カバー曲とは、過去にリリースされたオリジナルの楽曲を、同じ歌詞、同じ曲の構成のまま別のアーティストが演奏、歌唱、編曲をして録音された楽曲のこと。歌い手や演奏が変わることでオリジナルとは違った解釈が生まれ、聴き手にその曲の新たな一面を届けてくれます。ここではジャンルや年代を超えて日々さまざまな音楽と向き合うオーディオ評論家の小原由夫さんに、曲の背景やミュージシャン間のリスペクトの様子など、カバー曲の魅力を解説していただきます。
ピンク・フロイドの『Dark Side of The Moon』
ピンク・フロイド(Pink Floyd)の『Dark Side of The Moon』(以下、邦題の『狂気』と表記)は、ロック史に残るアルバムであることは誰もが認めるところ。オリジナルアルバムの発売は1973年。既に半世紀以上の月日が経っているが、米ビルボートのアルバムチャート「The Billboard 200」 での最長チャートイン記録を今も保持している。2025年8月27日時点でのその記録は990週で、あと10週ランクインを伸ばせば、なんと1,000週ランクインという金字塔を打ち建てる。まさしくモンスターアルバムである。

私の手元には、オリジナルを含めていろいろなバージョン、リマスタリング盤があるが、最も高音質なものは、やはり英オリジナル盤の、しかも最も初期に発売された通称「Solid Blue Triangle」といわれるセンターレーベル仕様の盤だ。様々な効果音や疑似音が織り込まれたその音楽は、静謐さと底無しのパワーが寄せては返すようで、起伏に富み、濃密かつ立体的なダイナミクスで展開する。コンセプトアルバムとしての完成度はひじょうに高く、全編通して聴くことでバンドが描こうとした人間の陰と陽が表裏一体の奇妙さであると痛烈にわかるのだ。
ジャズアレンジされた『狂気』
ハモンドB3オルガン奏者サム・ヤエル(Sam Yahel)を中心とする4人編成で製作された『Jazz Side Of The Moon: Music Of Pink Floyd』は、ジャズのスタンスとアレンジで同作をカバーしたユニークなアルバムだ。ベースとドラムスに、テナーサックスを加えているのが如何にもジャズっぽいカルテット編成。オリジナル・アルバムは全10曲構成だが、本作は3曲(「Speak To Me」「Us and Them」「Eclipse」)をオミットした全7曲構成だ。

「狂気」の楽曲をジャズ的なアプローチでカバーしたという点にも興味は尽きないが、本作が音にこだわる米国の高音質レーベル、Chesky Recordsからのリリースという点が重要だ。というのも、ピンク・フロイドの『狂気』は何十回もオーバーダビングを経て製作されている一種の創作芸術であるのに対し、本作は米ニューヨークのセントピーターズ聖公教会にて、ミキシング/マスタリングエンジニアのニコラス・プラウト(Nicholas Prout)によってワンポイントマイク収録、オーバーダビング無しという極めてシンプルな手法で録音されているからである。
封入のライナーノートには、録音現場での具体的な楽器レイアウトが記されており、私たちリスナーはその配列通りのアンサンブルを立体的なステレオイメージから実感できる。オリジナル演奏のエッセンスを採り入れながら、ジャズ的な即興演奏でその世界観を押し広げている点もたいへん興味深い。
Words:Yoshio Obara