研磨・切削にみる職人の精緻な金属加工技術が、文化の裏で世界的なシェアや評価を支えていることがある。加えて、そんなニッチな技術を有するのは、決まっていつも “サプライチェーンの最深部” に位置する町工場だったりする。今回の話の舞台は、再燃を続ける現在のアナログオーディオ文化を下支えする東京都国立市の町工場、アイテイ工業だ。
同社は、アナログオーディオ機器の世界的シェアを担いながら、主にトーンアームやMCカートリッジ、ケーブルやシェルリード、ヘッドシェルなどの製造を行っているが、その礎を築いた先代の石山克昭氏は老舗カートリッジメーカー「IKEDA Sound Labs.」の創設者から、2010年よりその技術を継承。現在は娘の石山昭子さん、龍太郎さん夫妻が引き継ぐかたちで製造を率いながら、長年蓄積してきたノウハウを活かすと同時に、新素材をとり入れた妥協なきプロダクトを変わることなく世に送り出している。
一昨年の暮れに心斎橋で開催された「オーディオセッション in OSAKA 2024」の試聴会で、龍太郎さんが偶然にも出展していたオーディオテクニカと繋がり、昨年の同イベントでも出展者として居合わせたことですっかり意気投合。それにより実現した今回の工場見学では、年季の入った機械に目を凝らしながら、彼女たちが先代の技術者から引き継いだ技術とその継承、未来に拓かれたアナログオーディオ文化についても触れつつ、お二人に話を伺った。
アナログオーディオ文化を支える町工場、アイテイ工業。
工場には長年使い込まれていそうな機械が所狭しと並んでいますが、どれもオートメーション化のためというよりは、人間と機械が補完しあう余地があるように感じます。まずは、お二人がこの場所で働きはじめた経緯を伺う前に、こうしたさまざまな機械を揃えるアイテイ工業の起源について教えてください。
昭子:アイテイ工業の創業は1974年。先代の社長(昭子さんの父)が形を整えるために回していたベルトサンダーによる研磨作業からはじまった、一昨年に50周年を迎えた会社です。先代は元々オーディオ関係に携わっていましたが、独立してからは仕事の幅を広げながらずっとこの場所で仕事をしてきました。
当初は音楽に限らずさまざまな部品も扱っていましたが、MCカートリッジやトーンアームなどの製造を担っていた国産のオーディオブランド、IKEDA Sound Labsの技術を受け継ぐことになってからは、主に音楽に特化した部品を製造するようになりました。
アナログオーディオ機器の製造に携わっているお父さまをお持ちの昭子さんにとって、アナログレコードとの出会いはどのようなものでしたか?
昭子:アナログレコードは物心ついたころから家のなかに自然と存在していて、父はよく日曜日になると窓を全開にして大音量で音楽を聴いていました。会社は家のすぐ隣りでしたが、父はなかなか家に帰ってこず、かけっぱなしのレコードの針を触っては怒られていたのを憶えています(笑)。
小学生になってからは、すぐに半田づけができるように部品を並べるお手伝いをしたりしていたので、小学校を卒業したら工場で働くものだと思い込んでいたんです。ところが母には「みんな中学校へ行くんだよ」、その後も「ちゃんと高校へ行くんだよ」と言われて育てられ、気づけば家業からはすっかり離れた世界にいました。
進路を決めて進学した調理師専門学校を卒業してからは銀座のレストランで働きはじめるのですが、キッチンに空きがなく、ホールスタッフとして働くことになりました。しばらくして高校の服飾科に通っていたころから興味を抱いていたモデルの仕事の機会をいただき、モデル事務所に所属することに。モデルをはじめたのが遅かったこともあり、その後は次の事務所の養成所でお芝居にも携わるようになりました。最終的には女優業に落ち着き、そのころ母が「家で働いたら?」と声をかけてくれ、アルバイトのような感覚でアイテイ工業の仕事を手伝いながら、レッスンや舞台の稽古に通っていました。いま思うと随分遠回りでしたが、そのきっかけを与えてくれたのは母でした。
昭子:現在は30代から70代まで、25人のスタッフがアイテイ工業で働いていますが、私が小学生の時代は10人もいませんでした。ただ、レコードブーム真っ只中の70年代から80年代にかけては、ケーブルもトーンアームも桁違いのオーダー数でしたから、内職も頼みながら日々忙しく過ごしていたようです。
龍太郎:アナログレコード一強時代からCDが台頭しはじめた80年代に入ると、CDのほうが音がいいという時代の空気感が徐々に広がりはじめ、工場での仕事もポンプなどの医療機器に移っていったそうです。一時は寿司を握る機械なども触ったりしていたみたいで、ひどいときはオーディオ関係の仕事はほぼなかった。納期が短い医療機器の納品を間に合わせるために徹夜で手を動かすことも珍しくなかったと聞いています。
昭子:2000年に入ったころは常時人手が足りていなかった工場の状況もあり、それで母に声をかけられたのだと思います。
では、ブームが去ってからアイテイ工業のオーディオ関連が再び好転する契機となったのは、どのようなものでしたか?
龍太郎:レコードブームが世界的に落ち込んでいた時期でも、新しいカートリッジは継続的にリリースしていたんです。じゃあ、なぜそんなことができたかと言うと、この工場には小さいながらも5軸の切削機械を導入していたからだと思っています。それにより他社からのOEM製造が叶いましたし、そのためのバフやサンドブラストなどの磨き、それだけではなく、組立から梱包までをパッケージでやりきることができたことが分岐点になったと思うんです。
また、40年続いているIKEDA Sound Labs.の技術を継承できたことも、時代の煽りを受けながらも今日までアイテイ工業を存続させる要因に繋がったと思っています。
“一点モノ” としてのカートリッジに応えるコンシェルジュ。
ところで、龍太郎さんはいつごろアイテイ工業に入られたのでしょうか。
龍太郎:アイテイ工業には結婚と同時に入社したのですが、それが2015年。ちょうどレコードブームが再燃した時期でした。まだ知らないことだらけだったので、工場での作業を身につけながらアナログオーディオ文化そのものを同時に学んでいた時期でしたね。
昭子:針先も、オーディオブームの盛り上がりとともに新しい部品が増えていきました。従来の丸針や楕円針のほかに、より高いトレース能力をもつマイクロリッジ針がでてきたり。新製品をつくるたびに必ず新しい素材や表面処理などが採用されていることに、あとになって気がつきました。
例えば、アルミのカンチレバーは軽いから音の立ち上がりが早いんですが、ボロン(ホウ素化合物)のカンチレバーにすると剛性が高くなって、輪郭がシャープになったりするんです。マグネットもサマリウムコバルトからネオジウムに変えると磁力が強くなって、出力も上げられたりできます。
龍太郎:最近ですと、一体型ダイアモンドカンチレバーがリリースされたら、それを製品に使用してみたりしているんですよ。剛性、音の立ち上がり、解像度、どれをとってもトップクラスの素材がこれまでにない視聴体験を与えてくれました。“新しいものを取り入れる” ことは、先代の時代から変わることのない企業体質なのかもしれません。
IKEDA Sound Labs.の技術を引き継ぎ、いまお話いただいたような商品をリリースし続けることでエンドユーザーの選択肢も広がったと思うのですが、同時に新たな要望もあったのではないでしょうか?
昭子:ブランドを引き継いだ当時は、どちらかと言えば「IKEDA Sound Labs.であればカンチレバーレス*でしょ?」という、従来のスタンダードを求める声のほうが多かったかもしれませんね。
龍太郎:ただ、新素材が導入されたことで選択肢としてのバラエティが広がっていくというよりは、もっと新しい可能性にチャレンジしていくことだったと思っています。そもそもIKEDA Sound Labs.という40年続くブランドは、1,000個も2,000個もカートリッジが売れるようなブランドではなくて、100個でも200個でも売れたらロングヒットと言えるようなニッチなブランドなんです。
先代からは「2年に一度、新製品を発表する」と教えられたのですが、最近はそれが、 “新素材が入ってきたら、その素材がIKEDA Sound Labs.としてどのように調理されるか” というファンの期待を裏切らないようにしなさい、ということだったんだと思えるようになりました。
ダイヤモンドカンチレバーの「Akiko」、モノラル専用のカートリッジ「9mono」もそうですが、期待してくださっているファンの方がこの場所に足を運んでくださって、今度はそのファンの方々の横の繋がりが新たな層をここに連れてきてくれる。そういった連鎖が歴史に名を残すことに寄与しているのかな、と。
*カンチレバーレス:針先とコイルやマグネットなどを繋ぐ腕のような構造をもつカンチレバーを省くことでダイレクトに溝の振動を捉えることができ、より臨場感のあるアナログサウンドが得られる。
昭子:IKEDA Sound Labs.の創設者もすごく研究熱心な方だったんですよ。私はいまでもカンチレバーレスのIKEDA9シリーズの修理を手がけているのですが、創設者はレコードの溝に入っている振動をどれだけ拾えるかをずっと探求してきた方なので、常に新しい素材や発想に挑戦しているんです。修理するたびに学ぶことがあるのは、本当に面白いことだなと思います。
当初は、IKEDA Sound Labs.の音を何割引き出せたかな? という感じでしたが、お客さまから「音が蘇ってよかった!」と言われると報われるというか。手づくりなので、ひとつとして同じものはないですし、もちろんカートリッジだけではなく、再生環境やアナログレコードの材質、使用されている音響機材によっても音は変化します。ただ、そういった環境下でも修理することで「ここまで音を引き出せてもらえた」「こんな音が入っていたんだ」というお客さまの声を聞けることが、私たちの一番の喜びになっています。それぞれの個体に合わせてどのように調整していくかは、モノづくりをする上で大切にしている姿勢ですね。
空間における音づくり、人々の佇まい。
音を突き詰めたモノづくりに携わるなかで、修理がお客さんとの接点を創出しているんですね。それ以外でも何か接点をつくるようなことはされているのでしょうか?
龍太郎:お客さまとの接点を絶やさないために定期的に試聴会を開催したり、参加したりしています。先代が当初より千葉のスピーカーメーカーさんと仲が良かったこともあり、そのスピーカーメーカーさん主催の試聴会にご一緒するようになりました。
会場にはIKEDA Sound Labs.の製品が気になって足を運んでくださる方々はもちろん、製品をご愛顧いただいているユーザーの方々もいるので、直接感想を聞くことができたり、反応を見ることができるのがとても新鮮で、それが励みにもなりました。
ちょうどこの部屋に設置しているのが、そのメーカーさんのスピーカーになります。
龍太郎:ただ、IKEDA Sound Labs.もそうなんですが、私たちのような小さな企業は少数精鋭でモノづくりをしているので、どうしても営業が後回しになってしまうんですよね(笑)。私自身、先代からすべての作業を教わりましたし、トーンアームをつくっていたのも先代と私だけ。入社してから数年は常にモノづくりを習得することで精一杯でしたから。
そこで、IKEDA Sound Lab.の商品を扱って試聴会をまとめてくれているカジハラ・ラボの梶原さんが総代理店としての役割を買ってくれ、代わりに商品を売り込んでくれていたというわけです。2024年、2025年と心斎橋で開催された「オーディオセッション in OSAKA」も、こうした試聴会のうちのひとつでした。
龍太郎さんがアナログオーディオ空間に興味を抱きはじめたのは、そうした試聴会の影響もあった。
龍太郎:試聴会を経験するごとに、さまざまな空間での音の響きを体験できましたからね。そのなかでも梶原さんがつくり出すアナログオーディオ空間の世界には、現在進行形で引き込まれている最中です。
龍太郎:先日の大阪でのオーディオセッションを例に出すと、IKEDA Sound Labs.の最初のセッティングは私がやっていたのですが、梶原さんが部屋に入って音を聴くやいなや、スピーカーの左右の距離、奥行き、壁からどのくらい離れているかなど、次々に角度や距離を1mm単位で調整していくんです。ひとつ修正するごとに音が生き生きと鳴っていくその様が本当にすごくて。
私のモノづくりの師匠は先代ですが、音づくりの師匠は梶原さんなんです。なので、これからもできるだけ試聴会の準備には参加させていただきながら、学ばせてもらえたらなと思っています。
また、コロナ禍では感染対策を徹底した上で、この試聴室で個人向けの試聴会を開催していました。試聴会はホームページで告知して予約してもらう方式をとっていたのですが、足を運んでくださったお客さまのマスク越しからでもわかる表情や仕草は、何にも替えられない喜びといいますか、そんな感動を覚えています。
現在も定期的にこの試聴室での試聴会を開催しているので、こうした接点は今後も増やしていきたいですね。
先代の想いが詰め込まれたカートリッジ「冴鉑(KOHAKU)」。
「冴鉑(KOHAKU)」が生まれた経緯について教えてください。
昭子:2022年に先代が開発してリリースしたダイヤモンドカンチレバーのAkikoの音を一緒に聴いていたとき、一体型ダイヤモンドカンチレバーというものもあると教えてもらいました。そんな折、先代はこう言ったんです。「昭子がつくる一体型ダイヤモンドカンチレバーの音を聴きたいな」って。
ただ、OEMや下請けの仕事をこなしながらの開発となると、あまり時間はとれず、どうしても後回しになってしまって……。結局、その想いには応えられないまま先代は亡くなってしまったんですけど、私としては先代の3回忌までには出したいと決心して、ようやく完成に至りました。
アイテイ工業設立50周年記念とIKEDAの40周年モデルでしたので、選りすぐりの素材を何種類か試しながら、いままで使ったことのなかった素材で一番のモノをつくろうとプラチナメッキを採用し、さまざまな想いを込めて「冴鉑」と名付けてリリースしました。これによって先代の想いに報いることになりますし、お客さまに対しても、これから私たちがしっかりとバトンを受け継いでやっていくという2つの意味合いを示すことができました。
以前は先代と一緒に音を聴くことが多かったのですが、当時はひとりで音と向き合い、ときには龍太郎さんにも聴いてもらいながらリリースしたカートリッジになります。
龍太郎:音に対しては一切妥協していないので、音づくりではヘッドホンは使用せず、音が身体にどう入ってくるかを確かめるために、試聴室でスピーカーから音を鳴らして確認しています。私たちとしては165万円と、IKEDA史上最も高価な価格設定をしたつもりだったのですが、まわりからは「もっと高くてもいいんじゃない?」という声もありました。
冴鉑は全世界で30個限定だったのですが、ありがたいことに予約販売を開始してから1ヶ月半で完売……。プロモーションのために押さえていた撮影用のスタジオも使用することはありませんでした(笑)。
今後、挑戦していきたいことはありますか?
昭子:これまでカートリッジビルダーとしてさまざまな素材を試してきましたが、その都度「あれもやりたい、これもやりたい」という想いがありました。だからこそ、これからは自分が本当にやりたいことにフォーカスしながら音づくりに向き合えることにワクワクしているんです。2026年は新たな挑戦の年にしたいと思っています。
龍太郎:音楽って、人生のどの場面でも常に存在しているものじゃないですか。だから喜怒哀楽のすべての感情にも象徴となる音楽があると思うんです。それを10年後、20年後に耳にしたときに、きっと当時の情景がふと浮かんでくるような気がするんです。音楽は各々の人生シーンを想起するためのスイッチにもなっている。
私たちはアナログレコードの再生機器を製造しているメーカーなので、当然その音楽をアナログレコードで聴いてほしいんですが、それはなぜかと言うと、アナログレコードって耳で聴くだけではなくて、手にとれたり、目で見れたり、音を身体で受け止めることができるからなんですよね。
スピーカーに繋いでいなくても、レコードをなぞる針から小さくてもちゃんと音が聴こえてくる。音楽を五感で体験しながら楽しめるのは、やっぱりアナログレコードならではの魅力なんだと思います。
アイテイ工業
1976年、東京都国立市にて創業。トーンアーム、MCカートリッジ、ケーブル、シェルリード、ヘッドシェルなどの多義に渡ったアナログオーディオ機器の製造を行う。そのシェアは世界中のアナログオーディオ機器に及び、同業者からも定評のある老舗カートリッジメーカー「IKEDA Sound Labs.」の技術継承も担うなど、長年蓄積してきた技術を活かすと同時に、新素材を積極的にとり入れた妥協なきプロダクトを世に送り出している。近年では、「Akiko」「冴鉑」などのプレミアムなMCカートリッジをリリースし、試聴会などのイベントにも積極的に参加。ファンとの交流も図りながら、等身大のアナログ愛をもって多くのアナログオーディオファンを魅了し続けている。
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Photos:Shintaro Yoshimatsu
Words & Edit:Jun Kuramoto(WATARIGARASU)