音楽と難聴。一見(聴?)、遠いところにある二者だが、難聴には音楽療法が効果的ではないかという研究がある。音が聴き取りづらい、あるいは聴こえないのに、「音楽」を用いた療法が効果的とは、矛盾するような気もする。いったいどういうことなのか。

研究者、難聴に音がいいことを発見?

聴力が弱いために音や声がよく聞きとれない状態や、特定の音を聞く能力を失った状態、あるいは、複数人が会話をしている状態で声を言葉として認識できない状態。これらを「難聴」と呼ぶ。多くの場合、難聴者は人工内耳や補聴器などで聴覚を補助している。

そんななか、オーストラリアのシドニーにあるMacquarie University言語学部の博士課程の学生で研究者、講師も務める Chi Yhun Loは、興味深い研究に取り組んでいる。テーマは「音楽療法とトレーニングが、人工内耳や補聴器を使用している難聴の子どもたちの聴覚改善にどんな効果があるのか?」。機械やテクノロジーではなく、耳に入る音楽そのものに難聴を改善する効果があるのでは? との仮説を立て、実際の治療実験でそれを立証している。

実験の内容は、難聴の子どもたちに向けた12週間の音楽療法プログラムだ。補聴器または人工内耳を装着した6歳から9歳の子どもたち17人に「週1回の対面式グループ音楽療法セッション」「週3回の音楽アプリを使った宿題」「音楽に対する子どもたちの反応と音声認識能力を追跡するテストセッション」をおこなった。その結果、子どもの「雑音の中での発声認識」は2デシベル以上改善され、「情動的プロソディ(声の高さやトーン、リズムなどの要素から発話者の感情を読み取る能力)」は10パーセント以上の改善が。補聴器または人工内耳を装着した者でも、音楽治療を受ければさらに聴覚が改善することが判明したと言う。
「音」が聴こえづらい難聴という症状を「音」で改善しようとするLo先生に聞く。なぜ、難聴に音楽療法はいいのか?

難聴と音楽療法について研究する、Chi Yhun Lo(チー・ユン・ロー)先生
難聴と音楽療法について研究する、Chi Yhun Lo(チー・ユン・ロー)先生。
Photo via Chi Yhun Lo

難聴に「音楽」が効果的というのは意外です。

まず、難聴や聴覚障害についての誤解があると思います。彼らは、必ずしも「聴力が完全に無い」わけではないのです。聴力には段階があって、軽度の難聴もあれば、大声も聞こえないような重度の難聴もあります。もし重度であれば、人工内耳を入れる方法もあります。視力矯正するようなものです。

難聴=音楽は関係ない、と考えるのが誤解だということですね。

難聴には二つの要素が関係してきます。一つはコミュニケーション能力、つまりリスニング能力の要素。もう一つはソーシャルスキルの要素です。音楽は大変感情的なもので、人と人を繋ぐことができる上に、コミュニケーションスキルやソーシャルスキルも教えてくれます。

難聴者の聴こえ方はどんな感じなのでしょうか。

難聴の聴こえ方をシミュレーションしたものはあります。でも、他人が何をどう聴いているのかを知るのは非常に難しいです。あなたと僕の二人の耳でさえ、まったく違うものが聴こえています。そこが聴覚の非常に興味深いところで、聴覚は極めて主観的な経験です。

先生の研究のフォーカスは、難聴をもつ「子ども」です。

最近オーストラリアでは、幼少期に難聴と診断される子どもたちが増えているんです。すると幼い頃から人工内耳を装着して音を認識するようになる。これが彼らの聴覚の世界になりますから、聴覚が低下したり、異変をきたしたりするのを知らない。初めから正常な聴覚をもっているということになりますね。

非常に興味深いです。先生は難聴の子どもたちに向け、12週間の音楽療法プログラムを実施しました。このプログラムについてもう少し知りたいです。どんなジャンルの音楽を使ったのですか? クラシック? それともジャズ?

対象は、6歳から11歳までの幼い子どもたちでした。 音楽といっても極めてベーシックなもので、最初は歌ったり太鼓を叩いたりから始めます。ドラムでパターンを作ってそれを隣の子に繰り返させたりもします。

リトミックのようですね。

また種類の違う二つのマラカスを使った楽しいセッションもありますよ。子どもたちに目隠しをしてマラカスの音を聴き分けさせ、 “目隠し鬼ごっこ”みたいに音を追いかけるのです。

じっと座って音楽を聴くわけではなく、体を使って音楽を体験する療法なのですね。一般の商業音楽は使わないと?

音楽療法の音楽自体は、昔からあまり変わっていません。童謡みたいなシンプルな曲が中心です。

子どもたちの反応はどうですか?

とてもポジティブです。みんな、とても楽しそうにしています。ここが肝なのです。

どういうことでしょう。

難聴を改善するためにおこなわれている通常の聴覚トレーニングの一番の問題点は、非常に退屈だ、ということです。ここに音楽の出番があります。音楽は「楽しい」。多くの子どもたちは、楽しいことをしたがる傾向にありますよね? 大人も同じですが。

だから継続もできる。

子どもたちはひとたび音楽に触れると、もっと音楽に関わりたいと思うのです。多くの家族やお母さんからよく聞かれますよ。「子どもが本気で音楽を続けたいと思っているので、おすすめの楽器はありますか?」「おすすめの先生はいますか?」と。

音楽特有の「楽しい」感覚は、聴覚の改善そのものに関係するのでしょうか?

その可能性はあります。「音楽鑑賞」という行為は、音楽を楽しむことで、音楽を理解する必要はない。クラシック音楽は、調性を知らなくても楽しめます。オーケストラに30以上の楽器が参加しているのがわからなくても、メロディーのタイプがわからなくても構わないのです。それより重要なのは、聴いた瞬間、その音楽が「いい」と感じることです。聴いて、ある種の喜びを感じることが大切です。

先生の療法では、音楽のアプリを使うそうですが、どのようなアプリを?

何種類かあります。ボタンを押して音の高低を当てるアプリや、楽器ごとの音色の違いを当てるアプリ。絵でメロディーを描くことができるアプリもあります。色ごとに異なる楽器の音色になっていて、絵で作曲する感覚。音符や音階の知識は必要ありません。これで、音楽の理解が深まります。

このように音楽を聴いたり、プレイしたり、作ったりすることを12週間続けた結果、「騒音の中での発声認識」は2デシベル以上改善されたなど、聴覚の回復が見られたといいます。回復の度合いはどうやって測るのでしょう。

3つの異なる観点から測定します。第一の観点は、音楽を知覚する力。「ドとソの違いがわかるかどうか?」や「ピアノとバイオリンの音、人間の声を区別できるか?」などの能力を測ります。

第二の観点は、スピーチ(会話)の観点ですね。 一般的な聞き取り能力になります。 スピーチで大事なのは「プロソディー」と呼ばれるものです。古代ギリシャ語由来の言葉で、「歌、韻律」といった意味があります。たとえば、喜びを感じていたら声のピッチ(音程)はおそらく上がるでしょう。喋る速度も上がって声も大きくなる。逆に悲しんでいたら下がる。そして速度は遅くなって気分も落ち込みます。これがスピーチの重要な特徴となるプロソディーです。ある種、音楽に似ている。私たちの会話やコミュニケーションは、実はとても音楽的なのです。

実験では「情動的プロソディ」も10パーセント以上改善されたと。人の声から感情を読み取る能力も上がったということですね。

そうです。そして、第三の観点はソーシャルスキルです。 「自分のことを肯定的に感じていますか?」「少し悲しくなったり落ち込んだりしていませんか?」などの質問を投げかけます。難聴者が社会的に孤立していると感じるのは非常によくあること。他の人とどうやってコミュニケーションを取ればいいのかよくわからないためです。

ピンクの縦棒が難聴の子どもたちの数値、一番右の赤斜線の縦棒が正常聴力をもつ子どもたちの数値
ピンクの縦棒が難聴の子どもたちの数値で、一番右の赤斜線の縦棒が正常聴力をもつ子どもたちの数値。横軸の左から、時間の経過(Pre=実験前、Mid=実験中盤、Post=実験終盤、Follow-up=実験終了後12週間後)に沿って測定した、聴力を測る基準:(A)スピーチ・イン・ノイズ(雑音下での発声認識)、(B)スペクトル分解、(C)情動的プロソディ、(D)質疑/主張プロソディ、(E)ピッチ、 (F)音質 が示されている。✳︎が、特に難聴の子どもの聴力の回復が見受けられた部分。
Lo, C. Y., Looi, V., Thompson, W. F., & McMahon, C. M. (2020). Music training for children with sensorineural hearing loss improves speech-in-noise perception. Journal of Speech, Language, and Hearing Research, 63(6), 1990-2015.
両グラフとも難聴の子どもたちのデータ
両グラフとも、難聴の子どもたちのデータ。聴力年齢と情感プロソディが比例して増加していることがわかる(左)。反対に、聴力年齢とピッチは反比例している。
Lo, C. Y., Looi, V., Thompson, W. F., & McMahon, C. M. (2020). Music training for children with sensorineural hearing loss improves speech-in-noise perception. Journal of Speech, Language, and Hearing Research, 63(6), 1990-2015.

なるほど。それら観点から音楽療法は難聴の子どもたちに効果的だという結論にいたった。でも、そもそも、どうして音楽が「音を聞きづらい状態」である難聴に役立つのでしょうか。

それは、人間は音を耳ではなく、「脳」で聴いているからです。音楽には「脳の聴く力」を向上させる働きがあります。

先生が紹介していた記事に、クラリネットを吹けるようになった難聴の少年の話がありました。難聴でも楽器が吹けることに驚きました。

この少年のような実例はいくつかあります。プロの音楽家で重度の難聴者がいますよ。スコットランド人の女流打楽器奏者なのですが、彼女には聴覚はないが、音の振動を感じることができるそうです。ここ、忘れがちなポイントなのですが、実は「耳は振動を拾っている」のです。耳は体の中でも最も敏感な部分。感覚と振動で、音は聴こえている。

大事な「音の性質」を忘れていました。音楽療法は、難聴をもつ成人にも効果的なのでしょうか。

はい、もちろんです。人工内耳を作った当のCochlear社で働いていたとき、難聴を抱えた成人や高齢者向けの音楽アプリの開発補佐を担当しました。このアプリは、音程に関するゲームや楽器演奏、バーチャルコンサート開催など、音楽に触れることを目的としています。Spotifyとの連携もあるので、日々の音楽鑑賞のデータをログできます。

ところで、先生は過去にはオーディオ・エンジニアの仕事をしていたそうですね。

はい。Sydney Festival*の技術部門を担当していた制作会社で働いていました。その後、オーストラリアの子ども向けバンド「The Hooley Dooleys」の音響の仕事も手がけましたよ。結構人気があったバンドです。

*1977年より毎年1月に豪シドニー市で開催される芸術祭。全世界から1000人近いパフォーマーが参加し、野外・屋内合わせて30ヶ所の会場で3週間に渡ってライブステージが展開。のべ50万人近い観客を集める。

オーディオ・エンジニアの仕事では、耳が肥えたリスナーへ「最高の音」を届けていた一方、今の仕事では、聴力が万全ではない子どもたちへ「回復するための音」を扱っている。サウンドに対するまったく違うアプローチですが、オーディオ・エンジニア時代のスキルや考えが役立っていることはありますか。

オーディオ・エンジニアをしていたことで、音に対する知識やサウンドを理解するための実践的な基礎を身につけることができました。エンジニアの時の僕の役割は、最高の音楽体験を提供するべくサウンドを「チューニング(調整)」すること。これは第一に、ミュージシャンが最高のライブ演奏をするためのミックスをモニターで聴けるようにすること、第二に、聴衆全体に最高のリスニング体験を提供すること、を意味します。

現在の僕は聴覚障害のある子どもたちのために音楽を研究している科学者です。実際に音楽そのものを使って子どもの脳を「チューニング」し、聴覚スキルを向上させています。いわば、子どもたちの耳(と脳)にアクセスして、違う聴き方ができるようにしたり、意図的に聴こえるようにしたりするわけで、いわば小さなオーディオ・エンジニアたちを育成しているようなものです。

チューニングという観点は面白い。子ども向けバンドとの仕事の経験は、いまの子どもを対象にした研究に役に立っている部分もあるのでしょうか。

そうですね。音楽のパワーを実感できる瞬間ってありますよね。みんながいっせいに踊っている時、モッシュピットができる時、フェスの会場を埋めつくす何万もの人々を見る時…そんな時、誰もが音楽のパワーを手に入れることができる。子どもたちにも同じことが言えます。聴力障害のある子どもたちは、音楽の訓練を受けているわけでもない。だけど、彼らも同じように音楽のパワーを手にできる。ごく自然で、本能的なことなのだと思います。音楽は脳や身体、感情、魂のすべてに働きかける。 特に難聴の子どもたちは「音を聴くこと」と「社会性を持つこと」という二つの問題を抱えています。だから、聴覚と社会性の回復にともに効果的な「音楽」が役立つのです。

エンタメ業界から医療業界への転身。それでも軸に「音楽」があります。

幸い音楽の探求は切れ目なく続けられたわけなので、大変やりがいがあります。いまはエンターテインメントの音楽より、健康や医療の効果を改善する音楽に興味があります。ただし、やはり気になるのは「耳が聴こえない」や「難聴」について、たくさんの誤解や偏見があることです。難聴の子どもたちやその家族の多くは、学校や音楽の先生から「耳が聴こえない」ことについて誤解や差別を受けています。「あなたの子どもは耳が聴こえないのに、なぜ音楽の授業に参加したがるのか?」というような質問を受けたりすると非常に悲しくなります。だって、実際には、音楽で彼らを救うことができるのですよ。

近い将来、子どもを中心とした難聴者と音楽療法を取り巻く状況はどうなっていると思いますか。

難聴者のための音楽使用がより広く受け入れ、理解してもらえると期待します。もっと学校レベルから、たとえば音楽を使用する授業などが増えてくれればいいなと思っていますね。

あなたにとって、アナログとは?

アナログとは、サウンドにおけるもっとも直接的で“真の”対話です。デジタルは「0か1」の世界ですが、アナログは「0と0」でもオーケーという、“すべて”の可能性を実現するものなのです!

音楽における“アナログ”は、レコード盤から聴くサウンドを意味しています。音楽鑑賞のとても儀式的なものというか…。A面からB面にひっくり返す美学のような。デジタルでプレイリストなどを聴くときは、「アルバムを聴く」というよりかは「バイブスからバイブスへジャンプしていく」気分になります。

Chi Yhun Lo/チー・ユン・ロー

オーストラリア、シドニーにあるMacquarie University(マッコーリー大学)言語学部の博士課程の学生、研究者、講師。元オーディオ・エンジニア。難聴の子どもに音楽療法はどう効果的なのか、を研究テーマに、リサーチや実験をおこなっている。

HP

Photos:Chi Yhun Lo
Words:Hideo Nakamura(HEAPS)