昭和時代、日本独自のポピュラーミュージックとして数多くの名曲を生んだ「歌謡曲」。その魅力をひも解く本企画では、アーカイヴァーの鈴木啓之さんにご案内いただき、世代を超えて愛され続ける名曲をその背景とともに紹介していきます。

今回とり上げるのは、沢田研二の「勝手にしやがれ」。ジュリーという愛称で親しまれた彼が時代を魅了した名曲を入り口に、その魅力と活躍をたどります。

B’zもカバーする名曲

11月から12月にかけて全国4ヶ所でB’zのライブツアーが開催される。かつて何度か足を運んだことがあったが、あの特別な高揚感は数あるアーティストの中でも群を抜いている。「ultra soul」で会場が一体化した時の空気は思い返すだけで鳥肌モノ。そんな底抜けなパワーを昭和の歌謡曲に当てはめると誰に匹敵するだろう。

そこでふと思い浮かんだのがジュリーである。華やかで活気があってビジュアルも美しい。さすがに1967年にザ・タイガースとしてデビューしたの頃のリアルな記憶こそなかったであろうB’zも、ソロになってからの沢田研二はズバリ世代のはず。松本孝弘が2003年に出したカバーアルバム『THE HIT PARADE』では様々な歌手と一緒に昭和のヒットソングをプレイしているが、なかでもアルバム冒頭を飾る「勝手にしやがれ」は稲葉浩志がボーカル。つまりはB’zによるジュリーのカバーだったのだ。

歌謡界を震わせた圧倒的な存在感

1977年5月21日にリリースされた「勝手にしやがれ」は5週にわたってオリコンチャート1位を獲得し、自己最高のヒット曲「時の過ぎゆくままに」に次ぐセールスを記録する大ヒットとなった。作詞を手がけたのは阿久悠。タイトルは1960年に公開されたフランス映画『勝手にしやがれ』へのオマージュだろう。

「時の過ぎゆくままに」「さよならをいう気もない」など沢田の作品を手がけ、グループサウンズ仲間でもあった大野克夫が作曲し、そのメロディーを一層際立たせたのが編曲の船山基紀だった。船山はこれでアレンジャーとしての名声を一気に高めることとなる。

結果、「勝手にしやがれ」はこの年の『第19回日本レコード大賞』と『第8回日本歌謡大賞』をダブル受賞し、ほかの賞レースでも軒並みグランプリに輝いて歌手・沢田研二を代表する一曲となった。

70〜80年代の歌謡界を席巻

ジュリーの快進撃はさらに続く。「勝手にしやがれ」大ヒットの余韻が冷めやらぬ中で出された次のシングル「憎みきれないろくでなし」もやはり阿久×大野のコンビによるもの。特徴的なホーンセクション、ブルース音階が巧みに織り込まれ、究極のダンディズムが表現された傑作だった。

その路線は次の「サムライ」でも貫かれる。阿久は、時代に取り残されつつあった男のやせがまんを格好よく思わせたいという意図で詞を書いたと語っている。

作曲の大野は、沢田が翌日からロンドンへ旅立つ慌ただしいスケジュールの中で、録音の3時間前にスタジオに着いてから車の中でギター片手に曲を作ったのだという。ひとまず歌を録り、後からアレンジし直した演奏を重ねた綱渡りのレコーディングだったが、そんなことを微塵も感じさせないほどの完成度の高さだ。

「ダーリング」「LOVE(抱きしめたい)」「カサブランカ・ダンディ」などのヒットを連ねた後、70年代の終わり頃になると少し失速した感は否めなかったが、1980年代を迎えての一発目、実に1980年1月1日の発売だった「TOKIO」が起死回生ともいえるヒットとなる。

阿久×大野のコンビがしばらく続いていたところに、かつて「危険なふたり」や「追憶」をヒットさせた加瀬邦彦が久しぶりに曲を書き下ろし、気鋭のコピーライター・糸井重里が作詞した意欲作は、新時代の幕開けに相応しい艶やかなナンバーとなった。

パラシュートのセットと電飾が仕込まれた大がかりでゴージャスな衣装は、お茶の間でテレビを見ていた我々の目を釘付けにした。この時の衣装が後に『オレたちひょうきん族』でビートたけしが扮したタケちゃんマンでパロディ化されたのは有名な話。

さらに1981年の「ス・ト・リ・ッ・パー」、1982年の「おまえにチェックイン」などなど、歌番組やショーにおける沢田研二のパフォーマンスの斬新さ、カッコよさは目を見張るものがあった。

お茶の間で魅せたマルチな才能

それは歌だけではなく、バラエティ番組やドラマにおいても、テレビにおける沢田研二の存在は、並み居るスターたちの中でも際立っていた。ザ・タイガース時代からバラエティ番組にも出演していた沢田は、テレビ時代の申し子のひとりといえる。『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』で、三枚目に徹してコントに挑む姿もサマになっていた。何かとウマが合ったという志村けんと一緒に演じたコントは今見ても爆笑させられる。

テレビドラマでは、三億円事件をモチーフに阿久悠が原作を手がけ、「時の過ぎゆくままに」が主題歌となった『悪魔のようなあいつ』が真っ先に挙げられるが、単発作品では「TOKIO」がリリースされてすぐ、1980年正月にTBSで放映された新春スペシャルドラマ『源氏物語』が印象深い。向田邦子脚本、久世光彦演出。妖艶さを感じさせるほどに美しい光源氏を演じ、八千草薫、いしだあゆみら多くの女優陣との共演が話題になった。男っぽい「勝手にしやがれ」とはまた違う角度からジュリーの色気を満喫出来るドラマであった。映画では快作『太陽を盗んだ男』(1979年)が俳優・沢田研二の代表作であろう。

歌でもドラマでもバラエティでも、沢田研二はいつも最高にカッコよく、最高に輝いていた。

鈴木啓之

アーカイヴァー。テレビ番組制作会社勤務、中古レコード店経営を経て、ライター及びプロデュース業。昭和の音楽、テレビ、映画を主に、雑誌への寄稿、CDやDVDの企画・監修を手がける。著書に『東京レコード散歩』『昭和歌謡レコード大全』『王様のレコード』ほか共著多数。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』、MUSIC BIRD『ゴールデン歌謡アーカイヴ』、YouTube『ミュージックガーデンチャンネル』に出演中。

Words:Hiroyuki Suzuki

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