「プーさん」の愛称で親しまれたジャズ・ピアニスト/キーボード奏者、菊地雅章(1939-2015)。1960年代から日米を往来しながら活動し、ギル・エヴァンス(Gil Evans)やマイルス・デイヴィス(Miles Davis)周辺の潮流とも呼応しつつ、独自の音楽世界を切り拓いてきた、真に革新的アーティストと称するに相応しい存在だ。

1970年のアルバム『POO-SUN』では、エレクトリック期ジャズの感覚をいち早く取り込む先駆的な試みを提示。その後もニューヨークを拠点に活動を続け、総勢17名が参加したエレクトリックジャズ/ジャズファンクの名盤『SUSTO』(1981)の制作や、ポール・モチアン(Paul Motian)&ゲイリー・ピーコック(Gary Peacock)とのオーセンティックなピアノトリオによる活動、ハウスミュージックのDJとのコラボレーションなど、さまざまな境界を横断する表現で唯一無二の軌跡を残した。

その輝かしい功績の中で、長らく多くを語られてこなかった “幻の作品” が、今回の主題となる『六大』だ。

同作は『地』『水』『火』『風』『空』『識』の6枚のアルバムから構成されるシリーズ作となり、菊地が1980年代の多くを費やしピュアな電子音と向き合ったエレクトロニックミュージックである。

NYの制作拠点で様々なシンセサイザーに囲まれる在りし日の菊地雅章氏。(Photo by Seiichi Sugita)

元々は「環境ビデオ」のための音楽として制作されたが、今年3月、現行アンビエントの重要人物であるテイラー・デュプリー(Taylor Deupree)のリマスタリングにより、レーベル〈rings〉からSACDおよびアナログ6部作としてリイシューを果たした。

アンビエントやミニマル、実験音楽が交錯するこの菊地雅章の異端作は、いかにして生まれ、現代に何を問いかけるのか。その全貌を紐解くべく、WONKとmillennium paradeのメンバーでありソロとしても活動する音楽家・江﨑文武と、本リイシューの立役者である〈rings〉プロデューサー/音楽ライター・原雅明による対談を実施。「Oswalds Mill Audio」による最高峰のシステムで、レコードの量産前に最初に音が刻まれる円盤=ラッカー盤に耳を傾けながら、『六大』の真髄に迫った。

それぞれの菊地雅章と『六大』への邂逅

左から:原雅明、江﨑文武

お二人の菊地雅章さんとの出会いから、今回の対談をスタートしていただきたいと思います。まず、原さんが批評家・音楽ライターとして菊地さんに惹かれたきっかけや理由について教えていただけますか?

原:以前から菊地さんの作品は聴いていましたが、強く惹きつけられたのは90年代後半の取材がきっかけです。当時、菊地さんはNYで活動する日本のハウスミュージックのDJとコラボレーションしており、現地レーベルから12インチ盤を数枚リリースしていました。そのトラックをまとめた日本盤アルバムのプロモーションで帰国された際、対面でお話を伺う機会があったんです。

その時にエレクトロニックミュージックについて尋ねると、菊地さんはとても饒舌に語ってくれました。取材の本題だったハウスの話題を差し置いて、拠点であるNYのロフトにセッティングされた数多くのシンセサイザーや、今回リイシューする『六大』について熱っぽく話してくれたんです。僕はその直前に音源を聴いていたんですけど、その内容が本当に面白くて。

当時、菊地さんはポール・モチアンとゲイリー・ピーコックとのオーセンティックなピアノトリオ、テザード・ムーン(TETHERED MOON)を率いる一方で、吉田達也さんや甥の菊地雅晃さんとのパンクジャズ的なユニット、SLASH TRIOでも活動していました。さらには、エレクトリックジャズのみならず、『六大』のようなピュアな電子音楽まで制作していたことを知り、その凄まじい活動の振れ幅に魅了され、改めて菊地さんの音源を深く掘り下げるようになったんです。

菊地さんの音楽の多様性に惹かれたんですね。江﨑さんの方はいかがでしょうか?

江﨑:僕が最初に触れたプーさんの楽曲は、大学生の頃に菊地成孔さん率いるDCPRGのライブで聴いた「CIRCLE/LINE」のカバーでした。菊地成孔さんがMCで「敬愛する菊地雅章さんのカバーをやります」みたいなことをお話しされた後に演奏が始まって。その曲に惹かれたのをきっかけに、『SUSTO』や『POO-SUN』を遡って聴くようになったんです。

また、当時、東京藝術大学の同級生だった石若駿が(菊地雅章と親交のあったベーシストの)須川崇志さんと活動していた縁もあり、彼を通じてプーさんのエピソードを耳にすることもありました。そんな折に〈ECM〉から新作『Sunrise』(2012年)が出て、そのあまりの作風の違いに驚愕しました。『SUSTO』などとは音楽性が違いすぎて、当時の自分の中では全く接続せず、「どういう頭の構造をしてるんだろう」と思ったんです。

ただ、不思議に思いつつも、拠点をニューヨークに置いていたが故に、「日本人として音楽をやること」について色々と考え抜いた結果としてたどり着いた音がこれ(『Sunrise』)なのかもしれない、とも思ったのを覚えています。また、石若から、プーさんが東京芸大附属高校の先輩であり、学部では作曲科に在籍されていたと聞いてさらに驚きました。西洋音楽のアカデミックな作曲手法、書法を修めた上で、あんなに柔軟な音楽の旅をされていたのか、と。

今回の主題である『六大』については初耳でしたが、大きな衝撃を受けました。6つのテーマごとにアプローチが異なり、もはや鍵盤楽器の存在を忘れる瞬間や、グリッチノイズに近い音まで鳴っている。今回聴かせていただいて、さらに「謎が深まった」というのが正直な感想ですね(笑)。

ジャズの肉体性から離れ「音の設計」へと向かった『六大』

原:分かります(笑)。菊地さんには様々な側面がありますが、根底には確かなジャズピアニストとしての顔がありますよね。だけど、シンセサイザーに対するスタンスは、多くのジャズミュージシャンとは一線を画していると思います。菊地さんが影響を受けたと公言していたポール・ブレイ(Paul Bley)のようにシンセにアプローチするピアニストは多いですが、その多くはあくまで「鍵盤楽器」としての興味だと思うんです。

一方で菊地さんの場合は、「電子音楽そのもの」への愛着が桁違いでした。取材でも「(カールハインツ・)シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen)の楽譜をすべて集めた」「(ヤニス・)クセナキス(Iannis Xenakis)が本当に好きだ」という話から、さらにはブライアン・イーノ(Brian Eno)にまで話題が及びました。現代音楽や電子音響の文脈を深く血肉化していたのだと、その時によく理解できましたね。

江﨑:そのお話にはすごく納得できます。プーさんがシンセサイザーを使う理由って、色々な音色が使える・音色の切り替えができることというよりかは、「綿密に音を設計できること」の面白さに多分軸足があったんだろうなと、『六大』の音源を聴きながら思ったんです。

多くのジャズミュージシャンは、どちらかというとフィジカルな喜びに惹かれ、肉体的な即興演奏を通じて相手とバチバチやり合いながら熱量を高めていく境地に辿り着くことが多いと思うんです。しかしプーさんの場合は、むしろ東京芸大の作曲科出身という自身のルーツに立ち返ったというか。かつて学んだ厳格な音楽の書法をもとに、音を設計して音楽を作るアプローチに戻ってこられたのかなと思いました。

原:まさにそれを裏付けるような興味深い資料が見つかったんです。今回『六大』をリイシューするにあたり、生前交流のあった須川さんがご遺族の保管していた譜面やメモを多数発見してくれたんですけど、その中には『六大』に関連するスケッチも多く含まれていて。それを見た時にこの作品には緻密な「設計図」があったのだと確信しました。

細部までは分からずとも、譜割りや音の展開が明確に記されているのは読み取れました。実際の録音は即興主体だと思いますが、その背後には裏付けとなる「作曲」と「設計」が厳然と存在していたことは間違いないと思います。

今回リイシューされた『六大』各作のジャケット裏には、制作時に菊地雅章が残したメモ・スケッチの一部が配されている。

江﨑:今の時代、完全に設計されたトラックに即興的なアプローチを重ねることは、僕らの世代にとっては当たり前というか、比較的容易にできます。でも、プーさんが『六大』を制作していた時代を考えると、アルペジエーターを1つ走らせるだけでも、さまざまな操作やパッチングが必要だったはずです。そう思うと、その作業自体がそもそも非常に綿密な作曲行為に近い。そうした「設計」に徹底的に向き合う姿勢は、ジャズ・ミュージシャンとして稀有なものですよね。

時代を先取りした「音の質感」への執着

本対談はオーディオテクニカの社内スタジオにセッティングされた世界的音響ブランド『Oswalds Mill Audio』によるサウンドシステムで『六大』のラッカー盤を再生しながら実施された。

江﨑:あと、『六大』を聴いてもう1つ感じたのが、プーさんの「音の質感」へのこだわりです。ジャズやクラシックのミュージシャンって、「録音芸術」という観点で見ると、音の質感に対して割とざっくりしている部分があると思うんです。クラシックはホールの吊りマイクだけで録ることも往々にしてありますし。プーさんはシンセサイザーの音色をコントロールしていく過程で、多くのジャズミュージシャンとは異なり、そういった「音の質感」にしっかり目を向けていたのではないでしょうか。

原:同意見です。ロバート・グラスパー(Robert Glasper)の登場以降、ヒップホップのサンプラーが生み出す “粗い音” にジャズミュージシャンが関心を寄せたり、プロダクションにも意識を向けるような流れがありましたよね。ただ、それ以前のジャズミュージシャンの多くは「いい演奏ができればそれでいい」というスタンスが強かったように思います。しかし、そんな中でも菊地さんは「音の質感」に強い関心を向けていた。それはとても稀なことだったと思います。

江﨑:そのプーさんのスタンスには深く共感します。僕は大学生の頃は他大学のジャズ研究会に所属していたのですが、2年生の時にジャズミュージシャンとしてフィジカルで音楽をつくり上げていくことに、表現上の限界を感じるようになりました。日々の鍛錬やセッションを重ねるアスリート的な側面が、自分の目指す「作曲家」のあり方と折り合わなかったんです。

集団の相互作用よりも個の内面表現を重視した結果、20代以降は「音の質感」へと傾倒していきました。WONKの活動やポップスの現場でフィジカルな強みが活きる場面もありましたが、ソロ活動ではよりアンビエントや、ビートに頼らない「間の感覚」への興味が自分の中で強くなっています。

僕は定期的に文楽や歌舞伎を観に行くのですが、奏者同士が呼吸のタイミングだけを頼りに音を合わせる感覚は、他の文化圏にはなかなか見られないものです。指揮者や明確なビートがなく、完全に呼吸だけで成立していて、しかもノイズ的な成分を強く聴かせる側面もありますよね。同じ笛でもフルートに比べて尺八は呼吸の要素が際立ちますし、三味線もバチンというアタック音が中心になる。そうした西洋音楽の構造から逸脱する感覚を自分の音楽に取り込めないかと、最近よく考えているんです。そんな今のモードで『六大』を聴き、「すでにここまで探求していた先人がいたのか」と心を打たれました。

非・西洋音楽的な音への志向。「日本人」としてのアイデンティティ

原:「非・西洋音楽的な音」というのは重要なキーワードだと思います。90年代後半に僕がインタビューした時に、菊地さんは「自分は下手なピアニストだ」と仰っていたんです。そこには謙遜もあったのかもしれないですが、でも、ある種の「上手さ」は追求しないことで見えてくるものを捉えていたように思えます。西洋のハーモニーを研究し尽くして限界を感じ、そこから自身の音を探すようになったという話もしていました。

また、〈ECM〉から『Sunrise』に続いて発表されたソロピアノ作『Black Orpheus』では、長年菊地さんを慕い、NYのライヴにも通っていたイーサン・アイヴァーソン(Ethan Iverson)が解説を寄稿しています。

彼はそこで「極めて脆弱だがマジックがある」「遠くで鳴っているような繊細で弱い音だが、伝わってくるものがある日本的な音だ」と評しました。公式プレスが「Strange(不思議な)」という言葉を添えていたのも印象的です。

それは単に異質なということではなく、西洋の感性からしても、菊地さんの音にはそれほど独特で稀有な響きがあったということでしょう。でも、それが何なのかは当時も今もまだ謎のままです。そういう意味でも、今回この『六大』が世に出る意味は大いにあると思っています。

四半世紀以上を経てリイシューが実現した経緯

原さんが90年代後半に『六大』に出会ってから四半世紀以上の時が流れましたが、今このタイミングでリイシューすることをご決断されたのはどのような背景があったのでしょうか?

原:当時から「リイシューしたい」という気持ちはありましたが、自分がそれを担うというのは現実的ではありませんでした。このタイミングになった理由は2つあって、1つは海外での注目度です。数年前から日本の80年代音源が再評価される中、海外でも『六大』を探している人が多いと聞き、「今なら世界へ広く届けられるかもしれない」と思ったんです。

もう1つのきっかけは、最初にお話しした90年代後半の菊地さんへのインタビューです。当時はあるカルチャー誌の記事にしたため、発言の多くをカットせざるを得ませんでした。しかし、改めて読み返すと非常に示唆に富んでいたため、昨年の自著『アンビエント/ジャズ――マイルス・デイヴィスとブライアン・イーノから始まる音の系譜』に当時の発言を収録したんです。その本の出版に合わせて、『六大』も再発できないかとアプローチを始めました。

実は『六大』って元々は映像のための音楽で、当時は大手の広告代理店が出資して制作されていたんです。そこで、関係者の方に連絡してマスターを捜索したのですが……ここからが大変で(笑)。届いたUマチックやDATが別音源や別バージョンだったりと、本物のマスターに辿り着くまで相当な時間を要しました。結局、本の発売には全く間に合いませんでしたね。

江﨑:元々どんな映像のための音楽だったんですか?

原:当時流行していた「環境ビデオ」のための音楽ですね。風景映像が淡々と流れるような作品で、環境音楽と同じ文脈にあるものです。

江﨑:そうだったんですね。僕はもともと写真や映像を見たり撮ったりするのが好きなんですけど、最近Instagramのフィードで、そんな「環境ビデオ」的なコンテンツがすごく増えたなと感じています。例えば、鎌倉の踏切や揺れる木々、川のせせらぎだけを映したような投稿です。こうした光景が注目されることに、不思議な時代の巡り合わせというか、新しい波がもう一度来ているような感覚があります。それこそ、80年代の日本の環境音楽が海外で再評価されて久しいですが、『六大』の制作時期も重なっていますよね。

原:『六大』がどこまで環境音楽を意識して制作されたのかは定かではありませんが、環境音楽的に聴こえる部分は確かにありますね。少なくとも、「ジャズミュージシャンが自らの演奏を前面に押し出す」ような作品とは、決定的に異なると言えるでしょう。

江﨑:『地』で鍵盤をきちんと楽器的に弾いている曲はあるんですけど、ほとんどの曲は抽象的だったり、ミニマルだったり。プーさんがこんな音源を作っていたと知って、すごく驚きました。

プーさんは「アメリカ人」にならなかった

原:江﨑さんは、6枚のアルバムの中でどれが最も印象的でしたか?

江﨑:最も印象に残ったのは、『空』の楽曲ですね。しばらく梵鐘のような音が鳴り続けるじゃないですか。その後、笙のような響きが広がっていく。これを聴いたときに、明らかに日本、あるいは東洋的な響きだと感じました。

原:先ほど日本の伝統音楽や楽器についてもお話しされていましたが、『空』の音からそうした東洋的な響きを感じ取られた、ということですね。

江﨑:はい、実際にそういう響きが立ち上がってくる感覚がありました。例えば黛敏郎さんは「涅槃交響曲」でオーケストラによって梵鐘の響きを再現しようとしましたが、プーさんの『六大』にも、そうした自分のルーツに向き合う姿勢が感じられるんです。

原:確かに、そういう印象はありますね。菊地さんは長くニューヨークを拠点にしていましたが、アメリカで活動する日本人ジャズミュージシャンは、やがて日本に戻るか、あるいは向こうに同化していくか、そのどちらかに振れがちな印象があるんです。でも菊地さんの場合は、「アメリカ人にならなかった」というか、ニューヨークにいながら日本的な感覚を失っていない。その点がとても特異だと思います。菊地さんは武満徹さんと交流があったようですが、東洋や日本のアイデンティティに対する感覚には、武満さんと通じる部分もあるように感じます。

江﨑:『六大』のエレクトロニクスを用いながらも、日本的な感覚を内包している点は、海外のリスナーにとって新鮮に映るのではないかと思いますね。

テイラー・デュプリーにリマスターを依頼した理由

今回のリイシューでリマスタリングを務めたのは、故・坂本龍一氏とも交流のあった現代アンビエントシーンの重要人物であり、レーベル〈12k〉の主宰でもあるテイラー・デュプリー氏。
(Photo by Marcus Fischer)

今回のリイシューでは現代アンビエントのキーパーソンであるテイラー・デュプリーさんがリマスタリングを手がけているのも重要なポイントだと思いますが、なぜ彼に依頼したのでしょうか?

原:リマスタリングについては、まず前提として海外の方にお願いしたいという気持ちがありました。海外の視点をこの『六大』という作品に反映させたかったからです。その上で、オリジナル盤はダイナミックレンジが広すぎて、静寂の中で突発的な大音が鳴るなどやや聴きづらい面があったので、そのダイナミクスを活かしつつ巧みにバランスを調整できる人を探していたんです。

ちょうどその頃、元〈ECM〉プロデューサーのサン・チョン(Sun Chung)さんのレーベル〈Red Hook Records〉から、ジェイソン・モラン(Jason Moran)やブランクフォームス(BlankFor.ms)らの作品が出ていて、そのマスタリングを手がけていたのがテイラーさんでした。繊細なピアノもエレクトロニクスもある即興的な作品を見事に仕上げるその音質に惹かれ、サン・チョンさんの紹介を通じて依頼しました。

『六大』のリリースにあたり、テイラーさんからは「80年代ニューヨークの喧騒やパンクのエトス(≒精神性)を感じる」というコメントをもらいました。菊地さんは室内で思索的に制作していましたが、同じくニューヨークを拠点としてきたテイラーさんには、80年代初頭のエッジの効いた空気感が聴き取れたのでしょう。

時代を越えて残る「作品の強度」と、未来へのメッセージ

江﨑:とても興味深いですね。ある番組の企画で晩年の坂本龍一さんにメールインタビューをした際、「今のニューヨークは金融の街だが、80年代は世界中の尖った表現者が集まる刺激的な場所で、あの空気は忘れられない」と語られていたのが印象的でした。今お話を伺いながら、『六大』はプーさんがまさにその時代のニューヨークにいたからこそ生まれた音楽・響きなんだろうと、強く思いました。

視点を現在に戻すと、時間をかけて自分と向き合いながら作品を作ることが、どんどん難しくなっていると感じます。リリース後もリスナー数や再生回数、収益に振り回され、「来週までに30秒のデモを」といった状況が続く。それ自体を否定するわけではありませんが、それが『六大』のように数十年後、「リイシューしたい」と思われるだけの質量を持つかといえば、必ずしもそうではないでしょう。メガヒットなら別ですが。

単に流行の音像を追うだけでは、一過性の消費で終わってしまいます。しかし、プーさんの音楽には「彼にしか作れない」という独自の強さがある。日本人が異国で音楽を作ることの意味や、当時の空気感まで封じ込めた圧倒的な質量こそが、50年、100年先まで作品を残すのだと思います。

原:同感ですね。たとえば、菊地さんとも共演していた富樫雅彦さんのソロ・パーカッションの多重録音作『RINGS』は、孤高の作品のようにジャズの世界で評価を得ていましたが、実際にどこまで聴き手に理解されていたのかは疑問が残ります。いま『RINGS』を聴けばアンビエント的に解釈することもできますが、当時はそうした聴き方自体が一般的ではありませんでした。

時代を経ることで人々の耳は変わり、それに伴って評価も移り変わっていく。しかし最終的に変わらないのは、「作品の強度」だと思うんです。『六大』にも同様の側面があると思っていて、その揺るぎない強度に多くの人に気づいてほしいという想いから、今回シリーズ全作のリイシューに踏み切りました。

それでは最後に、今改めて『六大』という作品を通して見えてくるものや聴こえてくるものについて、お二人のお考えをお聞かせいただけますか?

原:江﨑さんが指摘された「非西洋的なもの・日本的なもの」という感覚は、『六大』を、そして菊地さんの活動を読み解く上で重要なポイントだと思います。先述の通り、菊地さんは西洋のハーモニーを突き詰めた末に限界に気づいたと話していたり、「合理的に調律されたピアノはサウンド自体に魅力がない」と語っているインタビューもありました。

様々な民族音楽も聴く中で、プリミティヴな楽器の持つ音程のズレや、それによって生じる倍音やハーモニーの変化に新鮮さを見出していたようです。その一方で、菊地さんはジャズピアニストとしてクラブで演奏し、ジャズのサーキットにもしっかり身を置いていました。本当に綱渡りのような、ギリギリのバランスを取りながら活動していたのだと感じます。

極端なフリージャズに行くかといえば、そうではないんです。調性が取れている枠組みの中で、自分の中にあるちょっとした違和感に非常に素直に従って音楽を作っていた。だからこそ、今聴いても響くものがあるんですよね。綺麗に合わせようとはしないけれど、決してハチャメチャにするわけでもない。その間で揺れ動いている感じが、すごく人間らしくて心地よいですし、その中に西洋とは異なる「日本的なもの」が現れているのではないかと。『六大』からは、そういった要素を強く感じますね。

江﨑:僕は原さんの「プーさんはニューヨークに居ながら『アメリカ人』にならなかった」というご指摘にハッとしました。本作を聴いて感じたことが、その言葉に凝縮されています。

宮崎駿さんが「究極にグローバルなものは究極にナショナルである」と仰っていますが、その言葉通り、歴史に残り続けるのは、自らの内面を見つめ抜いた表現だけだと思うんです。『六大』には、まさにそれが体現されています。刺激と情報に溢れた80年代のニューヨークで、プーさんは激流に飲まれることなく、屋根裏部屋で実験を重ね、独自の表現を追求し続けました。それは、僕ら世代のミュージシャンが最も切望する姿勢です。

現代は、イントロを短くするといった制作面の工夫から、リリース後の数値や収益まで、さまざまな外的要請にさらされています。海外展開を考えれば、現地のフォーマットに合わせる必要も出てくるでしょう。でも『六大』は、そうした「何かに合わせる」という発想とは無縁の場所にある作品です。本作が今こうしてリイシューされ、真摯に音楽と向き合った姿勢が没後もきちんと受け取られている。その事実に僕は強く背中を押されましたし、今日の対談を通して大きな希望を感じました。

原:そう言っていただけて嬉しいです。本日はありがとうございました。

江﨑:こちらこそ、ありがとうございました。

菊地雅章 6部作『六大』

ジャズ・ピアニストの菊地雅章が、代表作『Susto』(1981年)発表後に制作したエレクトロニック・ミュージックを収録する『地』『水』『火』『風』『空』『識』の6作からなるシリーズ作。菊地雅章80年代に多くの時間を費やした同作が、2026年にリイシュー。リマスタリングはレーベル〈12k〉の設立者でもあるアーティスト/エンジニアのテイラー・デュプリーが手掛けた。

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江﨑文武

音楽家。1992年福岡市生まれ。実写映画『秒速5センチメートル』『#真相をお話しします』、ドラマ『シナントロープ』などの音楽を手がける。バンドWONKのメンバーとして活動するほか、King Gnu、Vaundy、米津玄師、藤井風らのレコーディングおよびライブサポートに参加。NHK FM「江﨑文武のBorderless Music Dig!!」パーソナリティ。西日本新聞「音聞」にて連載を執筆中

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原雅明

文筆家、選曲家、プロデューサー。各種媒体への寄稿やライナーノーツの執筆の傍ら、レーベルringsでレイ・ハラカミの再発などのリリースに携わり、ロサンゼルスのネットラジオ局dublabの日本ブランチの設立に関わる。リスニングや環境音楽に関連する企画、ホテルの選曲を手掛け、都市や街、自然と音楽とのマッチングにも関心を寄せる。早稲田大学非常勤講師。著書に『アンビエント/ジャズ――マイルス・デイヴィスとブライアン・イーノから始まる音の系譜』(Pヴァイン)、『Jazz Thing ジャズという何か』(DU BOOKS)など。

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Words & Edit:Takahiro Fujikawa
Photos:Kentaro Oshio

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