YOPPI × IMAZATO 初対談

Analogue Foundation One hour mixtapeに対照的なMixを寄せてくれた、Hombre NiñoデザイナーのYOPPI氏とハードコアバンドStruggle for Prideのフロントマン、IMAZATO氏。
共にスケーター、DJとしての顔も持つ東京を代表するスタイルアイコンの2人は、かねてよりお互いを認識しつつも対談するのは今回が初めてとのこと。

2人が何に影響を受け、何を聴き、目にしてきたのか、この2人だからこそ知り得るカルチャーの文脈を掘り起こす貴重な初対談を、Side A/記憶のリール(音楽)、Side B/追憶のウィール(スケート)の2サイドに分け、記事として形に残したいと思う。

Side A / 記憶のリール

Photo by TARO HIRANO

YOPPI(以下Y):これ今里くんですか?

IMAZATO(以下I):そうです、僕ですね。

Y:マジスカ。カッコいい写真ですね。

I:この写真は平野太呂くんが撮ってくれたんですよ。唯一残っていたスケートする写真です。ここは八重洲バンクですね。

Y:八重洲バンク! 僕もガンガン滑ってました。フェイキーでボート当てて降りて行くっていう。

I:ここも無くなっちゃって。昔、東京駅にこれがあったんですよね。

Y:八重洲の写真残ってるんだ、、僕のはこれ、大阪のアスコットパークでのワンショット。90年初頭かな、写真は樋貝吉郎さんです。

Always Listening(以下AL):お2人の音楽のルーツを聞かせていただけますか?

Y:僕はやっぱり*スラッシャー的な音楽っていうところから音楽を聴き始めてるんですよね。スケートビデオのBGMだったり。

I:多分そのサバンナ・スラマーのビデオを出したのもスラッシャーマガジン出したのも同じ出版社で、ハイスピードプロダクションというところで、最初はビデオなんですけど、その後、コンピレーションのカセットシリーズを出したんですよ。スラッシャーマガジンの後ろの方とかにある音楽ページに載ってる曲とか、ビデオでかかってる曲がカセットの中に入ってたりして。最初はテープで、確かレコードをその後出したと思うんですけど。

Y:一時期マガジンにも付録でテープ付いて来ましたもんね。

I:そうですね。それと友達が外国に行った際に買って来てもらったりしてましたね。あとセントメリーに通う友達が、本国にいる家族から送ってもらったりして。

Y:その頃はデッド・オア・アライブとか。僕はそういうの聞いてましたね。

AL:カセットテープにまつわるエピソードなどあればお聞きしたいです。

I:中学生の頃、環八沿いにあったマービーズっていうスケートショップによく仲間と集まってたんですけど、店前に車がいきなりキキーッて止まって、中から*ニシさんが降りて来て。僕ら外のランプとかベンチとかに座ってる子どもなのに、いきなりカセットテープをガンって顔面に投げつけてきて、「お前これかけろよ」って言われて(笑)。いつもと違う感じの音楽だなって思ったら、それはグレートフル・デッドだったっていう。そういうことがよくありました(笑)。

Y:昔は、大会とかで、自分が滑る時にカセットテープを渡して、会場でそれをかけて1分間自分で演技するっていう感じだったんですよ。今は、携帯をポケットに入れて音楽をかけてるんですけど、昔はカセットテープ。「これかけて」って言って、運営チームがかけて「じゃ、行くよー」みたいな。その感じだから、「これかけろ」だったんじゃないのかな。ニシさん的に滑る時にはこの音楽だっていうのがあったんじゃないですかね(笑)。

I:昔の*オーシャンサイドとかのスケートビデオで、ドン・ブラウンっていうフリースタイルの人が滑っている時の曲とか、「これ誰なんだろう」とか。未だに曲で覚えていますね。

Y:ダグ・スミスが日本に大会で来た時にかけた曲が、デヴィッド・ボウイの“ヤング・アメリカンズ”だったんですよ。その時にみんな「わー! なんだーこの曲は? 」って鳥肌立って。それから“ヤング・アメリカンズ”を探しまくって、レコードを買った。数年前に亡くなったじゃないですか。豊洲でやってたデヴィッド・ボウイの追悼の催しで“ヤング・アメリカンズ”の歌詞を書いたメモが展示してあって、1人で「わー」って思いましたね。その後探して、答え合せをした。そういう聞き方ですね。

I:そうですよね、記憶と映像が音楽と同期してる。

Y:当時はスケート用に選曲、録音をしてコンピレーションテープを作っていましたね。あの頃どうやってたのかな。多分CDとテープとカセットデッキがあって1曲ごとに録っていたのかな。その後HECTICがオープンしてからは、ラジオ番組を録音できるコンパクトなプレーヤーがあって、NYに行ってラジオを拾ってテープに録音してHECTICで売ってた。その当時はかかってた曲を全部知ってたから曲名全部書いて打ち込んで、っていうのが仕事だった。まさに*露店で売ってるやつ(笑)。ファンクマスター・フレックスみたいな派手なピンクの厚紙にコピーして切り取って入れて。ダビングして、とお店にいる間はそれをずーっとみんなでやってた。それやんないと*真柄さんに怒られるんだもん。そしてそれが売れるんですよ。オープンして半年くらい経った頃からやってたかな。真柄さんもNY詳しくて、NYのラジオを日本の人に聞かせようって。向こうでも売ってたんですよね、そういうブートみたいなのが。でも売ってるものに飽き始めたから生ラジオを録って自分たちで作り始めた。

I:僕はそもそもレコードよりカセットの方が気軽に持ち運びもできるから身近な存在でしたね。貸し借りとかもよくしてたし。ダブルのカセットデッキがあって、これの何曲目をこっちにいれて、みたいな感じで自分のお気に入りを作る。そういうのは子どもの頃からやってましたね。矢沢永吉とか、いとこのお兄さんに教えてもらったやつとか入れたりしてました。それからもうちょっと大人になると、友達がおすすめのやつをくれたり、好きな女の子にあげたりとか。
バイオレントグラインドに行きだすようになると、クロさんが1日1個くらい作ってくれて。「釣り行こうよ」って行って釣り行く時に車の中でかけたりとか。サクッとくれたりするんで、そうやって色んな音楽に出会っていきましたね。アーティストじゃなくって曲で聞くことを知るっていうのは、カセットからかな。やっぱりアルバムとかだと全部いいってわけじゃないし、カセットはいいとこ取りできるっていうか。

Y:そういえばリック・ジェームスが死んだ時にミックステープを作った思い出があるな。ジェームスが大好きだったから。でもジェームス縛りではなくて全然関係ない自分なりの選曲で作った。あとはライター・シェイド・オブ・ブラウンとかアーティファクツとか好きなのは今でもカセットテープで持ってる。それを入れる縦長のケースも。車用にはケースロジックとか。

AL:DJを始めた頃の記憶やエピソードなどを聞かせていただけますか?

I:僕は高校生の時とかに下北沢のズーとかでDJさせてもらったりしてたけど…その当時は日本のハードコアしかかけなかったですね。
江川くんは最初にDJやった時の事覚えてますか?何かけたんですか?

Y:覚えてます。芝浦ゴールドのメジャーフォースの周年のパーティーで、ソミさん(本郷綜海さん)に「あんたDJやんなさいよ」って言われて。それがデビューで、スティーヴィー・ワンダーの“I WISH”をかけた。でも本当は33回転なのに、間違って45回転にしちゃって、、初めてだとあるあるじゃないですか。でもパッとフロア見たらみんな踊ってるから、いいかなって思って(笑)。そこから後戻りできなくて、途中もう一回戻してまた“I WISH”から始めた(笑)。

I:繋いでました?

Y:繋いでないです。フェイドインとフェイドアウト。このアルバムのこの曲、このアルバムのこの曲、と、フェイドインとフェイドアウトして。ハウスとかじゃなかったですね。スケートボートビデオであるトラックリスト風にやってた。“グッド・タイムズ・バッド・タイムズ”とかツェッぺリンとかかけてたかな。

I:その時かけた曲のリストとか、すげー欲しいんですけど(笑)。

Y:お恥ずかしい。もちろんヒップホップもあったと思うんだけど、とにかく“I WISH”はジョバンテ・ターナーのスケートのパートの曲なんですよ。そういう感じで。
多分デヴィッド・ボウイの“ヤング・アメリカン”もかけてたし、レッドツェッぺリンのグッドタイムスもかけてたし、あとは何かけてたかな…スケートボードビデオで聞いてた音楽をかけてた。

I:フェードイン・フェードアウトっていうと、僕はデビット・マンキューソが好きで、彼が日本に来た時は聴きに行ったりしていて。ロフトの系譜のジョイっていうブロンクスでやってるパーティーとか、1曲終わって拍手して次の曲行ってって感じでめちゃくちゃ雰囲気が暖かかったですね。ちゃんとしたお店ではなくて廃墟みたいなビルの1室でデコレーションも自分たちでやっていて、真ん中にパンチがあって、ありとあらゆる音楽がかかってて。好き勝手やってるんだけど、めちゃくちゃ雰囲気が良かった。

Y:何年前の話?

I:ジョイは3、4年前かな。その時、僕、携帯も持たずに行っちゃって。フライヤーだけ見て住宅街に迷い込んで、真夜中なんで誰もいない。で、やっと見つけた知らない人に連れて行ってもらいました(笑)。

Y:たどり着けてよかった(笑)。

I:自分はバンドもやってるから曲を作るじゃないですか。そうすると、やっぱり始まりから終わりまですごく気を使って作るから、他の人が作った曲も始まりから終わりまで意味があるものとしては捉えています。別にミックスされるのが嫌ということじゃないんですけど。

Y:僕もこの間セレクトーンっていうラジオ番組で1時間選曲しなきゃいけなくて、普段あんまり聴いたことのない長尺の曲を4、5曲くらい選曲して最初から最後までかけたんだよね。ハウスとかって、最初から最後までってあんまり聴かないじゃないですか?でもそれをやった。
ラジオだったらそっちのがいいかなって。僕あんまりミックスとかうまくないから、最初から最後まで聞かせようって思って。みんな気を使って作ってるから…(笑)。

I:ミックスは聴こえ方が変わったりするじゃないですか、ニュアンスが。それが大好きなんですけどね。

Y:一体感で良くも悪くもなるからね。

AL:One hour Mixtapeを録るにあたっての思いや、イメージなどお話を聞かせてください。

I:今回の5人の選曲やスタイルが全員めちゃくちゃ違うのってすごいですよね。

Y:僕は行き当たりばったりですけど、正直なところ(笑)。僕、録音機材を持ってないんですよ。なので、あの手この手で。
最初渋谷OATHの営業中に一発録りしたんですけど、録音が上手くいかなくて、、そのあとレンくん(Ren Yokoi)と一緒にWREPのスタジオを借りて録り直しました。特に語れることはないんですよね(笑)。恥ずかしいな。とにかく「行き当たりばったり」、がいいなと思って。

I:僕は今回カセットだったので、A面B面を意識して、A面は失恋、B面は恋の曲でやりました。

Y:カセットテープは何で聴いてますか?

I:僕はずっとウォークマン。だけど、ラジカセも家にあって、今回の音源チェックの時はそれで聴きました。データをカセットに落として、一度実際にカセットを作ったんですよ。

Y:やっぱり、さすが。全部家でできるんですね。

I:いや、でもウォークマンとバカでかいラジカセだから(笑)。

Y:あるだけすごい。僕は何もない中でDJやってるから、お恥ずかしくて。
だから僕、レコード屋さんで視聴する時ステッカー持ってってそこにマークしてるんですよ。プロの人はちゃんといいところで盛り上げるでしょ?かける曲をちゃんと聴いてれば「ここだ、よし! 」っていけるけど、そういうのができないから。家で自分の持ってるレコードも聴けないんで。聴けるんですけど音が悪いやつなんですよね。だから、一発勝負なんですよ。

YOPPI

東京都世田谷区出身。東京のストリートシーンを牽引し続ける中心人物。
1994 年から〈ヘクティク〉のディレクターとして活躍。
現在も T-19 所属のスケーターとして活躍する等、 趣味と仕事を共存している希有な存在。2012年からは「オンブレ・ニーニョ」を発足。2015年よりXLARGEの新しいライン、PLUS L by XLARGEのディレクターも務める。

「Hombre Niño」HP

IMAZATO

東京都世田谷区出身。ハードコアバンド、STRUGGLE FOR PRIDEのフロントマン。DJ HOLIDAYとしても活動。
スケートや音楽など、東京を拠点にさまざまなストリートカルチャーのオリジネイター。
2018年には『WE STRUGGLE FOR ALL OUR PRIDE.』をリリース。
2020年にはDJ HOLIDAYとして、TROJANよりオフィシャルMix CD 「FLIPPING MANY BIRDS」をリリースした。

Side B / 追憶のウィール(スケート)へ続く