“歌うようにトークをし、ブルースを奏でる” ことを目的としたトークライブ『トーキングブルース』は、フリーアナウンサーの古舘伊知郎氏が37年前から大切にしてきたライフワーク。音楽番組『夜のヒットスタジオ』や『NHK紅白歌合戦』の司会を務めた経験のあるしゃべりのプロは、人生で言葉を失うほど音楽に圧倒された瞬間はあったのか。しゃべり手だからこそ抱く、音楽への複雑な感情についても語ってもらった。
青春ノイローゼ時代を支えた吉田拓郎とカーペンターズ
当意即妙なトークが魅力の古舘伊知郎さんですが、人生で言葉を失うほど衝撃を受けた音楽はありますか?
サブカルの王者であるみうらじゅんさんは、多感な思春期のことを ”青春ノイローゼ“ と名づけています。僕が青春ノイローゼまっただ中だった中学・高校時代には、吉田拓郎さんの歌が大好きでした。
秋葉原のレコードショップで『元気です。』というアルバムを買ってきて、家で「祭りのあと」をずっと聴いていましたね。「今日までそして明日から」という歌も大好きで、もう何千回聴いたかわかりません。
『報道ステーション』に出演していたときに、拓郎さんにインタビューをする機会があったんです。そのときにファン心理として「『今日までそして明日から』がリリースされた当時、読売新聞の文芸部の記者が『吉田拓郎はこれまでプロテストソングを歌ってきたのに、小学生の絵日記のようなとんでもない歌で墜落してしまった』なんて書いていたんですよ」と伝えました。
そうしたら「古舘さん、僕はあの当時、反戦歌なんて歌っていないんだよ。青春の日記を歌っていたんだ」と教えてくれてハッとしましたね。青春の日記だからこそ、僕はあの歌にあれほど感動したんだなって。“私は今日まで生きてみました” 、 “明日からもこうして生きていくだろうと” という歌詞なのですが、幼いながらに「人生ってそういうことなんじゃないか」と感じていたんです。
拓郎さんの他に、外国人アーティストだとカーペンターズ(Carpenters)が好きでした。1曲あげるなら「Rainy Days and Mondays(雨の日と月曜日は)」。他にも好きな曲はいっぱいあります。
ただ、アナウンサーになってしゃべりの世界に入ってからは、音楽の聴き方がガラリと変わりました。まず情緒脳でメロディーを聴き、ただただ感動の海に浸った後に、2次作業として必ず歌詞にツッコミを入れるんです。
中学時代はボブ・ディラン(Bob Dylan)が好きで、「Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)」にものすごく感動しました。今も名曲だと思っていますが、 “答えは風に吹かれている(The answer is blowin’ in the wind)” っていう歌詞なんです。「いやいや、何か答えを言ってくれよ」と思うじゃないですか。
桑田佳祐さんと仲がよかった頃も、彼の紡ぐメロディラインが大好きだったので、まずは「あの曲はいい」と褒めちぎるんです。そのあとに、「 “波音が響けば雨雲が近づく” の歌い出しで始まる『夏をあきらめて』は、どう考えても気象予報士の歌だ」なんてツッコまないと気がすまない。
筑紫哲也さんが『NEWS23』に出演されていた頃、番組のエンディングに井上陽水さんの「最後のニュース」が流れていて。“忘れられぬ人が銃で撃たれ倒れみんな泣いたあと誰を忘れ去ったの” とか “原子力と水と石油達のために私達は何をしてあげられるの” という歌詞をメロディアスに歌った後に、 “今あなたにGood-Night ただあなたにgoodbye” で終わるんです。
「いい曲だなあ」と思った瞬間に腹が立ったんですよ。こっちはトークのオチが見つからずに日々悶々としているのに、「何の答えも出さずに終わっていいの?」って。
音楽は情緒に訴えかけるメロディと歌詞のコラボレーション、いわゆる二刀流じゃないですか。一方でトークはひとつしか戦い方がない。情緒が加味してくれないんです。つまり僕はミュージシャンに嫉妬しまくっている。今ではメロディに感動したあとに難癖をつけて自分のエネルギーにするという、サイクルができあがっちゃっています。
“トーク”で“ブルース”を奏でる
トークライブ『古舘伊知郎トーキングブルース』が今年も12月7日からスタートします。1988年にスタートし、中断期間がありながらも現在まで続けてこられた理由は?
テレビ局を辞めてフリーになったときに、軸がないと走り続けられないと思ったんです。当時の事務所の社長が『トーキングブルース』というタイトル共々企画をしてくれたものなのですが、売れているとき・売れていないときに関わらず、マイク1本で話すトークライブをやろうと始めました。
37年前からやっているのに、 “トークするブルース” 足り得ているかと、いつも内省しています。まだまだお客さんにウケることばかりに奔走してしまう。お笑いライブじゃないですからね。かといって重くなるのもよくない。いつも軌道修正しながら右往左往しています。まだ完成できていないからこそ、ずっと続けるモチベーションになっています。
古舘さんの目指す“トークするブルース”とは?
第1回の1988年から一貫しているのが、「言葉を持ったとき、人間に悲しみが生まれた」というテーマです。局アナ時代に世界各地の文明に属していない部族の取材をしていたことがあるんです。ブラジルのジャングルで狩猟採集をして暮らす部族に取材をしたときに、首長に「あなた方はどういうときに幸せを感じますか?」と質問しました。
彼が短くぽつり、ぽつりと語った言葉をポルトガル語に訳し、英語に訳し、やっと日本語に訳すので時間がかかるんですね。早く答えを聞きたいなと思い、ようやく通訳の人が日本語で教えてくれた答えは、「その質問には答えられない」でした。
つまり、彼らは幸せや不幸という言葉を持ち合わせていない。それを聞いて「うわー」と思いました。幸せという概念を持ち、言語化した瞬間に、不幸という相対的に反対の言葉を生んでしまった。もちろん文明を築いてきたといういい側面もありますが、副作用もある。
例えば言葉を駆使することによって、未来予測できるようになった面もあると思うんです。経済もずっと先物相場で動いているし、人間はあらゆる場面で一歩、二歩先の予想を元に生きています。でも他の動物はほとんど今しか見ていないはずなんです。もちろん、冬に備えて食べ物を貯蔵する動物もいますけどね。
人間が忘れかけているのは今を生きること。これも悲しみのひとつだと思います。テーマに掲げる「言葉を持ったとき、人間に悲しみが生まれた」というのは、そういうこと。人間の営みや心の悲しみについて歌うようにトークをし、ブルースを奏でるというのが究極の目標。
そのためには相当楽しまないと。遊んで、笑って、ちょっと面白おかしくエンタメとして聞いてもらいたい。まだ確立していないからこそ苦しいし、でも面白い。『トーキングブルース』の舞台で “しゃべり死に” するのが、私の生きる目標なんです。
会場の多くがライブハウスのZeppというのも面白いです。
この頃、自分とは何者なのかというアイデンティティを発見しました。それは、心にまだ青年がいるということ。
若い頃の自分は何に対しても欲深でした。女性にモテたいとか、もっとアナウンサーとして名前を売りたい、もっと面白くしゃべってウケを狙いたいとかね。そのころの残滓がまだあるんですよ。だから中身はオラオラなんです。古い言葉ですけど。
ただ、肉体は70歳を超えて完全にヨボヨボになりました。しゃべりすぎると脳に十全に酸素が行き渡らなくなって軽く手が痺れるんです。20代の頃はエンジンをかけた瞬間に急発進しても燃費よく走る新車のようでしたが、今は暖機運転したってエンストを起こすガタピシャの中古車。
だから中身はオラオラ、見た目はヨボヨボなんですよ。でもこのハイブリッドで生きていこうと、自分自身で決めました。今回のトークライブも、若いつもりでZeppのステージに立ちたいと思っています。
古舘伊知郎
立教大学を卒業後、1977(昭和52)年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「古舘節」と形容されたプロレス実況は絶大な人気を誇り、フリーとなった後、F1などでもムーブメントを巻き起こし「実況=古舘」のイメージを確立する。一方、3年連続で『NHK紅白歌合戦』の司会を務めるなど、司会者としても異彩を放ち、NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。その後、テレビ朝日『報道ステーション』で12年間キャスターを務め、現在、再び自由なしゃべり手となる。2019年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。
X YouTube古舘伊知郎トーキングブルース[2025]
日程・会場:
2025年12月7日(日)
東京・EX THEATER ROPPONGI
2026年1月18日(日)
福岡・Zepp Fukuoka
2026年2月12日(木)
愛知・Zepp Nagoya
2026年3月7日(土)
大阪・Zepp Namba
2026年3月20日(金・祝)
神奈川・KT Zepp Yokohama
出演者:古舘伊知郎
料金:全席指定 9,000円
トーキングブルース公式HP© 2025 FURUTACHI PROJECT Co.,Ltd.
Photos:Soichi Ishida
Words&Edit:Kozue Matsuyama