音づくりのプロたちから不動の人気を博してきたオーディオテクニカのオープンバックリファレンスヘッドホン『ATH-R70x』が、約10年ぶりに『ATH-R70xa』としてリニューアルされた。今回は、そのオープン型ヘッドホンを以前より愛用し、『ファイナルファンタジーXIV』などの作品でサウンドディレクター、コンポーザーを務める祖堅正慶氏に、ATH-R70xaの使用感、仕事には欠かせないという同機の存在意義について、祖堅氏が勤めるスクウェア・エニックス社で訊いた。同席したのはオーディオテクニカの製品企画担当であり、プロジェクトマネージャーの鈴木弘益。ATH-R70xa開発における苦労話も交わり、インタビューは大いに盛り上がった。
ATH-R70xaが捉える、音の実像。

2015年に発売されたATH-R70xが約10年ぶりにリニューアルし、2025年2月14日、新たにATH-R70xaとして生まれ変わりました。いわゆるオープン型ヘッドホンと呼ばれるタイプのモニターヘッドホンになると思うのですが、今回は “トゥルーオープンエアーオーディオ” を掲げたフラグシップモデルとして仕上げられています。祖堅さんは以前、制作にATH-R70xを愛用されていたそうですが、まずは旧モデルがどのようなモニターヘッドホンだったのか、その印象からお伺いできますか?
祖堅:ATH-R70xはオープン型だからこその自然な定位感が特徴で、まるでスピーカーから空気を通して音を鳴らしているかのように情報を与えてくれる聴き心地が気に入っていました。私たちのサウンド制作には欠かせないと言っても過言ではないのですが、それだけに、ATH-R70xがリニューアルされると聞いて、どう変わるんだろう……と心配していたんです。ですが、実際に完成したATH-R70xaを使用させてもらったところ、その定位感はしっかりと受け継がれていたので安心したというのが正直な感想です。また、以前と比べて音の輪郭がより際立つようになっていて、解像度が上がっていたんですよね。“音が見える感覚” って言うんですかね。

祖堅:「a」がくっついたのは解像度のことなのかもしれないな、なんて(笑)。自分が感じ、信頼を寄せていた方向性が確信に変わったような気がしましたね。いまではATH-R70xaを使うようになっています。
鈴木:ありがとうございます。いまおっしゃって頂いたことが私たちのやりたかったことをすべて的確に捉えて頂いていると思います。小文字の「a」というのは、弊社のなかで「改修」を意味する「Revision a」を表していて、大文字の「A」でまったく別の機種になってしまってはダメだったんです。顕微鏡レンズの倍率を一段上げる。そんな目標でチューニングに挑みました。
後継モデルの方向性をあえてあまり変更しなかった、ということですか?
鈴木:実は、旧モデルのATH-R70xでやってきたことをどの方向性にもっていこうか逡巡していたんです。と言いますのも、これまでに数多くのクリエーターやエンジニアの方々にお使いいただいてきたなかで、彼らが基準としているモニターヘッドホンの音質を変えるわけにはいけない。ですので、どこまでが改修でどこからが変更なのかとても悩んでいたんです。そんなときに、無理やり祖堅さんにATH-R70xaのプロトタイプを送りつけたにもかかわらず、非常に丁寧にレビュー頂いた内容にとても助けられたんですよね。
メーカー側のビジョンと制作側のニーズ、それぞれの感覚が補完し合って完成したヘッドホンだったのですね。実際に音楽制作で使用されてみて、どのようなポイントがハマったのでしょうか?
“物差し”が見せてくれる、景色。

祖堅:このモニターヘッドホンに長時間の制作に適う着け心地や軽さがあることは魅力のひとつですし、コードが3mあるというのも、制作側の気持ちをちゃんとわかってくれている!(笑)と感じるポイントでもあります。ただ、どうして手放せなくなったかと言うと、作品のトータルバランスを整えるアイテムとして必須だったからなんです。SE(=環境音・効果音)などの細かなパーツも組み合わせたときのゲームデザインの全体像を見渡すのに重宝するというのが一番のポイントでした。
そして、もうひとつ。別軸として、『ファイナルファンタジーXIV』の世界観をより多くの方へ知っていただくためにプロモーションビデオやショートムービーなどを世に出すわけですが、そのときにお客さんに届けられる宣材のサウンドデザイン、つまり、世界観がちゃんと自分たちが意図したモノになっているかを確認するために欠かせないアイテムでもあるんです。

祖堅:お客さんもさまざまな環境でその音を再生するわけですから、各々の再生環境も鑑みた上でスピーカーから音を鳴らして確認してみないといけない。下から上までちゃんと音が鳴っているか、楽曲がボイスを邪魔していないかなど、確認することは多岐にわたります。でも、ヘッドホンってメーカーによっては、このスタジオの音を再現しましたとか、モノによっては低域や中高域が強調されていたりと、さまざまなパラメーターで味つけされていたりすることもあるので、そのようなヘッドホンでサウンドデザインをすると、再生環境によっては自分の意図しないサウンドとしてお客さんの耳に届いてしまうことになるんです。
そうならないようにスピーカーで何度も音をチェックするのですが、最終的にはポストプロダクション(=エディット、ミキシング、マスタリングを行う、スタジオでの最終仕上げ作業)で自分の意図した物差しでモニタリングし、調整を図ります。そのうえで、ATH-R70xaはその環境をニュートラルに実現してくれるように感じるんですよ。ポストプロダクションではなく、自分の製作環境でですよ。これって実はすごいことで、ありそうでなかったプロダクトなんです。なので、コロナ禍でもそうでしたが、常にポストプロダクションに身を置くことができない昨今の状況下でものすごく重宝しました。
常にチームメンバーとスタジオに居続けることができればいいのですが、なかなかそうもいかないですよね。オンラインで制作を進行する上では、チームとしての情報共有も大切になってくる。
祖堅:そうなんです。業務用モニターにしては優しい価格帯ということもあり、チーム全員が同じヘッドホンをもつことができるのもポイントでしたし、モニターを通して全員が同じ景色を見ることができるので、ATH-R70xaがチームの共通ツールになっていたんです。
建築であれば、デザインを反映するための図面という物差しが必要になるわけですが、音楽は目に見えないモノ。なので、認識を揃えるための物差しが必要になるのですが、それをATH-R70xaがやってくれるわけです。
ヘッドホンには大きく、今回のATH-R70xaのようなオープン型(開放型)と密閉型の2タイプがあると思いますが、それらを使い分けることもあるんですよね?

祖堅:もちろんあります。スピーカーから音を聴くときは反射した音も含め、音があらゆる方向から聴こえてくるわけですが、密閉型のヘッドホンは直接耳に入ってくるので、自然の音やスピーカーを通して体感できる音とは聴こえ方が異なります。SEの制作に限れば密閉型のヘッドホンを使用して細かい音をつくったり、確認したりしますけど、トータルで世界観を判断するときには、やはり、このオープン型のATH-R70xaを使用することになります。
誰もが同じスタジオのスイートスポットにいる状況と同じ環境で作業できるんです。もう一度言いますよ、これって本当にすごいことなんです!(笑)。

鈴木:モニターヘッドホンというのは音楽を楽しむ目的以前に、認識を揃える「道具」なんですよね。なので、プロトタイプをつくるときは、音楽制作に携わる祖堅さんのようなサウンドエンジニアの方々にそういった「道具」としての目盛りをブレさせてはいけないというプレッシャーを常に感じながら音質チューニングを詰めていました。
祖堅:楽しむためのヘッドホンはバイキングのようなもので、好きなモノだけとって食べればいいんですけど、モニターヘッドホンというのは、たとえ嫌いなモノがあったとしても、全部食べないといけない。もし、楽しむためのヘッドホンでベースになるサウンドをつくってしまうと、プレーヤーがそれぞれの環境でそれを聴いたときに、少しやりすぎというか、転じて耳障りに聴こえてしまうこともあるんです。
解像度が導く、没入感。

ATH-R70xaを使用してつくり上げたゲームデザインにおいて、注目してほしい音というのは、どのようなモノになりますか?
祖堅:もちろん音楽等には注目してもらいたいんですけど、それで言うと、効果音のほうかもしれません。『ファイナルファンタジーXIV』は音楽イベントも多数開催しているので、音楽がフィーチャーされがちではあるのですが、ゲームで一番大事なのは効果音とそれにまつわるサウンドデザインだと思っているんです。音楽はどちらかと言うとその添え物なんですよね。もちろん、心を動かしたり、エモーションを沸き起こすスイッチとしての意味合いは大きいですけど、ゲームをやるときにその世界観をつくり上げるのは、むしろ、応答性や実直性のようなモノ。どれだけそのゲームの世界観に没入できるかというのは、効果音が担っているんです。
私自身も学生時代から『ファイナルファンタジー』のファンで、植松伸夫さんたちの音楽やその世界観が大好きだったのですが、それが効果音の影響でもあったというのは意外でした。
祖堅:もちろん、ひとつずつの効果音にはそこまでの効果はないかもしれませんが、実は、何十万という素材をつくっていて、そのなかから引っ張ってきた300前後の素材を常に鳴らすことで、自然と “私はここにいる” と実感できる空間が再現されているんです。主人公が動くことで変化する風の音や、それによって揺れる草の音、海があれば当然波が立っているわけで。その場所に適切な効果音を重ねることで世界観を成り立たせているので、効果音が消えてしまってはそれが保てなくなってしまう。キャラクターの声や音楽などがそれらの効果音と重なったときにはじめて完成するものなんですね。だからこそ、モニターヘッドホンで音が互いに干渉していないか、世界観が途絶えていないかをチェックしなければならないんです。

チーム全員が同じ尺度で会話できてはじめて、じゃあ、効果音を落とそうとか、音楽のベースを落とそうとか、そういう判断が成立するわけですね。
ところで以前、このATH-R70xaのプロトタイプを鈴木さんから受けとった際、ATH-R70xのほうが良かったとおっしゃられていたと伺ったのですが?
祖堅:ATH-R70xaのプロトタイプをはじめて使用させて頂いたときは、音の流れが密閉型ヘッドホンに近づいた印象だったんですよ。それですごく心配していた記憶があって。でも、最終的にはそれがすべて解決されていたので、めちゃくちゃ安心しました(笑)。やっぱり確立したモノサシは失いたくないじゃないですか。ただ、驚いたのはATH-R70xの物差しの目盛が1cm単位だったとするならば、ATH-R70xaの目盛は1mm単位になったような感覚だったんですね。特に高音域にかけて。
鈴木:当初、祖堅さんから頂いたレビューというのは、「音の解像度は上がったけど、今度は何かが足りなくなっていて、これでは道具として使えないです」というものでした。その問題点は私も薄々感じながら作業を進めていて、冒頭でお話ししたように多くのサウンドエンジニアの方々からレビュー頂いた、ほぼ最終確定の音質ダイレクションに対して、あまりにも祖堅さんからのレビューが私の見えていた景色と同じだったので、「ダメな部分」をしっかり確信できたことで、本機の音質ダイレクションを目指すことができました。

鈴木:今回のリニューアルでは、極限まで開放率を高めたうえで音のエネルギーを失うことなく振動板の動きを主軸に再生音をいかにして耳まで届けるか、というオープン型ヘッドホンの基本原理に対して、どれだけの精度をもって「忠実にできるか」を、オーディオテクニカのクラフトマンシップを発揮しながら、より正確かつ実直なモノづくりを心がけました。なので、効果音がつくる世界観ではないですけど、振動板を成形するレベルから、ヘッドホンを構成するパーツを選定し最終の組み立ての細部に至るまで丁寧につくることの積み重ねが、このATH-R70xaの音の解像度をつくり上げているんです。
ゲームの世界観もヘッドホンも、そういったクラフトマンシップの積み重ねの上に成り立っている。祖堅さんにとってのゲームサウンドの魅力というのは、どのようなモノになりますか?

祖堅:音楽、効果音、ボイスを用いて、いかにプレーヤーの心を揺らし、ひとつの世界にダイブさせるか、でしょうか。“私はここにいる” という感覚を抱かせ、 “存在” を音で生み出すことで没入感を与えられるんです。それがないと、やっぱりゲームって面白くならないんですよ。もちろん、ゲームにおいて視覚というのは最も重要なパートにはなりますが、音は目に見えないぶん、そこに居続けないといけない。それがないとフィールドの広がりは再現できないと思っています。
私たちが普段街中を歩くときって、その合間の情報のほんのわずかしか感知していなくて、ほとんどの情報をスルーしているような気がするんです。歩く行為って、私たちが思っている以上にエネルギーを使いますし、脳が捌ける情報量も限られている。いつも通る道であればなおさらですし、「歩きスマホ」なんて言葉があるように、むしろ意識は違う場所へと向いていることのほうが多いのかもしれない。ただ、実際の世界は広がっている。一方、ゲームは絵画のように多層的かつ俯瞰的に作られた世界全体に没入させられる。これって、ゲームでしか成し得ない特別な体験なのかもしれませんね。

祖堅:インタラクティブという要素は大きいですよね。インタラクティブかつ現実世界と同等のサウンドデザインが叶ったときというのは、現実にも勝るような特別な体験ができるのかもしれません。一方で、無制限に何でも詰め込むのがいいわけではなくて、そこはプログラマーとの戦いでもあるのですが(笑)、ゲームは制約の上に成り立っているモノなので、常に限られた箱のなかでいかに没入感のある世界をつくれるかというジレンマとの戦いなんです。

では、まだ見ぬ没入感を求めて「こんなことできたらいいな」という、インタラクティブな要素があるとしたら、それは何ですか?
祖堅:匂い? じゃないですかね。フィールドに出たら花が咲いていて、そこからいい匂いがしたら面白いじゃないですか。だから、その技術が完成するまでは匂いを想像させるような音楽を頑張ってつくらないといけないですね。

祖堅正慶

株式会社スクウェア・エニックスのサウンドディレクター/サウンドデザイナー。サウンド仕様設計から開発に携わり、楽曲や効果音の制作、ダイアログまですべてをこなすマルチクリエイター。ゲームのなかで聴こえてくるあらゆる音に関する側面を支えている。代表作は『ファイナルファンタジーXVI』『ファイナルファンタジーXIV』。
Photos:Shintaro Yoshimatsu
Words & Edit:Jun Kuramoto(WATARIGARASU)