「好きな音楽の本が、日本で出版されていない」

そんなシンプルな思いから生まれたのが、ジーンブックスだ。

海外には、アーティストの評伝やレーベルの歴史、音楽制作の舞台裏を掘り下げた良書が数多く存在する。しかし、日本版として出版されているのはごくわずか。ジーンブックスは、そうした本を独自の審美眼でセレクトし、日本語翻訳版としてリリースしている。

2023年にスタートしたばかりの小さなレーベルは、いかにして生まれたのか。その成り立ちと編集哲学について、代表の林田洋明氏に聞いた。

好きな本が、たまたま音楽だった

魅力的な音楽本を出版されていますが、ジーンブックスの成り立ちから教えてください。

運営会社のジーンは、デジタルマーケティングやアート事業を手がけている会社で、出版部門であるジーンブックスは2023年にスタートしました。

僕は1970年生まれの55歳で、80年代半ばの洋楽文化にどっぷり浸かって青春時代を過ごしました。中学時代から40年以上の付き合いになる翻訳家の友人と一緒に、海外の雑誌やウェブに掲載された英文の記事をまとめた同人誌を出したりもしていたんです。ジーンブックスの立ち上げは、その彼と「ちゃんとした本を作ってみたいね」という話から始まりました。

最初に出版したのが、「証言 ESPディスクの時代 アメリカでもっとも先鋭的なレコード会社の物語」ですね。

ESPディスクは、フリージャズの分野ですごく著名なレーベルです。原書は創業者であるバーナード・ストールマン(Bernard Stollman)やミュージシャンなど、40名以上の関係者へのインタビューをまとめたもの。作家のジェイソン・ワイス(Jason Weiss)さんが書いていて、海外の大学の出版局から出ている本でした。

僕も翻訳家の友人もジャズが好きなので、ジーンブックスとして最初に取り組むことにしたんです。通常は翻訳エージェントが間に入るのですが、この本は作者と直接やり取りをして翻訳権を取得しました。

翻訳を担当したのは、ジーンブックス立ち上げのきっかけとなった林田さんの友人の山口久義氏

そもそも林田さんは、デザイナーとしてキャリアをスタートさせたとか?

そうですね。紙媒体もやりましたし、デジタルや映像も経験しました。90年代にはCD-ROMコンテンツを作ったり、イベント映像を手がけたり、一通りやってきたと思います。

とはいえ本作りは未経験なので、「編集って何やるの?」「印刷ってどうやればいいの?」「ISBNコードって何?」というところからのスタートでした。

組版自体はソフトを使えば作れるのですが、印刷所にどういうフォーマットで入稿すればいいのか問い合わせたり、流通させるためのISBNコードの取得方法を調べたり。そもそも何部作ればいいのかもわからないし、Amazonでどうやって販売するのかもわからない。異業種からの参入は、未知のことだらけでした。

1作目に「証言 ESPディスクの時代 アメリカでもっとも先鋭的なレコード会社の物語」を手がけたことが、「音楽ドキュメンタリー」を強みにする現在のジーンブックスの指針になっているように思うのですが。

実は今も昔も「音楽の本だけ作ろう」とは思っていないんですよね。音楽以外にも映画やアート、コンピューター・カルチャーなど、興味のあるものはたくさんあります。自分たちが好きなものを取り上げていたら、たまたま音楽の本が多くなっていっただけなんです。

まだ日本で読めない“おもしろい本”を届けたい

原書を選ぶ基準はどんなところにあるのでしょうか?

まずは僕らが興味関心を持てること。そして読んでおもしろいことですね。今まで流布されていた情報やメディアで語られていた内容と違う視点がある本はおもしろいと思います。

例えば『インヴィジブル・マン マイケル・ジャクソン「スリラー」を作った男ロッド・テンパートンの生涯』には、マイケル・ジャクソン(Micael Jackson)の『Off the Wall』や『Thriller』など、著名なアルバム制作の舞台裏が書かれています。

音楽プロデューサーであるクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の自伝はありますが、彼のもとで数々の名曲を手がけたソングライター、ロッド・テンパートン(Rod Temperton)についてはあまり知られていないんです。ブラックミュージックの象徴ともいえるマイケルジャクソンの最大のヒット曲「Thriller」を、実は白人のシンガーソングライターが書いていた点も意外性がありますよね。

まだ世に出ていない良書を出したいという思いがあるんですね。

そうですね。僕自身も音楽本が好きでよく買うので、うちで出さなくても、他社さんで出版されるならそれでいいと思うんです。でも『インヴィジブル・マン』の原書は出版されてからだいぶ時間が経っているんですよ。ということは今後も他社さんから出版される可能性はかなり低いと思われるので、ジーンブックスで出そうか、という話になったわけです。日本語版が出ていてもおかしくない知名度の高い人物や題材について、日本版がまだ出ていない本を広く知ってもらいたいという思いはあります。

もちろん商売なので、何でも手を出すわけにはいきませんが、昨年出したオアシス(Oasis)関連の2冊は反響が大きくて。やっぱり出版する側としても売れたほうがハッピーだなと感じました。いい本なのになかなか売れないのは、やっぱり悲しいので。

オアシスの本はどのようにして企画が決まったのですか?

『オアシス ザ・マスタープラン』は、UK ロックのレジェンドたちを撮影してきた写真家ケビン・カミンズ(Kevin Cummins)の作品を収録したものです。オアシスの再結成に合わせて本国で出版されることになり、日本語版の翻訳権を取得しました。

上が原書『A Sound So Very Loud:The Inside Story of Every Song Oasis Recorded』。日本版はケビン・カミンズの写真を使用。タイトルは「モーニング・グローリー」の原題「(What’s the Story)Morning Glory?」から取ったもの

『Wha’s the story? オアシス全曲解説』は、全曲解説というフォーマットがおもしろくて。作曲当時のバンドの内情がかなり細かく書かれていて、楽曲のネタ元まで明かされているんです。「この曲のこの部分をパクってきた」みたいなことを平気で書いている(笑)。

でもノエル・ギャラガー(Noel Gallagher)自身が普段からそういう話をしていて、「ロックの歴史をリスナーにも理解してもらいたい、遡って聴いてもらいたい」という意図があるそうなんです。だから楽曲を引用されたザ・フー(The Who)のピート・タウンゼント(Pete Townshend)なんかも全然怒っていなくて。そういった内容も魅力的でした。

世界最高の音楽プロデューサーとして知られるリック・ルービン(Rick Rubin)や、音楽家ブライアン・イーノ(Brian Eno)の本も手がけていますね。

『リック・ルービンの創作術』も中身がやっぱりおもしろいんですよ。ジェイ・Z(Jay-Z)やエミネム(Eminem)といったヒップホップから、スレイヤー(Slayer)やシステム・オブ・ア・ダウン(System of a Down)といったメタルまで手がけていて、ジャンルの幅がものすごく広い。テクニカルに音を作っていくタイプというより、アーティストのメンタルや、スタジオで創作に向かうアティチュードに対して助言をしていくタイプのプロデューサーです。

この本は翻訳エージェントを通して提案された企画でしたが、他社さんが手を挙げなかったんです。多分、あまりピンと来なかったんでしょうね(笑)。うちにとっては結果的にラッキーでした。読者の中には、「煮詰まったときにヒントを得られる」とおっしゃってくれるクリエイターの方も多いですね。

右は原書。日本版はデザインを踏襲しつつ、判型を大きくして出版した

ブライアン・イーノの『アートにできること−その終わりのない思索の旅』は、翻訳エージェントの方が世界最大級の書籍見本市フランクフルト・ブックフェアで見つけたもの。すぐに国際電話で「ジーンブックスでどうですか?」とおすすめしてくれました。

AI翻訳の時代に、本を作る意味

出版したい原書はまだまだありそうですね?

そうですね。ただ音楽ファンは多くても、音楽の本を読む人があまり多くないのが現状です。うちの本も初版は3,000〜5,000部くらい刷るのですが、全部売るのはなかなか難しい。

音楽本は出版されていること自体気づかれない場合もありますし、知らない間に絶版になっていることもよくあります。どうすれば読みたい人に適切に届けることができるかは課題だと思っています。

AIの登場も出版に影響を与えています。

今はGeminiやChatGPTなどの生成AIが出てきているじゃないですか。機能や性能も上がって、原書を丸ごと入れたら翻訳してくれるわけです。もちろんプロの翻訳家が書いた文章のほうが日本語として素晴らしいですし、版元との契約をする際に、AIの使用を禁じる内容が明記されている場合があります。

でも今後どうなるか考えると、海外本の流通の仕方が変わっていくのも時間の問題じゃないかと思っています。

ジーンブックス代表の林田洋明氏。中学から洋楽を聴き始め、ハードロック、ヘヴィメタル、プログレッシブロック、クラシックなど、音楽の守備範囲は広い。ライブは年間60〜70回ほど鑑賞

紙の本の需要も変わってきています。

情報を得るだけなら、個人的にはAI翻訳でも電子書籍でもいいと思っています。実際、僕自身もほとんど電子で読んでいますし、ジーンブックスの本もすべて電子版を出しています。

ただ、ビジネスとして出版を続けていくなら、情報以外の価値を作らないといけない。僕自身、紙の本にはやっぱり愛着がありますし、所有したくなるようなモノとしてのクオリティにこだわる必要があると思っています。

何かアイデアはあるのでしょうか?

イギリスにスーパートランプ(Supertramp)という、70年代にヒットを出したロック・グループがいるのですが、彼らのバイオグラフィを分厚い本としてまとめたのがスペイン人なんです。そう考えると、海外のバンドの本を日本人が作っても別にいいんですよね。

オーストラリアのポップデュオ、エア・サプライ(Air Supply)は一世を風靡した大好きなグループですが、僕の知る限り本がほとんど出ていないんです。そもそも原書がない本を自分たちで企画するのもありだと思っています。

アーティストを独自に取材し、アップデートした情報を織り込みながらオリジナルの本を作れたら価値があるし、先日来日したオーストラリアのロイエル・オーティス(Royel Otis)など、デビューからあまり年月の経っていないグループの本を、いち早く出すのもおもしろそうです。

日本から海外に発信していきたいということですね?

そうですね。先ほどコンピューター・カルチャーに興味があるとお話ししましたが、日本はゲーム大国です。70〜80年代には日本のゲームメーカーが世界を席巻していました。なので当時のクリエイターに取材した同人誌などは海外のゲームファンにとって、非常に関心の高いコンテンツなんです。こうしたものを英訳して海外に発信していくのもおもしろいんじゃないかと思っています。

「読む」と「聴く」がつながる場所を

お話を聞いているだけでワクワクしますね。今後の刊行予定は?

サイケやプログレ、ジャズ・ロックを切り拓いたソフト・マシーン(Soft Machine)の歴史を辿る評伝『ソフト・マシーン カンタベリー・ミュージックの原点』を4月3日にリリースします。

あとはヴァン・へレイン(Van Halen)のギタリストだったエディ・ヴァン・ヘレイン(Edward Van Halen)について、兄でドラマーのアレックス・ヴァン・へレイン(Alex Van Halen)が書いた本も夏前に出版予定です。

今後は最低でも月1冊、できれば月3冊くらい出す体制にしていきたいと思っています。

とはいえ、出版部門は現在、林田さん含め2人で担当されているとか?

はい。編集者やデザイナーはすべて外部に依頼しています。中にはウェブトゥーンのお仕事をされている方もいて、今後は漫画にも挑戦してみたいと思いますし、うちは化粧品も扱っている会社なので、スキンケア本の企画も進めています。

他にも墨絵の作家である西元祐貴さんの作品集や、アート評論家の方の書籍など、幅広い企画が進行中です。

オフィスの壁に並べられた本棚には、林田さんが趣味で集めた貴重な音楽雑誌がずらりと並ぶ

音楽系の翻訳本だけでなく、今後はさまざまなジャンルをリリース予定なんですね。

もちろん音楽にも変わらず力を入れていく予定です。以前、ジョージ・マイケル(George Michael)の翻訳本を出す話が持ち上がったことがあるんです。ワム!(Wham!)で彼の相方だったアンドリュー・リッジリー(Andrew Ridgeley)も自伝を出していて、「それなら2冊セットで翻訳版を出したらおもしろいんじゃないか」と、翻訳エージェントの方と盛り上がったことがあって。

アンドリューはまだ健在なので、日本に招いてサイン会を開いたり、トークイベントをしたり。そういう文化的な広がりまで含めて、本づくりができたら楽しいですよね。

もちろん採算のことを考えると簡単ではありません。でも、本は単なる “情報” ではなく、人と人をつなげたり、体験を生み出したりするものでもあると思うんです。

だからこそ、音楽を「読む」と「聴く」がつながるような場所やコミュニティも、これから少しずつ作っていけたらと思っています。

ジーンブックス

海外発の良質なノンフィクション作品を刊行する出版レーベル。主に音楽系書籍を取り扱っており、ジャンルはロック、ジャズ、ポップなど。70、80年代ミュージックシーンを牽引したミュージシャンや、ヒット曲を生み出した名プロデューサーが語る制作秘話など、音楽ファンにはたまらない特別な一冊を届けている。その他、現代アートやライフスタイルの本の取り扱いも。

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Words & Edit:Kozue Matsuyama
Photos:Soichi Isida

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