お酒は、大人だけに許された愉しみ。盃を傾けるのは、二十歳を過ぎてから——。
日本がまだ高度経済成長期と呼ばれていたあのころ、ほろ酔いの口からこぼれ落ちるメロディーは、たいてい歌謡曲だったのかもしれません。数ある酒類のなかでも日本酒は、涙や情念とともにいくつもの名曲で歌い込まれてきました。歌詞に注がれた一献を手がかりに、昭和を彩った名曲たちをアーカイヴァーの鈴木啓之さんとたどります。
日本酒が似合うのは、やはり演歌だろうか?
歌謡曲の題材として欠かせないもののひとつに酒がある。昭和の日本人がほろ酔い気分で口ずさむメロディーはジャズでもクラシックでもなく、たいてい歌謡曲だった。この場合の歌謡曲というのは演歌にフォーク、かつてのニューミュージックなども含めた広義のジャンルである。
そして一口に酒と言っても多種多彩。大きく分ければ洋酒と日本酒ということになるだろうか。音楽のジャンルは洋楽と邦楽、映画も洋画と邦画になるけれど、酒の場合は洋酒と邦酒とは言わない。服ならば洋装と和装だが、かといって洋酒と和酒でもない。日本酒はあくまでも日本酒なのが頑固なところだ。
酒をテーマにした歌謡曲を大雑把に仕分けしていくと、ワインやウイスキーなどの洋酒が歌われているのは主にムード歌謡、日本酒は圧倒的に演歌が多い分布図になる。同じように夜の雰囲気に合うムード歌謡と演歌は混同されがちだが、似て非なるもの。ラテンやハワイアンといった洋楽をルーツとするムード歌謡に対して、演歌は土着的で和のテイストが充満している。
日本酒と歌謡曲がテーマの本稿も演歌が大勢を占めるわけだが、演歌が嫌いという向きもどうか拒絶反応を示さないでいただきたい。昭和の演歌は耳馴染みがよく、万人受けするようなエンタメ性も極めて高かったのだ。
藤山一郎「酒は涙か溜息か」──酒を歌った、最初の大ヒット曲
歌謡曲がまだ流行歌と呼ばれていた時代、作曲家の二大巨匠に古賀政男と服部良一がいた。決してその限りではないにせよ、作風から古賀は演歌の父、服部はポップスの父と呼ばれる。古賀メロディーの代表作のひとつに挙げられる曲に「酒は涙か溜息か」がある。1931年発売。作詞は高橋掬太郎、歌は藤山一郎。大ヒットを記録し、古賀も含めてそれぞれの出世作となった。
おそらく酒が題材となった最初の大きなヒット曲ではないだろうか。詞には酒の種類までは書き込まれてはいないものの、もともと高橋の馴染みだった芸妓の送別会の席で即興で書かれたものだったというから、日本酒がイメージされる。
美空ひばり「悲しい酒」──台詞と涙が刻んだ、和装の似合う名唱
時代は飛んで1966年、やはり古賀の曲で美空ひばりが放ったミリオンヒットに「悲しい酒」がある。間奏の台詞が有名だが、最初のレコードにはまだ無く、翌年に出されたコンパクト盤から台詞入りバージョンとなる。テレビ番組などで歌われる際、絶妙のタイミングで涙が頬を伝うのも有名。女優仕事も多かった美空ひばりは一流の演技者でもあった。
和装が多かった美空ひばりには日本酒が似合う。ちなみにこの曲はもともとひばりのために作られた曲ではなく、1960年に発売された北見沢惇がオリジナルのカバーソングだったが、当初はひばりにはそのことは伏せられていたという。北見沢は奇しくもひばり盤が発売された直後に30歳で早逝している。
八代亜紀『舟唄』──高倉健主演映画で流れる日本酒ソング
高度経済成長下にカクテルがブームになったり、バーやクラブが繁盛したせいだろうか、ムード歌謡の隆盛もあって、昭和30~40年代は日本酒よりも洋酒を扱った歌謡曲の方が目立っているが、藤圭子が “演歌の星” と呼ばれてスターになった1970年頃から、酒にまつわる演歌のヒットが俄然増えてくる。
ジャズ歌手が出自でありながらも大衆酒場が乱立していた夜の新宿が歌われた1974年の「なみだ恋」でブレイクした八代亜紀の存在は大きい。「なみだ恋」には酒は登場しないが、その5年後、1979年の「舟唄」は正真正銘の日本酒ソングである。作詞は阿久悠、作曲は浜圭介。高倉健が主演した1981年の映画『駅 STATION』で何度も流されるシーンはことのほか心に染み入る。
渥美二郎『夢追い酒』──カウンターで沁みる、1979年の年間チャート第1位
「舟唄」と同じ年にヒットしたのが、遠藤実が作曲し、渥美二郎が歌った「夢追い酒」だった。1978年に発売された後、年を跨いでのロングセラーとなり、1979年の年間チャート第1位を獲得した。演歌師(流し)出身の渥美の歌唱は実に味わい深く、居酒屋やスナックのカウンターで聴きたい。
TBS『ザ・ベストテン』が始まって間もない時期で、演歌で最初にランクインした曲であった。同番組はアイドル、ニューミュージック、演歌などジャンルを越えたスターが一堂に会するのが魅力で、演歌も欠かせないファクターだったのだ。
小林幸子『おもいで酒』──B面から生まれた、“ラスボス”への出発点
さらにこの年は小林幸子が1964年のデビュー曲「ウソツキ鴎」以来、超久々にヒットさせた「おもいで酒」も巷でよく流れた。そもそもは「六時、七時、八時あなたは…」という曲のB面だったが、大阪の有線放送から火がついてAB面がひっくり返っての大ヒットとなった。
渥美二郎「夢追い酒」、ジュディ・オング「魅せられて」に次ぐ1979年の年間第3位を獲得する。苦節15年、念願の『NHK紅白歌合戦』に初出場、日本レコード大賞の最優秀歌唱賞も受賞して演歌界に確固たるポジションを築いた。「おもいで酒」のヒットが無ければ、後年ラスボスと呼ばれる存在になることもなかったはず。ヒット曲は歌手の人生を大きく左右する。
細川たかし『北酒場』から吉幾三『酒よ』へ──昭和を締めくくる酒ソング
1982年に出された細川たかし「北酒場」は演歌といえどポップス色の濃い軽快なメロディー。ヒットのツボを心得た、なかにし礼×中村泰士コンビの作品で、馬飼野俊一のノリのいいアレンジも抜群だった。
細川がレギュラー出演していたテレビ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』で萩本欽一の発案により毎週歌われたことでお茶の間に広く浸透した。曲の合間に面白いかけ声を入れられたりしながらも真摯に歌っていた、うら若きあの頃の細川の懸命な姿が忘れられない。大晦日にレコード大賞を受賞した際にも、欽ちゃんがお祝いに駆け付けたのだった。
そして1988年に全日本有線放送大賞のグランプリを獲った吉幾三の「酒よ」は昭和の終わりを飾った究極の酒ソングといえる。前年に大ヒットした「雪國」同様に自身の作詞・作曲。これでコミックソングの歌い手以上に演歌の大御所というイメージが定着した。
と、ここまではお馴染みのヒットソングを綴ってきたが、ストレートな日本酒のCMソングもあるのだ。
西田佐知子『初めての街で』──忘れがたい、昭和のCMソング
レコードが一般発売されたものでは、菊正宗のCMで流れた西田佐知子の「初めての街で」が最もよく知られているだろう。いわゆるヒット曲ではないが、昭和のテレビを見ていた世代であれば曲のタイトルからすぐにメロディーが思い浮かぶはずだ。「まだ甘口の酒が多いとお嘆きの貴兄に~」というナレーションに、スルリと解けた風呂敷包みから姿を現す一升瓶。「上を向いて歩こう」の永六輔×中村八大コンビによる傑作である。西田と共に作家二人の顔写真があしらわれた非売品の宣伝盤もある。
田宮二郎『酒は大関』──宣伝盤だけに残る、名優の歌声
最後にもう一曲。レコードは宣伝盤のみが存在する、大関の主題歌「酒は大関」。1970年から放送されていたそうで、これもよく知られた昭和のCMソングのひとつだろう。CMで流れていた加藤登紀子の歌はもちろん収録されているが、着流し姿で颯爽と出演していた田宮二郎が自ら歌うバージョンもレコードには収められている。役者の歌はなんとも味がある。ぜひ一杯飲りながら、今は亡き名優の歌声に耳を傾けたいもの。
そういえば「いっぱいやっか」が流行語となった伴淳三郎の5秒CMも「神聖」という日本酒のコマーシャルだった。植木等の「なんであるアイデアル」しかり、あの短いテレビCMは “ブリップバート” というらしいが、さすがに5秒ではCMソングが作られるまでには至らなかった。伴淳が歌う日本酒ソングもちょっと聴いてみたかった気がする。
鈴木啓之
アーカイヴァー。テレビ番組制作会社勤務、中古レコード店経営を経て、ライター及びプロデュース業。昭和の音楽、テレビ、映画を主に、雑誌への寄稿、CDやDVDの企画・監修を手がける。著書に『東京レコード散歩』『昭和歌謡レコード大全』『王様のレコード』ほか共著多数。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』、MUSIC BIRD『ゴールデン歌謡アーカイヴ』、YouTube『ミュージックガーデンチャンネル』に出演中。
Words:Hiroyuki Suzuki
