かつて日本と韓国の音楽家のコラボレーションは特別なことだった。少なくともサッカーのFIFAワールドカップが日韓で共催された2002年ごろ、両国のアーティストが共に何かをしようとすると、そこには互いの国を代表するかのような緊張感があった。だが、それから20年以上の歳月が経過し、今やそうしたコラボレーションは日常的なものになっている。

藤井風の新作『Prema』において韓国のプロデューサー、250(イオゴン)が重要な役割を果たしているのは、無数にある事例のひとつに過ぎない。韓国では「WONDERLIVET」などJ-POP特化型のフェスが開催され、セソニョン(SE SO NEON)やシリカゲル(Silica Gel)など韓国のインディーバンドは日本でも人気を集めるなど、リスナーのクロスオーバーも進んでいる。

そうした状況の背景に、サブスク音楽配信サービスやYouTubeなどリスニング環境の変化があることは言うまでもない。だが、それに加えて日韓のアーティストや関係者が地道に関係性を構築し、現在に至る下地を作り上げてきたことは強調しておくべきだろう。

「歌うDJ/シンガーソングライター/プロデューサー」を謳うYonYonもまた、日韓音楽シーンの架け橋となる活動を続けてきた。韓国生まれ、日本育ちの彼女は2018年から「THE LINK」と題した日韓コラボレーション・プロジェクトをスタート。日本側からは向井太一やSIRUP、一十三十一ら、韓国側からはソ・サムエルやSlomらが参加し、各メディアで話題を集めた。

それから実に7年が経過し、YonYonのファーストフルアルバム『Grace』がリリースされた。アルバムにはKIRINJIやSIRUP、ARIWA、SUMIN、Slomなど、幅広いジャンルから両国の仲間たちが参加。YonYonのパーソナルな一面も色濃く反映された同作のことに加え、日本と韓国のシーンの共通性と違いなど、幅広いテーマで話を聞いた。

AIR、WOMB、Cakeshop…学生時代から日韓のクラブでプレイ

幼少時代から日本と韓国を行ったり来たりする生活だったそうですね。新作『Grace』に入っている「Anchor」という曲には「私らしさって何 慣れたころお引越し」という歌詞がありますが、まさにそんな感じの生活だった?

そうなんですよ。当時はSNSなどが普及しておらず、自分が日本や韓国に行ってしまうと、せっかく出会った友達と会えなくなっちゃうんです。当時は寂しい思いをしてましたね。

中学、高校は韓国系のインターナショナルスクールに通っていたそうですね。

そうですね。同級生も両親の仕事の都合でたまたま日本に来ているような感じで、授業は韓国語でした。同級生のほとんどが日本にいながら韓国の大学を目指しているので、勉強も結構ハードルが高くて。私も途中までは韓国に戻るつもりだったんですけど、結局日本の大学に進学しました。

そのころ聴いてた音楽は?

小学生のころはBoAさんが好きでした。中学に入ると放課後、同級生と新大久保の韓国カラオケに行くようになって、カラオケで歌える曲を聞くようになるんですよ。韓国バラードだとか、当時流行り出していたラップも聴くようになりました。ダイナミック・デュオ(Dynamic Duo)とかエピックハイ(EPIK HIGH)、ドランクンタイガー(Drunken Tiger)、ユンミレ(TASHA)とか。とか。

音楽活動はどのように始めたのでしょうか。

大学に入ってからバンドを始めたんです。2人組のエレクトロニック・デュオみたいな感じでした。同じころ、大学の中にDJサークルがあって、サークル活動の一環としてDJも始めました。

当時4つ打ちが人気だったので、テックハウスとかディープハウスの現場が多かったんですけど、ひょんなきっかけで代官山のAIRでDJするようになったんです。そこから、自分たちの世代が思いきり楽しめるパーティーがあったらいいのにと思って、渋谷のWOMBで自分でもオーガナイズを始めたんですよ。

大学生でWOMBを貸し切るなんてすごいですね。

「FEET OFF THE FLOOR」というパーティーでした。最終的に1,000人くらい入るようになっていました。そのパーティーでは大学生が好きそうなコンテンツを入れたりして。バレンタインの日にチョコフォンデュ食べ放題にしたり、WOMBのキッチンを借りてターキーを焼いて配ったり。そのパーティーでは環ROYさんと鎮座DOPENESSさんがやってるKAKATOを呼んだりして、そこからプロモーター魂が燃えてきたんです。

韓国のクラブでDJをやるようになったのは?

大学4年生の夏に交換留学で韓国に行くことになったんです。韓国で勉強しながらDJするようになりました。知り合いの彼氏がCakeshop(イテウォンのクラブ)のパーティーに出ることになって、オープニングでやらせてもらいました。せっかくの機会だからぶちかまそうって思って、準備を頑張りました。

そうしたらフロアもすごく沸いて、オーナーも喜んでくれて。それから毎週Cakeshopでするようになりました。それが2014、5年あたりです。

韓国の人たちって、人の噂をめっちゃするんですよ。「あの子のプレイ、めっちゃ良かったよ」とか、その逆も。いい噂も悪い噂も全部言いまくる風習のおかげで、私の評判もいろんなところに回ったみたいで。ホンデのHenz ClubやCakeshopの系列であるPistil、今は無きSoap でもDJしてましたね。

そのころはソウルでも一気にクラブが増えた時期ですよね。

そうですね。2015年から2018年にかけてソウルではクラブとパーティークルーが結託して一緒にパーティーを作る流れがあったと思います。360 SoundsとかDEADEND みたいな先輩世代のDJたちがCakeshopやHenz Clubで月に一回レギュラーのパーティーを打っていて、パーティーの名前とクラブの名前が一緒に成長していくような流れがあったんです。

日韓コラボプロジェクトの先駆けとなった「THE LINK」

日本と韓国のシーンを繋げたい」という意識はどういうところから芽生えてきたのでしょうか。

韓国で友達をたくさん作って帰ってきたので、向こうの友達から「日本のクラブでDJをしたいんだけど」と相談される機会が増えたんですよ。

でも、いざブッキングしようとすると、「そのアーティスト、日本で人気あるの?お客さんが入るの?」と阻まれることがあって。すごく素敵なアーティストなのに「知られていない」っていう理由だけで日本でやる機会を得られない現状がもったいないと思ったんですね。

そういうアーティストの魅力を日本の人たちに伝える方法として、一緒に曲作っちゃえばいいじゃん!っていう考えに至ったんです。

それが2018年からの「THE LINK」というプロジェクトにつながるわけですね。

そうです。韓国と日本のアーティストで曲を作り、そのリリースパーティーとして日本と韓国両方でイベントを打とう、と。そのなかで自分でも歌うことになりました。バンドを活休してから全然歌ってなかったんですけど、歌いたいという気持ちはずっとありました。

反響はどうでした?

レーベルにも所属していなかったですし、私個人が作る曲が果たしてどれくらい広がるのか、正直未知数だったんです。実際、リリース直後はそんなに回ってなくて。でも、タイミングがすごく良かったんですよ。 向井くんもSIRUPくんもそれを出したあたりから一気に人気に火がついて、運よく曲も一緒に跳ねた感じでした。

YonYon、向井太一「Period(過程)」
YonYon, SIRUP「Mirror (選択)」

YonYonさんが「THE LINK」を始めたころから約7年の時間が経過しました。今や日本と韓国のミュージシャンやプロデューサーのコラボレーションもすごく盛んになりましたよね。この現状についてはどう思っていますか。

めちゃくちゃポジティヴなことだと思います。私が「THE LINK」を始めたころは日韓のアーティストがコラボするケースが全然なくて、どうやったらお互いの国のアーティストを興味持ってもらえるんだろうとすごく苦労したんですよね。

今はInstagramやYouTubeのおかげで簡単に情報にアクセスできるし、自分からアクセスしなくても、勝手にアルゴリズムで流れてくるようになった。もちろんアルゴリズムのネガティヴな側面もありますが、韓国音楽の情報も自然に入ってくる時代になったわけで、そうやって情報に触れることができるってすごく大事だと思うんですよ。

YonYon × Samuel Seo「Owl(解放)」(Prod. TENDRE)

日本と韓国のミュージシャンがコラボレーションする場合もかつてのような気負いがなくなっていますよね。

そうですね。おっしゃるとおり、5年前に誰かのアルバムに韓国のアーティストが入っていたら、入っている理由を考えていたと思うんです。なんでこの人が入ってるんだろう?みたいな。でも、今は入っていることに何の違和感もないですし、むしろ入っていて当たり前のような感じになっていますよね。

コロナ禍以降の韓国のクラブシーン

YonYonさんは韓国でも定期的にDJやライヴをやっていますが、今のソウルのクラブシーンはどんな状況にあるのでしょうか。

コロナ禍前のクラブシーンの中心はイテウォンとホンデにあったんですけど、ハロウィンのあの事件*の影響もあって、人の流れが変わってるんです。カンナムの手前のアックジョンっていうエリアにクラブがたくさんできていて、私もそのあたりでDJをすることが多いんです。Soapっていうクラブが閉店したあとに新しくオープンした系列のTimesとか。現在は、イテウォンエリアも失われていた活気も少しずつ戻ってきていて、新しいクラブが何軒かできたそうです。

*梨泰院ハロウィン事故:2022年10月29日、韓国・ソウルの梨泰院で起きた雑踏事故。狭い路地で300人以上が重なり合うように転倒。20代を中心に150人以上が命を落とした。

YonYonさんが韓国でDJを始めたころとの状況の変化を感じますか?

さきほどお話したように、かつてはクラブとイベントが一緒に成長していく流れがあって、そのころは客層も固定されていたんですよ。このクラブはこういうジャンルのイベントが多くて、そこに特定のお客さんがついているという感じで。今は客層もバラバラ。そのクラブのファンだから来ているというより、イベントの話題性や、噂を聞きつけてやってきた一見さんが増えてるイメージがありますね。もちろん、お客さんが根付いているクラブも残ってはいますが。

クラブごとに特定のお客さんがついているほうがカルチャーとして成熟しやすいですよね。でも、そういうものじゃなくなっていると。

今は「風の時代」らしいんですよ。それまでは「地の時代」で、地に足をつけて根を張るのが大事にされていたと思うんです。でも、風の時代では、根を張っていると身動きが取れなくなってしまう。

今はその風を使っていかに波乗りできるか、そこが大事になっている時代なんだと思いますね。今のクラブの客層がバラバラになるのも決してネガティヴなことではないといいますか、時代の流れに沿った自然なことだと思います。

YonYonさんもそのなかで風のようにありたい?

そうですね。風のように、フットワーク軽くありたいと思ってるんですけど、戻ってくるんじゃないかと思っています。そこは臨機応変にやっていきたいですね。

『Grace』は今までのYonYonの集大成

「THE LINK」をスタートさせて以降、YonYonさんの名義でたくさんのシングルも出してますし、2019年にはKIRINJIの楽曲「Killer tune kills me」(アルバム『cherish』収録)にフィーチャーにされたりと、精力的な活動を展開されてきましたが、これまでフルアルバムは出ていませんでした。YonYonさんにとっても今回の『Grace』は念願のフルアルバムという感覚なのでしょうか。

そうですね。良いものを作らなきゃっていうプレッシャーとの戦いで時間がかかっちゃいました。最初は作っているものに自信が持てなくて。Slomくんとの曲「Moonlight Crusing」を作っているとき、彼に会いに韓国まで行ったんですよ。今回の作品にも参加してくれたSUMINさんと一緒に制作途中のデモを聞いてもらう機会があって、初めて自分のデモを人前で聞いたんですけど、そのときに「意外といいかも」と思って(笑)。

Slomくんたちも「めっちゃ良いのに何を悩んでんだよ!」みたいな感じだったし、その反応を見てちょっと安心したところもあったんです。そこから制作が一気に進んでいきましたね。

今回のアルバムにはそのSlomやSUMIN、A_bloomといった韓国のプロデューサーのほか、☆Taku TakahashiさんやChaki Zuluさんなど日本人プロデューサーも参加しています。そうしたプロデューサーたちと、どのようなプロセスで曲を作っていったのでしょうか。

今回はどの曲も何もない状態からプロデューサーさんのおうちに遊びに行って、相談するところから始まったんですよ。「こういう曲を作りたいんです」っていう話し合いをして、その場で弾いてもらいながらトラックを組み上げていきました。

アーティストも含めて縁の深い方々ばかりですし、今までの私のキャリアのポートフォリオみたいなアルバムかもしれないですね。

ILLITなどK-POP第5世代のグループはUKガラージやジャージークラブ、ドラムンベースの要素が入っていたり、ダンスミュージックからすごくインスパイアされていますよね。☆Taku Takahashiさんと作った「Dreamin’」には少しその雰囲気も感じるのですが、YonYonさんも現行K-POPのことは意識されているのでしょうか。

自分の場合はDJをやっているということも大きいかもしれないですね。世界のトレンドとしてダンスミュージックを取り入れたポップスが流行っていますが、自分的にはトレンドを意識したというよりは、DJでもかけることができて自分でも歌える曲が作りたくて。この曲は☆Takuさんがm-floで作ってきたようなガラージ的な曲を作りたかったんです。

「Eomma」という曲は唯一韓国語で歌われていますね。

これは自分の母に向けて書いた曲なので韓国語で歌いました。アルバムタイトルは私の本名でもあるんですけど、『Grace』というのは恩恵や恵み、恩返しという意味でもあるんですね。

うちの家族はクリスチャンで、「自分が毎日ごはんを食べることができたり、今日この後帰って寝る場所がある、こういった些細な日常は特別なことで、それらは神様から受け取った恵みである」という考え方なんです。受け取ったグレイスを世にお返し(恩返し)するというのは自分にとって使命でもあるんですよ。「Eomma」という曲には「お母さんから受け取った “愛” を今度は私が隣の人に伝えていく」という思いが込められています。

今回の『Grace』は10月22日にフィジカル版もリリースされましたね。次の作品の予定は?

そうですね。今回のアルバムはパーソナルな意思を表明したアルバムだったので、もし次にまとまった形で作品を出すならば、よりコンセプチュアルなアルバムにしたいと思っています。まだ具体的なプランはないんですが、ジャンルを絞るのか。今作がこれまでのYonYonの総まとめみたいなものだったので、これから出すアルバムは新しいYonYonを表現したものになると思います。

YonYon

音楽レーベルPeace Tree主宰。ソウル生まれ東京育ちというバックグラウンドを持ち、歌うDJとして幅広い世代に親しまれ、どこか聴きやすくかつ踊れる、エッジの利いたサウンドで多彩なBPMを縦横無尽にプレイするマルチアーティスト。ソングライティングも精力的に行い、ジャンル・言語の垣根を越えて直感的に組み立てていくそのリリックは、ポップで中毒性のあるグルーヴと裏腹なリアルでメッセージ性の強い言葉が世界中のリスナーを虜にする。さらに、三宅健、サカナクション、たまごっち主題歌など様々な分野でリミックスやプロデュースワークを行い、作家としても日々奮闘中。全国各地を飛び回りながらも音楽を通じて愛と平和を広め続けている。

HP

Newアルバム『Grace』

発売日:2025年10月22日 (水)

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Photos:morookamanabu
Words:Oishi HajimeEdit:Kunihiro Miki
Cooperation:HoiPoi

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