昭和時代、日本独自のポピュラーミュージックとして数多くの名曲を生んだ「歌謡曲」。その魅力をひも解く本企画では、アーカイヴァーの鈴木啓之さんにご案内いただき、世代を超えて愛され続ける名曲をその背景とともに紹介していきます。

今回とり上げるのは、小泉今日子の「なんてったってアイドル」。80年代のアイドル全盛期を象徴するこの一曲を入り口に、既存のイメージを軽やかに更新しながら時代を駆け抜けた彼女の魅力と軌跡をたどります。

“キョンキョン”誕生のエピソード

アイドルの登龍門、日本テレビ『スター誕生!』で合格してデビュー。同じく番組出身の中森明菜のほか、松本伊代、早見優、石川秀美、シブがき隊ら多くの優れた新人が輩出された“花の82年組”を代表するひとりとして大活躍してきた小泉今日子。デビューの頃は流行りの聖子ちゃんカットで可愛さが前面に押し出された王道のアイドルかと思っていたのだが……。実は普通のアイドルとは一味も二味も違っていたのだ。

神奈川県厚木に生まれ育ち、幼い頃は看護婦や美容師に憧れていたという少女は、いつしか歌手を目指すようになる。キョンキョンというニックネームは、今日子が小学校に上がってすぐ日本にやって来たパンダのカンカンとランランにちなんで、近所に住んでいたおばさんが呼び始めたそうだ。

カバー戦略からオリジナルへ。ショートカットで覚醒

高校1年生になってから出場した『スター誕生!』の第一次審査では「恋のハッピーデート」、テレビ予選では「彼が初恋」と、目標にしていた石野真子のレパートリーを歌って合格した。

1982年3月21日に「私の16才」でビクターからデビュー。3年前に同じビクターの森まどかが歌っていた「ねえ・ねえ・ねえ」のカバーだった。担当ディレクターも一緒だったので、惜しくも埋もれてしまっていた曲にもう一度スポットを当てるべくデビュー曲に選定したのだろう。

続いての「素敵なラブリーボーイ」も林寛子のカバーで、初のオリジナルシングルとなったのは3枚目の「ひとり街角」である。スマッシュヒットが続く中、1983年にセミロングだった髪をショートにしてイメチェンが図られた5枚目のシングル「まっ赤な女の子」でいよいよ人気が急上昇する。

この作品からディレクターも替わり、新たな展開として筒美京平に曲が依頼されて功を奏した。筒美の推薦で起用された佐久間正英による、シンセサイザーが多用されたアレンジも新鮮だった。

続いてのシングル「半分少女」も筒美が手がけたが、その後の「艶姿ナミダ娘」や「渚のはいから人魚」は馬飼野康二が作曲しており、「渚のはいから人魚」では初のチャート1位を獲得して代表作のひとつとなる。

これで完全にトップアイドルの仲間入りを果たし、1983年12月リリースのベストアルバム・『Celebration』も40万枚近い売上げを記録した。大晦日には『第35回NHK紅白歌合戦』に初出場して後半戦のトップバッターを務め、その後も『第39回NHK紅白歌合戦』まで5年連続出場を果たしている。このあたりでキュートなアイドル、キョンキョンのイメージはすっかり完成されたかの様に見えたが、実はまだまだ伸び代があったのである。

1984年6月に出された10枚目のシングル「迷宮のアンドローラ」は再び筒美京平が手がけ、康珍化、橋本淳に続いて松本隆が作詞を担当。長岡秀星の描くSFイラストストーリーのイメージソングとして企画されたというテクノポップで曲の世界観がさらに拡がった。筒美作品はさらに「ヤマトナデシコ七変化」、翌年の「魔女」と連なり、1985年11月に登場したのがファンならずともよく知られるところの「なんてったってアイドル」である。

「なんてったってアイドル」という革命

作詞に秋元康が起用された17枚目のシングル。レコード売上げでも『ザ・ベストテン』のランキングでも共に1位となったのは「ヤマトナデシコ七変化」以来となる。タイトルは公募されたもののアレンジで、詞先で作られたそう。

背景にはおニャン子クラブのブームがある。その仕掛人の一人であった秋元による、アイドルに対する半ば自虐的なアンチテーゼの意味合いも込められたようなノベルティソングは、サブカル界隈からも支持されていたキョンキョンでなければ絶対に歌えなかったはず。本人は(また大人の悪ふざけか)と思って歌うのが嫌だったそうだが、結果的に彼女のポップな存在感をさらに強化させる一曲となったのだった。

小泉今日子 – なんてったってアイドル (Live at 中野サンプラザホール 2022.3.21)

翌1986年2月に出されたアルバム『今日子の清く楽しく美しく』には「なんてったってアイドル(Another Version)」と銘打たれ、シングル盤とは歌詞が異なる別バージョンが収録された。もともとパロディ色が濃い曲に自身のことを表す詞が施され、 “わたしはキョンキョン” などと歌われている。このバージョンの作詞ももちろん秋元康によるものだった。

この後の「夜明けのMEW」も秋元×筒美のコンビ、「水のルージュ」は松本×筒美コンビで、どこか哀愁を帯びた流麗なポップスが紡ぎ出された。1989年には月9ドラマ『愛しあってるかい!』にヒロイン役で出演するなど女優としてのポジションも磐石となる中で、1991年の「あなたに会えてよかった」は32枚目のシングルにして初のミリオンセラーとなり、現在に至るまで自己最高のヒットを記録している。

そして筒美京平は90年代にも久しぶりに楽曲を提供する。小泉自身が作詞し主演ドラマの主題歌となった「BEAUTIFUL GIRLS」 は、かつて半分少女だったキョンキョンが、干支を一回りした後に聡明な美しい女性となっていたことを証明するような作品であり、飾り気のないボーカルが殊に際立つ。歌い手の声の魅力を最大限に引き出す筒美メロディの、小泉今日子における集大成とも言うべき曲であった。

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鈴木啓之

アーカイヴァー。テレビ番組制作会社勤務、中古レコード店経営を経て、ライター及びプロデュース業。昭和の音楽、テレビ、映画を主に、雑誌への寄稿、CDやDVDの企画・監修を手がける。著書に『東京レコード散歩』『昭和歌謡レコード大全』『王様のレコード』ほか共著多数。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』、MUSIC BIRD『ゴールデン歌謡アーカイヴ』、YouTube『ミュージックガーデンチャンネル』に出演中。

Words:Hiroyuki Suzuki

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