なイベントや教育的プログラムを開催している。SmorgasburgというダウンタウンLAで開催されているフード・マーケットにもDJを提供しているよ。パームスプリングスとダウンタウンLAにあるAce Hotelともコラボレーションをして、DJを提供している。その他にも、定期的にLACMA(ロサンゼルス・カウンティ美術館)とコラボレーションをしているね。

新しいものを生み出す街というLAのスピリットは生き続けている

dublabが配信をスタートしてから現在までのLAの音楽シーンの変化をどう見てきましたか?

僕がLAに引越した1996年頃は、ヨーロッパ、アメリカの東海岸はLAを軽視していたし、音楽的にあまり注目されていなかった。でも、日本、アジア、南米は、西海岸と強い繋がりがあって、音楽的な対話が昔からあったね。ただ、ここで生活するには、年々物価が高くなっている。生活費が上がると、クリエイティヴな活動が犠牲になる。または、自然な形で新しい動きが生まれることが難しくもなる。純粋な気持ちで何かに取り組むより、もっと計算された活動をする人が増えてしまうからなんだ。特に10代や20代の人は、自由にクリエイティヴなことに取り組んで、アーティストとしてのアイデンティティを形成するわけだから、どうしてもそういう状況に影響されてしまう。その傾向には懸念を抱いているけど、それ以外だと、様々な新しいものを生み出す街というLAのスピリットは生き続けているよ。

LAという都市の今後について思うことはありますか?

LAほど多様性のある街を知らないよ(笑)。世界中の人々がここに集まってきているから、とにかく多様性のある街なんだ。僕らを見ればそれは証明されている。この多様性はこれからも続いて欲しい。一つ改善点があるとしたら、様々な文化の対話がもっとスムースだったらな、と思うことはある。でも、LAには様々な社会経済的地位の差があるから、それぞれのシーンが隔離されているのかもしれない。そこは、これからもっと統合されたらいいとは思う。様々な理由があって、ここでシーンの隔離について説明することはできないけど、一つ挙げるとしたら、LAがとても広大だからなんだ。

準備中の新スタジオ
準備中の新スタジオ
準備中の新スタジオ
準備中の新スタジオ
準備中の新スタジオ
準備中の新スタジオ

dublabはLAだから始めることができたと思いますか?

その通り。必要以上にdublabに脚光を浴びせたいわけじゃないけど、dublabはLAのスピリットをまさに体現していると思うんだ。LAは僕だけではなく、数多くの人にたくさんのことを与えてくれたから、とても感謝している。dublabは、世界中のオンライン・ラジオ、音楽シーンに多大な影響を与えてきたと思う。各地を回ると、dublabが与えた影響を目の当たりにすることができる。dublabを知らなくても、第二世代、第三世代、第四世代の人にまでなんらかの影響を及ぼしていることがある。組織やラジオ局の中には、必ずdublabの遺伝子を見つけることができるんだよ。だからdublabのような組織は、LAのような場所でしか生まれなかったと思う。

今、注目しているLAのシーンやムーヴメントを紹介してください。

一つ興味深いのは、ダンス・ミュージックのシーンが進化し続けていること。その動きには未だに驚きを覚えるけど、ダンス・ミュージックのルーツを辿っていくと、1960年代後半から1970年代前半のディスコなどのリズムをベースとした音楽があるけど、メインストリームになっては、またアンダーグラウンドに潜る、という状況を繰り返しているんだ。でもダンス・ミュージックは死に絶えたわけじゃなくて、進化を遂げて、音楽的にも成長し続けているところが面白い。LAのインストゥルメンタル・アンビエント、現代音楽、実験音楽のシーンもとても興味深いね。あまり僕が詳しいわけではないけど、ラップ・ミュージックもLAで進化し続けている。自分が実際に目の当たりにしたのは、LAのジャズ・シーンの進化だよ。ジャズ・シーンのアーティストと一緒に活動をしてみて、これから進んでいく方向性が楽しみになるね。このスタジオの近くのサウスLAは、まさにここのジャズ・シーンの本拠地で、Pan Afrikan People’s Orchestraなどのグループを生み出したり、World Stageのようなクラブや、ラマート・パークなどのエリアも有名だ。

※『The New West Coast Sound: An L.A. Jazz Legacy』フロスティとアレーがプロデュースしたLAジャズのドキュメンタリー。LAエリアのエミー賞を受賞した。

コロナは、dublabの活動にどのような影響や変化がありましたか?

パンデミックの状況では、僕らが発信している音楽番組を求めているリスナーが多かった。パンデミックに直接関連した番組を放送しながらも、それとは無関係の、これまでと全く同じ内容の音楽番組も放送するべきだと感じたね。地元のラジオ局が存在し続けているということは、世の中は完全に崩壊していないという安堵感をリスナーに与えられる。dublabの運営においては、家から作業できるシステムを作り上げないといけなかった。リモート放送をしたり、家からアーカイブ化する方法を考えたり、DJたちには家のスタジオやリビングルームを利用してもらった。

ネットを通して音楽を聴くのが当たり前になりましたが、dublabは今後もネットが活動の基盤となっていきますか?

これからも、インターネット・ラジオがdublabの活動の中核を担うよ。dublabはラジオが大好きな連中が作り上げた。dublabのようなラジオ局を運営し続けるには、献身的に取り組むだけではなく、番組を放送するために同じ作業を繰り返すことが大切だ。それには規律、コミットメント、犠牲が伴う。1日の間に何があろうとも、日常のラジオ放送の運営はストップできない。これから、dublabはラジオだけではなく、芸術組織として、イベント、コミュニティ振興、ワークショップ、コンサート、地元機関とのコラボレーション、テレビ番組や映像制作を含む公的事業が増えていくと思う。その方面でこれからも発展しいくと思う。

dublabは今では、日本、ドイツ、スペイン、ブラジルと拠点が広がっています。フランチャイズではなく、それぞれの裁量で独自の活動しているようですね。

他の都市の拠点に運営方法を一方的に命じるということは絶対にしたくないんだ。それぞれの拠点は、各地のコミュニティや仲間、共通の意識を持った人たちが立ち上げた。彼らがdublabの名前を使って、各地での活動を拡大したいなら、僕らは手助けをするし、それが僕らのアプローチだ。LAでの活動だけでも忙しいから、実際にコラボレーションできるのは1年に1回だったりするけど、これからもっとコラボレーションもしていきたいね。特に日本とは、リスニング・パーティや展示会を企画したり、これからもっといろいろなことをやっていきたいと思っている。言語の壁があるけど、今年コラボレーションをしたい企画がいくつかあるんだ。

日本のdublabのリスナーにメッセージはありますか?

dublabの放送はとても冒険的だけど、その世界に一歩踏み入れば、必ず得るものがあると思う。最初は広い心を持ってもらって、しばらく聴いてもらえれば必ず楽しんでもらえるはず。僕らは、一つのジャンルの音楽やスタイルに徹しているわけではなく、コミュニティを反映したラジオだからね。

アレハンドロ(アレー)・コーエン

Words/Interview : 原 雅明 / Masaaki Hara
Interpretation/Interview : Hashim Bharoocha
Photo: Akiko Bharoocha