映画会社アスミック・エースに所属する井手陽子と、映画制作プロダクションC&Iエンタテインメントに所属する八尾香澄。
これまで、映画『マエストロ!』(井手&八尾)、『君と100回目の恋』(井手)、『サヨナラまでの30分』(井手)、『パリピ孔明』(八尾)、『四月は君の嘘』(八尾)、ドラマ『First Love 初恋』(八尾)など、音楽をテーマにした作品に多く携わってきた映画プロデューサーだ。
ふたりが新たに手がけたのが、1998年にリリースされたスピッツ8枚目のアルバム『フェイクファー』に収録され、その後数多くのアーティストにカバーされている「楓」をモチーフとした同名映画。
草野マサムネが綴ったシンプルながら多様な解釈ができる歌詞を、大切な人を失った男女の運命を描くラブストーリーとして昇華させた。
そもそもスピッツの楽曲初となる映画化は、どのようにスタートしたのか。製作の背景はもちろん、青春時代にスピッツの楽曲に触れてきたふたりの、楽曲に対する個人的な思い入れについても聞いた。
「好き」が原動力にないと、いい物語は生まれない
スピッツの楽曲「楓」を映画化するアイデアはどう生まれたものだったのでしょう?
井手:企画がスタートしたのは2018年です。ユニバーサル ミュージックの方に、「スピッツの『楓』を映画化できる可能性はありますか?」と聞いたのが始まりです。スピッツは長く聴き続けているバンドで、すべての楽曲が名曲です。なかでも「楓」は自分の人生に深く寄り添ってくれた曲で、思い入れがありました。
八尾さんとは『マエストロ!』というクラシック音楽をモチーフにした映画でご一緒させていただいていて。音楽をモチーフにした映画を多数手がけていらっしゃり、絶対スピッツが好きに違いないと思っていまして。「八尾さん、スピッツ好き?」とお聞きしてご一緒することになりました。
スピッツの楽曲をテーマにすることは、プロデューサーとして「いけそう」という嗅覚によるものだったのでしょうか?
井手:私も八尾さんも同じだと思いますが、最初は「好き」が原動力になっていると思います。自分自身が青春時代からずっと聴き続けているアーティストでしたし、楽曲を映像化するならスピッツをやりたいということは、ずっと考えていました。
もちろん、製作をする過程でヒットさせるための戦略は考えますが、モチベーションとして「好き」とか、「おもしろい」とか、作り手である自分たちが最初に思えなければ、いい物語も生まれないですし、実現までに何年もかかる映画に向き合い続けることはできないと思うんです。
八尾:私も学生時代から聴いていましたし、我々世代にとっては青春と共にスピッツが存在していました。
井手:映画化をご相談したユニバーサル ミュージックの方が、元々スピッツのA&Rを担当されていたことも、運命的にご縁がつながりました。八尾さんも監督も含めてすべてのご縁は、スピッツが好きで繋がったこと。おかげでこの映画が実現できたと思います。
*A&R:Artists and Repertoire。楽曲制作、プロモーション、ライブの企画など、アーティストをマーケティングの視点からサポートする職種。
最近は1990年代のヒット曲をベースにした映画が多く作られています。その頃に青春時代を過ごした製作者たちが30〜40代になり、思い入れのある楽曲を映像化する流れがあるのかなと感じましたが。
井手:それももちろんあると思います。年齢と経験を重ねていった結果、自分たちの企画をちゃんと実現できる環境が整ったということかもしれません。
八尾:「楓」を映画化するに当たって、まず最初に取り組んだのはスピッツのマインドを改めて吸収すること。そのためにまずはスピッツの楽曲をすべて聴くところから始めました。
草野さんは元々パンク出身だったこともあるのかもしれませんが、一筋縄ではいかない歌詞の世界観が魅力です。
井手:シンプルでわかりやすい単語が並べられているのに、描いているものは、ひとつの解釈にとどまらない深さがありますよね。私が曲から受け取る物語と、八尾さんが受け取る物語はまったく同じではないし、その解釈を語りたくなる。しかも、聴くタイミングによっても味わいが変わっていく。解釈の幅があることが、「楓」で映画を作りたいと思った一番の大きな理由でした。
劇伴やカバー曲に込めた強いこだわり
楽曲自体が登場人物たちに影響を与える作品もあれば、歌詞からインスパイアされて物語が紡がれる作品もあります。この作品は、後者ですね。
井手:この物語全体が「楓」の世界観を感じられる映画になればいいなと思っていました。エンドロールで「楓」が流れたときに、それまでの物語や感情が反芻されるような。本家の「楓」に行き着いて完成する映画にしたかったんです。
物語には天体やカメラなど印象的なモチーフが散りばめられていますが、音楽にはほとんど触れられていません。八尾さんがかつて手がけた「First Love 初恋」のように、登場人物たちが「楓」を聴く場面も期待したのですが(笑)。
八尾:実は先に『楓』の企画開発に携わっていたので、その後、「First Love 初恋」をやることになったときに「これは浮気なのか?」とすごく悩みました。ストーリーはまったく違うものの、同じく楽曲からインスパイアされた作品だったので……。結局、両アーティストへのリスペクトと音楽愛が優って、両方を手がけることになりました。それもまた運命だと思っております。
物語におけるタイトル曲へのアプローチはかなり違っていて、「First Love 初恋」は同世代の歌姫の楽曲に影響を受けた、何者にもなれなかった人たちの物語です。キーとなるアイテムとして楽曲が登場する手法を取っております。
一方『楓』は、井手さんも話している通り、歌詞の世界観やテーマ性を原案として、物語を作り上げるというアプローチです。もしもスピッツに「映画のためにテーマ曲を書き下ろしてほしい」と依頼して「楓」が生まれたら? そんな想いで、エンドロールでこの楽曲が流れるベストな物語を作ることが目標でした。
スピッツが歌う「楓」はエンドロールでしか流れません。劇中ではSUPER BEAVERの渋谷龍太さんと、シンガーソングライターの十明(トアカ)さんがカバーした「楓」が使われています。彼らをカバーアーティストに起用したのは?
井手:単純に声ですね。おふたりとも声が楽器のようでそれぞれの世界を持っていますし、原曲にオマージュを捧げながらもまったく違う魅力が表現できたと思います。実はひとつの映画の中で同じ曲を流すアイデアは、行定勲監督の発案なんです。映画全体で「楓」をどう表現していくかを考えてくれたと思います。
特に渋谷さんが歌う「楓」は、かなり原曲と印象が異なります。
八尾:これは劇伴とカバー曲のアレンジを担当されたYaffle(ヤッフル)さんの攻めの姿勢が表れています。最初にデモを聴いたとき、こんなアプローチがあったとは! と、イントロのかっこよさに痺れました。
映画の中で流れる劇伴と、テーマ曲である「楓」のアレンジを同じ人が手がけなければ絶対に出てこない発想だと思いました。劇伴もすごく素敵で、センスが光っていて。今の時代を代表する方だと感じました。
井手:解釈が素晴らしいですよね。監督が以前プロデュースを手掛けた『サイド バイ サイド 隣にいる人』という映画にYaffleさんが関わっていらして。一度自分の映画でもご一緒したいと思っていたそうです。
監督もさまざまなアーティストの楽曲を聴いているとても音楽が好きな方。監督の音楽への思いも込められているので、サントラもぜひ聴いていただきたいです。
おふたりがこの物語に込めたかったテーマの軸は?
八尾:「喪失の先」です。私はプロデューサーデビューしてすぐの頃、『潔く柔く』という映画を製作しました。この頃からずっと考えていることがあって。人間は何かを失って生きていく生き物。喪失を描いた名作は数多くありますが、大事な人への想いを抱えて生きていくところで終わる映画もあります。
ただ実際は10年、20年、30年生き続けていかなければいけない。喪失を経験した先でどう生きていくかというお話を作りたいという想いは、『潔く柔く』の頃からずっと抱き続けてきました。
井手:どんなに悲しくても次の日がやってくるように、喪失があっても時間は平等に過ぎていく。時を止めることはできないし、戻ることもできない。喪失を受け止めていかに前に進むかということは、私が携わった他の作品でも多く描いてきたと思います。
スピッツのみなさんが映画をご覧になった反応は?
八尾:4人で完成した作品を観に来てくださいました。監督が立ち会ってくださったのですが、さすがに緊張されていて。どう受け止めてくれるか不安だったそうです。
製作の段階でスピッツからの要望は?
井手:まったくなかったです。自由にどうぞという感じだったので、本当に反応がわからなくて。私たちもとても緊張しました。ただ、監督や我々よりもスピッツのみなさんのほうがむしろ緊張していたみたいです。
八尾:鑑賞後は主演のおふたりや、映像、音楽の美しさなど、様々な点を褒めてくださいました。草野さんは「27年前の自分に『映画になるよ』と伝えてあげたい」とおっしゃっていましたね。
井手:「『楓』が俺たちの手を離れてすごいところに行くね」とおっしゃっていたことも忘れられません。本当にうれしかったです。
『楓』
須永恵(福士蒼汰)と恋人の木下亜子(福原遥)は、共通の趣味の天文の本や望遠鏡に囲まれながら、幸せに暮らしていた。しかし朝、亜子を見送ると、恵は眼鏡を外し、髪を崩す。実は、彼は双子の弟のフリをした、兄・須永涼だった。1ヶ月前、ニュージーランドで事故に遭い、恵はこの世を去る。ショックで混乱した亜子は、目の前に現れた涼を恵だと思い込んでしまうが、涼は本当のことを言えずにいた。
出演:福士蒼汰、福原遥、宮沢氷魚、石井杏奈、宮近海斗、大塚寧々、加藤雅也
監督:行定勲
脚本:髙橋泉
原案・主題歌:スピッツ「楓」(Polydor Records)
音楽:Yaffle
プロデューサー:井手陽子 八尾香澄
製作:映画『楓』製作委員会
制作プロダクション:アスミック・エース C&Iエンタテインメント
配給:東映 アスミック・エース
Ⓒ2025 映画『楓』製作委員会
12月19日(金)全国公開
井手陽子
1976年生まれ、千葉県出身。アスミック・エース所属。主なプロデュース作品に『マエストロ!』(15)、『君と100回目の恋』(17)、『羊の木』(18)、『長いお別れ』(19)、『サヨナラまでの30分』(20)、『さがす』(22)、『アナログ』(23)、『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(23)、『夜が明けたらいちばんに、君に会いにいく』(23)、『ショウタイムセブン』(25)など。
八尾香澄
1983年生まれ、大阪出身。C&Iエンタテインメントに所属。主な担当作品にドラマ&映画『パリピ孔明』(23、25)、映画『イチケイのカラス』(23)、『坂道のアポロン』(18)、『ひるなかの流星』(17)、『四月は君の嘘』(16)、『潔く柔く』(13)、ドラマ「First Love 初恋」(22)、「わたし、定時で帰ります。」(19)、「重版出来!」(16)など。
Photos:Soichi Ishida
Words&Edit:Kozue Matsuyama