昭和時代、日本独自のポピュラーミュージックとして数多くの名曲を生んだ「歌謡曲」。その魅力をひも解く本企画では、アーカイヴァーの鈴木啓之さんにご案内いただき、世代を超えて愛され続ける名曲をその背景とともに紹介していきます。

今回とり上げるのは、山口百恵の「横須賀ストーリー」。「これっきり これっきり もう これっきりですか」という印象的なフレーズからはじまるこの名曲は、アイドルから歌姫へと歩みを進める彼女の転換点でした。

なぜ山口百恵は、今も語り継がれるのか

芸能の世界において最も重要なのは当然の如く、人気と実力。そこに「美学」が加わると無敵になる。スポーツや文学、アートなどの世界でも同様だろう。アーティストが生涯現役を貫くのは素晴らしいことだが、一方で潔い引退もまた伝説と化す。古くは女優の原節子がいた。演技者としてまだまだ先があるはずだった43歳のときに引退し、以後は一切表舞台に姿を現さなかった。時代を下れば、3人組アイドルの最高峰キャンディーズも解散後は各々で芸能界に復帰したけれど、グループを再開することは決してなかったからこそ神格化している。そしてキャンディーズと同期デビューのアイドルだった山口百恵の引き際こそ美学と呼ぶに相応しい。

「伝説から神話へ」を実践した70年代最高の歌姫である。その華麗なる引退劇に至るまでには何度かのターニングポイントがあったが、その最たるものが「横須賀ストーリー」によるシフトチェンジではなかっただろうか。神話のはじまりが見え始めた瞬間だった。

『スター誕生!』から国民的存在へと駆け上がった70年代

東京で生まれ、幼少時を横浜で、4歳から芸能界入りする中学生までを横須賀で過ごした彼女は、1972年12月に日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』の決戦大会で20社もの事務所とレコード会社から指名を受け、ホリプロダクションに所属。1973年4月に松竹映画『としごろ』でのスクリーンデビューが先行した後、翌5月にCBS・ソニーから「としごろ -人にめざめる14才- 」で歌手デビューする。キャッチコピーの「大きなソニー、大きな新人」からも、南沙織に続けとばかりに放たれた期待の新人であったことが窺われる。同期デビューには桜田淳子、石川さゆり、浅田美代子、キャンディーズらがいた。

デビュー曲のレコードセールスはあまり揮わなかったが、第2弾「青い果実」では思春期の少女の危うさが巧みに描かれた、いわゆる “青い性” 路線にシフトチェンジされてヒットに至り徐々に人気が上昇してゆく。作詞の千家和也の詞はかなり過激な表現だったが、都倉俊一の繊細な曲でカバー出来ていた部分も大きかったと察せられる。そこが昭和のおおらかさ。

決定打となった5枚目のシングル「ひと夏の経験」ではNHK紅白歌合戦への初出場も果たしステージでも歌われ、歌手・山口百恵がいよいよ本格的に開花する。千家×都倉コンビによる楽曲は45曲にも及び、シングルでは初のバラード作品となった1974年の「冬の色」は初めてのチャート1位を獲得した。B面は初主演作となった東宝の文芸映画『伊豆の踊子』の同名主題歌だった。

少女アイドルから歌姫へ、自ら選んでシフトチェンジ

『スター誕生!』から輩出された森昌子、桜田淳子と年が一緒だったことから “中3トリオ” と呼ばれて人気を博したが、当初は森、山口と石川さゆりで “ホリプロ3人娘” として売り出す計画もあったらしい。3人の進級と共に “高1トリオ” 、 “高2トリオ” と進化し、高校卒業と共にトリオの呼称は解消された。そしてプロマイドの年間売上で1位に輝いた1976年に登場したのが「横須賀ストーリー」である。

本人のたっての希望により、前年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドのシングル曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」をヒットさせていた阿木燿子・宇崎竜童夫妻の曲に魅了された山口が、自ら懇願したことにより楽曲提供が依頼され、多感な少女時代を過ごした故郷・横須賀が舞台とされた。すぐ後に出されたアルバムのタイトルも『横須賀ストーリー』であった。

以降も「夢先案内人」や「イミテイション・ゴールド」と夫妻の作品が続くが、さだまさしに依頼された「秋桜」がヒットしたことで、宇崎は自分たちの使命はもう終わったのかと一瞬寂しく思ったという。しかし実際にはその後も阿木×宇崎の作品は継続され、「プレイバックPart2」や「美・サイレント」といった傑作が生み出されていった。その中で谷村新司の作で国民的なスタンダードとなる国鉄(現・JR)のキャンペーンソング「いい日旅立ち」などのヒットもある。

引退直前に出された現役時代のラストシングル「さよならの向う側」はやはり阿木・宇崎夫妻によるもので、7年余の歌手活動の最後を飾るに相応しいスケールの大きなバラードナンバー。結局夫妻によるシングル提供は12作品を数え、山口百恵の歌手活動の軸となったのだった。

伝説の歌姫・山口百恵が歌手活動を終えた年の3月に次代を担うことになる松田聖子がデビューしたのは運命の巡り合わせだったのかもしれない。山口百恵が10月に引退するまでの僅か7ヶ月ほどの間に、アイドル界では70年代から80年代への緩やかなバトンタッチが行われていたのだ。

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鈴木啓之

アーカイヴァー。テレビ番組制作会社勤務、中古レコード店経営を経て、ライター及びプロデュース業。昭和の音楽、テレビ、映画を主に、雑誌への寄稿、CDやDVDの企画・監修を手がける。著書に『東京レコード散歩』『昭和歌謡レコード大全』『王様のレコード』ほか共著多数。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』、MUSIC BIRD『ゴールデン歌謡アーカイヴ』、YouTube『ミュージックガーデンチャンネル』に出演中。

Words:Hiroyuki Suzuki

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